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第133話「噂」


「なぁ、カタリナさん。ちょっと聞きたいことがあるんだが」


 定期的に通ってる座長の天幕、そのなかで、俺はすっかり慣れた調子で言った。


「なんだい? モノによっては(もら)うよ」


 書き物の傍ら、座長はこちらを見もせず言ってくる。


 その姿は相変わらずこの世界で言うパジャマ――身体を締め付けない造りの夜着――で、洗髪したての赤い髪は軽く水気を纏って艶々としている。


 その長髪が、肌も(あら)わな肩口で軽く括られ、胸元へ。


 もちろん、身に着けている落ち着いた赤紫色の夜着だって、どこの貴族かって感じの高級感。さぞ肌触りがいいのだろうと思わせる風合いに、ほどよく緩いシルエットが、逆に彼女の体型を想像させて絶妙だ。


 ついでに言えば、この場を照らしているのは6本ほどの燭台のみ。

 一瞬でも定まらない陰影が、この場の雰囲気を一層、妖し気に演出している。


 うーん、控えめに言って煽情的。


 揺らめく灯りに浮かぶカタリナさんは、このまま絵の題材にだってなれるだろう。


 隅から隅まで意図されたことだろうが、一見、隙があるようなその姿は、惜しげもなく人目に晒されながら安っぽくはなく。隠すところはしっかり隠され、しかし、だからこそ、注目を惹きつけて離さない。


 おかげで、俺でさえ余計なところを注視しないよう気を付けるハメになっている。


 何のつもりで彼女がそうしているのかは知れないが、まぁ、俺がここに来た当初からこうだったあたり、誰に対してもこれなんだろう。


 恐らくだが、反応によってタイプ分けしているとかその辺り。


 おかげでアルはこの場に付いてこないし。

 俺にとってはひたすら目の保養でしかないが。





 盛大に思考がそれちまったが、彼女の言った “貰う” って言葉に俺は頷いた。要するに、金でも情報でもいいから、対価を寄越せって意味だ。


「おう、当然。……といっても、既に死んだ情報だと思うが――」


 俺はそう言いつつ、華奢な椅子の上で背を伸ばす。


 カタリナさんの何らかの審査を通ったのか、俺にはいつしか専用の椅子が用意され、今ではこうして長話になることもしばしば。彼女からの扱いもすっかりぞんざいだ。


 ついでに、何度か団員とも鉢合わせたから、俺のこの顔が一座内に知られて久しい。


 実のところ、昼間だって魔物姿で同じ敷地内にいるのだが、俺が人型取って出歩くのが夜間のみのため、団員たちにとっては困惑モノだろう。


 夜だけ見かける顔として、初めの内は警戒されたり、カタリナさん公認と知られてからは、遠巻きに挨拶されたり、好奇心から呑みに誘われたり。


 一応、当たり障りなく応対するか、断るかしているのだが。


 なんでも、レイナからの情報じゃ、俺はカタリナさんのツバメ(男妾)ってことで既に定着してるとかなんとか。


 まぁ、目くらましにもちょうどいい。

 座長も放置してるし、今までもそうして情報や人脈を得てきたんだろうし。


 しかして。

 体のイイ "計算機扱い" がその実態だったりするのは、もはや笑い話だな。


 カタリナさんも収支計算はお手の物だが、会話の合間に検算目的で俺へ問題を投げること度々(たびたび)


 当然のように暗算で答えを要求されるんで困っちまう。

 昔取った杵柄で答えるが。


 と、いうわけで、噂通りの事実なんて欠片もありはしない。


 そんなことを思い返しつつ、俺はカタリナさんへ言った。


「――セルゲンティ子爵って知ってるか?」


「……」


 言わずもがなシリンさんたち家族の父親にして、ハクが初めてこの世界で出会った人間。

 要するに、俺にとってのアルみたいなものだろう。


 既に世間的には忘れられているからか、カタリナさんは一瞬思案して言った。


「ふむ。そいつがなんだい?」


 ちらりとこっちに向けられる視線。

 

 ……。


 これはワンチャン、何か探られかけてるかな?

 突然の話題にするには、不自然だもんな。


 俺は苦笑して言った。


「あ~、カタリナさんの個人的な印象とか、そういう程度でいいんだ。子爵が行方不明になった件で、当時の噂とか、何か情報があったらなと」


 カタリナさんは本格的に書き物を止め、口端を上げながらこっちを向く。


「ふふ、もう5年くらいにはなるかい。そんな時間の経った、しかも子爵風情の噂話なんざ、普通なら記憶に残らないんだが。……まぁ、アレなら別だね」


「へぇ。なんか目立ってたのか?」


 含みを持たせたカタリナさんの表情には気づかないふりで、俺は言った。


「本人がというより、奥方がねぇ」


 続く彼女からの意外な情報に、思わず呟く。


「……その筋で、って程度じゃなく、世間的に有名だったのか」


 言われずとも、シリンさんの研究で有名だった、ってことだろう。

 更に笑みを深めてカタリナさんは言った。


「そりゃそうさ。何せ女が、仮にも従魔術っていう注目の術式の改良に、成功しちまったんだからね」


「……」


 あまり楽しい気分にはならなそうな話の流れに、俺が選べたのは沈黙のみ。

 カタリナさんは言った。


「当時はなかなか面白い状況だった。画期的な発見に大手を振って賞賛が集まる傍ら、やがて、その成果を上げたのが女だと知れるや、だ」


 当時の呆れを表し、彼女は肩を大げさに竦めて言う。


「――実家から手柄を盗んだんだ、だの、果ては悪魔と契約して知識を得たんだろう、だの。そう時間もたたずに、男が成し遂げたなら絶対にでないだろう類の噂が、大勢(たいせい)を占めるようになった」


「要するに嫉妬だね。“大勢”ったって、当時も今も学問やってる女はいやしない、全員が男。ぴーちく(さえず)ってたのも、自動的に男ってことになる」


「……」


「先日まで学者でござい、神の造りし真理がどうのと、踏ん反り返ってた野郎どもが、さも真実を訴えんと大真面目に語れば語るほど、アタシからすれば滑稽すぎて涙が出たね」


 声音だけは楽し気に、カタリナさんは語る。

 対する俺の口元は、きっとひん曲がっていることだろう。


「……まさに聞くに堪えない。学問の徒としてあるまじき――。いや――」


 俺は早口でそこまで言って。

 「はぁ」と、溜息を吐いて力を抜く。


 ここで俺が熱くなってもしょうがない。

 人類史においては残念ながらよくあること。


 カタリナさんは軽く肩を揺らして言った。


「そんなわけで、当時は個人的に想うところもあったし、あの奥方の旦那、という点ではアタシもセルゲンティ子爵へ注目してなくはなかった」


「――子爵が凋落(ちょうらく)した経緯もおおよそで知ってる。教会がちょいとばかし絡んでたらしい、とかまでね」


「!!」


 思わぬ話に肩を揺らせば、カタリナさんはニヤリと微笑し、抜け目なく言う。


「さて、あんたが欲しがってんのはここらの情報らしい。これ以上は貰おうか」


「っ」


 さすが手慣れた人だ。

 俺が仕方なしに苦笑すれば、彼女は隠す気もなく口端を上げた。


「今度は何をくれる気だい?」


「そうだなぁ」


 まだこの間のウイスキーの件も清算してないし、()()()()()()()をするのは避けたいところ。


 まぁ、この話題を振った時点でもう決めてはいたんだが。


 俺は思案する素振りで言った。


「……俺がなぜ、もう忘れられたような子爵の情報を欲しがったか。その点を想像してもらう、ってのはどうだ?」


「はぁ? それが一体どんな価値に……」


 そこで途切れるカタリナさんの言葉。


「……」


 こちらを見る、煌めくような焦げ茶の瞳を見返して、俺も数秒黙っていれば。

 やがて彼女は面白そうに言った。


「……へえぇ? 子連れで山を越えたのかい。それとも身ひとつで?」


 主語のない尋ね方。

 だが、シリンさんのことだ。


 あの当時、シリンさんたち親子が難を逃れてオルシニアに逃げられたのか、という主旨の問い。


「幸い助けがあってな。子爵以外は」


 俺たちがオルシニアから来ていることは、既に確信されているらしい。

 このやりとりで察しながら、俺が適当な返答と共に頷けば、カタリナさんは息を吐いた。


「……そうかい。全くの他人とは言え、惨い目にあってないなら」


 言葉を切って、言い直すように彼女は続ける。


「あんたたちの目的は、旦那の行方かい?」


 再度向けられる視線。

 今度は首を振る。


「いいや。行方はもう知れてる。あくまで、ついで程度に当時の情報があったらなと――」


 ここで、ちょっと同情も引いとこう。

 俺は言った。


「……カタリナさんならわかってくれるだろうが、死者へ何かしたくなるのが、残されたモノの定石だろ?」


「ふ~ん」


 子爵が既に死んでいることを暗に告げようと、カタリナさんからは反応もない。

 まぁ、実際、簡単に想像はつくだろう。


 思案を挟んで、彼女は微笑と共に、こちらを探る油断ならない目をして言った。


「あんたのこれまでの言い方からして、直接の関係者はあんたじゃないね。辛うじて難を逃れたような奥方に、あんたらのような手足を使うツテが――ましてや隣国に――あったとも思えない。助けがあったとも言った。……ついで、ねぇ」


 おおっと。

 ある程度、揺さぶりも入ってるんだろうが、ここまでズバズバ言われると苦笑が漏れる。


 カタリナさんはこちらを見ながら言った。


「主目的はこの国の内偵。少しでもこちらを知る者として奥方が関与。対価として、旦那に関する情報を、ってところかね」


「……」


 俺の表情から何を見たのか知れないが、彼女はクイと口端を上げて言った。


「いいよ。どこで使えるとも知れないが、アタシの興味は充分引いた。何より、なんの罪もない女子供が野垂れ死んでなかったと知れただけ、気分は悪いもんじゃない」


 だよな。こういう判断を下す彼女だからこそ、シリンさんたちの秘密を多少打ち明けようとデメリットは少ない。


 俺も今日まで色々と悩んだわけだが、良い情報を得られそうで何より。

 もちろん、当事者たちからの了承も得ている。



「――ちょいと、昔話をするくらいなら、いいだろう」


 そうして、カタリナさんは言った。






第133話「噂」

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