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19.俺が消えるまでの話(2)

 紘平と璃珠を車でそれぞれの家へ送り届けたあと、俺は美紗希を連れてアパートへ戻った。俺たちは高校卒業を機に、一緒に暮らし始めていた。それは、美紗希の強い願いだった。

 俺の両親は反対したので、半ば勘当されるような形になり、バイトをして家賃や学費を捻出しなければいけなくなってしまったが、幸せだった。


「璃珠はグループから外そう」


 美紗希がぷりぷりして言った。


「だめだ」


 俺が慌てて言うと、美紗希はいっそう目を吊り上げた。俺は美紗希のことが好きだけど、ーーこうして不機嫌そうにするときの彼女の顔は怖いから、嫌だ。


「もしかして、あっちゃん。あの女を好きになったの?」


 美紗希は一転して、つぶらな瞳に涙をいっぱいに溜めてすがりついてきた。俺は慌てて否定し、今日見たことを伝えた。


「ふうん、そっか。それなら利用価値があるよね」

「え?」

「だって、最強のボディーガードってことでしょう?」


 美紗希は目をきらきらさせて言った。


「ちなみに、その守護霊? って、どんな見た目をしているの?」


 俺はどのように伝えるか迷って「巨大な蛇のような生き物だ」と答えた。美紗希はつまらなそうな顔をした。


「なんだ、イケメンだったらもらっちゃおうと思ったのに」

「いや、あれはそんなにいいものじゃないぞ?」


 俺は慌てて否定する。

 それにしても、人型のほうのことを言わなくてよかったと安堵した。


「何の目的があって憑いてるのかはわからないが、とにかく禍々しいんだ。なにか1つでも間違えば、かんたんに命をひねり潰されてしまいそうな、そんな存在なんだよ」


 美紗希は納得していないようだったが、璃珠を心霊スポットめぐりに連れ歩けば自分も守ってもらえるのだとわかり、思い直したようだ。







「今日は、天狗森山に行ってみようと思いまーす」


 スマホの前で、美紗希が宣言した。

 以前は、オカルト探訪的なブログを書いていたのだが、ここのところ彼女は動画配信に凝っている。今回もそのための心霊スポット探訪だった。


「天狗森山は、昔から神隠し伝説のある山です。天狗が住んでるって言われるんですよー!」


 美紗希はいつもよりワントーン高い声で話している。周りのやつらが合いの手を入れ、美紗希は照れたように頬を赤らめる。


 今回は、中学時代の同級生三人も一緒に行くという。

 男ばかりの中に、美紗希が紅一点で居ることが不快だったが、彼女のほうから誘ってしまったので追い返すこともできない。


 今日向かう天狗森山は、本当に良くない場所だと思う。写真を見ただけでも気分が悪くなる場所なのだ。

 俺は何度も美紗希を止めたが、彼女は聞く耳を持たなかった。


 さらに最悪なことに、今回は“ボディガード”がいない。




「美紗希、ごめん。きょうはいけなくなったの」


 璃珠がそう言って謝ってきたのは、夕方のことだった。どうにも具合が悪いらしく、直前で行くのをやめたことを何度も詫びていた。

 美紗希は不機嫌になり返事をしなかったが、俺は今一度彼女を誘ってみた。璃珠無しであの場所に行くのは危険過ぎると判断したのだ。

 だが、彼女のまぶたはすでに閉じそうになっていて、家にたどり着くのさえ難しいのではと思うような有様だ。諦めるしかなかった。


 その場に紘平がいたら、きっと送り役を買って出ていたことだろう。

 顔に似合わず手が早いことで有名な紘平だが、璃珠に対しては、本気なのかどうなのか、出会ってから数年が経ってもそういう関係に持ち込んでいないようだった。





 結果から言うと、天狗森山ではあっさりするほど何事もなかった。目的地である山荘にもたどり着けず、気持ち悪さはあったものの、俺は安心してアパートに帰った。

 シャワーを浴びて出てくると、美紗希はパソコンの画面に熱中していた。動画編集をしているらしかった。


「よし、アップ完了!」


 美紗希はぐっと伸びをして、それから肩をぐるぐる回した。

 窓が少し開いているのに気がついた。


「夜は窓開けないでよ。虫が入ってきたらいやだし」

「えー、いいじゃん。私、鈴虫の声って好きなんだよね。風情があっていいでしょ?」


 美紗希は甘えたように笑うと、俺の頬にキスをしてシャワーを浴びに行った。


 美紗希と同棲して一年以上が経ったが、細かいところが気になることがある。たとえば夜に窓を開けっ放しにすることや、洗面所の電気がいつもつけっぱなしなところ、靴下を丸めたまま脱いでいるところ。自分のやりたいことが終わるまでシャワーを浴びないところも。





 ところが、2時ごろのことだった。一緒に出かけた同級生からの電話で目が覚めた。


「伊藤が消えた!」


 彼は憔悴しきっていた。ノイズでよく聞こえないのだが、外を走っているらしかった。


「あれから、……一緒に飲んでたんだ。それで、ちょっと煙草を吸ってくるって。そしたら、急に悲鳴が聞こえて。……見たら、金髪の女が伊藤の身体を抱えて宙に浮かんでたんだ。ーーそして伊藤だけが消えた」

「まさか。そんなことが……」

「マジだってば! 今も女が追いかけてきてる。どうしよう篤司。おまえらが誘ってくるからこんなことになったんだろ。なんとかしろよ……!」


 そこで通話は途切れた。しばらくして、金髪の女が映り込んだ写真が送られてきた。そのあと、彼とも伊藤とも音信不通になってしまった。




「ーーなんと、一緒に行っていた仲間が消えてしまいました! これからどうなるんでしょう……」

「……美紗希?」


 俺はぎょっとした。美紗希は、通話をする俺の後ろ姿を撮っていたのだ。


「はは、すごいエンタメが撮れそうだよね? みんなの演技力すごくない?」


 美紗希が乾いた笑いを漏らした。


「え?」

「こんなことしてられない、早くこうちゃんのところに行かなくちゃ。口裏合わせてもらったら、すごくいい動画になると思うの」

「美紗希?」

「ーーだって、おばけなんかいるわけないじゃん? みんな、動画を盛り上げるためにやってくれてるんじゃないの? 頼んでもないのに本当使える」


 彼女はこてんと首をかしげる。

 俺は自分の中の大切なものが、がらがらと崩れていくのを感じた。美紗希はかんたんに着替えを済ませると、俺の頬にキスをして出て行った。

 その直後、悲鳴が聞こえた。


 璃珠を探さなくちゃ。俺はそう思った。






 結局、どうやっても璃珠は見つからなかった。駅前のカフェで寝ていたのを最後に、ぷっつりと足取りが追えなくなったのだ。

 今日もとうもろこし色の髪をした女が俺を探している。紘平はなんとか無事だったらしい。


 しばらくはネカフェで寝泊まりしていた。夜以外や、人目のたくさんあるところでは幽霊は出てこられないとわかったからだった。


 だが、その日は金を下ろすのにどうしても家に戻らなければいけなかった。スマホもすべて置いて飛び出していたのだ。


 だが、家に入ってすぐだった。奴は来てしまったのだ。扉がどんどんと叩かれている。





 扉を叩く音が収まった。俺はほっとしてどこかがらんとした居室に入り、ベッドに身を投げだした。

 うとうとしていると、耳元で唸り声が聞こえる。ぱっと目を開けると、あの女の顔があった。そのとき、俺は気がついた。美紗希が窓を開けっ放しにしていたのだ、と。


「たすけて」


 女は黒い涙を流しながら言った。そして、俺を抱き込むように捕まえた。


 こうして俺は、世界から、消えた。

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