疑念
「その首輪には毒針が仕込まれている。これからお前の行動は24時間我々の監視下に置かれ、少しでも不審な動きを見せれば毒針が容赦なくお前の意識と未来を奪う」
「……はい」
「反抗も隠し事も許されない。お前は常に我々の命令に従い、自分が人類にとって安全で有益な存在であることを証明し続けろ」
「わかりました」
威圧的な態度を見せていた男性は、斗悟の反応に対して訝しげに眉根を寄せた。
年齢は30歳前後だろうか。狭く、窓もない閉鎖的な部屋で、ことさら圧迫感を煽るように斗悟の正面に座った男性は、「神田源龍」と名乗った。精悍で整った顔立ちだが異様なほどに目つきが鋭く、凄まれると恐ろしい迫力だ。
「やけに素直だな。理不尽な話だと思わないのか」
「まあ、多少は……。でも、仕方ないことだとも思いますから」
「……」
沈黙は説明を促しているものと判断し、斗悟は続けた。
「客観的に見て、自分が怪しすぎるのは自覚してます。しかもあなた方にとって得体の知れない力まで持っている。警戒されて当然です」
「だからどんな仕打ちも甘んじて受けると?」
「どんな仕打ちも、ってわけじゃないですけど……これくらいは必要な範囲だと納得できます」
きっと愛理たちは、斗悟が敵ではないことを証言してくれるだろうが……実際に共に戦った彼女らはともかく、話を聞いただけの人間にいきなり信用してもらうのは無理がある。
ひとまずの窮地を脱した今、信頼関係の構築は焦らなくていい。まずは自分が「安全な存在」であることをわかってもらうことから始まりだ。
「そうまでして俺たちの信用を得たいのはなぜだ。共にイーターと戦うためか?」
「はい。信用してもらえなければオレは能力を発揮できませんから」
「まるで聖人君子の言い草だな」
神田は斗悟の答えを聞いて鼻で笑った。
「お前のようなガキが、本心から『人類を救うため』というご立派な動機だけで、この待遇を受け入れて協力すると? 人間性が見えん。見返りを求められた方がまだ信用できる」
見返り。そうか。
神田の言うとおり、斗悟が何のために戦おうとしているのかわからなければ信用のしようもないだろう。
「オレは……過去をほとんど失いました」
話し始めるまでに、少し言葉をまとめるための時間が必要だった。
「家族も友達も……、好きだった人も、100年前に置き去りのまま、なぜか自分だけが今ここで生きている。オレに残されたのは、もうこの力だけなんです。過去に戻れないのなら、オレが生きる意味は戦うことしかない。だからそれ自体が見返りというか……この力で誰かの役に立てるなら、もうそれしか、縋るものがないんです」
「それが俺たちに取り入るための嘘でも、もしも本心だったとしても」
沈黙の後、吐き捨てるように神田は言った。
「薄気味悪いな、お前」
斗悟は気を失っていて覚えていないが、最後の爆弾をどうにか防いだ後、救援部隊の助けにより、本拠地にして人類最後の文明拠点であるこの「桜都」に帰還したらしい。そこで斗悟は愛理たちと引き離され、眠っている間に様々な身体検査を受けたようだ(首輪を装着されたのもその時だろう)。
目を覚ましたところに待っていたのが先ほどの尋問だった。聞かれたことには、知っている限り全て嘘偽りなく答えたが、信じてもらえたかどうかは怪しい。
それからも長い検査が続くと言われて辟易していたが、斗悟にとって救いだったのは――
「君は……蓮!?」
連れてこられた検査室で、ともにイーターと戦った4人のうちの1人、ショートカットでつり目の少女・蓮と再会できたことだ。
「気安く呼ぶんじゃねーよ」
蓮は不機嫌そうに目を逸らしたが、彼女が元気そうにしていることと、見知った顔に出会えた喜びで、斗悟は思わず前のめりになった。
「よかった……! 無事だったんだな!」
「だーっ! 急にこっち来るなァ!」
蓮は不用意に近づいた斗悟を突き飛ばし、部屋の隅で猫の威嚇を彷彿とさせる謎のポーズを取った。
「す……すまない。でも君が一番大怪我だったから、心配してたんだ」
「あたしより自分のこれからを心配してろ! ……あれくらいなんでもねーよ。桜力さえ戻ればすぐ自分で治療できるんだから」
「オウリョク……?」
「桜花武装の元となるエネルギーのことさ。君が言うところの『魔力』と同じかな」
斗悟の呟きにそう答えたのは、白衣を着て研究者然とした装いの女性だった。
「私は鞠原環。君の検査と体調管理を担当することになった。よろしく」
「よ……よろしくお願いします」
差し出された手を握り返し、斗悟は改めて鞠原を見た。
よほどの癖っ毛なのか、短くまとめているはずの黒髪がところどころ明後日の方向に飛び跳ねている。若いと言われればそう見えるし、意外と年齢を重ねていると言われても納得できそうな、不思議な印象の人だ。
「そしてこっちが春川蓮。改めて紹介は不要かな。彼女には私の助手を務めてもらっているんだ」
「彼女は桜花部隊の戦闘員じゃなかったんですか」
「兼任さ。戦闘もこなせるが裏方の仕事もできる。それだけ優秀な子なんだ」
蓮はふいっと顔を逸らした。褒められているのに微妙に表情が暗いのは気のせいだろうか?
「さて、早速ですまないが検査の続きだ。せっかく起きてくれたのだから、君の能力を直接見せて欲しい。桜花武装をコピーすることができるんだろう?」
「はい。正確に言えば、オレを信頼してくれた相手から能力と魔力――桜力を借りることができます」
「素晴らしい。じゃあ、ちょっと今ここで蓮の桜花武装を発動してみてもらえるかい?」
「あ、えっと……最初に能力を借りるときには、相手の体に触れなければいけないんです」
「なるほど。蓮、握手して」
ムスッとした顔で手を差し出す蓮に曖昧な笑みを返し、斗悟は彼女と握手をした。だが……。
「発動、できませんね」
「それはつまり、君は蓮に信用されていないということ?」
「え……」
蓮が困惑の表情を見せる。
「〈祈りを満たす勇気の器〉は心の底から信じてもらえていないと発動できないんです。仮に無自覚であっても、少しでも疑念があればオレはその人から力を借りることはできません」
蓮とはあの戦いを通じて多少心が通じ合ったつもりでいたが、それでも真に心の底まで信用を得られたわけではないのだろう。
「ということは、今すぐ蓮の力をコピーするのは無理ってことか。残念だな。蓮の桜花武装を使える人間が増えればとても助かったのに」
「そうなんですか」
鞠原に訊きながら、横目で蓮を見る。彼女は固い表情で斗悟から目を逸らしていた。
「うん。蓮の桜花武装は非常に有用かつ希少だからね」
蓮の桜花武装は確か、後方支援に特化した能力だった。まるで彼女を中心とした惑星系を描き出すような、「武装」という響きが似つかわしくない幻想的な外観だったのを覚えている。
「索敵、防御、回復……攻撃能力こそないものの、逆にそれ以外はなんでもできる。愛理とは別の意味で唯一無二の逸材だ。だからこそ、戦闘員兼支援員なんて二重労働を強いてしまっているんだけどね」
わしゃわしゃと頭を撫でられながら、蓮は俯いている。まただ。褒められているのに、どこかバツが悪そうな――。
「……確かに、蓮の力はオレと相性がいいと思います。使えるようになれば、きっと凄い威力を発揮する」
「ほう。相性がいいっていうのは?」
「オレが使える最も強力な能力は、〈|バッドエンド・ブレイカー《絶望の未来を壊す剣》〉という、未来を改変する力です。ただこの力は強力な分制約があって、いくつかの条件をクリアしないと発動できません。その条件の一つが、……説明しづらいんですが、オレ自身が『このままでは最悪の未来が訪れる』って理解することなんです」
鞠原と蓮の頭上に揃って「?」が浮かんだのが見えて、斗悟は説明を続けた。
「この前の戦いで、オレは〈絶望の未来を壊す剣〉を使ってイーターが残した爆弾の爆発を防ぎました。それができたのは、アレが時限爆弾で、対処しなければ全滅することを蓮が教えてくれたからなんです」
〈絶望の未来を壊す剣〉を発動するための最も高いハードルがこれだ。発動さえすれば無敵とはいえ、何が「最悪の未来」を引き起こす原因なのか、それがわからなければ発動のしようがない。わかった時には既に手遅れ……という可能性もある。
「もし蓮の桜花武装が持つスキャンの力をオレ自身が使えるようになれば、一人で悪い未来をもたらす脅威に気づくことができるかもしれない。〈絶望の未来を壊す剣〉を発動できる機会が大幅に増えること……それが、相性がいいと思った理由です」
「ふーむ……。私はそのバッドなんとかを直接見たわけじゃないし、いまいちピンと来ないんだけど。どうだろう蓮、彼の言うことはもっともだと思う?」
鞠原に尋ねられ、蓮は少し逡巡した後に頷いた。
「確かに、爆発を止めたあの力が使いやすくなるんなら、コイツの言うとおり、あたしの武装を使えるようになってもらった方がいいと思います」
「なるほど」
ふんふん――と顎に手を当てて考える素振りをした後、鞠原は「よし」と指を鳴らした。
「これからしばらく、蓮と斗悟くんには一緒に行動してもらおう」
「えっ」
「はぁ!?」
「仲良し度アップ兼監視のためにね。それで斗悟くんが蓮のお眼鏡にかなえばヨシ、やっぱり信頼できないとなればそれはそれで、我々が斗悟くんにどう接するべきかの指針になる」
後半のセリフは微妙に恐ろしいが、斗悟にとっては望ましい提案である。ただ――。
「蓮、君はそれでいいのか?」
蓮はギロリと斗悟を睨みつけたが、しかしため息をついて「しょーがねーだろ」と言った。
「コレも仕事だからな。……仕事だからな!」
なぜか2回もそう言って、蓮は斗悟に背を向けてしまった。やはりまだ本心から彼女の信頼を得るには至っていないようだ。
「わかった。よろしく頼むよ、蓮」
「彼を信じ切れないのは、何か理由があるのかい?」
斗悟が検査のため別室に移動したあと、鞠原は目を細めて蓮に尋ねた。いつもなら頼もしい分析力を発揮する瞳がこちらを向いていることに、内心ぎくりとする。
「桜花武装にも反映されているように、君には理屈の外側で物事の本質を見抜く力がある。その君が彼に疑念を感じているのだとしたら、安易に彼を信用するわけにもいかないと思ったんだけど」
「それは……」
誤解だ、と言いかけて、その後に続く言葉を飲み込んだ。
蓮は斗悟を疑っているつもりはない。確かに彼の正体は不明だが、先の戦いは彼の助けなしには切り抜けられなかった。何より、一人犠牲になろうとした愛理を助けてくれた、あのときの必死な様子が演技だとはとても思えない。
だから――おそらくこれは、自分の方に原因がある。それを言葉にしたくなくて、蓮は「わかりません」とだけ答えた。
「ふむ。そうか。ではしばらく様子を見てみようか。気付いたことがあれば逐一報告してくれ」
「……はい」
鞠原の言うような「本質を見抜く力」が本当に自分にあるのかはわからないが、少なくともその逆――隠し事をするのはとても苦手だ。声や表情に滲んでしまっているだろう後ろめたさに、鞠原が気づいていないとは思えず、蓮は服の裾を握りしめた。