2.雨の地底湖
砂の王国・サーブルザントに生まれた者のほとんどは、王都から出たことがない。
生きて他国へ渡るのがとても困難だからだ。それどころか、広大な砂漠を抜けることさえむずかしく、さながらこの国は牢獄のようであった。
サーブルザントの王都には、豊かなオアシスを囲い込むように王城が建てられている。地上には貴族の屋敷と王室に認められた上級商人が経営する店だけがずらりと並ぶ。
それ以外の人間は、すべて貧民街で暮らしている。狭い王都だが、人口密度は決して低くはない。それは、地下へ続く貧民層があるからこそ可能になっていることだ。
王都の一角には、深い深い穴がある。地底にはオアシスから分岐してできた泉があり、そこまで螺旋状に階段がつながっているのだ。
そして、階段の側面、つまり、地中に貧民たちの家がある。それは家というにはあまりにも粗末で、地中に掘った穴を、魔法で補強しただけのものだ。
地上に近いものほど裕福で、地底に近いものほど貧しい。貧民街での水くみは、最下層に位置する孤児たちの仕事だ。彼らは地底湖へ降りていき、重たい水を担いで家々を回って、少しずつ水を配っていく。その仕事は、往復するだけでも二時間がかかる、辛いものであった。
彼らには、地底湖のそばにある巨大空洞が全員の家として割り当てられていた。個人の部屋などなく、寝るための敷物が無造作にあるだけだ。
テトも気づいたらそこで暮らしていた。
テトは一番上の家まで水を届けたあと、いつものように果物を強請りに行った。一番端の青果店の店主は、どうにもテトに甘いのだ。その人は夫と子どもを事故で亡くし、自らが上級商人となって店を切り盛りしている豪快な女性だった。
彼女の亡くなった娘とテトが似ているのだという。この小さな国のことだ、もしかすると遠い血縁なのかもしれなかった。
日々のひもじい暮らしの中で、店主から分け与えられる果物を頼りに、なんとかテトは生きていた。
「雨が降ったときは、逃げてきてもいいよ」
青果店の店主は、真剣な目をして言った。とうもろこしのようなふわふわの金の髪の毛を後ろで一つに束ねたふくよかな女性。おかあさんというものがいるならば、こういう人なのだろうとテトは思っていた。
「土砂降りになると、孤児たちの家はせり上がってきた地底湖に飲まれて沈んでしまうんだ。毎年、知らずに残っていた者たちが死んでいる。だから、困ったら逃げておいで。匿ってあげよう」
この国では身分制度が絶対で、貧民街に住む者たちが他の階級の者に関わることは許されていなかった。
もし誰かに知られたら、店主はきっと咎めを受ける。――幼いテトは、それをわかっていなかった。
それはある雨の日のことだった。砂漠の王都には年に数回しか雨が降らないが、降るときはバケツをひっくり返したかのように一気に降ってくる。そしてまる1日雨の日が続く。
この日ばかりは、誰も外に出ない。一度降り出した雨はなかなかやまず、しかも叩きつけるような勢いなのだ。地底湖へ続く階段を歩けば滑り落ちる危険性がある。
それでもテトは、店主の元へ行こうと考えていた。テトは彼女のことを好いていた。深く考えることなく、こっそりと孤児たちの棲家を抜け出し、螺旋階段を登っていった。
背中に衝撃を感じたのは突然のことだった。
そして、雨で濡れていた階段でつるりと足を踏み外した。テトは、地底湖へ向かってあっけなく落ちて行った。