第34話「月白」
――西のイルドアでの騒動が一旦終息し、およそ10日が経った頃。
王都とオルシニア南部――カルニスとを結ぶ街道を、1台の荷馬車が進んでいた。
特筆する点もない、至って普通の荷馬車だ。2頭立てであり、牽引部分の荷台には白い幌がかけられている。
御者が年端もいかない少年なのは目を引くが、とはいえそんなことは些事だった。
この世界においては、人手が足りなければ子供でさえ働き手になるのは当然な事。
また、周囲にも似たような荷馬車を引く商人、あるいは人足や、傭兵として日銭を稼ぐ者たちが忙しなく道を行き交っている。
さすが、王都と南部を繋ぐ主要街道なだけあって、活気はそれなりなモノだった。
それに、この場所がいまだ王都を出てから数時間、といった位置にあるのも関係しているだろう。
だが、やはりカルニスでの“噂”が影響しているのか、心なし王都から下る人間よりも、王都に上っていく人数の方が多く見える。
そんな街道沿いを、カルニスに向けて下っていく荷馬車。
そこには御者の少年に加え、更に男が2人いた。
1人は上から下まで黒ずくめ。その上に旅の外套を纏い、子供とともに御者台に上がり、何やら思案している風情だ。
そして2人目は、荷車には乗らず御者台に並ぶように歩いていた。
黄みのかった白髪に日の光を受けながら、それを後ろでくくっている。瞳は明るい黄色であり、その涼やかな目元を荷馬車の周囲に油断なく向けている。
ついでに言うと、荷馬車の荷台にはまだもう1人男がいるのだが――。
そちらは全く気配がなく、至って静かなものだった。
御者台に座す男は手綱を隣の少年に任せきりにしたままだ。それで一体何をやっているのかといえば――。
一心に何やら呟いている。
「ハク、ハク……。やっぱ白がイイよな。……いやでも、もうちょい……」
既に隣の少年は慣れてしまったらしく、気にもせずに馬の操作へ集中している。
だが――。
「月ってのもいいな。……月? って、確か色の名前が……あぁ!」
そんな少年も、急に大声をあげた男に、さすがにビクリと身体を震わせ反応する。
更には、その少年の動揺が伝わったのか、はたまた元々細い神経がその大声で刺激されたのか、先を行く2頭の馬も歩みを乱し頭を振った。
白髪の方も黄色の瞳を御者台へ向ける中、すべてを感知しないまま、御者台の男は弾んだ声で白髪を見下ろし言い放つ。
「なあ、なあ! ハクさん。あんたのもう1つの名前“月白”ってのはどうだ?」
「……」
白髪の男――ハクからは何の反応もなかったが、そんなことも構わず男は続けた。
「“月白”は色の名前で“ツキシロ”とも読むんだが、俺の国の言葉で“青みのかかった月の色”を指すんだ。とはいえ、俺にとっては、月の光って黄色がかってるイメージだし、ハクさんにも合うかなって思うんだが……」
「……」
そうして男が説明するも、ハクと呼びかけられた者は大した反応も見せずに黙したまま歩みを進める。
「ハクさんの印象って白だし“ゲッパク”と読めば、音も“ハク”に近いし……よくないか?」
「……」
御者台の男は言葉を続けながら、しかし、反応の薄いハクの様子に段々と語気を弱め、遂には眉を下げて言いかける。
「……やっぱ、まだ字面も語呂もびみょ「構わん」……え!?」
だが、被せられたハクの返事に男は驚いた。
それへ、訝し気に秀麗な顔を歪めてみせたハクは、端的に「なんだ」と尋ね返す。
「いや、ピンと来てない感じだったから……てっきり嫌なのかと」
パカパカと馬の蹄が長閑な音を立てる中、ハクは淡々と言った。
「お前に『どうだ』と聞かれたからその名に対して思うところを考えていたまで」
「……で、結論は?」
「特にない。だから『構わん』と言った」
「ああ、そう……」
なんとも熱の無い返しに、男は微妙な顔をする。
しかし、そんな相手は見もせずに、ハクは何気なく零した。
「……強いて言えば――」
「?」
その呟きを喧騒の中でも男は拾いあげ、視線で先を促したが――。
「……いや、些事だ。捨て置け」
ハクは数舜言葉を迷った末、結局言わずに歩みを続ける。
「……そうかい。んじゃまあ、これからもハクさん、とは呼ばせてもらうぜ? それはいいんだよな?」
そんなハクの態度にも、慣れた様子で男は言う。
何しろ、彼にとって“不愛想“への対応は、彼の相棒で既に御手の物だ。
「ああ。私の区切りとして新しい名が必要だった。それだけだ。……手間を掛けさせたな」
「いや、なに。苦じゃねえよ」
内心はどうあれ、男はこともなげに笑ってみせる。
「――これより、我が名は月白。しばらく、お前たちに従うことになる存在だ。よろしく頼む」
「おう。こっちこそよろしく」
改まった内容のわりに、お互い視線も交わさないやりとりだった。
とはいえ、決して空気が険悪、というわけではなく。
――全ては、互いに互いの事へ最低限の関心しか無いからだ。
そんな中、男は背後の幌へと視線を向ける。
「あいにく、肝心のアルがこっちで寝ちまってるけど……」
「そちらには、また別に言上しよう」
「りょーかい」
そうして、男は改めてハクへと目をやった。
「しっかし、ハクさんって元々名無しだったんだな。初めて名付けたのって、やっぱシリンさんなのか?」
この問いかけに、ハクは首を振って否定した。
「いや。私に名をつけ、あまつさえ“友”だと宣っていたのは、シリンの配偶者だった者だ」
「へえ……」
そのまま、男は言いよどみ――。
「……その先って、俺が聞いてもいい話か?」
「構わん」
プライベートな部分だろう、と慎重に尋ねた男に対し、ハクからは存外淡々と「諾」を返され、多少男は面食らう。
だが、これは貴重な機会、と男は少し身を乗り出した。
「んじゃあ聞かせてくれ。……なあ、イサナ、ここらで一旦休憩にしよう。この荷馬車を街道脇に寄せてくれ。移動しっぱなしじゃ、アルも中々休めねえしな」
「わかりました。……ハク様、お気を付けください」
男に指示された少年――イサナは従順に応え、荷馬車の近距離を歩くハクへ注意を促す。もちろんハクも無言で応じ、多少荷馬車から距離をとった。
そうして荷馬車の進路がズレる中、御者台にいた男は身軽にそこから飛び降り、やがて止まった荷馬車の後ろに回り込んで、数秒。幌の中へ、何やら声をかけていた。
とはいえ、そう時間もかけずに男はハクへと歩み寄り、「待たせてすまねえな」「構わん」といったやり取りを交わしつつ、彼らは道端の木陰へ思い思いに腰を下ろす。
因みにイサナも心得たもので、荷馬車を停止させた後は、男たちの声が聞こえず、しかし視界には入る位置に座り、己で休息に入っていた。
そんな少年の様子を確かめつつ、男はハクへと身体を向けた。
「で。ハクさんに初めて名付けたってその人は、アラン君とセリンちゃんの父親ってことでいいんだよな」
「ああ」
慎重に言葉を発した男に対し、ハクは至って軽く、なんの感情も見せず返答する。
「それで『配偶者だった』ってことは、もう――」
「ああ。……私にシリンと子供たちを託し、奴は国にとどまった。……うまく立ち回ることができていれば、今も生き残っているのだろうが――」
そう言ったハクの声音は、相変わらず淡々としたものだ。
だが、まるで無表情の中でも“悲しみ”を現わすかのように、ハクは目を伏せる。
「……この数年、私たちの前に姿を見せなかったところを見るに、望み敵わず国賊として処断された、と思っていいのだろう」
そんな、初めて見るハクの様子に、男は内心目を見張りつつ、彼は可能な限りさりげなく応じる。
「そっか。……その人の名前、俺が訊いても?」
「ああ。奴の名はアレクシス、といった。もちろん家名はあったが私は知らん」
「……へえ。その人がイスタニアの貴族、だったんだよな……?」
「らしいな」
「おいおい……」
そんなハクの返答に、男は多少呆れた調子で問いかける。
「そのアレクシスさんとハクさんは、一体どんな関係だったわけ?」
男はハクへ訝し気な眼を向ける。
人外と言えど、相手の氏や社会的地位にさえ興味のないハクに、男はありえないモノを見た、といった顔をする。
だが、対するハクはそんな男の心情を知ってか知らずか淡々と言った。
「元はと言えば、私は奴の従魔だった。すなわち、私と奴は“従魔と術者”だった、と言うのが端的な答えだろう」
「へえ」
そんな返答を聞きつつ、男は飲み水の入った革袋を傾ける。
季節は既に夏本番に差し掛かろうといったところ。
日差しもそれなりに強く、喉が渇くのも当然だ。
――ただしそれは“普通の生物”であれば、の話だったが。
「しかし、実のところ私に従魔術は通じない」
「――え、そうなのか?! ってことは俺も……?」
「かもしれんな」
「今度、そこの人間にでも試させればいい」と返しつつハクは続ける。
「だが、奴――アレクシスは従魔術の効かない魔物を、恐れるでもなく、無理に討伐しようともせず、あまつさえ“友”だとぬかした。……さすがの私でも、これには呆れたものだ」
「へえ……。でも、そこに至るまでにはなんか色々あったわけだろ?」
「……いや。ほぼ最初から同じ調子だったな」
「最初って?」
「……」
その何気ない男の追及に、ハクは一旦言葉を切った。
そしてしばらく迷ったのち、彼は言う。
「……私の、最も古い記憶は、暗い闇の中にいた時のものだ」
「……」
突如飛躍した話に、男はただ耳を傾ける。
対するハクは、何の感情も読み取れない無味乾燥な表情で言った。
「今思えば……あの時の私は死んでいるも同然だったな。何も感じず、何も思考せず、ただそこに在っただけだ」
「っ……」
「そんな私の世界にある日、割入ってきたのが奴だ」
訥々と語るハクの横顔を、男はなぜか多少の驚きをもって見つめていた。軽く目を見開き、何かを重ねるように呆然とする。
一方、ハクは完全に自己の世界に入っており、組んだ足元に見るともなしに見ながら言った。
「後で知ったが、当時私がいたのは一際大きな洞穴の中だった。……そこに松明を掲げ、突然奴はやってきた」
そう言って、ハクは無意識に口端をあげる。
「……そういえば、私を初めて見たあの瞬間だけは、奴も目を丸くして驚いていた。ついでに、ちゃんと警戒もしていたな」
そうしてハクは、乏しい表情の中でも懐かし気な顔で言った。
「あいつの言によれば、あの日の数日前に、近辺で地滑りがあったらしい。その様子を見に来たところ、私のいた洞穴の入り口を見つけ、入ってみた、と言っていたな」
そんなエピソードに、男は反射的に身を引いた。
「うわあ……。それ、結果オーライだったけどスゲエ危険だったんじゃ……?」
その言葉に、ハクは目を伏せる。
「ああ。……あいつは後先考えずに行動するのが得意だったからな。その度に、シリンと私は肝を冷やしたものだが……あの時のあれもそうだった」
そう言ったハクは「シリンがあとで顔色を失っていた」と、存外柔らかい声音で続ける。
「それが、奴との出会いだ」
「……そうか」
話を締めたハクに短く返し、男は静かに言った。
「ハクさんにとって、そのアレクシスさんは、本当に大切な人だったんだな」
「ああ。……当時の私は言葉も知らず“人間”という存在も碌に知らなかったが――」
そうしてハクは、白く輝く日向へと視線を向ける。
「――闇しかなかった私の世界に、奴は初めて光をもって現れた。……私の眼が初めてまともに捉えたモノがそれだ」
「……」
そんな、存外豊かな感情がチラつくハクの横顔を、男は何とも言えない顔で見つめていた。
そこに浮かんでいたのは、今まで知らなかったハクの一面に対する興味深さ。あるいは、彼自身の過去とも重ねているのか、わずかに共感するような色も窺える。
そういった男の様子に気づきもせず、ハクは自己の内面を見つめるように言葉を継ぐ。
「その後、私の世界はアレクシスによって目を見張るほどに拡がっていった」
「……」
「シリンと出会い、やがてアランとセリンにも出会うことができた。……そして、奴の宝を私は託された」
そう言って、ハクは再び視線を下げ、片手をゆるく握りしめる。
そんな彼に、男はおもむろに言葉をかけた。
「……シリンさんは、あんたにもっともっと広い世界を知ってほしいと思ってんだろうな。だから、ハクさんを、今回の俺たちの任務に同行させた。そうだろ?」
「ああ。だが――」
口では男に同意しながら、それでもハクは真一文字に口元を引き結ぶ。
「……まあ、今回はお試しってことにしとけばいいんじゃないかな?」
そんなハクの様子に、男は「しょうがねえなあ」とでも言いたげに肩を竦めて言った。
「シリンさん達の身の安全はよっぽどでない限り保障されてる。アルの屋敷の外に出なけりゃ、大丈夫だし、ローランドさんやベスもいる」
そう続け、男はハクに視線をやった。
「今回で1度試して、それからまた、シリンさんと話し合ってみたらいいさ」
胡坐をかいた上に片腕を突き、男はハクの顔を覗き込む。
「きっと彼女が心配してるのは、知らないままにあんたが選んじまうことだ。……何も知らずに選択するのと、すべての可能性を知ったうえで選択するのとじゃ、同じモノを選んだとしても、その判断の重みは全然違う」
そんなことを言った男に、ハクは物珍し気な眼を向けた。
「たぶん、今回俺たちに同行したうえで、ハクさんが『それでも』と言うなら、シリンさんもまた考えを変えるかもしれないぜ?」
「俺にも彼女の真意はよくわからんが」と、続けつつ、男は手をついて立ち上がる。
「……そういうものか」
「ああ。そういうもんだ、と思う」
そんな適当な事を返しながら、男はハクにも立つよう視線で促し、近場に控えていた少年に向けて出発の声をかけた。
「おーい、イサナ! 休憩終わりだ。準備してくれ」
「はい!」
素早く準備に入る優秀な御者を見やったあと、男は遅れて立ち上がったハクを振り向き、改めて言った。
「まあ、とにもかくにも、今回相手にするのは“火の神”だって言うし、カルニスに着くにも結構かかる。これからしばらく、よろしく頼むぜ? ハク」
「ああ。……よろしく頼む、宵闇」
彼らは、今度こそしっかり互いの事を見やったうえで、再度言い交わした。
第34話「月白」




