26.見つけた運命(1)
過去の掲載部分含め、四人の眷属たちの名前表記を漢字に変えました。読みは同じです。
猫のハル→葉留
蝶のナツ→七紬
蛇のアキ→朱貴
百舌鳥のフユ→浮雪
はじまりは、ただの気まぐれであった。
まどろんでいた私を揺り起こしたのは、お人好しの葉留だ。普段はゆらゆらと揺れているしっぽが、怒りに太くなり、毛が逆立っていた。
「翡翠さま、女の子が殺されそうになってるの。助けてあげて」
そんな面倒なこと、と思ったが、これは力を取り戻す良い機会かもしれぬ。助けてやることで信仰を得られれば、それが私の活力になるからだ。
そう思い立つや否や、鈍い水音が響き、それに驚いた鳥たちがいっせいに飛んで行った。
少女は縛られており、もがくこともできずにいた。衣類はすぐさま水を吸ってたぷんと重たくなり、ずるずるとこの神域へと沈みこんできた。
その時、確かに目が合った。水の中でゆらりとたなびく黒髪に、黒目がちの瞳、小さな桜桃のようなくちびるを持つ、美しい少女であった。
この者は泣くのだろうな。そう思っていたのだが、予想が外れた。少女は沈みゆく中でほほ笑んだのだ。諦めるようなその顔に、ひどく胸を抉られるような思いがした。
次の瞬間、私は青い光となって彼女の身体へと飛び込んでいた。私自らが少女の身体を操って岸へと這い上がった。
ここは来るものを飲み込む底なしの禁足地ではあるが、それ以前に私の庭だ。庭から飛び出ることなど造作もないこと。
一方、そのころ眷属たちが男を追いつめていた。蝶が毒を吸わせ、百舌鳥が嘴で目をつつき、猫が鋭い爪を立てる。そうして蛇がじりじりと池へ男を追い詰め、男は落ちてしまった。
「このような穢れたもので、長年の棲家を汚すことになるとはな」
「では、家移りをしてはどうです? たとえばそこな娘の中などに」
私が顔を顰めると、蛇の朱貴が飄々とした顔で言った。
「まあ、それは妙案だわ」
七紬が目をきらきらとさせる。新し物好きめ、と私は舌打ちをするが、現状ほかに良い案もない。
「それではさっそく屋敷をしつらえなければ」
彼女はそう言うと、蝶の形になり、嬉々として少女の胸へと潜って行った。それに朱貴が続く。
「翡翠さま、おれは、その辺の人間をそれとなくここまで誘導してきますね。このままだと娘は死んでしまうでしょう?」
浮雪はそう言うと、百舌鳥に姿を変えて、渓流のほうへと飛んで行った。あそこにはよく、気のいい釣り人がやってくるのだ。
ややあって百舌鳥が呼び込んだ釣り人は、この山の近くに住む老人であった。段々と朽ちてきているこの場所に今も足繁く通ってくれるのは彼奴くらいであった。
釣りの途中に立ち寄っては、境内の掃除や草抜きをしたり、供物を捧げてくれていた男で、凄惨な情景を見て昏倒しそうになっていた。哀れなことをした。
だが、彼奴はすぐに気を持ち直し、倒れ伏した少女を抱き起こし、声をかけ、脈を確認して安堵の表情を浮かべた。その場から動かず、でんわなるもので応援を呼びはじめた。
それから、意識のない少女のそばにじっと付き添い、励ましの声をかけ続けてやっていた。
深藍の揃いの服に身を包んだ男たちや、鉄の馬のようなものがやってきたのは、日が傾いたころであった。
そのころには、少女の心の片隅に、立派な屋敷が完成していた。
蝶の七紬は眷属になってから日が浅い。できあがった屋敷は、これまで慣れ親しんだものより遥かに「もだん」であった。
「住み心地が良さそうね。ああ、ふかふかのベッドがある」
「移動式の屋敷なのよ。いろいろ見られるのが楽しみだわ」
女たちはそう言ってきゃらきゃらとはしゃいで居る。私はこの子どもがすこし不憫になり、身体をすこし借りる代わりに、宿主を守ってやることとした。
外の世界に出るなど、どれほど久しいことであろうか。すべては私の知っているものと様変わりしており、新鮮に映った。
少女と我々は、牛のいない牛車のようなものに詰め込まれた。それは屋根に赤い宝珠がついており、それを光らせながらけたたましい音を立て、風の速さで山をくだっていった。これには浮雪がはしゃいでおった。
それから薬くさい場所にしばし留めおかれたが、最後にたどり着いたのは、近隣の人間の屋敷と比べると、いささか大きな建物であった。どうやらここが少女の住まいであるらしい。
見たことのない様式の建物に、我々は思わず口をあけてあちこち観察する。七紬や浮雪などは、少女の身体から抜け出し、飛び立っていった。
ところが、少女が運び込まれたのは、階段下の、窓も灯りもない真っ暗な納戸だった。
しかも、介抱されることも、服を着替えさせられることもなく、薬くさい場所で着せられた青い作務衣のような衣装のまま、ただ横たえられていた。
納戸の中には、申し訳程度の薄いふとんと枕代わりの座布団、掛け布があるくらいであった。
この家には、もう一人、年の頃の変わらぬ少女がいる。百舌鳥浮雪が偵察に向かったところ、彼奴は最上階の日当たりの良い広い部屋でくつろいでいたという。
「ようやく始末できたと思ったのに」
扉の向こうでそんな声がした。
葉留のしっぽの毛が逆立ち、七紬は眉を顰めた。
「口減らしの類いだったのかもしれませんね」
朱貴が云い、私も頷いた。だが、この屋敷は裕福に見える。そのようなことをする必要があったのだろうか。
突然、納戸の扉が開かれ、午後の光が差し込んだ。少女の身体を出ていた私と女の視線が交わる。
女はしばらく目を見開いて固まっていたが、それから悲鳴を上げ、後ずさりしていった。さて、あの女にはどのように見えたのやら。




