4.地底湖の秘密の穴蔵
死というのは、ねむりのようなもの。
テトはそう考えていた。だって、誰も教えてくれなかったのだ。
突然の衝撃に、テトの痩せた身体は宙を舞い、雨と一緒に地底湖に叩きつけられた。思ったより衝撃が強くて、水に落ちたのではなく、硬い板のようなものにぶつかったような痛みがあった。
それから、少しずつゆっくりと、身体が沈んでいった。
「目が覚めたか、小僧」
ふと気がつくと、薄暗い小部屋に寝かされていた。
「ここに人がやってくるなんて久しぶりじゃのう」
ところどころ歯の抜けた老人が、にかっと笑った。粗末な服を着ていたが、部屋自体は豪奢だ。
「私のことはアトゥールと呼ぶといい。お前さんは……そうか、テトか。どれ、外の話を聞かせておくれ」
老人はテトに湯気の立つ温かいミルクを差し出した。テトは慌ててごくごく飲み干そうとして、舌を火傷した。
「温かいものを飲んだことがないのか?」
老人の問いに、テトは頷く。
「テトはどこに住んでいる? 家族はいるのか?」
「水汲み場のそばの穴。子どもたちとすんでいる」
「なんじゃと!? 水がせり上がってくることもある、危険な場所なのに……」
テトは彼に聞かれたことにぽつりぽつりと答える。
老人はそのたびに頷き、ときに眉根を寄せ、あるいは深くため息をついていた。そうして話が終わるころには、老人は瞳に涙を溜めていた。
「私たちがしてきたことは、何だったのだろう」
それからしばらくの間、テトはアトゥールと一緒に暮らした。
そこは変わった部屋だった。壁際には木でできた大きな台が積み重なっていて、そこによくわからない、分厚くて重たくい紙の束がある。これは本というもので、知識を蓄えたり、だれかになりきって違う世界で生きるような物語を楽しむためのものなのだとアトゥールは言った。
アトゥールはテトに文字を教えた。
老人が住む穴蔵は、不思議な空間だった。
天井がとても高い。向こうには、テトがいつも水を汲んでいた地底湖があるのだという。そこから差し込んでくる光は、水面を通してゆらゆらと輝いている。
アトゥールは、そこに机と椅子を据えると、紙の束を渡して、ひと文字一文字丁寧に教えてくれた。お陰で数日もするころには、大抵の読み書きができるようになっていた。
「筋がいいのぅ……。文官に向いておる」
テトは、子ども向けの絵本からはじめ、本棚にある本を一冊ずつ読んでいった。乾いた砂が水を吸い込むように、テトもまたぐんぐん知識を増やしていった。
「そういえば、どうしてここには食べものがあるの?」
テトが聞くと、アトゥールは得意に笑った。
「これはのう、命魔法という特殊な魔力を使っているのじゃ。この魔法にはいろいろな使いみちがあるのだが、私は生命の糧という固有の魔法を持っていてな。
これさえあれば、記憶の中から食物を無限に引っ張ってこられるのだ。ーーテト、テトにはなにか食べたいものは無いのか?」
アトゥールがにこにこして尋ねる。
「テトは、ーー名前はわからない。赤い果物が食べたい」
そうしてテトは、母親のようなあの人を思い出して、ぽろりと涙を落とした。