第134話「信用と信頼」
視点:3人称
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遡ること2ヵ月近く。
オルシニアとイスタニア――2つの大国を隔てるイルドア山脈。その中腹に、山を超えんと歩みを進める一行がいた。
周囲は低木もまばらな高山帯の様相。カラリと晴れた空模様は行幸だが、吹きすさぶ風は夏であっても肌寒い。
例えば、現代の地球ならその道程のほとんどを車両で登れることも珍しくないが、異世界の山道がそんなレベルで整備されているはずもなく。
初夏の温暖さを感じられる緑豊かな麓から、岩肌も剥き出しの荒涼とした山頂まで。
オルシニアから隣国イスタニアへ向かおうとすれば、獣道と変わらない有るか無しかの登山道を、ひたすら己の足で踏破するしか術はない。
この世界においては当たり前のこととはいえ、それでも、国境ともなる山脈を超える道のりは、やはり重労働に入るのは間違いない。
また、両国の交易もゼロではないが盛んでなく、イルドアを超えようとする者は、後ろ暗い逃亡理由を持っていることも珍しくない。
そんな人影もない、慣れた者しか道と判じられない岩ばかりの斜面を行くのは、2人のニンゲンと荷を背に乗せた四つ足の獣。
「休憩しよう」
そのうちの1人、申し訳程度の粗末な外套を片手で抑えた男が言った。
ビュウビュウと風音も大きかったが、その短い呼びかけは届いたらしく、残る1人と手綱もない獣が振り返る。
「……」
『……』
「いや、マジでお前らの体力どんだけだよ!」
オーバーに声を上げた黒髪黒目の男――宵闇の一方、足を止めた残る1人――見た目は華奢な青年を偽装しているレイナは、呆れた声音で問い返す。
「こんな速度で良いのか?」
それへ、端的に確認するのは金と緑の体毛が美しい、鹿に似た獣――魔物姿のアルフレッド。
『何か懸念でも?』
念話で発されたそれに、レイナは首を振った。
「いや、今のところ風は強いが雲がない。天候はしばらくもつはずだ。このままでも日暮れ前には次の野営地に着けるだろう」
山の天候は変わりやすく、気象衛星がある地球でさえ山で死人が出るのはそう珍しいことではない。ましてや、異世界においては当然のこと。
その土地に慣れた先導者が居なければ、ただでさえ山越えは命がけ。また、宵闇もアルフレッドも、普通の人間よりか環境に左右されないとは言え、悪天候の中でがむしゃらに突き進む気も、夜通し移動し続ける気も更々ない。
可能であるなら雨風は避けたいし、夜は移動を止めて休息したい。そんな真っ当な欲求を叶えるにあたって、レイナは間違いなく頼れるガイドとなっていた。
空を見上げての彼女の言に、宵闇は言う。
「なら、急がねえで一息入れよう。これでも、一般的な休憩間隔からはだいぶ逸脱してんだよ」
既に全員の足は止まっていたが、宵闇が率先して近場の岩に腰を下ろせば、残るレイナとアルフレッドも力を抜いて休息する様子を見せる。
ちなみに、登山中の小休止は立ったままが推奨される。何しろ、腰を下ろして座り込む動作は、背に負った荷物の負荷が下半身にかかり、無駄な疲労を休憩の度に蓄積しかねないからだ。
だが、この一行においては宵闇もレイナも極身軽であり、座り込むのに支障はない。
何しろ必要な荷の全てを、魔物姿のアルフレッドが請け負っているからだ。
彼の魔物姿は厳密には鹿と異なるが、その脚の構造は偶蹄目の特徴に通じることもあり、現在、アルフレッドは人型ではなく魔物姿を取っている。
ホンニン曰く、移動が楽だから。
確かに、山羊や鹿に代表される蹄を備えた動物たちは、険しい山岳の斜面でも軽々と移動可能だ。ヒトの足に比べれば段違いに楽ではあるだろう。
山登りを始めて早々、それに気づいたアルフレッド。
直後、ほとんど躊躇なく魔物姿になった。――だけでなく。せっかく背が空いているのだからと、荷の運搬役までかって出た、という経緯があったりする。
万が一、他人に目撃された場合に少しでも違和感がないように、といった意図が無きにしも非ずではあったが、とはいえ、その役割分担がいつも通り非常識を極めているのは言うまでもない。
だが、そんなことは知らんとばかりに、アルフレッドは背に負った荷を気にすることなく雑談に興じた。
『貴方の言う一般とは、貴方の世界での、という意味ですか』
宵闇は言った。
「ああ。標高差1,200mを余裕で超えてんだから上級者コース。普通なら、1時間から1時間半に1回の間隔で休むのが目安、ってな。体感だが、その3倍は歩いてるぞ」
『……』
アルフレッドの翠の視線がチラリと、立ったままのレイナに向く。
対する彼女は、それに気づかず宵闇へ向けて言った。
「ここまでに2回も休むのか? 随分と頻繁だ」
宵闇は肩を竦めて言った。
「まぁそりゃ。日常的に人力移動してるこの世界の人間に比べれば。……それでも、もう少しペース――速度落として休憩入れてこうぜ」
既に彼の前世に関してはレイナにも共有されている。それを前提とした返答に、彼女は多少の迷いを見せつつ言った。
「……お前らには要らない時間だろう」
確かに、宵闇もアルフレッドも理屈からすれば疲労を感じる存在ではない。また、一見して彼女の呼吸にも乱れはなく、休息は必要なさそうだった。
レイナは微かな不満さえ匂わせ指摘したが、対する宵闇は、うんざりした表情も露わに首を振る。
「いやいや、実体は人外だが、俺にだって気疲れって現象があってだな!」
「……」
訴えんとする宵闇に、レイナから返る言葉は無い。
だが、それを気にせず彼は言う。
「――ていうか、俺らには本質的に必要なかろうが、レイナには確実に要るんだから、そのための時間を惜しんだりしねぇよ」
『……』
アルフレッドも、そんな宵闇の言動を見つめたのち、レイナへ視線をやって言い添えた。
『こう言ってるこのヒトに、貴女も便乗しておけばいいでしょう。少なくとも不利益はない』
「……」
レイナは何か言いたげに口元を曲げたが、結局は無言。
ここまで踏破した道のりを振り返りながら、宵闇は膝に片肘突いて、何気なく言った。
「俺とレイナじゃ感覚違うし、あんたからも必要なら休憩提案、してくれよ?」
「……ああ」
その場では、短く返った同意の言葉。
とはいえその後も、彼女から自発的にその手の声が上がることはなかったが。
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そして時が流れ。
ジルベスタ一座に新しい顔が増えてから、間もなくのことだった。
その新顔が座長から与えられたのは、折よく空いていた見た目も厳つい車輪付きの檻ひとつ。
おそらく、見世物として大型の従魔を飼育するのはよくあるのだろう。
造りとしては意外にしっかりとした鉄格子の中、そこに新たに収まったのは、体長3mにもなる黒い肉食獣と、一部では亜人とも呼称される金髪翠眼の美青年。
もちろん、宵闇とアルフレッドだ。
未だ娯楽の多様性に乏しい異世界において、ジルベスタ一座が売りにする芸や見世物はイスタニアで注目の的。
その中でも一番の目玉は演劇だが、料金設定が高めの分、世にも珍しい外見の生物や人物、そういった展示物を並べて料金を取る、いわゆる見世物小屋は、薄利多売で利益を出す役割がある。また、話題性で客を呼び込み、演劇その他の演目への導線とすることも意識されていた。
すなわち、興行の成否をわける1つの要素として、客だけでなく一座の面々も飛び入り参加となった新入りに関心を向けるのは自然なこと。
要するに、当然の帰結として――。
「ねぇえ? こっちが何言ってるかはわかってるわよね。一言くらい返せないの?」
――アルフレッドを対象にした、質問攻めとも言える光景が度々形成されることになる。
収益面では最も重要な演劇、その公演も全て終わった日暮れ過ぎ。
興行の疲れも濃厚に漂わせながら、この日は名前もわからない演者たち――女2人に年嵩の男1人――が衣装もそのままに件の檻の周囲に集まっていた。
その中でも、座長によく似た華やかな微笑を纏った女性が、格子の向こうの青年を見上げて問いを投げる。
だが、その相手は視線も向けなければ、微笑みもしない。
黒い獣を背もたれにしながら我関せず。
いつも通りの無反応に、他の2人も苦笑しながら追随する。
「それにしても、ホント見ていて飽きないわ。ぽっと出で稼ぎ頭になるのも当然ね」
「これで、少しでも愛想があれば……、いや、座長はこのままでイイって言ったんだっけか」
そんなことを好き勝手言いつつ。
生業柄、珍しいモノも美しいモノも見慣れているはずの彼らでさえ、銘々に感嘆の吐息をつかずにはいられない。
他人を寄せ付けない怜悧さと、確かな男性美を両立させる青年――アルフレッドだけでも目の保養になるのはもちろんだが、更にその間近にいるのは人間など前脚の一振りで殺せるだろう、銀の縞に銀の瞳の黒い獣。
たとえ従魔術があるとはいえ、その効果には限界がある。術者の技量次第だが、例えれば地球で言う調教と大差ない。
いくら人に慣れていようと、犬であっても大型であれば人間を殺傷する事例は事欠かない通り。ましてや、更に大型の肉食獣と1人の青年が、その身体を接触さえしながら共に檻に収まる光景は、なるほど、カタリナが見込んだ通り刺激的だ。
初日は獣の存在を恐れ、遠巻きにされたのも束の間。
外見に反し、その黒い獣がごく大人しいことが知れわたった頃合いには、彼らの檻は一座の面々にも興味津々で囲まれるようになっていた。
「せめて声だけでも聞かせてくれない?」
特に彼らの関心は、アルフレッドに向いていた。
まるでよくできた人形のような青年に、その態度を崩すことはできないかと、男女関係なくちょっかいを掛けに来る。
だが、言葉を発すれば他国人とバレてしまうアルフレッドが安易に返答できるはずもなく。ましてや、ヒトでさえない黒い獣――宵闇が代わりに答えるわけにもいかない。
すなわち、最終的にそんな面々を相手にするのは、ロズと呼ばれるもう1人の新顔――つまりは、レイナしかいないことになる。
場を離れた隙に集まっていた演者達。その彼らにレイナは歩み寄りながら、肩を竦めて言った。
「こいつは口が利けないと何度言ったらわかるんだ」
「あんたとは会話してるじゃないか」
頭に黒布を巻き、容姿を目立たないように誤魔化しているレイナ。カタリナ同様、団員たちにも見抜かれている可能性はなくもないが、男を装った低い声音で返答する。
「視線や表情、口の動きで察してるだけだ。どうせ伝わらない相手に何か言おうとするほど、こいつの性格は可愛いもんじゃない。少なくともそれはわかるだろ」
対外的には、獣――宵闇へ従魔術を施した術士であり、青年――アルフレッドの世話係、と認識されているロズ、もといレイナが言えば。
「まったく、お高く留まってんだから」
若い女優がひとり、つまらなそうに鼻で笑う。
とはいえ、彼女が時折青年を見つめる視線には熱がこもっているあたり、顔が好みで、あわよくばよろしくやりたいから、とか、そんなところなのだろう。
そういった意図を汲みつつ、レイナもまた言った。
「こいつの外見、見えてるか? お高く留まってんじゃなく、できないんだよ」
一瞬、含意を掴み損ねたその場の面々。
だが、レイナが次いで耳のあたりでジェスチャーすれば、間もなく伝わった。
ジルベスタ一座には、様々な理由で迫害され、流れ着き、ここにしか居場所がない者など珍しくない。その過程は千差万別だが、だからこそ。
「……ああ、なるほど?」
レイナが何も言わなくとも、銘々に察して苦笑する。その笑みには、受容と納得、そして僅かばかりの同情があった。
その後、二言三言、ありふれたことを言い交し。
片付けなど残る演者たちが立ち去れば、その場に残るのはレイナとアルフレッド、そして宵闇のみ。
「適当なことを言った」
視線を他へ向けながらレイナがぼそりと呟けば、宵闇から念話が届く。
『構わねえってよ。俺から見ても文句なし、当たらずしも遠からずだし』
実際、アルフレッドからも否定はない。
そんな反応に、ちらりとレイナは視線を向け息を吐く。
「そうか。なら、今後もアレで通しとく」
『助かるぜ。頼んだ』
黒い獣が口端を引き上げ小さく唸り、青年は小さく首肯する。
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人外フタリに被雇用者ひとり。
彼らは基本的に不干渉。少なくとも、胸の内全てを晒すような打ち解けた関係では決してない。
とはいえ、意思疎通に問題があるわけでもなく、互いの職分を果たし、目的のために一致して動くに不足はない。
間違いなく、イスタニアを探るこの一連の任務において、信用しあえる有意義な関係を、徐々に構築してはいた。
とはいえ。
信頼し合えているかといえば、それは――。
第134話「信用と信頼」
あけましておめでとうございます!!
本年も引き続き精進してまいりますので、拙作にお付き合いのほど、よろしくお願い申し上げます!