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第2話 異世界と前世の記憶

俺は異世界アヴァロンに転生させられた。そこはとんでもないところだった。人間が人間らしく扱われない世界。もう絶望しかない。だが俺は生き抜かなければ。だが出会いもあった。同じ孤児で兄貴のように接してくれるへイツという少年。そして泥女。ゆっくりと物語が動き出す。そう、この世界を滅ぼすために…。

目を覚ました俺は、あたりの光景を見て驚いた。とてもまともに受容できる景色ではなかったからだ。


修道女のような恰好をしたババアが大釜で何か煮ている。ぐつぐつと音がするそれをひとりの修道女が長い棒でかき回している。その横でもう一人の修道女が大釜に何かを放り込んでいる。よく見るとそれは赤ん坊だった。泣き声もしないところから、それはすでに死んでいるのだろう。それはまだたくさんいるようだった。


「おやこいつは?」


ひとりの修道女と目が合った。


「へえ?まだ生きていたよ、こいつ。しぶといねえ」

「なら上へ持ってってまたみんなのところに放り込んでおきな。そんだけしぶときゃ、いい奴隷になれるわよ」

「こんなやつ、泥棒ぐらいにしかなんないわ」

「それでもここじゃまだましさ」

「違いないわ」


げへへへと下品な笑い方をする修道女は、俺をひっつかまえると汚い布にくるんで桶に放り込み、そのままそこを出た。そこは地下室のようだった。修道女が持つ桶の中で、俺は長い石段を数えていた。十三の石段だ。かなりの深さがある。どうやら文明程度は中世以上ってとこだな。


「どうしたんだい、そいつ」

「ああ、死んだガキどもに紛れ込んだらしい。大方眠ってたんだろうが、まったく大したタマだ」

「ほかのやつらと寝かしときな。あとでヤギの乳でも飲ませてやるさ」

「腹をすかして泣きわめくかもよ」

「そんときゃ蹴飛ばしてやるよ。そうすりゃまた地下の大釜行きさ」

「ウインデルじゃ大きな船を作るっていういう話だからね。木材をくっつけるにかわが高く売れる。やつらを煮て出来たそれはいい値がつくそうじゃないか」

「ふん、院長のぽっぽに入るだけよ」


ウインデルって名前が出てきた。国か街の名前だろう。それにしてもここは修道院なのか?まさかキリスト教系のそういうのじゃないと思うけど、おそらく乳児院か孤児院だ。しかも乳児を死んだとはいえあんな扱いをしてるってことは、このアヴァロンって異世界は中世の、まったく暗黒時代の現在進行形ってわけだ。


「絶望しかねえな」


俺は思わず声に出しちまった。


「誰だいっ?」


おっとっと、ヤバい。なんだ俺、しゃべれるのか。そういやこいつらの言葉もわかるみたいだ。俺はどうやらこのクソみたいな修道院の孤児として転生させられたようだ。マジかよ。どうせなら王子さまとかなかったのか?世界を滅ぼす前に俺が滅んじまうぞ。


「おかしいね?空耳かな」

「どうした?」

「いや、疲れたのかしら」

「毎日こんな赤ん坊の世話だからね。たまにはグレンの店で一杯やりたいよ」

「よしなよ。あいつんとこの酒は飲みすぎると目が潰れちまうからね」

「このオーガスタ村であいつのとこより安い酒場はないよ」

「現実から逃げられるんだったらなんだっていいってか。まあみんなそうやって生きてんだからね」

「まったくどいつもこいつも」

「鬼畜どもよ」

「鬼畜どもさ」


いやそれお前らだから。そう声に出しそうになり、慌てて言葉を呑み込んだ。ここで目立ったらヤバイ。ここで泣きわめいたらヤバい。俺はまだ赤ん坊なのだ。だがちゃんと思考できる。知識もある。そして前世の記憶もだ。俺はこれからこのヤバい異世界で生き延びなくちゃならねえ。それは俺の強い味方になるのだ。


それからの俺はじっくりと観察をして過ごしていった。地縛霊のときと違ってちゃんとまわりが見えている。脳内で日付をカウントし、何年経ったかがわかる。俺のいまあるすべての能力と力は情報収集と生命の保存に費やされた。


三歳になったころ、俺は乳児室と呼ばれるところから孤児たちのいるところに移された。赤ん坊はどんどん死んでどんどん膠にされた。無事に三歳になってあそこを出られたのはごく数人だ。


「おまえのパンよこせよ!」

「やめろよ!これはぼくの」

「うるせえっ!」


ここでも弱肉強食の法則は働いていた。年長者が年少者を搾取するのは当たり前のことのようだった。だからいかにそれを認識し、生き延びるかが重要なのだ。こういうところでも必ずグループができる。三歳から十五歳までの五十人が暮らしているここでは、いくつかのグループがあった。グループに入れなきゃ当然、死が待っていた。



盗むことは善なること

騙すことは良なること

殺すことは聖なること

奪うことこそ神の御心

汝疑う心を持ち

虐げるべきはか弱きもの

汝欺く心を持ち

エンリル神に全て捧げよ


食事まえのお祈りだ。こんなクソくだらないお祈りなんざ、反吐が出そうだったが、俺はみんなに合わせ祈る振りだけしていた。十歳になった俺はヘイツという十三歳の男の子のグループになんとなく入っていた。ヘイツは腕力はそう大したことはないのだが、読み書きができた。ここでは修道女含めほとんどが読み書きができないようだった。院長から修道女に渡される覚書を読んでやっているので、ほかのグループほど修道女たちの当たりはきつくなかったし、読み書きができるってことで一目置かれていたようだ。


俺たちは日中、水を汲まされたりくず拾い、家畜の世話、物乞い、あるいは野山で食えそうなものを拾ってくる、そんなことをさせられた。年長者はかっぱらいや強盗のまねごとをしている。いつも何人かは帰ってこなかったが、不思議と孤児たちの数は減らなかった。


「いま、どこでも戦争してるんだ。帰ってこない親や、家を焼かれて家族を殺されたのなんか珍しくもないんだ。孤児院に入れるのなんかましな方なんだ」


ヘイツは俺に読み書きを教えてくれる。そういうとき、いつもそう言って暗い顔をした。悪人だらけの世界だと思っていたが、こんなまともなやつもいるのかと驚いた。もっとも俺がこっちに移されてくる前はひどい暴れん坊だとほかのやつらから聞いた。


「おまえ、名前ないから呼びづらいんだ。名前を付けてやろうか?」


ある日ヘイツがそう言った。そういやそうだ。俺の名は幸田良樹だが、ここじゃそんな名前はおかしいらしい。名前を付けてやると言われてちょっとうれしかったが、ここは丁寧にご辞退させてもらう。なんせここで一生その名前を背負って行かなきゃならないんなら、俺自らがつけたいじゃねえか。


「ごめん。俺、名前考えたんだ」

「へえ、ちゃんと自分で考えたのか?」

「うん。キリスっていう名だ」

「キリス?変な名だな」


キリストをもじったからね。まあ異世界だ、バチは当たらんだろう。ヘイツは俺の面倒をよくみてくれた。戦争のとばっちりで殺された弟に似ているんだそうだ。俺らのグループにはほかに何人かいたが、よそのグループに比べ人数は少ない。だがどのグループよりもみな元気だった。俺の前世の記憶や知恵が生かされているからだ。


「キリス、今日も山か?」

「ああ、罠をいくつか見てこようと思う」

「不思議だよな。山には魔物や魔獣がいるのに、お前だけは襲われないんだからな」

「運がいいのさ、きっと」

「ふーん」


ヘイツはそれ以上詮索しない。まったく頭のいいやつだ。無理やり聞き出して俺をよそに行かせたら、自分たちの稼ぎじゃすぐに干上がっちまう。なんせ俺はこの孤児院じゃ一番の稼ぎ頭だからな。山には魔物や魔獣がたくさん潜んでいたが、俺には味方がいる。前にほかのグループのやつらが俺のまねをして山に入ったが、みな魔獣に襲われて、何人かは喰われた。俺が襲われそうになると、どこからともなくムシュフシュが現われ、魔獣たちを追っ払ってくれる。魔獣たちもやがてそれを覚えて、俺には近づかないようになった。だから豊富な山の動物や植物は俺が独占した。


前世の記憶。俺は自衛官だった。しかもレンジャー資格を持っていた。どんな環境だろうと生き抜けるサバイバル術を叩き込まれている。ガキの今の俺に力はないが知恵はある。罠で獲物を取り。植物の毒で眠らせ、もうやりたい放題だった。あるとき獲物が獲れすぎて、ずいぶん前に山奥で見つけた洞穴に隠した。俺がいないときはムシュフシュが番をしてくれているようで、そこには何も近づかなかった。


そこで今日は獲れすぎた鹿のような動物を解体してベーコンを作ることにした。皮を丁寧に剥がし、肉や骨を切り分けた。洞窟の前に小さな小屋を作り、そこで燻蒸する。朝早くから夕方までかかって、それはいい出来になった。肉が熟成してたからたんぱく質がいい具合にイノシン酸に分解出来て、うまみが強い。俺はそれを修道院には持って行かず、村の行商人に売り渡した。かなりいい金で売れた。前にガキだと思って舐められて獲物を横取りされそうになった。そんとき、毒で弱らせて、痛い目を見せてやった。それからその行商人は俺には逆らわなくなった。


稼いだ金はもちろん修道院には持って行かない。当然山のあちこちに隠した。獲物は不自然にならない程度に持って行く。全部差し出すバカはいない。


「おやキリス、遅かったねえ。今日は大ネズミかい」


修道女の一人が猫撫で声を出して俺を呼んだ。


「こいつを仕留めるのに時間がかかった」

「そうかいそうかい。じゃあさっそく皮をはいで肉にしておくれ。みな腹を空かせているからね」

「ああ。わかった」

「皮は丁寧に扱うんだよ。まったくお前の獲ってくる動物の毛皮は傷ひとつついてないって、出入りの商人が高い値で買ってくれるんだからね。お前らも食い扶持が増えてうれしいだろう?」


皮や肉のほとんどを持って行っちまうくせに、よく言うよ。まあ、隠し持っているベーコンに気づかれずに済んだので良しとしよう。


食い物はいつも均等に人数分にわけて、ほかのグループのやつらにも配ってやった。こういうとこじゃ食い物がすべてだ。こんなんで恨まれたんじゃ、あとあとめんどくさい。いつも、ヘイツに命令されたと言って配ってやっている。こうしときゃヘイツの顔も立つし、結果的に俺らのグループの安全も保障される。


「おまえ、いったいなんなんだ?キリス」

「なんだって言われても…」

「子供のくせにいやに大人じみてるからさ」

「ヘイツがいつも教えてくれるじゃないか。強いやつには逆らうなって」

「おまえのは少し意味が違う。強いやつをうまく利用しているってところだ」

「どっちも違わない」

「まあな」


ヘイツはいつのまにか俺の本当の兄貴のように接してくれた。それは一切の無私の行動からわかった。俺が修道女から八つ当たりで鞭で打たれようとしたとき、身を挺して庇い、そして代わりに鞭に打たれた。なんでそんなことをするんだって聞いても、ただ笑っていた。俺たち二人はこの修道院内の孤児院でめきめきと力をつけていった。


グループにはいつも腹をすかせたチビたちがいた。ヘイツも俺もそういうのは苦手だった。自分がガキなのにガキの世話なんかできないからだ。そんなときいつもあの泥女がガキどもの面倒を見た。泥女は、いつも体じゅう泥だらけで、顔も厚い泥にまみれて素顔を見たことがない。


村はずれにちょっとした難所がある。小高い峠道だが常に小川の水が流れ込み湿地帯になっている。そこを通る荷馬車はくぼんだ泥道に難渋するのだ。孤児院のやつらはそこで荷車を押したり、荷車からものをくすねたりしていたが、泥女は荷車から落ちた食い物を泥の中から拾って集めていた。だからいつも泥まみれで、おかしなことにそれを洗おうとはせず、体じゅうを乾いた泥でガビガビさせていた。


「おまえ、たまには顔を洗え」


俺はたまらずそう言ったことがある。


「あんたはあたしと同い年だね」

「いや、だからその泥をな」

「あんたと一緒に乳児室を出たんだよ」

「ああそう」


話しにならなかった。きっとどこかおかしいんだ。こんな世界、狂ってなきゃ生きていけないからな。それでも泥女はけなげに俺の後をついてきた。最初はうっとおしかったが、そのうち慣れた。まあ、俺といるなら食いっぱぐれることはないからな。頭はおかしくてもしたたかに生きている。この世界の住人はみんなそうなんだ。


いつしか俺のガタイもよくなっていった。毎日野山で走り回って、たくましくなるのは当たり前だ。十二歳になるころには大人とかわらない体になっていった。こうなるとちょっと困ることがある。奴隷や鉱山に売られてしまうのだ。体つきのいい男は奴隷や軍、あるいは鉱山で働かされる。奴隷や兵隊はいいが、鉱山に行ったらすぐに死ぬか廃人だ。出入りの商人が話していた。毎日落盤や原因不明の疫病でどんどん死んでいくらしい。鉱山から湧き出る火山性の毒ガスのことも知らないこの時代の人間は、その知識のなさからいたずらに多くの人間の命を奪うままにしていく。そんなところに行ったらヤバいじゃねえか。


もっとも女は顔がよけりゃ娼婦として引っ張りだこだ。そうじゃなかったら女中かな。どっちみちまともな人生はない。


「おまえは、どこに売られるんだろうね」


水汲みの途中、俺は泥女に聞いたことがある。


「?」

「そんな泥だらけの顔で。せめて綺麗にしてたら農家の嫁とか悪くても金持ちの妾になれるぜ」

「あたしはキリスの嫁になる。ずっと決めていた。そしてあんたはあたしを王妃にするの」

「嫁?なんで」

「そう決めたから」

「けど王妃って」

「王の妃は王妃でしょ?」

「俺が王?」

「うん」


やっぱいかれてるぜ、こいつ。俺が王にだと?まともに生きていけるかもわからねえ孤児の俺が王にだなんて。だいいち俺はこの世界を滅ぼすためにここに転生させられたんだ。そんなやつが王になんかなるもんか。まあ夢は誰だって勝手に持っていいからな。好きにするさ。


「ねえ?」

「なんだよ」

「嫁にしてよ」

「お互い生きていたらな」

「ありがとう」

「はあ」


ガキの約束なんかたわいないもんだ。いずれ別れが来る。十五になりゃお互い売り飛ばされるんだ。楽しい夢を見ててもいいのかもな。だがそれまでは何としても売られるわけにはいかない。まだまだ力をつけないといけないのだ。


「これを修道女にチクれ」


俺は山の中にいくつもある獲物の隠し場所のひとつに泥女を連れて行って、中を見せながらそう言った。


「なんであたしが?そんなことしたらあんたが罰を受けるよ」

「これを見たら修道女たちは俺を必要とする。必ずな。だからおまえはこれから修道女たちの手下となって俺を見張るんだ。いいな、あとはわかるな?」


泥女は最初、わけがわからないっていう顔をした。やがてわかったようで、こっくりとうなづくとにっこりと笑ったようだ。乾いた泥の顔にヒビがいくつも入って超怖かった。だがこいつは頭がいい。頭がイカれてなんかいなかったのだ。


翌日、俺は院長室に呼び出された。何人もの修道女が集まっていた。院長の顔を見るのは初めてだった。すんげえババアだった。


「あるやつが山にお前が隠している肉や毛皮があると言って来た。そいつは本当かい?」


院長は嫌らしい目で俺を見ながら言う。人のことを絶対信じない目だと思った。


「言わなけりゃどうせ痛い目をみるんだろう?俺は痛いのは嫌いだからな。正直に話す。本当だ」

「ふうん、嘘でもつくと思って拷問の用意をしていたんだが、なんだか肩透かしされた感じだねえ。いいだろう、明日、案内しな」

「言ったのは誰だ?」

「そいつは言えないねえ」

「案内すりゃいいんだろ」

「いい子だ。まあ、罰として手足の二三本とも思ってたんだが、このガルニエ修道院の一番の稼ぎ頭だ。鞭打ちくらいで勘弁してやる。だからちゃんと案内すんだよ!」

「わかったよ」

「じゃあお前は地下室で寝な」

「なんで」

「逃げられちゃ意味ないだろう?朝までロープでぐるぐる巻きになってな」

「逃げやしない」

「それを信じるほどお人よしじゃないんだよ」


知ってるよ。


翌日は院長含めて修道女たちとピクニックだ。まあ、修道院からはさほど離れていない場所をあえて知らせたんだ。院長が来ないと計画がなかなか進まないからな。だが院長は驚いたことに泥女を連れていた。どうやら俺が嘘を言ったとき、確かめさせる気だ。普通なら泥女は俺にあとで殺される。もし殺さなかったら俺は怪しまれる。困った、と思ったら泥女は人差し指と親指で丸を作った。俺が教えたオーケーのサインだ。


「魔獣や魔物が襲ってくるんじゃないか?」

「心配ない。やつらが嫌う薬をここらにまいてある」

「おまえ、そんなことどこで?」

「草木をいじってて自然に覚えた。そうじゃなかったら俺は山で獲物なんか獲れない。俺がやつらの餌になってる」

「まあそうだろうねえ」


意外にあっさりと信じやがった。まあ中世の頭じゃこんなもんか。だが油断はできない。


「ここかい。なんだ、何にもないじゃないか!」

「慌てるな。隠してあるんだ。すぐに見つかる場所じゃ意味ねえだろ」


俺は岩穴に偽装した戸を開ける。中はちょっと広くなっていて、かなりの毛皮や燻製肉があった。


「こいつ、こんなに隠してやがった。ひでえやつだ」


ひどいのはそっちだろう。


「ひっひっひ、こいつは高く売れそうだ。おや、この樽に入ってるのは何だい?」


不思議そうに樽の蓋を開けて修道女がのぞき込む。


「酒だ。果物から作ったんだ」

「酒だと?まさかお前みたいなガキが?」

「嘘だと思うんなら飲んでみろよ」

「はあ?そのまま信じろと?いいだろう、まずお前が飲みな。死ななかったら信じてやるよ」

「あっそう」


俺はひしゃくで樽の上澄みをそっとすくった。いい香りだ。こいつらにやるのは惜しいくらいいい出来だったが、まあこれも作戦だ。上澄みを口に含むとじっくりと味わった。酵母がよかったのだ。とくに熟成させていなかったが。


「んーんまい」


俺のうっとりする顔を見ていた院長が俺のひしゃくを奪い取ると、樽の中の酒をみずからすくおうとした。


「かき混ぜるなよ。そっと上澄みだけすくえ。こいつは濾して飲むんだからな」

「いちいちうるさいね。ホント殺すよ」


そう言いながら院長が酒を口にすると、とろけそうな表情になった。


「な、なんだこれは!こんな酒、今まで飲んだことがないよ!なんでこんなものおまえが作れる」

「ブドウから作った酒だ。むかし実を集めて貯めておいたら偶然そうなった。いまは作り方を工夫しているから比べ物にならんけどな」

「こいつを修道院で作れるかい?」

「ああ、簡単だ。だが飲めるのに二年はかかる」

「いいだろう。帰ったらさっそくやんな。修道院のガキを使ってもいい。それからおまえを密告したこいつだがな…」


来た。泥女、どうする?


「お前の監視役にする。こいつはお前のことをずっと見て来たそうだ。山にも入れる体力がついたって言っている。酒を造るとき誤魔化したりちょろまかしたりしないように見張らせるからな。いいかい?殺すんじゃないよ。もし殺したらおまえを殺す。いいね、わかったかい」

「くっそ。どうにでもしろ」

「小汚いメスガキ。いいね。ぜったいこいつから目を離すんじゃないよ。何かあったら必ず報告しろ。裏切ったら許さないからね」


泥女はうつむいたまま黙ってうなずいた。俺はこれでもかという怖い目で泥女を見てやった。


修道院に帰って段取りを院長に報告した。院長は持ってきた俺の酒でいい気分になっていた。修道女も、飲んだことのないようないい酒でご機嫌だった。院長室を出るとき、誰も俺たちに注意を向けるものはなかった。俺たちの寝所がある大部屋までの長い通路を、二人手をつなぎながら歩いた。


月明かりが青く、二人を照らしていた。





作戦通り俺はこの孤児院にはなくてはならない人間となった。そして俺の監視役として泥女も。泥女は俺の嫁になるのが夢だという。だが十五になったら二人は売られる。逆らえない運命なのだ。それでも知恵を絞って何とか生きて行かなけりゃ。ああ、牛丼食いてえなあ。


次回、『泥女』です。

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