5.禍々しいもの
知らない人に怖がられることが、たまにある。
スーパーで私の顔を見るなり悲鳴をあげた女性がいた。また別なときは、同じ大学の男子学生だった。彼は凍りついたように硬直したかと思うと、そろそろと後ずさりするようにして、すれ違わずに元の道へ戻っていった。
これはほんの一部でしかない。
今でも忘れられないのは、ある神主さんに言われたこと。その神主さんは、私を視界に入れた瞬間、顔色を失くした。
それは、大学でできた友人の茅野美紗希に誘われて神社に行った時のことだった。 御朱印集めが趣味の彼女に、一緒に神社へ付き合ってほしいと言われたのだ。
美紗希には中学時代から付き合っている彼氏がいる。二人はとても仲が良くて、いつもは彼氏の篤司くんと出かけているのだけれど、その日は用事があるのだという。
神社にはあまりいい思い出がないから断りたかったけれど、帰りに「カフェ花花」のクリームチキン定食を奢ってくれるというので、渋々行くことにしたのだった。
神社に着いたのはお昼過ぎくらいだったと思う。整備された広い駐車場がある時点で、私が知る場所とは違うのだけれど、山の中にあって、紅葉した木々に囲まれているというだけで、忌々しい記憶がよみがえり、不安な気持ちになった。
車を降りて参道へ向かう。すると、驚くべきことが起こった。美紗希は「じゃあまた後で」と事務的に言うなり、別行動をはじめたのだ。呆けている間に彼女は鳥居へ続く階段を駆け上がり、その中央をくぐって、社務所のほうへと駆けて行ってしまった。
入り口にぽつんと取り残された私は、ついてくる意味はあったのかな、と少しもやもやした気分になった。
美紗希は運転が出来ないから、そのためだったのかもしれない。
友だちと一緒にいろいろな場所に出かけるのに憧れていた。だから、声をかけてもらって嬉しかったのは本当だ。でも、美紗希と一緒にいると、こういうやりきれない気持ちになることが多々ある。
理由もわからず突然不機嫌に黙り込んだり、急に予定をキャンセルされることもよくあった。話題を振っておきながら答えている途中に違う話をはじめてしまったり、講義ノートを当たり前のように借りられたり。
本当は、夜の心霊スポット巡りもあまり好きではない。
幽霊なんて信じてないから、別に怖くはない。それよりも怖いのは人間だ。ああいう廃墟にはたまに不良っぽい人たちがいたりするから、犯罪に巻き込まれたりしないかと不安になることがある。
置いていかれたけれど、このあたりには神社以外に何もない。
せっかくだからお参りをして、境内を散策することにした。ここは山の中にあり、地元でも1番に広い神社だ。祀っているのは豊穣の神だとか。
鳥居をくぐる前に一礼し、参道の端に寄ってくぐる。手水舎で手と口をすすいだあと、お参りをする。
ここは観光地としても有名で、平日の午後だというのに、ぱらぱらと観光客を見かけた。
観光客向けなのか、境内の案内図をもらったので、それに沿って滝を目指すことにした。この神社の奥には天然の滝があり、そこには不思議な力があるのだと、美紗希が力説していた。
私はそれよりも、六月になると蛍が見られるというほうが気になる。シーズン中は夜でも入れるようなので、みんなを誘って来てみようか……。
境内の奥のほうにやってきたときのことだった。建物の中から、慌てた様子の男性が飛び出してきた。
立派な衣装を身にまとった、神主さんらしき人だ。彼は、私を視界に入れると、凍りついたように硬直して、顔色を失った。
私は「またか」と思った。至って普通の女子大生のはずなのに、私のなにがそんなにおかしいのか。
でも、まったく接点がないはずの何人もの人たちに、同じような反応をされると傷つくし、もしかして、自分では気づいていないだけで、ひどく醜悪な顔をしているのだろうかと不安になる。
私は神主さんらしき人を一瞥すると、滝のほうへ向かった。
「お、おかえりください……!」
振り返ると、が地面にひれ伏していた。
私は怪訝に思って周りを見回すが、私以外には誰もいない。
「どうか、後生ですから、お帰りください!」
神主さんは、顔をあげずに再び言った。その肩は小刻みに震えており、彼を後押しするように向こう側からぬるい風が吹いてきた。
「どうして、帰らなければいけないのですか」
私はむっとして訊いた。すると、神主さんはびくりと身体を震わせる。そして、顔を上げないまま答えた。
「あなたには、禍々しいものがついているのです」
「禍々しい? 悪霊ってことですか?」
私は思わず眉根を寄せてしまった。そんな非科学的なこと、あるわけがないのに。
子どものころから、おばけや妖怪といったものに興味があった。魔法にも想像上の生き物にも。でも、そんなものは存在しない。見たことがない。
「――とんでもない。あなたに憑いているのは、古の神だ」
「神?」
「銀色の髪を長く垂らし、胸には翡翠の首飾りを下げ、七つに枝分かれした剣を持ち、こちらを冴え冴えと見ている。両腕には翡翠色の鱗がまばらにあり、その目もやはり同じ色をしていて、人間とは思えない美貌の若い男だ。――水の匂いを感じる」
神主さんは、震えながらも、はじめて顔を上げた。その目に光はなく、焦点が合わないことにぞっとした。
「もしも本当に神様がついているのなら、それはいいことなのでは?」
むっとして煽るような言葉が口をついて出ていた。
「いいや。あなたはきっと、神の花嫁として望まれているのだろう。でも、人間ではないものと番えるわけがない。神の感情は、間違いなくあなたの身を滅ぼす。――ああ、後生だからどうか、お帰りください。早くここから立ち去っていただきたいのだ」
神主さんは再び地面に伏せると、がたがたと震えだした。
声は涙まじりで、老齢の男の人がこんなふうに泣いているのをはじめて見た私はとても戸惑っていた。
「――友だちが御朱印をもらいに並んでいて」
「お伝えしておきます。とにかく、この境内から出ていただきたいのです。不躾なことを言っているとわかっていますが、どうか、お願いします」
私は仕方なく神社を後にした。