第8話 暗黒の王
エミリーナという魔導師の放つ魔法はすさまじかった。しかし悪魔の力を持つバケモノはさらにすごかった。こんなすごい世界で、ただの人間の俺がどうやって生き残ればいいんだよ!
はじめて間近で魔法というものを見た。手のひらから女の魔導兵が撃ちだす光の束がそれだという。
「正確には魔導という。戦闘に特化した魔法使いや魔法兵は魔導師と呼ばれるのよ」
魔法は人類が誕生してからさまざまな脅威に立ち向かうため生まれたものだという。神代から現在に至るあいだ、魔獣、死霊、悪魔など人類を凌駕する力に対抗してきたのだ。エミリーナと呼ばれる魔導師は俺と広間の怪物の残骸を片付けながらそう教えてくれた。そばでシルシュと緑の怪物の破片をつついて遊んでいたマミが突然天井を睨んだ。空気が変わったような気がした。
「なんかちょっと嫌な感じね。これはあれか…。まったくあいつは何がしたいのかしら?」
さっきから王座にふんぞり返っていた女神イシュタルが、目線を天井に向けて言った。するとそこはどす黒い渦巻となり、やがて一人の男がその中から降りてきた。
「これはこれはどなたかと思いましたら、なんとあのチャーミングな女神、イシュタルさまではありませんか?本当にお久しぶりですね。神々の千年戦争はもうおしまいになりましたので?」
「暗黒の王ゲオ・ゲリスか。まだ悪さしてんのね。もういい加減冥界に帰んなさい。それと千年戦争の話はタブーなはず。殺すわよ」
「あいかわらずお顔に似合わない脅し文句ですね。きょうはちょっとね、約束の報酬をいただきにきたんですよ」
「それはその緑の変なのと石人形に対しての?どうせとんでもない報酬を吹っ掛けたんでしょうが、あいにくだったわね、みんなやっつけちゃったからチャラってことね」
「ふうむ、そういう感じですね。まいっちゃったなー。まさかあなたが出てくるなんてね。いったい何をなさっているんです?」
「あんたには関係ないことよ」
「どうせお父上のご意向なんでしょう?」
「それ以上喋るとホントに殺すわよ」
「おおこわ。いいでしょう、引き下がりますよ。ただし、最低報酬はいただいて行きます」
「勝手にすれば」
暗黒王ゲオ・ゲリスは振り向くと、広間の隅で震えているアダマシス・クライン・コーエンにゆっくりと近づいて行った。長身で身のこなしの美しいその男はにやりと笑うとコーエンをつかもうとして、その手を止めた。
「おや?きみはいったい…」
俺に視線を止めたゲオは不思議そうな顔をしてそう言った。つかつかと俺に近づいてくる。そしてまじまじと俺の顔を見つめてくる。キモイ。
「ふうん、不思議な感じですね。なんだろうな…」
「近いっ!顔近い!」
「見たとこ普通の少年ですが、なんだかおかしな雰囲気ですね」
「その子に近づくな」
イシュタルが立ち上がった。本気で怒っているようだ。地鳴りがしてきている。
「おやおや、怒っちゃいましたね。ふふん、なるほど。どうやらきみは神族にとって大事な人らしい。まあいい。またどこかで会いましょうね」
「いや、けっこうです」
「つれないなあ」
「ゲオ!本気で殺すわよ!」
「まあ落ち着いて。千年条約を忘れたわけじゃないでしょう。どちらかが力の行使をしない限り、決して争わないって」
「いま破ってもいい気がするわ」
「それほどなんですね、この子」
「関わることは許さない!」
「はいはい。どうもお邪魔しました。じゃあ、こいつは貰って行きますけど、かまいませんよね」
暗黒の王ゲオ・ゲリスは震えているアダマシス・クライン・コーエンの襟首をつかんでほほ笑んだ。
「勝手にすれば。もう二度と顔を見せないでよ」
「仰せのままに」
キザに胸に手を当てて礼をすると、ゲオはまたどす黒い渦の中に消えていく。国王をつかみながら、消える瞬間に俺にウインクしやがった。どんだけふざけたやつなんだ。
「あいつ、絶対また現れるわ。いい?今度また会っても相手しちゃダメよ」
俺はイシュタルに、黙って首を振ってこたえた。なんか疲れた。
「あのー、キリスくん、いや、さん。よろしかったら事情を説明してくれませんか?」
おっと忘れてた。オールストンさんやラインハルトさんたち貴族や騎士が集まってくる。うーん、どうやってごまかそうか。まさか正直に神に頼まれてこの世界を滅ぼしに来た、なんて言えるわけねえし。
「その子はね、神との契約者なの」
イシュタルがいきなり言い出した。皆一斉に膝まづいてしまった。そりゃそうだ、神だもん。
「成長し、やがて大いなる力を身につけるとき、神の代理人としてこのアヴァロンを祝福する、そう義務づけられこの世に召しだされた子なの。ぞんざいに扱うんじゃないわよ」
みな無言でひれ伏した。神への拝礼は無言が決まりだ。しかし祝福だ?ずいぶん曖昧なこと言ってごまかしやがったな。まあ、世界を滅ぼすのが使命だなんて言えないからな。
「あ、いけない、もうこんな時間。帰らなくちゃ」
あたふたして女神は光に包まれていった。
「良樹、いえキリス。また会いましょうね」
「ああ、あんたも元気でね」
「マミと仲良くね。あ、あんまり仲良くなくてもいい。ていうかその子ちょっとおかしい。あたしでさえわからない何かがあるわ。気をつけてね。それとシルシュをお願いね」
「ああ、わかった」
女神が消えると同時に不思議な花びらが降り注ぎ、それは地上につく寸前で雪のように消えていく。あたりに静寂が戻り、人々の安堵の声がし始めた。
「さて、キリスさん」
「キリスでいいよ。さん付けされるとくすぐったいし、俺はそんな偉そうな人間じゃねえ」
「しかし女神さまがおっしゃった神との契約者ということになれば、とてもないがしろにはできませんですよ」
「べつにどうってことはないんだぜ。それよりなんだよ」
「ああ、すいません。じつは今後のことなんですが」
「今後?この国のか?」
「はい。じつは非常に微妙な問題を多く抱えておりまして」
知るか!だいいちなんで俺にそんなことを聞くんだ?俺は基本、関係ねえだろ。
「十五歳の子供に相談するのは、常識的におかしいと思わねえのか?」
「あなたのように一瞬にして状況を覆すお方を、常識的、とはわれわれは言いません」
「いや緑の変なのを倒したのはあのおねえさんだし、石のでかいのも俺じゃねえぞ」
「すべてがあなた中心だったじゃないですか?あなたがいなければいまごろみな死んでいます」
いや、そもそも俺が来なけりゃこんなことにはなんねーだろ。
「百歩譲ってだな、たとえ俺がいたとして、なんの力になれるって言うんだ?」
「ですからそれをご相談する、そういうことです。あなたたちだって今後の身の振り方も考えなければならないでしょう?」
うまく丸め込もうとしてやがる。だがこちとらも宿なしだ。いいでしょう。乗ってやろうじゃないの。
「じゃあ、王様がいなくなっちまったんだから早急に決めねえと。リーダーのいない国家なんて、ほかの国にとっちゃいい餌食だ。だれか候補はいるのか?オールストンさんかラインハルトさん、俺のなかじゃあんたたち二人のどちらかが適任なんだが」
「われわれ二人はそこまで強欲でも身の程知らずでもありませんよ。王に適任のお方がいます。幽閉されている弟ぎみのライゼンハルス・リーヒド・コーエンさまです」
「じゃあそいつを」
「すでに迎えのものを差し向けています」
「あんた仕事が早いな。さすが宰相だけある。あんたとラインハルトさんがいれば、どんな馬鹿が王でもやって行けるよ」
「褒めていただけるのはありがたいですが、ライゼンハルスどのは馬鹿ではありません」
「いや、まっとうに兄の王を正面から諫めるなんて馬鹿のすることだ。信頼できる。しかも殺されてねえ。運も強い。こういうのが王だったらこの国も少しは良くなるぜ」
「あなたと同じ考えで、わたしはほっとしております」
王は決まった。あとはまわりの情勢と、そしてこの国そのものだ。
「とりあえずちょっかい出してきそうなところは?」
「もと宗主国であるイスタリット皇国と、ルメール川をはさんで対岸の新興国であるブルンギル帝国ですね。どれも大国です。ブルンギルはこの大ガイア大陸中央への進出を図っており、その最大の敵がイスタリット皇国と南部最大の国、グラン・デュランなのです」
「この国は侵攻の足掛かりってわけだ。そのグラン・デュランっていう国はどうなんだ?」
「メリル・ローズという女王が治める宗教国家ですが、最近はまわりの中小国を侵攻し、次々に併呑しています。いずれわれわれとも正面からぶつかるでしょう」
「未来が見えねえな。笑えるぜ。じゃあ北はどんな状況なんだ?」
「北部にはそれほど脅威になる国はありません。しかし大陸北部を遮るようにガリア山脈がそびえており、その向こうに強大な三国があるのです。かれらは常に中央へ進出する願望を抱いておりますが、そびえる山脈と彼らの言う三国の誓い、という条約に縛られて動けない状況です」
「北にも潜在的脅威を抱えてるってことか。まさに四面楚歌だな」
「四面?」
「いやいい」
さて大体の状況はわかった。今回のこの国の政変で、どこが一番最初にアクションを起こしてくるかだが、そいつはこの国に紛れている情報活動をしているやつらの多さに関係してくる。
「誰か裏の仕事をしているやつを知っているか?」
「裏とは?」
「他国の情勢を探ったり、情報操作やその他いろいろだ」
「暗部、というものどもがおります。表向きは存在しませんが、おっしゃる通り他国を探り、必要なら誘拐、暗殺まで…」
「怖えな」
「いえ、実力はあるというだけです。王はこのことを知りません。わたし直属の支配ですから」
今回のこのクーデターも、その暗部が深くかかわったに違いない。それを俺に教えるってことは、かなり俺を信用しているんだと思った。
「ちょっと紹介してくれねえかな」
「のちほど遣わします」
「俺の見るところ、この国の内政も外交もガタガタだ。ちょっとつつけばすぐに崩壊しそうだ。いままでそうならなかったのは他国の干渉がそれほどきつくなかったからだ。だがこれからは違う。より威圧的、高圧的になってこの国を押しつぶそうとするだろう。そんときはどうする?国民一丸となって戦うか、それとも難民として逃げ出すか?その覚悟が知りたいぜ」
「おっしゃる通りです。布告を出しましょう。徴兵をかけ臨時に税を徴収することを義務とし、国民に覚悟を決めさせます」
呆れた連中だ。そんなことしてるから国が崩壊するんだって、まだ気づかないのか?王や貴族のために国民がいるんじゃねえんだ。
「やっぱりあんたたちは何も変わらない。この先、この国が存続してもそうじゃなくてもこの国の民は不幸なままだ。そんなんじゃ、いくらいい知恵出して助けても何にもならない。俺はそんなのはお断りだ」
「しかしわれわれはこうして生きてきたのです」
「はなっからこうしてきたわけじゃねえだろ。最初は小さな集落から、次第にみな肩を寄せ合って、力を合わせて生きてきたはずだ。そんな中で、誰がえらいのなんだのって、そりゃ力の強いもんがのし上がってくるのはしょうがねえさ。生きるためだ。大事なのはそいつがどんだけ仲間のことを思いやってるかってことだ。それがなけりゃあただの独裁者だ。自分勝手に仲間を死地に追いやる大バカ者だ。そんなのに力なんかかせねえよ」
「おっしゃる通りです」
すぐそばに、身なりのいい男が立っていた。目が生き生きとした思慮深そうな静かな姿だった。オールストン侯爵とラインハルトが膝まづき、ほかの貴族や騎士たちも集まって来て膝まづいた。
「きみがキリスくんだね。わたしはライゼンハルス・リーヒド・コーエンというものだ。いろいろと兄が迷惑かけたね。本当に申し訳ない」
「いや、いいです。べつに…」
丁寧さに驚いたんじゃない。何かしらこの人の威圧感に圧倒されたのだ。もって備わった人格、とでもいうのか。
「少し話はそこで聞かせてもらった。実に興味深い考えだ。その知恵はどこで?まさかまだ若いきみがこれほどの考えを持つとはいささか信じられないと思っているんだが…。だからきみの師匠の名前を言ってくれたまえ」
「師匠などいない。俺はずっと孤児院で育った。師匠などいるはずがない」
「じゃあきみの独創?それはすごい。その考え方は万人を共感させる。しかし恐ろしい考え方でもある。それは死を呼ぶからだ。きみの考え方の根底が読める。それは万人の平等、違うかね?」
「まあ当たってる」
「ならますます危険だ。この未開の野蛮な民に平等を押し付けたらなんとする?たがいに殺しあって自滅するだけだ。そうならないようわれら為政者が抑制し、力で押さえつける。それを権力と呼ぶのだ。したがってそれは民の安全を守る唯一の手段なんだよ」
まあどんな人間でもここまでだよな、この世界のこの時代じゃ。
「その通りですね。そんなんで世界が救えるわけないですものね。つまり俺の考え方は異端だし、あってはならないことなんですよ。ですからもう俺のことは忘れて、しっかりこの国を守ってください。俺ももうこの考えを人に言ったりしませんから、どうか命ばかりはお助けください」
「ほほう、考えをあっさり捨てると?」
「たかが十五歳のガキの言うことです。見逃してください」
「きみはこの国の民を見捨てて逃げると、そう言いたいのかい?」
ああそうきたか。まったくどいつもこいつも狡猾で油断ならねえ。こいつ、俺を感情的にさせて洗いざらい俺の考えを引き出すつもりだ。それは構わねえが、手段が気に入らねえ。
「実証しましょう」
「なんだと?」
「俺に村みたいなのを一つくれませんか?そこで俺の考えた国を作ります。そこで住民が不幸せになったり殺しあったら俺が間違っていたということで、火あぶりにでもなんでもなります」
「ほう、命を懸けると?」
「まあ早い話。俺にかける財産はないんでね」
「いいだろう。わたしはまだ国王として宣誓はしていないが、王代理としての立場でその申し出を受けよう。場所は…どこがいいかな?」
「さきほどサーキュラーに殺されましたアルンゼン男爵の所領はどうでしょう?領地は貧しくみな怨嗟を抱えたすさんだ土地です」
ひでえな。どこなんだ、いったいそこは。
「よかろう。ではきみの健闘を祈る。きみは晴れて領主となった。キリス男爵、いいね」
「俺が男爵?嘘だろ」
「失敗すれば死んじゃうよ。頑張ってな」
思うつぼってわけだ。いきなりあんな考え方を広めりゃ貴族どもが黙ってねえ。内乱の幕開けだ。そうならないよう俺に命をかけさせて所領をあてがう。結果次第でそいつが実証されれば、あいつは遠慮なく大改革を進められる。まったく急場でよく考えたものだ。いや、もしかして何年もそう考えていたのかも知れねえな。あいつにとって俺はうまい具合に、いいところに飛び込んで来た火種なのかもしれねえ。そうであれば、でっかい火にしてやるぜ。
「で、どこなの、それ」
「グラーノスと呼ばれる小さい所領だ。カルネ村やオーガスタ村がある。きみは知っているだろう?」
おいおい、修道院のあったとこかよ。そこってそんなにひどいとこだったの?まったくどいつもこいつも悪人だったが、そいつは仕方ねえといまさら思うぜ。
「よいな。時間はあまりない。イスタリットとブルンギルはまだ力の均衡を保っている。しかしグラン・デュランの動き次第で大きく動く可能性がある。いやむしろ情勢は大きく変化する。きみには悪いがギリギリで託すしかない。侵略者たちはもうそこまで迫っているのだ」
「できると断言できねえが、頑張ってみる」
「たのむ。すまんな」
そう言うとライゼンハルスは俺の手を強く握った。まったくもう、勘弁してほしい。俺の本来の役目はこの世界を滅ぼすことなんだよな。こんなちっぽけな国と国民を守るなんてな。おかしな話だ。
兵を百人つけてやると言われたが断った。俺が目指しているのは支配じゃない。共に生きるってことだ。そこには人それぞれの役割があって、みな力をだしあえるように生きていく。老いも病もある。貧しい生活、実りの少ない作物。そしてやせた家畜。みんな俺が見てきた。だから俺にできることがあるのだ。
オールストンの屋敷に戻ると、あの二人のメイドが迎えてくれた。よく見ると似ているので、姉妹だと思った。
「おかえりなさいませ」
「ただいま、イスメルダさん。えと、そっちは?」
「エルメルダでございます。星のかけら、という意味です」
「暗部の人だね?」
「あら、お判りになりましたか?」
「会ったときからね」
「ふふふ」
俺とマミは着替えてくつろいだ。明日はグラーノスへ行く。時間がないのだ。
「侯爵は新王の戴冠や今後のご政務の打ち合わせで遅くなります。夕食はお二人で、とことづかっております」
「ありがとう。いただくよ」
「グラーノスの男爵の屋敷は配下の者にお二人が住めるようにいたします」
「誰か住んでるんじゃないの?」
「十五になる娘が一人おります。奥方は三年前に病で死んだそうです」
「その子はどうするの?」
「引き取り手がない場合、近隣の修道院へ預けられるかと」
「まったくもう、すぐそれだ」
会ってみて決める。それだけ言って、屋敷には手をつけさせなかった。俺たちはオーガスタ村の聖ガルニエ修道院跡を根城にすることにしている。そう言うとメイドはすぐに何者かに連絡を取ったらしく、配膳をするとき俺にこそっと告げた。イスメルダだった。
「突貫工事で一応体裁を整えます。それと、廃墟のようなあそこに住んでいる者たちがいるのですが、いかがいたします?」
「住んでるって、どんな人たち?」
「報告によればそこにもといた修道女と孤児たちとか」
「保護して、できれば一緒に住みたい」
「かしこまりました」
みんなまだ生きていたんだ。俺はうれしくなった。
「それともう一つ懸念が」
「なに?」
「途中で盗賊団が出るようです」
「盗賊団?どうして」
そんなもんいなかったはずだ。
「男爵の横暴に反抗した者どもが寄せ集まっていると聞きます。金持ちの商人や貴族を襲っているようです」
「国で対処は?」
「所領はあくまで自治が基本です。手出しはできません」
「ふうん、これだから中央集権じゃないと国がガタガタになるんだ。まともに領地経営もできねえ領主に任せるなんて愚の骨頂だぜ」
「それを言っただけで千人の刺客が向けられます」
「じゃあそいつら所領を取り上げて、きちんとした管理者を据えたらあと何人の刺客が来るかな?」
「お戯れを。今夜からわれらは眠れない日々を過ごすことになるのですから、少しは手加減をしてください」
「すいません」
俺は、俺一人の力じゃ何もできない。今日のことだって、俺の力なんかじゃなかった。陰で支えてくれたり矢面に立って守ってくれたりする人たちのおかげで俺は生きているんだ。俺はそれを忘れちゃダメだ。
「キリス、休まないと」
「ああマミ、休むよ。少し夜風に当たりたいんだ。先に休んでくれ」
「じゃああたしも」
「いいから先に休め」
「…はい」
マミは賢い子だ。俺が何を言おうとしているか、なにを考えているのかわかるのだ。そのうえで従えること、従えないことを自ら判断している。ほんとあいつはなんなんだろう。
屋敷の広間の大きな窓辺からテラスへ出る。夜風が心地よくそよいでいる。あたりの森はシンと静まりかえり、鳥や獣の鳴き声もしなかった。
「静寂とは、何も聞こえないことではありません。精神がゆっくりと周りの景色に溶け込んでいくことなのです」
「ここで何をしている?暗黒王、または悪魔王インモルト・ゲオ・ゲリス」
「あなたをお待ち申し上げておりました」
「面会のアポイントはあったかな」
「われらはつねに自由。然るとき然る場所に。それが魔族というものです」
「それで?何の用だ」
「いえ、ちょっと試したいことがありましてね」
「試したいこと?」
「ええ、死の魔法」
「おい」
ゲオは厳かにその右腕をあげ、そして振り下ろす。黒い影が伸びてくる。明らかにこれは死の予感がする。
「マミっ!動くな」
びくっとマミは窓辺で釘付けになった。
「ほほう、『死の香り』のような弱い魔法はききませんか。ならばこれはどうです?最大の呪術、『クレアシモ』ならば。あなたを含め、この街全体を死の炎で焼き尽くすでしょう!」
ああ、なにか体に流れ込んでくる。こいつはなんだ?俺の知らないものだ。そう言えばマミにもこれが体の中にあったな。俺が膨らませたりしぼませたりできるおかしな物質。ああ、これは吸い取っているんだ。俺の細胞が、おそらく俺のミトコンドリアっていう、小さな細胞の中の器官がそいつを喰っている。そんな気がする。
「なんだ?なんだというんだ?やはり君には魔法が効かないんだな。もしやと思ったが、こんなことがあるなんて…。もう私は終わりなのか?」
「おい、おじさん。何わけわかんないことを言っているんだ。魔法を止めろ。耳がキンキンする」
「なんということだ…。人を、魔獣を何万も一瞬で殺せる呪術を、耳がキンキンするなどと…」
暗黒王インモルト・ゲオ・ゲリスはがっくりと膝をついてしまった。
「何がしたかったんだ、おまえ」
「恐ろしい…。わたしが初めて恐ろしいと感じている。わたしの力が無力に?ありえない。だが事実だ。ああ、なんてことだ」
「なにブツブツ言ってんだ。ていうかなに人んちに勝手に入って来てんだ!帰れ」
「え、なんで」
「なんでじゃねえ!帰れよ」
「そうは参りません。いいですか?あなたはこの世界で最強の暗黒王、インモルト・ゲオ・ゲリスに勝った男なんですよ。まだガキなのが気に入りませんけどね」
「そんなの勝手に言うな!勝つとかなんとかいい加減なこと言うな。だいいち勝負なんかしてねえだろ!」
「そうですよね…。勝負さえできませんでした。もう完全自信なくしましたよ。みんなあなたのせいですからね」
「なんでそうなんだよっ!」
「わかりました。もうこうなったらとことんあなたの秘密を探し、それを暴いてごらんに入れます!」
「何わけわかんねえ宣言してんだよ!帰れよ!ハウスっ!」
「悲しいこと言わないでくださいよ。あなたはいまわたしの心をポッキリ折ったばかりなんですよ?それなのに哀れと思う心はないんですか?」
「知るか!」
「キリス、あたしが殺す」
マミがナイフを片手に歩いてくる。いやいやいや、あんたじゃ殺されちゃいますよ、逆に。
「キリス、力をくれ」
「は?」
「あたしに力を分けて」
「いやそれって何?」
「あんたがあたしの中の力を膨らます」
「ああ、あれね。いいよ」
まあそんなことは簡単だ。さっきこいつから流れてきた力もマミにやろう。
「ま、まて!なんだこいつは?なんでこんな力を持っている?」
ゲオ・ゲリスがいきなり慌てだした。
「どういうことだ」
「あんたこいつに力を与えられるのか?しかもこいつはそれを受け取れる?そして際限なくだと…」
「そう、なのか?」
「あたしは前から知っていた」
「はやく言いなさい、そういうことは」
「知っていると思った。か細い、生きることもままならなかったあたしをずっとそうやって生かしてくれていた。赤ん坊のときからずっと」
「だそうです」
「だそうですなんて簡単に言わないでください!」
もう半泣きになったゲオ・ゲリスは力が抜けたのかくたくたしている。
「じゃあわかったなら早く帰って。俺たちはあしたはやいんだからね」
「はあ…」
そう言ってゲオはとぼとぼと消えていった。まったく何しに来たんだ、あのバカ。殺しておけばよかったと、翌朝本当に思った。
「やあ、みなさま、おはよーございます」
「なにやってんだ、暗黒王。今は朝だ。時間間違えてるぞ」
「意味不明です、それ。さあ、ではまいりましょうか」
「え?どこへ」
「いやですねえ、グラーノス、そして聖ガルニエ修道院に決まってるじゃありませんか」
「いや、なんであんたが一緒なんだ?」
「わたしはあなたのしもべ。昨夜の勝負でそう決まりました」
「けっこうです」
「これは運命なのですよ!いいですか?世界最強のこの暗黒王があなたの召使いになると言ってんですよ!こんな破格なこと他じゃありませんよ!あー言ってるうちに腹立ってきた!」
「だからいらないって言ってるだろ!」
「いいえ。もう決めましたからね。解雇したかったらそれなりの退職金を要求します」
「なにその就職詐欺みたいなの。おかしいだろ。雇ってもいないやつに金払えだと?」
「金など要求しておりません。ほしいのは力の秘密です。どうやってその力を手にいれたか教えてくれたら引き下がります」
「知らねえって言ってんだろ!ぶっ殺すぞ!」
「はいはいそうですね。わかりました。ではその気になるまで誠心誠意お勤めさせていただきます」
「マミ、こいつ殺して」
「キリス、あたしは別に構わない。こいつにあんたを守る意思が感じられる以上、あたしがどうこうする意味がない」
「なんじゃそりゃ?」
「はいはいでは出発出発ー」
なんかチャラくなった暗黒王がニコニコと笑って馬車に乗り込もうとした。
「なんであんたが乗んのよ!あんたは馬」
エミリーナという魔導師が馬車の中からそう言った。
「あれ?あんた」
「あなたの護衛について行けとの命令よ。あたしはエミリーナ・ユクテウス。魔導師士官よ、よろしくね」
「はあ」
「同行いたします王室諜報部、通称サイモン機関所属イスメルダ・リリウス」
「同じくエルメルダ・リリウス。よろしくお願いします」
「ああそうですか」
マミとシルシュは馬車に乗った。俺は馬だ。えーと、馬…。メシアがヒヒンといなないた。そうか、おまえも一緒か。まあいいよ。こうなりゃみんなまとめて面倒見るぜ。
「まってください!」
「なんか用?」
パリエスだ。あの若い騎士だ。
「わたしもお供させていただきます」
「いやだよ」
「即答かよ」
「だってめんどいし」
「お世話なんかかけませんよ!」
「まったくもー」
「さあ行きましょう!」
「なんでお前が号令かけんだよ」
「馬に乗るの、ヘタですね」
「ほっとけ!」
こうして俺たちは俺たちの生まれた場所?に帰って行く。俺たちはこの国を再生させるため、その重大な任務に赴くのだ。
…俺はたしか、この世界を滅ぼすんだよな?いいのか、これで。
ついに動き出した国家再生プロジェクト。失敗すればもちろん死。笑えません。しかしへんてこな仲間が増えちゃって、この先いったいどうなることやら…。
次回、『再会と再生』です。