第74話「風雲急を告げる」
そして、あれから時も場所も変わり――。
『いやぁ、あの時はマジ焦ったなぁ…………』
黒い魔物が、とある屋敷の一室で多少ダラシなく伸びていた。
今しがた我が物顔で飛び乗ったのは豪奢なソファ。しかもその大きさは、デカい魔物が悠々と身体を伸ばせる程度。かなり大きい。
ちなみに。
その同じ腰掛けには既に先客がいた。
アルフレッドだ。
彼は、後からやってきた魔物へ盛大に眉を寄せつつ、しかし口では別のことを言った。
「アオが暴れかけた件ですか」
『ああ』
対する魔物は、既に数日前になった過去を思い返し、顎を座面に着け呻くように言う。
『――あの時はホント焦った。何とかうまく収まったから良かったものの』
そうして魔物は『ヤレヤレ』とでも言いたげに首を振る。
一方、己の膝に遠慮なく腹を乗せられ身動きできなくされたアルフレッドも、おそらく別の意味で言いたいことは同じだろう。
とはいえ、彼はそれを口にせず、ため息混じりに言った。
「一応、アレも想定の範囲内だったでしょう。僕には、アオが “一緒に行く” と言った時点で見えていました。むしろ、その中でも比較的穏便な方だったと思いますが」
そんな返答に、魔物は呆れ交じりの横目で言った。
『お前の想定は一体どこまでいってたんだ』
これに、青年は無言で肩を竦めて返す。
前述の通り、彼らがルドヴィグ率いる一行に合流してから数日が経っていた。
もう東部アレイアには入っており、彼らが今いるのはその道中の貴族の屋敷――ルドヴィグが逗留するために提供された――の一室だ。
既に日暮れも迫る時刻であり、室内には斜陽が差し、いつのまにか秋らしい空気が感じられる。
ちなみに、ルドヴィグの領内まではあと一両日といったところ。
当然、屋敷の主とルドヴィグの領地は隣接しており、なおかつ、この貴族は古くから王家ともつながりのある譜代の家名。
謹慎を言い渡されたルドヴィグとはいえ、そんな家名には挨拶の1つもするのが礼儀であり、更には、そうして訪問を受けた貴族の方も饗応でもてなすのが自然な流れというものだった。
そんなわけで、ルドヴィグ率いる総勢250名にアルフレッド以下数名を加えた一行は、本日、とある伯爵の屋敷に逗留している。
だが、全員が収容できているわけではない。ルドヴィグの側近を除いたほとんどの者たちは近郊で別の宿を確保するか、あるいは天幕を設営しそちらで身体を休めている。貴族の屋敷とはいえ、部屋数が限られるのだから当然だ。
一方、名ばかりとはいえ、爵位持ちのアルフレッドがそれと同列の扱いになるかと言えば、もちろん違う。
アルフレッドもまたバスディオの一件で立場を危うくしており、国から一応捜索されている身だ。しかし、ルドヴィグの手前もあったのか、この屋敷の主人はその点を一切詮索せず、にこやかにアルフレッドへも十分な広さの部屋を提供してくれたのだった。
ちなみに月白や真緋、青藍、そしてイサナには、別に天幕が1つ用意されており、他の皆は全員そちらにいるはずだ。
では、なぜ宵闇だけがアルフレッドに付いているのかと言えば、名目上、彼の付き人という扱いになったからだった。実際、小さいながら使用人としての部屋も振られている。
細かな話だが、アルフレッドの貴人としての体裁を整えるためだった。
一行の到着早々設けられた、屋敷の主との多少堅苦しい挨拶やら、昼食とも夕食ともつかない会食なども先程乗り越え、彼らはようやく部屋に通されたところ。
特に、ここ数日ずっと人型だった宵闇は『外の奴らには悪いが』と内心零しつつ、本性を晒して部屋に1つしかないソファの上で傍若無人にくつろいでいる、という次第。
もちろん、脚先の鋭い爪はきちんとしまい、布地を傷つけるようなヘマはしない。何しろ、この世界基準では最高レベルの代物だ。クッション性も及第点。宵闇は遠慮なく、その贅沢品を堪能していた。
対するアルフレッドは、といえば。
図々しい魔物に膝を占拠されようともひとまず放置。元より、くつろげる場所がこの室内ではここしかないのは見ればわかるため、文句の1つも言おうものならどんな応酬になるかは予想がついた。
初めから結果がわかっているなら、そこに時間をかけることほど無駄はない。
恐らくそれなりにあるだろう重量には眉を寄せたものの、体のいいひざ掛け程度に思っているのか。
アルフレッドもまた深く背もたれに身体を預け、思い返すように言った。
「それにしても、良かったんですか」
『なにが?』
魔物は呑気に尾をパタリパタリと揺らしながら訊き返す。
そんな動きを見るともなしに青年は言った。
「あなた方の、弱みを晒したことです」
不明瞭な返答だったが、魔物にはもちろん通じている。
『あのあと、例の詠唱魔術をルドヴィグたちに話したことか』
「ええ」
頷いたのち、青年は言う。
「――前回、僕はわざとあの魔術をルドヴィグ殿下に言いませんでした。当時の僕の魔力が不安定だったのもありますが、同時に、致命的な弱みだと思ったからです」
『へえ。あの時からそんなこと考えてたのか』
面白そうに言った魔物に、アルフレッドは眉をしかめて苛々と言った。
「いつも思いますが、本当にわかっているんですか。
そう簡単に実行できないとはいえ、魔術は術式を用意し、魔力さえ調達できれば理論上誰にでも顕現可能です。
つまり、あなた方は潜在的な敵を作ったことになる。……今後、どう転んでいくのかわかりませんよ」
そう言った青年は。
しかし、語気を弱め次いで言った。
「――あなた方が、絶対的存在でないと知られるのは、あまり得策ではないでしょう」
そんな苦言に、魔物は内心苦笑する。
『いいや。それじゃダメなんだ、アル』
そう言った魔物の尾の先が、今度はパタパタ、と小さく鳴った。
『――相互理解において、立場の平等性は前提と言っていい。でなきゃどっちみち対立だ。
片方に力が偏ってちゃ、そうでないほうに恐怖が生まれる。そうだろ?』
そう言って、魔物は楽し気に鼻で笑う。
『前回のルドヴィグはそんなのすっ飛ばしてこっちを信じてくれたから良かったが、普通の人間には到底無理だろ。なら、互いに抑止力があると、まずは安心しあうのが一歩になる』
そこまで言った魔物は、念頭に、前世の事例を置きつつ苦く笑って付け足した。
『――まあ、非常に残念なことだと言わざるを得ないがな。当然っちゃ当然だ』
もちろん、今の青年には魔物が何を思っているのかわからない。単に言葉通り受け取り彼は言った。
「……そのための開示、ですか」
魔物は頷く。
『ああ。“時間と人数をかければ俺たちを抑止可能だ”という事実は、ひとまずの安心材料になる。人間側のな』
「……」
これを聞いたアルフレッドは、しかし未だに迷いがあるらしい。
己に言い聞かせるように言った。
「対立の端緒は恐怖。……だからこそ、それを軽減する必要がある、と」
青年のそんな様子を知っているのかいないのか、魔物の調子は変わらない。
『ああ。もう必ずと言っていいだろうな。
絶対的な力の差があるとか、行動原理が理解できないとか。理由は様々でも、出会ったAとBが対立するに至る感情は大概、恐怖だろ』
「……」
『今回の場合はどっちもだ。
この国の人間にとって、魔物は本能的な恐怖の対象。有史以来、自らの生存を脅かされてきたんだから当然だ。絶対的な力の差ってものを刷り込まれてる。
ついでに、俺たちは人型をとって同じ言葉を話すから、もう未知すぎて拒否感バリバリだろう』
魔物は滔々と語る。ついでに、苦笑しながら付け足した。
『――だから、あの2人がらしくない言動をしたのも頷けるよ』
「それは、同意します」
アルフレッドでさえ、同情するような声音だった。
ちなみに、あの場で不用意な発言をしてしまったトラスと若い騎士についてだが、騎士長のイネスが自身の監督不行き届きと頭を下げたことでひとまず事は収まった。
ルドヴィグもまた同情の余地はあると許しをだし、対するアルフレッドにも異論はない。
一方、早合点で魔力を溢れさせ、陣幕内の人間たちを威圧しまくった青藍に対しても同じく咎めという咎めはなかった。
恐らく、陣幕の外にも内部の異様な状況はそれとなく伝わっていただろうが、特に他の騎士たちに言及されることもなし。ルドヴィグからの下知もなかった。
そのため、十中八九アルフレッドが伴う人物たち――宵闇、月白、真緋、青藍が一体何者なのかと噂になってはいるだろう、が言ってしまえばその程度。
宵闇たちの正体が実は人外、という事実は、未だにあの場にいた者たちしか知らないことだった。
もちろん、無用な混乱を抑えるための措置だ。
魔物はそんな現状を思い返しつつ、再度上体を伸ばしながら言った。
『まあ、あの情報が功を奏したのか知らないが、イネスさんとかウォーデンさんとか、態度はその後あんまり変わらなかったし。他の側近さんたちも、俺たちという存在に段々慣れてきてる』
「……確かに、そうですね」
『なら、あとは互いに知っていくだけだ』
「……」
『叶うなら、このまま平和的関係が築いていければいいんだがなぁ……』
そう言って、魔物は改めてデカい身体をソファに伏せた。
それから数分、日頃の情報共有やら今後の方針やら、彼らはとりとめもないことを話していた。
その過程で、ふと魔物が言った。
『そういや、王都のシリンさん達を呼び寄せるのに、俺もハクと一緒に行っていいか?』
「……」
それは、ルドヴィグの領地に着いて以降の話だった。
実のところ、アルフレッドの体調面が図らずも改善され、なおかつルドヴィグが領地で謹慎することになった現状、彼らが王子殿下一行に付き従うメリットは客観的にほとんどない。
状況が厳しいのは相変わらずだが、アルフレッドたちのみで様子を見計らい、王都に戻る手もあるにはあったのだ。
しかし、彼らはその選択をしなかった。
その王都も王都で、とある不穏な兆候があると、ローランドや、例によってルドヴィグから情報がもたらされていたからだ。
つまりは、女子供が安心して暮らせないような波乱の可能性が王都にある、ということであり、それを知ったハクが、たっての希望で、シリンたちをルドヴィグの領地まで避難させる話が出ている。場合によっては、アルフレッドの使用人たちも呼び寄せる予定であり、既にルドヴィグとは話がついている段階だ。
その移動の準備と道案内のため、元々ハクはこのあと王都へとんぼ返りする予定だったのだが、『それに同行していいか』というのが、宵闇の問いだった。
対するアルフレッドは数秒言葉を迷った後、言った。
「……別に不都合はありませんが、どうしてです」
『いや、単にハクだけじゃ手が足りないだろうと思ってな。ある程度はローランドさんが対応できるだろうが、人手があるに越したことはない。特に、男手は大事だろ?』
「……それはそうですが」
軽く言った魔物に対し、アルフレッドの声音には何か思案するような響きがあった。
それを聞き取り、魔物はチラリと横目で背後を見遣る。
『なんだ? 何か言いたいことでも?』
そんな問いに、アルフレッドは淡々と首を振って言った。
「いえ。……恐らくあなたのことですから、『ついでに王城の中を探ってこよう』とでも思っているんだろうな、と。僕はただ、その成功確率について考えているだけです」
『ギッ!? ……うわマジかよ。なんでバレた』
魔物は本気で意味不明な呻きを漏らし、思わず身体をビクつかせる。
一方、アルフレッドは呆れを滲ませ言った。
「大体の思考様式はもう分かっていますから。どうせそのあたりだろうと思って言っただけです」
その返答に、宵闇は観念して息を吐き、笑った。
『ハハ。リンク自体は無くなっても、いい加減筒抜けだなぁ』
そんなことを呟きつつ、宵闇は再度言った。
『それで。行っていいな?』
青年からも否やはない。
「ええ。既に答えた通り、不都合はありません。……くれぐれも見つかるような下手は打たないでください」
『わぁかってるよ。当然』
そんなやり取りが交わされた。
その、数日後――。
ルドヴィグ一行が無事、目的地に到着したのとほぼ時を同じくして。
遂に、かねてより懸念されていた不穏な一報がルドヴィグおよびアルフレッドのもとに届けられた。
それは。
王太子アルバートが急死した、という報せだった。
第74話「風雲急を告げる」




