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第131話「安息の」

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「なぁ、ハク。……お前は自分の事、人なのか魔物なのか、どっちだと思う」


――かつての日。


 彼の友は、穏やかな声で不意に言った。


「魔物だ。訊くまでもなく自明なことだろう」


 雲ひとつない青空を見ていたハクは、呆れたような視線を傍らへ投げる。

 風に泳ぐ長い白髪、日の下ではまぶし気な、黄みのかった瞳。


 にべもない返しに、少し見上げるような身長差の男は、納得しがたいと顔に書く。


「……まぁ、そうなのかなぁ」


「なぜそこに疑問を挟む」


 ハクは瞳を細めて言った。

 対する男は、腕に抱えた乳児をあやしつつ、肩を竦めて言い返す。


「そうして同じ言葉を話して、2本の足で立って、俺たちと同じく生活するお前が、なんで人間じゃなくて魔物なんだ、って思ってな」


 もう3年かと、彼らが出会った年月を回顧した男に、ハクは静かに息を()く。


「お前は重大な事実を除外している。私がお前たちと似た姿で、同じ言葉を使い、この場にいるのは、お前たちがそうであれと私に願ったからだ。元から備えているお前たちとは根本からして違うだろう」


「そうかぁ?」


 この瞬間、ふえぇ、と弱弱しく声をあげた己の息子。その小さな命に笑みを向け、慣れた様子で両腕を揺らす男は、20代半ばほど。


 屋敷の雑然とした庭へ歩み出て、妻が座して待つ木陰へと、ハクを伴い移動する。

 その長くもない道程で、息子とそっくりな明るい(はしばみ)の瞳に確かな愛情を写して彼は言った。


「例えば、このチビ助だって、今は歩けもしなければ、まともな言葉も話せない。将来的に足で立って言葉を話すようになるのは、俺たちがそうあれかしと教え込むからだ」


 そうして、傍らへ至極真面目に言い返す。


「お前と何が違う」


「…………」


 百万語の反論は思いつくものの。どんな言葉をもってしても、男の言は覆らないのだろうなと、既に悟りきっているハクは、それを如実に顔へ出しつつ言った。


「では、今この場で、私の腕を切り裂いてみるか? お前たちなら血肉が見えるが、私の身体からは……、さて何がでるのやら」


 投げやりな言葉に返ったのは、男からではなく。すでに十分接近していた彼の妻の方からだ。


「――おそらくは、ただ魔力が漏れ出し拡散するだけでしょうね。断面その他に関しては、実際にやってみないと分からないけれど」


 大きな木陰に小振りな卓と三脚の椅子。

 壮年の使用人たちが甲斐甲斐しく用意してくれた休息の場に集まった、若い夫婦と一体の人外。


「おいおい、物騒なことを言わないでくれよ」


 何の躊躇もなく会話に混ざった妻に向けて、男は幼子の情操でも気遣ったのか、肩を大げさに跳ねて言う。

 対する妻は、不思議そうに首を傾げて言った。


「……私がしたのは、推論と不明点の提示であって、その検証を実行するかどうかは何も言及してないわよ?」


 じゃあやってみましょう、とでも言ったなら別だけど。

 そんなことをふわりと微笑んで言う彼女に、男もあっさり納得を見せて頷いた。


「……確かにそうだな。言葉自体は物騒でもないか」


 そうして、傍に控える2人の使用人たちに手を振って下がらせながら、男は妻の隣の席へつく。


「それで、ハクが人間か魔物かって話?」


「ああ、君はどう思う」


 ずれた息子のおくるみを直しつつ、男が訊く。

 ハクもおもむろに椅子へ座るなか、夫婦の間で会話が進む。


 淡い碧眼を瞬いて、シリンは言った。


「うーん。ハクには生まれた時の記憶がないし、物証も手元にない現状、なにも確かなことは言えないけれど――」


 これは、ズルい言い方になるわね。

 そう言って苦笑し、彼女は言った。


「――人間、および魔物という存在の定義次第、でしょうね」


 ちゃぶ台返しのごとき答えに、男は嫌な顔ひとつせず妻の方へ身体を傾ける。


「じゃあ、君ならどう定義する?」


 大人しく眠る我が子の頬へ指を伸ばしつつ、彼女は言った。


「……そもそも、私にとっては人間と魔物は二項対立にならないのよ」


「??」


 視線で問う男に、妻は乳児の柔らかな頬を慎重に撫でながら言った。


「魔力を操れる個体は全て、本質的には同じ存在なんじゃないかって、私は考えてる」


 半ば唐突に始まる専門的な論議の気配。

 微笑して我が子に触れる姿は間違いなく母のそれだが、世の真理を見つめようとするその瞳だけは冷徹だ。


 なにせ、男の妻はこの世界、この国においては()()()()()だが、女だてらに学者であり研究者だった。


 世間的には誰もが鼻で笑うような立場だったが、彼女はその誰よりも文献を読み込み、実験し、真理を追究しようと日々尽くしていた。


 妊娠、出産を経ながらも、彼女は今なお間違いなく、魔物研究の第一線だ。


 そんな妻を相手に、男は素直に確認する。


「…………つまり、君にとっては魔力をもつ人間も――こう言っちゃなんだが、魔物と同じ存在だって、ことか?」


「ええ」


「それはまた……。なんとも過激な考えだ」


 否定するでも拒絶するでもなく、受容のみを映した苦笑。

 妻もまた小さく、息を吐くように笑って言った。


「こっちの話は、間違いなく過激ね」


「君も僕も定義次第では魔物か」


「そう。ただ、ハクはやっぱり、その魔物のなかでも特別な存在ではあるわね」


 軽快なやりとりに、ハクは顔を顰めて苦言を呈す。


「……お前たちは正真正銘、人間だろう」


 彼女は頷く。


「ええ。人でもあるのは間違いない。ただ、境界なんて曖昧よって話」


 妻に次いで男も言った。


「だよなぁ。細かいことを気にしなきゃ、ハクも俺もシリンも、そう大して変わらない!ってな」


「……切り捨て範囲が大きすぎる」


「あは、くくく!」


 腕に抱く乳児を気遣いながら、ひとしきり上機嫌に笑う男。

 妻も控えめながら微笑して、残るハクは、呆れたように肩を揺らす。


 そうして、しばらく笑った男は一息ついて。

 一転、神妙に言った。


「……確かに、魔力を操れるという点では、俺たちも魔物と同じか」


 あうあうと小さな声を上げたものの、幸い目を覚まさなかった賢い息子。

 それを優しくあやす夫に、妻は言う。


「私が言えたことじゃないけど、よく貴方は否定しないわね」


「お願いだから他人には言わないでくれよ」


 心配顔を向けてくる男にシリンは言った。


「わかっているわ。気狂いとでも罵倒されるでしょうね」


「……」


 静かなハクは、眉をしかめて不快を示す。

 女性だからと、彼女の言も聞かずに否定してくる名ばかりの有識者たち。その唾を飛ばすような反駁(はんばく)を想像してのものだった。


 男も肩を竦めて言い添える。


「俺からすれば、君がどれだけの根拠をもってそう考えているのか、簡単に想像できるからな。しかも、こうして話してくれたからには、既に確信できるだけの証拠もあるってことだ」


「……ありがとう」


 全幅の信頼に、微苦笑で返すシリン。

 男も笑って問いかけた。


「それで? 君は一体なにを見つけたの」


 季節は晩夏。

 庭に(そび)え立つ樹木が葉擦れの音を響かせて、和らいできた日差しの陰で彼らはつかの間の休息を楽しむ。


 卓に並べられているのは素朴な焼き菓子と果汁で風味付けした冷えた井戸水。

 貴族にしては質素だが、彼らに必要なものは全て揃った気楽な席。


 ゆっくりと喉を潤したシリンが言葉を迷いながらも、伏し目で言った。


「……もう技術は失われたけれど、その昔、従魔術を人間用に改変した術者がいたのよ」


 一瞬の沈黙。

 男は人の良さそうな顔を苦くゆがめ、慎重に言った。


「魔物を従魔術で操るように、人間を意のままに従えるための術、ということか」


「ええ」


 よくそんなことを考え付くものよね。

 そう呟いたシリンが次いで言う。


「私の御先祖に、その技術を蘇らせようと一生を費やした人がいてね。その研究記録を読んだことがある」


「ほとんどが自分用の走り書きみたいなものだったけど、だからこそ、そこに記録されていた数件の部分的成功例は信用度が高い。そして、その成功例は全てが魔力持ち。軽く行動を誘導する程度の効果だったようだけど」


 あまり公にできない後ろ暗い研究。

 男は言った。


「魔物を従える従魔術を基礎とした術式が、魔力持ちにも効果をだせる。……魔物と魔力持ちは近しい存在じゃないのか、ってことか」


 シリンは頷く。


「そう。他にも補強になる断片的事象はあって。私にとっては、もうずいぶん長いこと念頭にある考えよ」


「……知らなかったな」


 遠くに視線を投げて苦笑する夫に、シリンも肩を竦める。


「今、初めて言ったもの」


「となると、君にとっては魔物か人間か、なんて議論は、まず前提からしてぶち壊れるわけか」


「そうなるわね」


 至って軽いやりとり。

 だが、その内容はなんとも常識外だ。


 何しろ、いわゆるダーウィンの「種の起源(進化論を主張した書籍)」で主に知られる言説は未だなく。

 全ての生物は共通の祖先をもち、人間はホモ・サピエンス(猿の近縁種)で哺乳類の1種でしかない、なんて話は、この世界に存在しない。


 また、イスタニアでは反自然的な一神教が主流だ。地球でも進化論を否定する例の宗教に教義が近い。

 つまりは、母なる自然を父なる神が統括し、獣は魔物も含め、全て人間が支配すべきと主張する、要旨としてはそんなところ。忌憚なく言い切れば、男尊女卑にもつながる考えだ。


 そのため、獣と人間の境を曖昧にし、宗教的 ”正義" をひっくり返しかねないシリンの言説は、彼女の性別も踏まえ容易に受け入れられるはずがない。


 もちろんこの場にいる2人はどちらも、そんな世間一般の主張に入れ込むような存在ではないが。

 特に男は、これでも貴族の端くれとしてごくありふれた教育を受けているため、いかに彼女の主張が危ないものかも充分承知していた。


 しかし、どこまでも度量の広い受容でもって、彼はこてりと苦笑する。


「はは。まさか、こんな話になるなんて。……だそうだよ、ハク。シリンにとっては、ハクもシリンも、もちろん俺も、みな等しく魔物だそうだ」


 対するハクは、戻ってきた話題に嫌そうな表情を隠しもしない。

 それまで無表情に、穏やかな幼子の寝顔に向けていた視線。それを男に移し、一呼吸おいて言った。


「……何か、お前の表現には飛躍を感じる。お前たちと私の間には明確な差異があるだろう。それを無視するのは正しい選択ではないと思うが」


 やはり(ひるがえ)らない彼の主張。

 そんなことはわかっていたらしく、男はなんの痛痒も感じていない様子でじっとハクのことを見つめ。やがて無関係なことを唐突に言った。


「……なんか、お前の話し方、ますますシリンに似てきたなぁ」


「そう?」


 横から身を乗り出す楽し気な妻。

 男はハクから視線を戻し、「わりと近いよ」と頷く。


「はぁ」


 深く溜息を吐くのは当然ハクだ。


 若い夫婦はころころと、似たような表情で笑い合う。





――これはとある晴れた日の、確かにあった安息の時間。


第131話「安息の」


















 








 今話はセンシティブな宗教の話にちょっと触れてしまいましたが、科学をそこそこ突き詰めて学んだ立場からすると、時々マジでイラっと来る歴史的事実を踏まえ、個人的な感情が滲んでしまっております。すみません。このストーリーにおいて政治的・宗教的な正しさを愚論する気はまったく毛頭ありませんが、もし信条的に傷つかれた方がいらっしゃれば、平に平に謝罪いたします。

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