第86話「Difference」
視点:1人称
王都を出られたその日の日暮れ。
ギリギリ馬車が通れる北部山道に分け入った俺たちは、かなり早めに野宿の準備をし始めていた。何せ、日が沈み切る前に大方終わらせないといけないからな。
ちなみに、目的地はイリューシアの森方面。進路は北東。
あそこはもはやアルの領域といっても過言じゃないし、ルドヴィグの領地内でもあるから、色々と都合が良い。最悪の状況も想定した上で、元々帰りの経路として俺が考えていたモノだ。
ただ。
思わぬ成り行きで同行者も出来ちまったから、当初の算段通りとはいかない。
ましてや、ほとんど無力な麗奈を連れて、となると中々……。
……まあ、なるようにはなるだろう。
保険は一応掛けてるし。
さて。
野宿にあたり、さしあたっての問題は食事だった。――が、これは比較的すぐなんとかなった。
それというのも、俺が本性になって獲物 (外見はめっちゃ鹿だった)を仕留め、レイナが捌き (当然かなり手慣れてた)、麗奈が焚火を起こし (父親の趣味でやり方を知っていたらしい)、といった感じで、俺たちはかなりの連携を発揮し、貴重なタンパク源を手に入れることができたからだ。
だが、あいにく今夜の食事はこれだけ。
量は十分なものの、あらゆる面で足りないのは明白だ。
何しろ、大概の「肉」というのは、タンパク質はもちろん、脂質も豊富で炭水化物も少し含まれる一方、食物繊維はゼロ。つまり、三大栄養素は一応補えるもののバランスは悪いし、胃腸の調子を整える食物繊維が摂れないのはかなり痛い。
仮にも知識ある大人としては忸怩たるものがあるんだが……。
しかし、今はどうしようもないので目をつぶるしかない。そして、少なくともあと数日はこんな状況だろう。
俺は不甲斐なさを堪えつつ、焚火を挟んで座る2人に倣って腰を下ろし、淡々と肉を炙るレイナに向けて言った。
「――この調子だと肉、かなり余るよな。残った方はどうするんだ?」
こっちを見もせずレイナは言う。
「既に処理はした。……この天候だ。一晩干せばそこそこになる」
「へえ」
相槌を打てば、澄んだ碧眼が俺に向いた。
「……普通なら獣が寄ってくるから、近場に置いとくべきじゃ無いんだが――」
一晩中、追い払えってことだな。
「もちろん、引き受けた。どうせ寝ずの番だ。変わりゃしない」
「ああ。期待してる」
なにせ保存食は大事だ。
責任もって守りましょうとも。
ついでに、今夜は雨も降りそうにない晴天だ。湿度および気温が低いのも高得点。
恐らく、イイ干し肉ができるだろう。
……ただし、「こいつ便利だな」的な笑みをレイナに向けられたのは、気のせいだと思いたい。
それにしても――。
こんな野外で獲物を捌き、焚火でバーベキューとか、どこの本格アウトドアだって感じだよな。一部の人間にとっては強い憧れさえありそうなシチュエーションだが……。
しかし、俺たちが直面している現実が、そんな甘くないのだけがひたすら残念だ。
第一、もうすぐ雪がチラつきかねない季節だから、夜間の冷え込みが心配だ。元から毛布とか外套とか、最低限の用意はレイナが持っていたが、そう長くはもたないだろう。
特に、この状況に慣れない麗奈は、最も体調を崩す確率が高い。
一応、本人は元気いっぱいだし、徹夜明けにも関わらず堪えた様子もないが……。
……たぶん、副腎髄質からアドレナリンが出まくっていて、興奮状態なんだろうなぁ。
昨夜も最低限のやり取りだけして、あとは寝るよう俺は言ったんだが、結局一睡もしなかったのが麗奈だ。
そのうちスイッチが切れて倒れこんだりしないといいが……。俺はそれが1番怖い。
そもそも、本人がその状況を全く分かっていないのも悩みの種だ。
聞けば、彼女は元から身体は丈夫で、地球にいた頃も風邪は滅多に引かない健康優良児。もちろん、この世界に来てからも一度も病気になっていない、と本人は胸を張っていた。
……しかし、本来ならそれは奇跡――もっと言うと、ほぼありえないことだということを、彼女は知らない。
何しろ、地球の――更には、日本の現代と比べれば、この世界の衛生環境はまさに雲泥の差だ。接触する病原菌やウイルスの数はケタ違いに多いだろう。
一方、麗奈が生来培ってきた獲得免疫が、これに対抗できるはずはない。奇譚なく言えば、紙レベルの防御力。
分かりやすく言えば、「食べ物を触る前には手を洗いましょう」という習慣自体がない世界だ。既に免疫が鍛えられたこの世界の人間ならいざ知らず、インフルエンザで毎年大騒ぎするような現代の日本人にとっては、何かを口にするのも危険だろう。
そして、栄養学なんてものもないから、食事の栄養バランスだって整っているはずがない。ストレスだってある。
2つとも、免疫系を低下させる要因だ。
つまり。
本来、彼女はあらゆる感染症やら疾患を患い、死に瀕していてもおかしくはない、というか、むしろそうなっていないと理屈に合わない、というわけだ。
しかし、実際の麗奈はどうだ。
異世界に来てからこちら、一度も風邪をひかず、少しの体調不良もなく、元気に過ごしているのが現実だ。
俺からすると摩訶不思議。首をひねりすぎて折れそうな案件。
……恐らくは、また魔力がどうのこうのと関係しているんだろうなぁとは思っているが。
なにせ麗奈は異世界転移者――言い換えれば、例の“神様”が関係してこの場にいる存在みたいだし。
あとでディーやアオにも意見を聞かねえとなぁ。
一方、その肝心の彼女は今、地面に座り込んで枝に刺した鹿肉を焼き、ワイルドにかぶりついているわけで――。
「ん~!! 空腹は最高の調味料! ですね! 最高です! ショウさん、ありがとうございます!」
「あ、ああ。昼、なかったもんな。……美味そうで良かったよ」
その能天気さに口を引つらせながら俺が言えば、麗奈もこっちを見て言ってくる。
「ところで、ショウさんは食べないんですか? すごく美味しいのに」
「ああ。味見で食ったし、そもそも俺は食事の必要がないんだ」
「え、そうなんですか!」
「だから、あんたがたくさん食って成長にまわせ、高校生」
「はーい。じゃあ、遠慮なく!」
「……」
……ホント、この女子高生、ある意味でメッチャ肝が据わってんなア。
ちなみに。
鹿肉には独特の臭みがあるから、臭み取りに使える赤ワインや塩が手元にない現状、そんなに美味しい食材だろうかというと……微妙なところだ。
一応、レイナの知識で香味付けの野草を使いはしたが、地球の現代の味付けに慣れている麗奈からすれば足しにはならない、はずなんだ……。
更に、柔らかい食材を食べ慣れている現代人には、嚙んで呑み込むのさえ一苦労なことだろう。
その点を考慮して、ひとまず俺は小さく切り分けた肉塊を麗奈に回しはしたんだが……。
それにしても、ただ焼いただけのジビエをよくもまあ、こんだけ美味しそうに食えるな。全ては若さのなせる業、ってところか?
あるいは、火おこしができたくらいだから、父親の影響でもしかすると食べ慣れている、のかな……?
なんにしろ、食欲があるのはいいことだ。
「あ、おい、麗奈! それはもうちょい焼いとけ!」
「あ、ほんとだ! ありがとうございます!」
……まったく。
よくこれで腹痛もなくこの数か月を過ごせたもんだな。
そんなこんな。
焚火を囲んで食事をとり、それも一段落ついた頃。
「――え!? レイナさん、20歳なんですか! 私の3つ上! でも、もっと上だと思ってました!」
「……おい、冗談だろ」
ふと、互いの年齢の話になった。
訊いた本人――麗奈の率直な返しに、呆然とレイナが呟いた一方、薪を足しつつ俺も言った。
「ついでに言うと俺は30半ば、外見上はな。人間じゃないから実年齢、違うけど」
「え!」
「……冗談だろ」
「意外!」とでも顔に書いている麗奈はともかく、レイナは驚愕が過ぎて無表情。だが、言わんとするところはこっちにも伝わった。
「ハハ、若く見えるって? そういう人種なんだ。幼形成熟とかネオテニーとか言うんだが」
「え。なんですか、それ。初めて聞いた」
一早く反応してくる麗奈には、その傍らに置いている通学バックを指し、適当に言っておく。
「あー、多分。ギリ、生物の教科書に載ってるんじゃないか? ヒト自体がネオテニーと言われているが、その中でも日本人はその特徴が顕著らしい。だから若く見られる、っていう理屈だ」
「……ショタ好き、ロリコン好きの弊害だ、とかいう俗説もあるけど」
「え。気になる」
すぐさま麗奈はガサゴソとバックをあさり、無事教科書を開いてくれた。……たぶん、恐らく、載ってないと思うが、アルじゃないので誤魔化されてくれるだろう。
「……」
一方、そんな麗奈の行動を、なぜか冷たい視線で眺めているレイナがいた。……何か思うところがあるんだろうが、これは俺にもわからないな。
ひとまず慎重に言ってみる。
「……レイナも、何か訊きたいこと、言いたいことがあったら言ってくれよ。フェアに――公平にしといたほうがいいからな」
「……公平……。――それは、本気で言っているのか?」
レイナの視線が俺に移り、相変わらず冷めたことを言ってくるんで、俺はひとまず頷いておく。
「もちろん」
「……」
「……俺、なんかおかしなこと言ったか?」
「そうだな」
視線を外し、彼女は言った。
「……あんたら、文字は読めるし、知識もある。――ってことは、かなり上の人間だよな。国元じゃあ、お貴族様って奴。違うのか?」
「……」
ああ、そういう――。
「え、私!? ショウさんはともかく私は至って普通で……!」
教科書から顔を上げた麗奈が言えば、対するレイナはなんとも表現しがたい顔で嗤って言った。
「ハ。……むしろ、ショウはともかく、あんたこそ見えないな」
「え~!?」
「少なくとも、そんな隙だらけで生きていられるほど、恵まれた環境で育ってきたってことだろ」
「えぇ……」
いまいちよくわかってないような麗奈の反応に苦笑しつつ、俺は言った。
「まあ、レイナの言わんとすることはわかるがな。
麗奈の言葉も、嘘じゃないんだ。俺も彼女も、生まれは一般庶民。……ただし、俺たちの国の中での“庶民”ってことだけどな」
「……冗談だろ?」
本気で訝しんでいるレイナの反応に、これも俺は苦笑して言った。
「ホントだ。俺たちの国じゃ、識字率は99%――あー、ほとんどの人間が文字を読み書きできるし、更に、ほぼ同じくらいの割合の人間が、この麗奈が持ってる本の知識に触れられる」
「……」
「そして、比較的治安もいいから、夜に女1人で出歩いても余程じゃなければ無事だろうし。……レイナの言う通り、恵まれた環境なのは確かだな」
そんなことを言ってやれば、今度は麗奈の表情が変わった。
一方、レイナは半ば茫洋として言ってくる。
「……羨ましいな」
「……」
「――しかも、そいつがその書物を持ってるってことは、あんたらの国では、女だろうが男だろうが関係なく、それだけの知識を学べるってことだな?」
……確かに。
この時代の人間からすると、かなり異様に映るんだろうな。
俺は頷いて言った。
「ああ。かつて制限された時代もあったが、俺の知る限り、教育を受ける権利に性差の垣根は無い。――制度上は」
「……どういう意味だ?」
含ませた俺の言葉に、レイナは敏感に反応する。
訝し気な問いに、俺は苦く笑って言った。
「結局、どこにでも"見えない壁"はあるってことだ。無意識のバイアス――アンコンシャス・バイアスとか言うんだが」
「――例えば、“女性は研究者に向いてない”とか“将来の就職や結婚に不利になる”とかの、至ってくっだらない偏見で道を制限される人間が一定数いるのが現実なんだ。俺たちの国でもな」
「そう、なのか……」
「……」
なんとも言えない無表情を浮かべるレイナに対し、麗奈も何か覚えがあるのか目を見開いて固まっていた。
……恐らく、17歳だと文理選択のあとだから、何か心当たりがあったんだろうと思われる。
そんな様子を横目にしつつ、俺はレイナに言った。
「その口ぶりだと、あんたも何か、あったんだろ?」
「ハ」
短く息を吐き、レイナはクッと口端を上げて言う。
「……わかって言っているだろう。質の悪い」
そんな悪態に、俺は小さく笑って言った。
「まぁなぁ。それこそ俺には知識があるから、この世界であんたみたいな立場の人間がどんな経験をするかのは、まあ、大体想像できちまう。……ついでに、性別を誤魔化してる理由もな」
「!」
「……」
思い切って言ってみれば、麗奈はピクリと身体を揺らした一方、レイナはいっそ、晴れやかに微笑んできやがった。
わー、こえぇ……。
なまじ顔が整っているだけ、完璧な微笑みを意識的に創られると、俺の場合、引く。
だが、そうして改めて仮面を被られると、外見は全然変わってないのに印象が正反対――すなわちレイナ本来の性別通りに見えるのは、さすがと言わざるを得ないだろう。
おそらく、ちょっとした仕草、視線の向け方、そういった部分も切り替えたことによるものだろうが……。
わー。
もう一度言うが、ホントこえぇー。
そんなことを俺が内心で呟いているのを知ってか知らずか、レイナは言った。
「ちなみに、なんであんたにはすぐバレたんだ? 気づかれたことはほとんどないんだがな」
声さえ高めに変わっているのにビビりつつ、俺は何も考えずに本音を言った。
「……あー。強いて言えば骨格? 腕握った時の感触が、一番の判断材料ではあったけど」
これに、今度は麗奈が身を引いた。
「え。骨格で――っていうか、レイナさんの腕握ったんですか?! それでわかるとか、なんか、変態ですね!」
「ぐっ」
た、確かに――。
「…………否定できねえ」
「あ、ごめんなさい!」
いや、別に他意はなかったんだが……。関節の位置とか腕や指の細さとか、そういうので検討ついちまったもんだから……。あとは半分山張って言ってみたら、偶然当たってたというか……。
そうして俺が、片手で顔を覆い膝に突っ伏していれば、レイナからまさかの追撃が来た。
「……つまり、ほとんど外見でわかったってことだな? ここ数年、誤魔化すのが難しくなっているのは確かだが、あんたもあんたで異常だな」
「……」
「ああ! ショウさんに致命傷がぁー」
……まあ、なんだ。
懸念点は色々あるが、そんなことを気にしてるのが馬鹿らしくなってくるくらいには、2人とも逞しくて何よりだ。
第86話「Difference」




