第132話「深層心理あるいは単なる会話」
視点:1人称
ああ、これは夢だな。
自覚した瞬間、そう思った。
「どうしましたクロ」
立ち上がろうとしていた動きを思わず止めれば、隣にいたアルが当然のように訊いてくる。
反射的にそっちへ視線を向ければ、更なる “証拠” に俺は確信した。
なにせ、まだ椅子から立ち上がってないアルの耳は、既に見慣れたエルフ耳ではなく、普通の丸い形。
要するに、ただの(?)目が覚めるような金髪翠眼のイケメン青年が、俺の隣の席にいた。
「……どんな状況なんだ、これ?」
俺は思考を整理しきれず脊髄から呟く。
奇妙だったのはアルの耳だけじゃない。
その服装は柔らかな緑のカーディガンに、行儀の良さそうな襟付きの白いポロシャツ。下はベージュのチノパン。ついでに、俺自身の服装も黒が基調だが似たり寄ったり。
ぱっと見で思うのは、現代日本の大学生にありがちなスタイルだなってこと。
もちろん、アルがこんな格好したことはないし、オルシニアやイスタニアに、これほどの縫製技術も生地もデザインもあるはずがない。
そしてその印象を補強するように、周囲に見える光景は俺がかつて通った大学の講義室の1つだ。忘れもしない、俺が修士課程まで6年通った場所。
タイミングは、おそらく講義が終わったところ。バタンバタンと据え付けの椅子が音を立て、ぞろぞろと人間が動く気配だけがある。たぶん俺にとってはどうでもいい情報だから、音だけ拾っているんだろう。
俺も直前まではなんの疑問もなく外へ出ようと身支度してた。カバンを背に負って退室しようと動き出したその瞬間。ふと、意識が覚醒した感じだ。
とはいえ、覚醒と言っても目が覚めたわけじゃない。自然に動いて話していた延長で、唐突にこれが夢――いわゆる、明晰夢だと気づいた。
だって、聴覚も触覚もこれ以上なくリアルだが、こんな状況が現実であるはずがない。
現代日本の大学で、アルと隣り合って講義を受けていた、だなんて。
つまり俺は、間違いなく夢を見ている最中であり、ついでに言えば、現在向き合っているアルは本物ではなく、単に俺が記憶から創り出したキャラクターということになる。
だがそれにしても――。
「それ、どういった答えを期待して言ってます?」
俺の半ば無意識の問いに、文句のつけようのないお綺麗な顔が、あまりにも見慣れた動きで顰められる。
「……やたら再現度たけぇな」
「は?」
どうやら、俺の悪くはない記憶力はこんなところでもばっちり仕事をしたらしい。
クッション性の欠片もない椅子に、固定された狭い机。懐かしいそれらを確かめつつ、俺は自嘲して言った。
「いや、なんで俺が学生やってた頃の記憶に、お前が入り込んでるんだ?ってな。半ば自問自答だよ」
「……」
「……さしずめ、混ざったんだろうな「――ようやく認識したんですね」」
「あ?」
モロ被りで聞き逃したが、アルが小さく何か言ったのだけは認識する。
だが、視線を戻して訊き返しても、そっぽ向いていたアルは、どこ吹く風で肩を竦めた。
「いえ、こちらも独り言なので」
「……」
背後にある講義室の時計をチラリと見れば既に午後。そして、周囲の人の動きを見るに次のコマでこの講義室は使われないらしい。まぁ、俺の都合がいいように状況が設定されているんだろう。
しばらく長居する気で座り直せば、アルも察して手荷物を足元へ。
その動きを見ながら俺は言った。
「ちなみに、俺たちって今、大学何年目?」
動作がいちいち “らしいな” と感嘆しながら、俺が設定を確認すれば、こっちを見てアルは言った。
「3年です。大学3年の4月、授業登録前。この間――教授の研究室へ見学に行きました」
日本においては余りにも珍しい翠の目に天然の金髪。
まあ、人工的な金髪は元より、たまに髪の色がピンクのヤツさえいるから、大学ではそれほど浮いてもいないか。
俺はアルの容姿を改めて眺めながら言った。
「ひとまず21歳、いや、20歳ね。……というか、教授がなんだって?」
「――教授です。産業工学が専門の」
「あ~、確かに話を聞きに行ったな」
名前が聞こえないのは、俺が覚えてねぇからか。
人名は最低限しか覚えられないのが俺だ。
ついでに産業工学というのは、製品を工場などで生産するにあたり、如何に効率を上げて利益率を高めるか、その分析・評価の技術、システム設計等々。果ては経営ノウハウまで絡んでくる包括的な学問分野のことだ。
インダストリアル・エンジニアリングとか、IEとかとも言う。
エネルギー課題が興味の中心だった俺にとって、なかなか面白く、役に立つ分野ではあった。最終的には別の道を専攻したが。
そういや、人名と言えば。
ここで俺は、どうでもいいことを思いつく。
「……なぁ、突然だが、俺のフルネーム、呼んでくれないか」
深層心理が夢へ影響するならば、意識しないレベルの情報がここで得られる可能性もある。
俺にとって前世の名前なんてそれほど重要でもないんだが、とはいえ、さすがに自分の名前まで忘れてるのは気になってた。
他の知識はむしろ不自然なレベルで詳細に思い出せるにも関わらず、自分の名前だけスコンと抜けている。
おそらくは、俺の身体を作り替え、異世界に転生させた "神" の存在やらが関わってるんだろうが現状、確かめる術は特にない。
そこで得られたこの思わぬ明晰夢。
あくまで単なる検証だが、果たして。
俄かにワクワクと返答を待った俺に対し、アルは一切の躊躇も迷いもなく、言った。
「黒―――でしょう。だから、クロ」
思わぬ返しに俺は笑う。
「いや、日本人的に、そこ取ってあだ名にするのおかしいだろ」
やっぱり聞こえないなと思いつつ。それでも名字の頭が「黒」だったかと、俺は他人事のように思う。
黒田とか、黒木とか、黒沢とか?
なんか全然馴染みがねぇな。
同時に、不自然な呼び名の由来に突っ込めば、アルも顔を顰めて言った。
「僕の感覚からも不自然ですよ、家名から取るなんて」
そう言って。
けれど次いで、コイツにしては珍しい表情で軽く笑う。
「でも、いいでしょう。偶然の一致であって元より関係ないんですから」
「あ、そこはメタ的なんだ」
言葉を返しながらも俺は思う。
今俺が見ているアルの感情は……なんなんだろうな。
容易に他人の気持ちを読み取れない俺にできるのは、見慣れない種類の微笑をサンプリングすることだけ。
実際、相手がアルなら思考を直接読むことも可能だが、現実のアルに対しても、俺がソレをやることはほとんどない。
だって、サンプリングして推定した方が楽しいし。
アル以外なら面倒になるだろうが、こいつが対象なら別だ。
そんな理由で、講義室の最奥、人気のない教卓の方へ向いた顔を肘ついて隣で眺めていれば。その2つの翠が不意にこっちへ投げられる。
ただし、その視線は俺を見ているというよりも、何か辞書的なものを読んでいるような――。
「メタ的……。高次の、超越した。……要するに客観的な、とか、そういう意味ですか」
やっぱ俺の記憶を参照してたとか、そういう動作だったらしい。
まぁ、そもそもこのアルは、推定「俺の記憶力から創られた姿」だしな。
俺は頷いて言った。
「だいたい近いかな。正確に言えば “この世界はフィクションである” と明示するようなセリフや設定のことを、メタ的なセリフとか、メタ的な設定とか言う」
「ああ、なるほど」
納得が返ったところで俺は訊いた。
「ついでに訊くと、お前は設定上、留学生かなんかなの? 英語できないよな?」
俺の名前以上に無益な情報だが、どうしても気になっちまった。
この問いに、アルはなんとも言えない表情で視線を逸らす。
ちなみに、現実のアルは、最近なぜか英語由来の日本語もわかるようになってるが、それはあくまで日本語としての用法だ。英語としての正確な意味や、文法なんかは知らない、はず。
だが、アルも外見だけはアングロ・サクソン系の典型的な白人だから、夢の中での設定なら留学生とかがありがちだろう。
どんな界隈での “ありがち” なのかは知らねぇが。
アルは溜息を吐いて言った。
「そんな細かいところまで知りませんよ。少なくとも高校辺りから貴方と一緒で、留学がどうのという経緯は僕の知る限りありませんが」
「!?!?」
衝撃の設定に、俺は愕然として呟く。
「…………いったい、俺は何を望んでこんな夢を見てるんだ……??」
「さぁ?」
いや、マジで俺は何を……??
まさか高校からとは思わず、これが俺の無意識下での欲求やらなんやらだと捉えても、マジで自覚がなくて困惑しかない。
「……………………。……まあ、どうでもいいか」
脈絡がないのが夢だしな。
俺が思考を飛ばしていればアルが言う。
「それで、次はどの講義に行くんです? 空きコマですが」
アルの口から大学生用語の “空きコマ” という単語を聞く、さっきとはまた別方向の衝撃。
そんなどうでもいいことを考えつつ、俺は言った。
「あ~? そういや、いつもどっかには潜り込んでたな。アルは?」
行きたいとこあるのか? と聞けば、カリキュラム表を見ながら――ホント、いちいち小物が細かいんだよな――言ってくる。
「……特には――。ああ、博物館学概論は面白そうですが」
「ああ、その講義は俺も興味あったな。けど、確か受講資格がどうのこうのと」
結局は断念した講義だ。
アルも注意書きを読んだらしい。
「……確かにそのようです。なら、休みですか」
俺は頷く。
「いいんじゃねぇか」
いつまでこの状況が続くかわからねぇし、推定・自分で創り出したキャラとはいえ、こいつ相手に話してるのは基本楽しい。
固い背もたれに身を預け、アルが言った。
「――ところで今更ですが。この大学、なかなか特殊なようですね」
決して新しくはない木製の椅子が、ギッと音を立てる。
俺は首を傾げて言った。
「特殊……? まぁ、そうかもな。文理融合を謳って、入学時点では専攻も曖昧。授業も比較的垣根無く受講できるから、経済学とか、心理学とか、時間が許せば聴講できた」
大概の奴は利用してなかったし、まぁ、かく言う俺も、全部概論レベルでしかなかったけど。
内心独り言ちれば、アルは口端を少し上げる。
「僕が言うのもなんですが、手当たり次第に受けてたようですね」
「違いない」
自慢じゃないが、数受けたうえでGPAも上から8番目とかだった。地方大学での成績だからそれほど評価されるものでもないが。
なんにしろ、大学時代は俺にとって一番自由で、楽しい期間だったのは確かだ。
俺という人間を殺し、周りに合わせて当たり障りなく過ごしていた中学高校に比べれば、メンバーが流動的な大学の授業は俺に合っていた。
人間関係はほとんどその講義限り。つまり半年もたせればいい。
今よりも程度の酷いコミュ障だったが、比較的気の合う友人もできた。また、クラスという括りが希薄な分、人脈が重要になるのが大学だったが、成績上位の俺は周囲からの需要も高かった。
その点で俺は周囲に恵まれて、悪くない環境だったと言える。
そして何より、絶対的正答ありきの受験勉強から、モノホンの学問の入り口に立てた。未だ答えの定まらない問いを議論できる、それが当然として受け入れられる。
なんて呼吸のしやすい日々だったか。
逆に言えば、いかに俺の高校までの環境が――特に対人関係で――鬱屈していたか、ということになるのだが……。
俺はそこまでつらつらと考えて。
「……ああ、そういうことね」
ひとり呟く。
確かに。
良くはなかった高校生活、悪くはなかった大学生活。
もちろん、楽しい出来事だってあった。大きな不幸も無かったし、至って普通の毎日だったわけだが。
それでも、あの日々に、アルが隣に居たならさぞかし――。
「――ちなみに、貴方は最終的に何を専攻したんですか?」
「ん?」
思考が逸れていたところでアルから訊かれる。
理解が遅れた俺に、アルは重ねて言った。
「研究室配属ですよ。教職課程まで取って満遍なく齧ったようですが、最後は何を専攻したのかと」
「ああ、それなら――」
アルの問いに答えながら。
俺は内心で苦笑した。
俺も案外、しょうもないことを望んだもんだなと。
第132話「深層心理あるいは単なる会話」
【以下、駄文】
そろそろ理系要素いれなきゃなと思い至り、色々ねじ繰り回した挙句、なぜかこんな展開に///
あるいは自分が不慣れな展開に煮詰まって、逃げに走ったともいえます(流れ的には確かにここに必要ではあるんですがww)。
引き続き、仕事の方が佳境のため、更新頻度の改善は見通せませんが、今後ともよろしくお願いいたします!<(_ _)>
流れは、流れは頭のなかにできているのに!仕事に気力をそがれて!指が動かないんです!
本当に、労働は、クソですね!ww