3話 焼肉
あらすじの焼肉回です。
倒れたままお腹を鳴らし続ける彩吹に不信感を持ったのか男子高校生が彩吹を人差し指で突き続けると、彩吹は意識が鈍い中で発声する。
「死んで、無いです……生きてます……」
と辛うじてそう返した。彩吹は地面に突っ伏している為凡そ声でしか予想はつかないが、十代の男性であることぐらいは解る。
彩吹は、昼食以外まともに食べる暇が無い。
実は彩吹は昼食をとり終わるとすぐ見つからないように監視カメラが置かれていないところを通りヘドロもどきの処理に向かうので、ゆっくり昼食を摂る暇が無いのだ。朝は課題や予習復習、家事に庭仕事などやる事も多く、夜になれば家事代行の人はいるが、家にいる兄妹分のご飯を作る事に加え、『仕事』を全て終えたのも昨日のことだ。
「大丈夫……か?救急車とか呼ぶか?」
「……呼ばないで頂けると……助かります。お腹空いているだけなんで……」
少し驚いた様子で男子高校生が彩吹の手元にあった梅のおにぎりを手に取り、彩吹を仰向けにし口の中に詰め込む。
彩吹はゆっくり咀嚼すると意識は朦朧としながらも目を閉じればまともに会話出来るぐらいまで回復した。
彩吹はふと、この近くは焼肉食べ放題のチェーン店があった筈だと思い出す。初対面の人に頼むのも申し訳ないが、今は一刻を争う事態なのだ。
それに、兄や姉に迎えに来られたら絶対に説教案件だ。彩吹自身だけなら問題はないが、朱赫に飛び火がかかるのでそれは避けたいと思う。
気絶した方が異変に気がついて誰かが気配を辿って迎えにきてくれたかもしれないが、迷惑をかけたくないのでその思考を振り払う。
もし、彩吹を襲い殺すような殺人鬼であれば頸動脈を蹴り上げる余力はあるが、無害そうなので余計なエネルギーは使わなかった。
「……こんなこと、失礼を承知で申し上げるんですが、この近くに焼肉屋、ありましたよね。そこまで連れて行ってはもらえないでしょうか」
「いや、流石に……」
初対面からしたら傍迷惑な話だろう。ならばと思い最終手段に乗り出す。
「一番上のコース奢りま」
「のった」
彩吹が言い終わる前に男が食い気味に言った。
カード、現金、電子マネー全て使えるので金は問題ない。そうなると残るは移動の問題だ。彩吹は歩く事すら出来ないのだから、タクシーを呼ぶしかない。そう思っていたのだが、男が彩吹を軽く持ち上げおぶると、丁度いい速度で歩き始めた。
彩吹は喋る事にエネルギーを使いたくないので背中に身を任せたまま僅かに意識を保っていた。
ーーー
肉が焼ける匂いが鼻腔をくすぐる。
意識が朦朧としながら、彩吹は頼んだ前菜が届き始めると「いただきます」といい黙々と食べ始める。所作は一つ一つ丁寧なのだが、その速度が異常である。
机にあった前菜全てが一分足らずで彩吹の胃の中に消えると、積み上がった皿は二十を超えていた。
徐々に意識が覚醒していくと、彩吹は初めて男子高校生の顔を目にする。
墨汁のような黒い髪と瞳で、顔立ちは割と整っている。彩吹が推測するが混血らしく、恐らくクォーターだろう。
制服はこの近くの高校の物と一致しているので地元の高校生で間違い無いと彩吹は思う。
「肉、焼けたぞ」
「どうも」
男が次々肉を焼くと、彩吹が片端から肉を口に入れる。
彩吹が当たり障りのない範囲の会話をし始める。
「この近くの生徒ですか?」
「そうだな。でもどうせ同い年だろうし、敬語はやめてくれ」
「そういう事なら」
彩吹は敬語で仕事モードに入る事が長年染み付いている為、敬語を外したら演技ではない親しみやすい好青年になるのだ。
男は彩吹の親しみやすさに当てられ、疑問を言ってきた。
「で、あんな人の寄りつかない所で倒れ込むなんて、一体なにをしていたんだ?」
男が笑いながら彩吹にそう尋ねるが、内心焦っておらず、ただ事実だけを話した。
「これ捨てるためにゴミ箱探してたら迷っちゃって」
彩吹は貼った札を見せないようにレジ袋を見せると、男は納得したのか深く追及せず肉を焼き続けた。
今、ペットボトルの中に入っているへどろもどきは、彩吹が無理やり自我を育たせないようにしている為大人しくしている。
レジ袋を鞄の中に入れ、再び箸をとると白米の上にタレをつけたカルビを乗せて丼を作る。
箸で丁寧に一口分とり口に入れると、全身に美味しさが染み渡る。
数口食べ意識が冴え渡ると、彩吹はトングを掴み、次々に肉を焼き始めた。
「焼かせてばかりじゃ悪いし。僕君の分の肉焼いてるからドリンクとか取りに行きなよ」
「ああ、そうさせてもらう」
彩吹は一人残されると、次々に肉を焼いていく。
油が多くなった頃、茄子や葱などを追加で焼き、自分の取り皿に大量の肉が積み上がっている。
残り時間もまだ余裕はある事を確認する。
タブレットで追加注文すると次々に肉や野菜が運ばれてきた。
「俺が飲み物取りに行ってる間に皿が空になってる……」
彩吹の横に積み上がった皿は、凡そ十人分を越えている。前菜を含めれば、それ以上である。
炭酸飲料を注いで戻ってきた男が驚いたように彩吹を見ると、当の本人は焼いた肉を片端から口にしている。
その光景を見て最初は唖然としていたが、折角の肉だと男も食べ始めた。
残り時間二十分前になると、スイーツコーナーで何種類かアイスをとって食し、食後の紅茶を啜っていた。
「一体、その細い体の中にどれだけ入るんだか」
「まあねー。僕もこんなに食べたのは初めてかも」
彩吹は二つティーバッグを取り出すと、自分の分と男の分を淹れ始めた。
男が彩吹の淹れた紅茶を一口飲むと、美味いなと一言溢した。
「そんな判る?」
「俺の近くにはどんなに高い茶葉でも泥水のように淹れるやつがいるからな」
何だか目が少し遠い場所を見ているような気がするな、と彩吹は思う。
確かに彩吹は自分の淹れる紅茶の腕が高い事は自他共に認めているが、美味しそうに飲んくれているので淹れ甲斐があるものだと思った。
彩吹はふと、その名前を呼ぼうとしたが教えてもらっていない事に気がつく。
「苗字だけでも教えてくれない?君は僕の恩人なんだから。いつまでも名無しの権兵衛ってわけにもいかないし」
「……水鳥だ」
彩吹は水鳥と脳内で記憶すると、無意識の内に笑顔を溢す。
「今日はありがと、水鳥君。お陰で助かったよ」
「いや、お礼を言うのはこっちだ。給料日前で仕送りはあってもこういう焼肉とかは食えなかったしな。あんたのお陰だ、ありがとう。俺も名前を聞いてもいいか?」
「そんな事なら。僕は葬織。ありがと。またどこかで会えたらスイーツバイキングでも誘うよ」
今日見ていて肉を食べているよりスイーツ等甘いものを食べていたので、そういうのが好きかと思っていたが、どうやらあっていたらしく、苦笑しながらも了承を得た。
「わかった。偶然会えたらな」
そう言って二人はその場を後にする。
この二人、実は案外早く意外な形で再開する事になるのは、まだ誰も知る由も無かった。
彩吹が食べた金額は凡そ六桁いくかいかないかぐらいです。因みに食べ放題の金額は四桁程。