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第79話「公然の秘密」

視点:3人称

 王都より北東におよそ500 km――オルシニア北部国境東端を担う地。そこには、紅葉する木々に囲まれ、柔らかな朝日に照らされる荘厳な城が建っている。


 王国第3王子が預かる城――ロウティクス城だ。


 ただ、国境とはいえ殊更防備を固めているわけではない。何しろ、大河ステューティクとイリューシアの森で隣国とは実質分断されているため、過去攻め込まれたことなど1度もないのだ。


 では、何のための城かと言えば。

 時折森から出てくる魔物への対処、その人員が常駐するための城、といえるだろう。


 イルドア山脈に隔てられた西部、バスディオ山以南が荒れ地の南部、海に面した東部と比べ、魔力の集中した北部の森に接するこの地は、特に強力な魔物が発生することで知られている。


 そのための武を司る城、それがロウティクス城だ。


 平野に築かれ三重の防壁をもつ巨大な王都および王城とは異なり、このロウティクス城は森を見下ろす断崖絶壁を背にし、城壁もなく城下町もない。


 まばらな木々の間には、馬を世話する放牧地に数々の厩舎、練兵場と思しき人工的な平地、そして兵たちが暮らす大規模な宿舎。それらが整然と城を取り巻き、朴訥な印象を見る者に与える。


 また、そこで暮らす兵たちは魔物討伐に特化した精鋭中の精鋭だ。特に、この地には雄爵を賜るような魔力に優れた人材も多く、最も練度の高い兵が集中する地となっている。


 頭数では王都に及ばないまでも、精強さで言えば国一番、戦力では王都と並ぶのは間違いない。


 そんな対魔物の最前線――ロウティクス城が、北部由来の黒みがかった石材の肌を日に染めつつ、朝霧の中に悠然と佇む。




 その、とある一画。

 城の主たる第3王子の居住スペースとはまた違うその場所に、現在客人が1人逗留している。


 雄爵筆頭ともいうべき、殊更魔力に優れた人物だ。



 もちろん、その身辺を世話する者も一応傍に控えているのだが、それでも人気が少ない印象は否めない。


 そんな寒々しい廊下へと、今、背の高い赤毛の人物が1人出てくるところだった。


 時刻は早朝。

 石造りで秋ともなれば、その場はかなり冷え込んでいる。吐く息も白く染まるような()()だ。ましてや、その手に水桶を抱えて、ともなれば手元は一層冷たいだろう。


 だが、赤毛の人物は特に堪えた様子もなく、ゆったりとした足取りで廊下を進む。


 やがて、目的の扉に辿り着き、いくつかの無人の部屋を経由し、水桶を置いて、ようやく。未だ薄暗い“主”の寝室前に彼女は立った。


 そうして数秒、室内で物音がしないことを確認し、その赤毛の人物が慣れた様子で扉を開ける。


 仮にも“主”の部屋へ無断で入っていく無礼な行為だが、彼女にとっては毎度のこと。元より、遠慮するような感性もない。


 彼女らしく穏やかに扉を開き、足音も静かに寝台の枕元へと歩み寄る。

 そして――。


「ああ。起きたか」


 その赤毛の人物がのんびりと言った。


 実際、彼女の視線の先でもぞりと分厚い掛布が動き、薄闇にも鮮やかな金糸が覗く。

 そこから緩慢に、次いで現れたのは2つの翠。


「……ディーですか」


 ちなみに、未だ口元は掛布の中、双眸も今にも閉じそうだ。それを無理やり開けていようと無理するために、まるで人を射殺そうとしているような険しい表情が、赤毛の人物――ディーへと向けられる。


 だが、それを向けられた方は、むしろ笑みを堪えるように口元へ手をやりながら頷いた。


「そうだ」


 そうして子首を傾げつつ、彼女は言う。


「――このところ毎朝思うが、お前は寝起きが一番、無防備だな」


 そんなことを言われながら、本格的に身体を起こそうと寝台を掻く青年は、普段の様子と全く異なる鈍重な動きだ。緩慢に藻掻きながら、数秒の間の後、ようやく言葉が認識されたのか返答する。


「それは、自覚しています。…………以前は、もっと、マシ、だったんですが」


 途切れがちのそれに、ディーは首を振って柳眉をひそめた。


「つまりそれは眠りが浅かったということだろう? それもまた良い事ではないらしい」


 現状ではあまり関係ないが。

 そう付け足しつつ、彼女は言った。


「我が言いたいのは、また別の意味合いだ」


 一方、そう言われた青年のほうは、ようやく寝台から身を起こそうかというところだった。が、相変わらず険しい表情を直しもしない。更には片手で頭を抑え、頭痛にでも耐えているのか一瞬、瞳が伏せられる。


 だが、そんな状態でも彼は律儀に言った。


「……ああ。……クロによれば、僕のこれは低血圧――というか“せいかつしゅうかん”の乱れ、特に睡眠不足と、“すとれす”、が原因だろうと」


「ほう? 相も変わらず、彼奴(あやつ)の言葉はよくわからんな」


 苦笑しながら言ったディーに対し、ようやくいつもの調子を取り戻してきた青年が彼女の顔を見遣って言う。


「…………そういう時、貴女は、気にならないんですか?」


「?」


 のろのろと寝台から降りつつ青年は言った。


「僕だったら訊き返します。……実際、彼には詳しい説明を要求して、一応言葉の意味も、なぜこんな状態になるのかも、理解したつもりです。

 ……ですが、どうも僕の行動は、一般的ではない、ようなので」


「ふーむ」


 ディーは思案気に唸りしばらく黙ったが――。




 ちなみに。


 彼のように、朝起きるのに時間がかかる人間とそうでない人間がいるのには、かなり様々な要因が考えられる。が、その中でもよくある原因の1つが、生活リズムの乱れ、そしてストレスだと言われている。そういった要因で、いわゆる体内時計が乱れ、起床に際して必要な各種ホルモンが分泌されず、身体が睡眠状態から通常状態に切り替わりにくくなる。だから起きられない。そんな理屈だ。


 また、遺伝的に夜型であるために、著しい覚醒困難がみられる場合もある。時計遺伝子と呼ばれる体内時計を司る遺伝子が元より夜型である場合、朝型の人間よりも平均して2時間ほど体内時計がズレているとも言われる。そういった人間は、大多数の一般的な起床時間・睡眠時間に従うと慢性的な睡眠不足に陥りやすい。


 更に、宵闇の説明では「ストレスとは何ぞや」とか「それが生体内でどんな反応を引き起こすか」とか「メラトニンやらコルチゾールやら各種ホルモンとは何ぞや」などなど。青年が深堀したのに加え、宵闇の前世の専門と微妙に近かったために大変な時間を要して説明されたのだが、ひとまずここでは割愛する。


 ただひたすら、そんな話に興味関心を向け、ましてやある程度理解してみせる青年に脱帽するしかないだろう。


 閑話休題(話を戻す)


 

 一方、ひとしきり無言で思案していたディーだったが、数秒後。結論が出たのかおもむろに言った。


「ひとまず、お前の言うその“一般的”というモノが我には理解しかねるが。

 少なくとも、我の関心とお前の関心の居所は、全く違うところにあるのは確かだな」


 寝室から続きの間へ共に移動しつつ、ディーは言った。


「――だが、それが当たり前というものだろう?」


「……」


「ヒトに限らず、あらゆる生命は千差万別の生を生きている。その違いがあるからこそ、この世は無限に面白く、いつまで経っても飽きないのだ」


「……」


「あえて言えば、我の関心はそこにある。ただそれだけのこと」


 そう言って口を閉じたディーに対し、青年は幾度か瞬きしたのち言った。


「……つまり、あなたはそこに違いがある、理解できないことがある、という確認がとれさえすれば満足、という、ことですか」


 その確認に、ディーは笑って言った。


「概ねでは、確かにそういうことになるのだろうなぁ。特に、宵闇は必要なら言葉を選んで話すが、そうでなければ省くだろう?」


「……そうですね」


 コクリと頷く青年に対し、ディーは軽く言う。


「我は、彼奴がそう判断したのなら、それはそれとして放置する。だが、お前はそれを放置しない。……これも違いだな。それで、一向に構わないのではないか?」


「……」


「まあ、なにぶん我も独りが永いからな。これで支障がなかったのも大きいだろう」


 そう続けられた言葉に、青年はジワリと何かに思い至ったように瞬いた。

 そして数舜。


「……………そうか」


 ポツリとこぼし、彼は逸れていた視線をディーへ戻し言った。


「いえ。詮無いことを訊きました。ありがとうございます」


 そうして青年は、彼女の持ってきた水桶の水で朝の支度を始めようと動きだす。

 一方その間、再び笑顔を抑えるように口元へ手をやりながらディーは言った。


「……今の会話で、一体どんな答えが出たのやら。興味深いな」


 そう言う声音は心底楽し気で、青年の傍らに立ちながら、色々と想像を巡らせているのが窺えた。

 対する青年は、呆れともつかない目を向ける。


「――要するに貴女は、そうやって想像するのが楽しいんですね」


 我が意を得たりとディーは頷く。


「そうだ。何しろ、答えを知ってしまえばそれはそれで終わってしまうだろう?」


 移動する青年に付いて歩きつつ、ディーは言う。


「――対して、不明なことをそのまま放置するのも面白いぞ。少なくとも悠久の暇つぶしにはなる」


 そんな言葉に、青年は眉をひそめて呟いた。


「あいにく、僕には理解しがたいですね」


「ハハッ。善いよい。それもまた当然だ」


 ディーはいつもの調子でにこやかに言った。






 そうして青年――アルフレッドの身支度も整い、朝食の用意でも始めようかという時分。


「ところで。のう、アルフレッド」


 居室から出ようと踏み出していた青年を引き留めるように、ディーが言った。


「――先の言葉と矛盾するのだが、1つ確認しても良いだろうか。さすがの我でも訊かずにいられない疑問があってな」


「……なんでしょう」


 その声音からある程度内容を察し、アルフレッドは足を止め、室内のソファへと引き返す。

 対するディーは青年の向かいに立ちつつ、ソファの背もたれに触れて言った。


「――訊きたいのはお前の、出自についてだ。我からすれば明白なことなのだが……。()()は、言葉にしない方が良い事か?」


「……随分と遠回しな問いですね」


 無感情な返答に、ディーは苦笑を深めて(うそぶ)いた。


「では、はっきり言ってやろうか」


「いえ、すみません」


 間髪入れず返しつつ、アルフレッドは数秒沈思して言った。


「……そうですね。もはや公然の秘密、というモノですが、あまり口に出さない方がいいかと」


「そうか。承知した」


 端的に言ったディーは、次いで口端を上げた。


「――実は、既に宵闇には確認したのだが。驚くことに彼奴は気づいていなくてな。どうにも会話が嚙み合わず、戸惑った」


 これに、アルフレッドはさもありなんと頷く。


「そうでしょうね。ちなみに、貴女はなぜわかったんです?」


 ディーは片手を上げ、首を傾げる。


「なぜも何も、明らかだろう。顔の造作が()()()()はそっくりだ。いわゆる双子という奴だと、我はすぐにわかったが」


 そんな返しに、アルフレッドは顔を顰めて言った。


「ええ。どうやらそのようです。……ただ、そんなに似ていますか? あまり言われたことはないんですが」


「そうなのか?

 ……確かに、作る表情は全く違うがな。何より声音が似ているだろう。他はともかく、なぜ宵闇が気づかないのか不思議でならんほどだ」


 心底不思議そうなディーへ、アルフレッドは淡く苦笑して言った。


「そうですか。……ひとまず、彼に関しては案外他人に無関心な部分もありますし。特に、もう一方のことを――ルドヴィグ殿下のことを、よく見ていないからではないかと」


「ハハッ! そうか、その可能性があったか」


 一転、朗らかにディーは笑い、今度こそソファから手を放して歩き出す。

 アルフレッドもまたその後ろへ追随した。










「――ところで、アオは今どうしているんです?」


「まだイサナと共に寝ているだろう。思えば彼奴も不可思議だ。眠りを摂れるのだからな――」


 そんな言葉を交わしつつ、彼らはゆっくりと、部屋から歩み出て行った。



第79話「公然の秘密」

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