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僕の家政婦

僕の家政婦。


福さんは、僕の家族だ。

福さんとは、もう十八年間一緒に過ごしている。生まれた時から高三の今まで、僕の一番近くにいてくれた人は家政婦さんだ。両親は僕が物心ついた頃から海外にいて、日本に帰ってくるのも年に一回あるか無いか。寂しくて心細かった幼少期を、寄り添い支えてくれた福さんは僕にとって親以上に大切な人だ。

それなのに。両親は今更僕を海外に連れて行こうとしている。行きたかった日本の大学にも合格したばかりなのに。

「凌ちゃ〜ん!久しぶりね!元気だったぁ〜?」

甲高い声をあげて抱き着こうとしてきた母親を、凌はさり気なくかわした。

「二年ぶりだな、凌。」

ダークネイビーのスーツを着こなして仏頂面で言ったのは凌の父親だ。

「福さーん!貴方にもちょっと話があるの〜こっち来てくれる〜?」

ふっくらとした体型の優しい顔をした福さんが来た。

「福さんいつもありがとうね〜!さっそくだけど、凌は明日からイギリスの大学へ通うことになったから、この家も今日中に売り払うことにしたの〜!だから今日でうちの家政婦の仕事は辞めてもらいます!十八年間大変だったでしょ?お疲れさま〜〜!」

屈託なく言ってのけた母親に凌は苛立った。

「何勝手な事言ってんだよ!イギリスの大学?!行かないから。それに、福さんを辞めさせるとか簡単に言うな!」

「あら、そんなにご不満?」

天然で呑気な母親は、凌にとって顔を見るだけでイライラしてくる存在になっていた。

「不満だよ!!この家を売り払ったら、福さんは住む家が無くなるんだぞ!それに、僕はこれから先も福さんと一緒に生活していくつもりだったんだから!」


小学校で馴染めず、いつも独りぼっちだった僕に、友達の作り方を教えてくれたのは福さんだった。「凌ちゃんが笑顔で話しかけたら、その子もきっと笑顔で返してくれる。待っているだけじゃだめだよ。凌ちゃんと話したいなって思っている子はきっといっぱい居るから。」と。

高校受験の時だって、夜遅くまで勉強している僕に毎晩夜食を作ってくれたし、僕が寝るまで福さんもずっと起きててくれてた。受験当日も「凌ちゃんならできる。今までの努力を信じて頑張ってらっしゃい!」と背中を押して送り出してくれた。合格した時、福さんは泣いて喜んでくれて、福さんのおごりで焼肉を食べに行った。


「大学に受かった時だって、自分の事のように喜んでくれた。その時あんた達はどうしてた?祝いのメール一通でもくれたか?」

「あれ?メールしてなかったけぇ?忘れてたわ、ごめんなさいね。」

「別に連絡が欲しかった訳じゃない。福さんは僕にとって親同然だって言いたいんだ。だから、」

「何よ、たかが家政婦さんじゃない!」

珍しくみるふくれっ面で母親が言った。

「十八年間放ったらかしにされてた気持ちも考えろ。あんた達と信頼関係も無ければ家族の絆なんて無い。」

血の繋がりはなくとも、僕と福さんは強い絆で結ばれている。十八年という長い年月が強い信頼関係を作り上げ、絆をより強固にしたのだ。


そこまで言って福さんが僕を手で制した。


いつもは温厚で優しい福さんを一度本気で怒らせたことがある。

中学の頃、反抗期で言葉遣いが荒くなって、福さんのことを「お前」と呼んだり「おはよう」や「ただいま」の挨拶も一切しない時があった。福さんは寂しそうな顔をしながらも適度に放っておいてくれた。ある日、二十二時の門限を破って日付が変わった頃に恐る恐る帰ると、福さんは玄関に座り込んで泣いていた。何も言わず自分の部屋へ行こうとした僕を引き止めて、左頬を思いっきり叩いた。

「いい加減にしなさい」

怒りを懸命に堪えて出した声は微かに震えていた。いつも冷静に諭すよう叱られてきた僕はびっくりしたし、本気で心配させたんだと痛感した。福さんが僕に手を挙げたのはその時の一回だけだ。


「凌ちゃん、やめなさい。私の事は気にしなくていいから。」

背中が丸くなってきた福さんが僕の手を握って言った。

「よくないよ。ここを追い出されたら住む家もないじゃないか!福さんの歳じゃ、一人でアパートを借りるのだって苦労するんだよ。」

「そういうことなら、退職金は弾むわよ!」

ウインクをして言った母親を凌は横目で睨んだ。

「そういう事じゃない!何でもお金で解決しようとするな!世の中にはお金よりも価値のあるものが沢山あるって福さんが教えてくれた。毎日死に物狂いで頑張った受験勉強の日々も、福さんと過ごしたかけがえのない時間と思い出も、僕にとってお金以上の価値を持ってる。生きていく上で大切なこと、沢山教えてくれた人を見捨てたりできない。」

凌は漆黒色の母親の眼をしっかりと見た。

「イギリスの大学に行くことになっても良いから、福さんにはこれから何不自由のない生活をさせてあげてほしい。これが、僕があんた達に望む唯一の願いだ。」



「うんうん、、、分かったわ。かなり上出来ね!」

髪をかき上げた母親が何を言い出したかと思うと、バックの中から一枚の紙を取り出した。


      契約書     

我が息子、立松 凌を十八歳になる年の三月三十一日までに「聡明で温情深い、心優しい人間に育てること。」

会社の後継者に相応しいとワタクシと妻が判断した場合にのみ報酬が支払われることとし、契約の途中放棄は出来ない。

      すなわち成功報酬である。


詳細条件のところには、行くはずだった日本の大学名が記載されていて、〇〇大学に合格できる程の学力を身に着けておくこと、とあった。紙の一番下のところに鈴木 良枝、とサインがある。

戸惑っている凌をそっちのけで母親が福さんに向かって笑いかけた。

「〇〇大学にも合格させてくれてありがとう〜!鈴木さん!こんなにいい子に育ってくれて嬉しいわ〜!」

甲高い声が家中に響き渡る。

父親がスーツの胸ポケットから小切手を取り出してボールペンを走らせた。


100,000,000


ゼロが八個で一億円。

「はい、これ」

と相変わらずの仏頂面で父親はそれを福さんに渡した。

愛想の良い笑顔で受け取った福さんはエプロンを外し、どこからか大きなキャリーケースを持ってきて僕のことを見た。

「貴方のおかげよ!

 ありがとう!

       さようなら」

軽く会釈して去って行く福さん、、、いや、、鈴木さんの背中を、僕はただ茫然として見つめた。

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