第96話「怨嗟」
やがてそう歩くことなく、一行は森の中心部へとたどり着く。
『王子殿下自らお出迎えとは。豪勢ですね』
まず口火を切ったのは宵闇だ。
これに、待ち構えるような場所にいたルドヴィグが皮肉気に口角を上げて言った。
「何せここには俺とイネスしか来てないからな。仰々しくする必要も全くない」
そうして大きな泉を背景に笑う彼は、心の底から自由を謳歌しているらしい。
その微笑は晴れ晴れとしており、青藍を筆頭に身分がどうのと気にしない存在がほとんどであるため、彼自身も肩ひじ張る必要がないのだろう。
権力者ってのも難儀な“商売”だな、と、宵闇は内心で呟いた。
実際、今日のルドヴィグの服装はラフだった。
いわゆるこの時代の運動着とでも言えばいいのか。身体を締め付けない楽な服を着て佇む様は、その横柄な態度を除けば、よくて貴族の子弟程度に見える。
むしろルドヴィグの背後に控えた側近、イネス・ハーシュの方がよほど装備が多かった。
ちなみに、てっきりルドヴィグしかいないものと思っていた宵闇だが、少し離れた後方に彼――イネスの姿を認めて瞬きする。
宵闇の知らないことだったが、ほぼ毎日のように森に消えるルドヴィグのお付として、せめてイネスだけでも、と、家臣たちの必死の懇願を受け、最近付いてくるようになった、なんて経緯があったりする。
閑話休題。
宵闇の銀色の視線を受け、イネスは軽く頭を下げて礼を取る。
しかし、彼はそれ以上、全く自己主張しない。
直立不動で静かに佇み、ともすれば、そこいるのを忘れそうになる。
年の頃は30も後半。ルドヴィグに何かを問われなければ口も開かないような寡黙で実直な性格。それが彼だ。
ルドヴィグが率いる騎士団のトップであるイネスだが、元は剣を握ったこともない平民。しかも、鷹のような鋭い相貌、黒髪にアンバーの瞳、浅黒い肌、それらの特徴は彼が海を越えた異国の血を引く証拠だ。
そんなバックボーンを持ちながら、純粋な実力でもって今の地位についている。仰々しい飾りもなく、一兵卒の様な訓練用の軽装姿からは想像だにできないが、それだけの武の力を兼ね備えた人物だ。
敏捷さが際立つ引き締まった体躯は惚れ惚れするような完成度。軽装なのも相まってそれがよく見て取れた。
黒い獣は視線をルドヴィグへと戻しつつ、顎を引いて言う。
『とはいえ、こんなところにあんたがいていいのか?』
ルドヴィグは短く笑って言い返す。
「どうせ謹慎中だ。体よくここに引きこもっている。気ままでいい。魔法の練習もできるしな」
『え、けど、もしもって事態があるだろうに』
呆れの強い語調に対し、ルドヴィグは得意げな顔をする。
「ああ。それについては伝令役を頼んでいる。……もうすぐ定時連絡が来るはずだ」
『は? この森のど真ん中に、誰が来れると?』
器用にも首を傾げた宵闇に対し、ルドヴィグは話を切り替える。
「悪いがそんな話は後だ。こちらに来い」
そうして踵を返しながら、彼は言った。
「大体のところはアルフレッドから聞いた。成果はあったようだな?」
『まあまあですね』
そんなぞんざいな返答を気にもせず、ルドヴィグはずんずんと足を進めて歩き去る。向かう先にはいつのまに用意したのか、いくつかの床几と大きな日除け。
他にもいくつか物が運び込まれているらしく、着実にルドヴィグの別荘地化が進んでいるらしい。
宵闇は半眼でそれらを眺めつつ、大人しくルドヴィグについていった。
一方、他の者たちにはなんの指示もない。
置いて行かれたディーを除く女性2人は、なんとはなしにアルフレッドに視線を向けた。
特に麗奈は不安そうに、どう振舞うのが正解か無言のうちに訊いてくる。
それへ軽い仕草で促しつつ、アルフレッドは言った。
「貴女たちも行ってください。今後、実質的な庇護者はあの方だ。この国の第3王子、ルドヴィグ殿下です。面通しは必要でしょう。……ディーはどうします?」
その淡々とした問いかけに、赤毛の麗人は微笑んで言った。
「我はそこらで人型を解こうかと思っている。いい加減、本性に戻りたくてな」
これにアルフレッドが首を振るはずがなく「そうですか」と静かに言って、彼もまた宵闇たちを追って歩みを始める。
麗奈も同様だ。
一方、残るレイナは、初めて見るディーの本性に関心が向いたらしく、去りがたそうに迷いを見せた。
「なんだ。我の本性がみたいのか?」
「……まあ、そうだ」
端的な返答に、ディーは苦笑して言った。
「そうか。なら見ていくと良い。ただし、我の身体は宵闇と違って大きいからな。気をつけろ」
そうして、数秒。
いくらか距離をとり、纏っていた旅装を脱いだディーは、一息ついて人型を解いた。
直後、吹き抜けていったのは熱風だ。
次いで、唐突に形成されていく圧倒的な物量感。
思わず目を閉じた女は、顔を庇うように両腕を構え、瞬間的に身体を強張らせた。“植物”の魔力と“火”の魔力。その身に宿る魔力の属性の違いが、思わず本能的な恐怖をレイナに抱かせる。
とはいえ、それは一瞬だった。
すぐにも、ディーの気配は常の穏やかさを取り戻し、ここ数日、レイナの傍らにあった暖かさへと温度を変える。
そうして、彼女が深い蒼の瞳を開けた時。
ソレは、視界一杯に拡がって、彼女を見下ろしていた。
「……」
レイナは、無言のうちに目の前の存在を観察する。
まず視線を引くのはその双眸だ。
人型のときとは違い、黒と金の混じったその眼は龍眼とでも表現すればいいのか、爬虫類に似て縦に瞳孔が割れている。
そして、面長い頭部には捻じり曲がった2本の角と、口元を縁取る長い髭。まるで燃えているような鬣は黒から赤へのグラデーションが美しい。
細長い胴に短くも頑丈な手足。身体には爬虫類の鱗を纏い、その全長はおよそ30 m。
異世界における想像上の生物――龍が、レイナの眼前にとぐろを巻き、赤々とした姿で顕現していた。
その異形で巨大な生物が、ゆったりと鎌首を下げつつ、人の言葉で問いかける。
『どうだ? ……お前は、この姿に何を感じる』
「……」
その問いかけは、何気なさを装っていながらもかすかに――とある感情が、含まれているようだった。
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泉のほとりに陣取り、日除けや床几が用意された一角。そこにたどり着くその直前、ルドヴィグら一行の背後でディーが本性を露わにした。
何事かと一部の視線が背後に向く一方、感嘆の息が静かに漏れる。
「――師匠殿はまさしく、神のごとく、だな」
ルドヴィグの言葉だった。
彼我の距離は十数メートル。だが、それだけ空いていてもディーの本性が放つ圧迫感は伝わってくる。何より彼女の本性は抜群にデカい。
瞬く間に物質化していく“火”の魔力。
形成されていく紅く長大な龍の身体。
わずかに吹き抜けていく暖かな風が、冷たい外気を押しのけ、つかの間の春を想起させる。
初めて見る麗奈やイネスは言葉もなく驚いていたが、一方のルドヴィグは特に動じた様子もなく、床几の1つに腰を下ろして息を吐く。
その視線はディーに向いており、小さな人間を前に何やら会話している光景を、ルドヴィグは見るともなしに眺めていた。
一方、その機を逃さず駆け寄ってくるのは蒼い髪の少女、青藍。
「ねえ、ルディ。まだ終わらないのー?」
彼女は森で1人遊びをしていたのだろうが、いい加減飽きてきたらしい。ルドヴィグが戻ってきたのを見計らい近づいてきたのだろうが……。
もちろん、彼は苦笑しながら首を振った。
「ああ、まだだ。もう少し待て、セイル」
「むぅ……」
率直な表現として、青藍が口を尖らせ不満を表す様は愛らしい。
何しろ、小柄で華奢、肩口に揃う青い髪にラピスラズリのような濃紺の瞳。まさに美少女を絵に描いたような外見だ。
が、こちらも、その本性は大きな蛇だ。すなわち人外。
広い定義で言えば魔物と言える。
内包する魔力は人知を超えており、更には、情緒が幼いだけに次の瞬間何をしでかすかわからない。
最近、外見も内面もかなり変化してきたとはいえ、かつての姿を知る宵闇やアルフレッドからすれば、少しの言動にも反射的に気を払ってしまう。それが現状だ。
一方、ルドヴィグは違うらしい。
青藍と話す様子はなんの警戒もない穏やかなもの。互いを気安く略称で呼び合い、軽口を交わして笑っている。
手短なやりとりのあと、再び駆け出して行く青藍を見送ったルドヴィグ。そこへ、腰を落ち着かせた宵闇が言った。
『……あんたは、すっかり俺たちを受け入れてくれたようだな』
「あ?」
訝しそうな顔をするルドヴィグに、黒い虎は笑ったらしい。首を微かに揺すりつつ、瞳を細めて言った。
『王都で問答無用に攻撃された頃が嘘みたいだと思ってな』
「……ああ。あったな、そんなことも」
ルドヴィグは淡く微笑み、呟くように言った。
「意外なほど、簡単だった、な」
この数か月を思い返しての言葉か、ゆっくりと噛み締めるように彼は言う。
「……お前たちはそれぞれに違う。“魔物だから”と型に嵌めて考えていたのが馬鹿らしいほどに」
「――で、あれば、“魔物だから云々”という論議は全てが無意味だ。
無意味なことに固執するほどの無駄もない」
そこまで言って、ルドヴィグはふと苦笑した。
「……かつての俺が現状を知れば、驚くだろうがな」
黒い獣も、鼻を鳴らして苦笑する。
『誰もがそうできれば、平和でいいんだがなぁ』
そんな会話がなされる中。
ディーへの注目も漸う落ち着き、麗奈が戸惑いながらも床几に腰かけ、イネスがルドヴィグの背後に回ってくる。
もちろん、アルフレッドはルドヴィグの向かい、宵闇の隣。
レイナも直に来るだろう。
場が静かに整っていく中、ルドヴィグは気を取り直して促した。
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「デカいな」
『……。……それだけか?』
一方、少し前。
至近距離で向かい合うことになった赤龍とレイナは、大きさの違う双眸を互いに覗き込みつつ話していた。
その距離およそ2m。
龍の長い鼻先は地面すれすれにもたげられ、そうしてやっと人間と視線を合わせられる。
レイナの言う通り、身体の大きさは確かにかなり違うだろう。
しかし、ディーには予想外な反応だったらしい。
軽く首を傾げた龍の頭に、呆れた視線を向けたレイナは言う。
「どんな返答を期待したんだ」
『ふむ。……拍子抜けしたのは確かだな』
「……」
何を想っているのか容易に知れない人外の面を眺めつつ、レイナは言った。
「オレからすれば……」
そう言いかけ、彼女は何か思うところがあったらしい。
皮肉気に口元を歪め、言った。
「いや――ワタシからすれば」
意識的に言い直し、彼女は瞳を静かに閉じる。
そうして頭を俯かせ、ディーの視線から逃げるようにして言った。
「あんたほどの力をもてるのは――単純に、羨ましいと、思う」
『ほう』
「……きっと、何でもできるんだろうな」
『……』
ひそりと返った沈黙に、レイナは両目を開いて言葉を継ぐ。
「……少なくとも、自分の無力に血反吐がでる思いをしたり、あるいは、無性に自分自身が嫌で嫌で仕方がなくなったりは、しない。そうだろう?」
『……』
そう言ったレイナの表情は、まるで凍り付いたように硬かった。
常にぎらついた刃のようだった気配は鳴りを潜め、感情を表に出さないよう自分自身を雁字搦めにしているような、そんな様子だ。
対する赤龍は、その全てを見て取りつつ痛ましげに瞳を伏せる。
『……逆を言えばお前は、そう思うことがある、ということか』
これに、レイナは口端を無理に持ち上げ笑みを作る。
「ああ、しょっちゅうな」
そうして歪に笑う彼女は幾分いつもの“鎧”をまとい直し、いっそ晴れやかな調子で言った。
「だから、オレはあんたが羨ましい」
「――強さの象徴、魔力の化身。……すべての理不尽を薙ぎ払える、力」
『……』
凪いだ黒と金の宝玉を見つめ返し、数秒後。
レイナはひらりと背を向けた。
「……オレがあんたなら、すぐにもこんな世界、焼き尽くしてやるんだがな」
そんな、一言を残して。
第96話「怨嗟」




