第122話「嫌悪」
「それでは、御前失礼いたします」
その一言とともに、ルドヴィグの陣幕から複数の人間が外へ出る。
アルフレッドを筆頭に、宵闇、月白、レイナの4人だ。
やはり部隊の最奥部であるため、周囲には王子殿下の最精鋭たちの天幕も設置され、中堅の実力者たちが見張りとしてあちこちに配置されている。 魔物討伐も山場を越え、いくぶん緊張感は下がっているが、物々しい雰囲気なのは否めない。
そんな警戒区域を黙々と抜け、彼ら一行が向かうのは少し離れた中規模の天幕群。 ルドヴィグのそれよりランクは下がるが、雄爵筆頭のアルフレッド、その他、宵闇たちが過ごす場所として用意されたものだ。
その仮宿に向かいながら、宵闇が不意に言った。
「そういや、ハクって一般兵からなんだと思われてんだ? 魔物姿の方は知られてんだろ?」
いい加減、ルドヴィグが率いる面々との付き合いも長くなっている。最近はアルフレッドへ向けられる好奇の視線もほとんどなく、宵闇や月白、レイナも同様。
しかし月白に限って言えば、白い鳥である本性を活かしてルドヴィグの伝令役として度々活用されており、今回も城からここまで、その翼で移動してきたのは明らかだ。
他方、人型でこうして歩き回っていても、特に奇異の目で見られる気配もない。 一体、どういう状況になっているのか、宵闇は思い付きで確認したといった感じだった。
対して、白髪の男は無関心に言う。
「さぁな」
彼らしい簡素な返答。
一方、先頭を行くアルフレッドは歩みも止めず言った。
「少なくとも、この場でハクが魔物になれば大半の者が騒ぎますよ。その程度の認識です」
「つまり、俺たちのような存在は相変わらず極秘。ハクがあの鳥型だってことも、殿下に近い奴らしか知らない状況ってことでいいんだな」
宵闇の確認に、アルフレッドはちらりと振り返る。
「ええ。……ハクのあの姿は殿下がイリューシアの森に籠っているあいだ、何度も兵士たちに目撃されているでしょう。ただ、明らかに伝達役なのは判断できますし、殿下が飼いならした巨鳥という認識だと思いますよ、一般的には」
月白もまた静かに補足した。
「姿を変える瞬間はあまり人に見られないようにしている。何がシリンたちへ影響を与えるか知れないからな」
「そういうことね。やっぱ、公にはしてないのか」
わかっていながら確認したらしい。呟くような返答に、月白も隣を歩く宵闇へ視線をやる。
「突然どうした」
そんな問いに、宵闇は苦笑して言った。
「いやなに、俺もいい加減、気兼ねなく本性で過ごしたいなあと思ってさ。ハクの関連で人型取る魔物の存在が浸透してるなら、俺もカミングアウト――魔物姿が本性だってバラせないかと思ってな」
肩を竦める宵闇。
対するアルフレッドは辿り着いた自身の天幕の前で立ち止まり、微妙な表情で振り返る。
「……間違いなく混乱が起こるのでやめてください。今までも僕の部屋ではあっちの姿にはなってるでしょう」
「だからもっと心置きなく動きまわりたいなって話だよ。まぁ、無理だってことはわかってたけどさ」
本人としては冗談に近かったのだろう。しかし、こうして話題にする程度には自由に本性でいたいという欲求もあるということ。
アルフレッドにとっては、まだ魔物姿の方が特殊である認識だが、宵闇にとっては自然体が四つ足の方なのだ。前世がどうだろうと、既に本人の感覚としてはそっちで固定化されている。
アルフレッドは察しつつ、適当に言った。
「では、イスタニアへの任務中は僕の従魔ってことにでもして、ずっとあちらの姿でいますか?」
「いや、そういうことじゃねぇんだよ」
普段の生活範囲で気兼ねなく過ごしたいと、宵闇は言うのだろう。だが、初めからお互いにそれが難しいことはわかっている。
面倒なやりとりに軽く息を吐きつつ、アルフレッドは視線を移して言った。
「まあ、とにかく。ハクはシリンさんへ報告に一度戻るんでしょう。ついでに、ディーが城に戻るまでは離れたくないはずだ。この後は別行動、現地で適当に合流、という認識で合っていますか?」
月白が返すのは肯定。
「ああ。私としてはそうしたい。……すなわち、イスタニアで捕捉するうえでも先程の話は都合がいいんだがな」
「だそうですよ」
再び戻る話題。
想定外の話の広がりに、仕方なく宵闇は肩をすくめて軽口を言う。
「俺は従魔としてお前らの足にでもなれってか?」
これにはアルフレッドが首を振った。
「いえ、貴方に四六時中運ばれるくらいなら、馬に乗った方が百倍マシです。鞍でも作るならまだ考えますが」
「いや、鞍があっても考えなんなよ。言っといてなんだが、緊急時以外、足なんて嫌だよ」
どこまで本気なのか2人が緩く言い合えば、そこに呆れ調子で割り入るのは、ここまで黙っていた後方のレイナ。
「……念のために言っておくが、いくらイスタニアでもあんたみたいな肉を食うタイプの魔物は滅多に使われないからな。精々が、金持ちの道楽用か、軍用ってところだ。制御が難しけりゃ、餌だってかさむ。そういう従魔を連れてるっていう設定は、ただの旅人には不釣り合いだ。目立つぞ」
大真面目で適切な指摘。
多少、おふざけも交えつつ実際の手段として可能性半々で考えていた宵闇もアルフレッドも、確かにそうだなと、素直に納得するしかない。
宵闇が頬を掻きながら月白へ言った。
「……だそうだ。合流に関しては、夜だけ俺が本性になるとか工夫はしておく。なんとかこっちを見つけてくれ」
「承知した」
コクリと頷いた月白は、必要事項は決まったとばかりに「ではな」と端的に言い置いて、あっさりと身をひるがえす。
その足が向かうのは森の方向。人目のないところで姿を変えるのだろう。
いつものごとく、愛想も何もなく、アルフレッド以上に言葉も発さず、表情も変化しない。雑談などはもっての外で、その黄色の瞳が何を考えているのか、慣れない者が推し量るのは難しい。他人との協調性が欠如しており、共感性も未発達。
こうして挙げれば至って付き合いづらい性格の月白だが、しかし、この場にいるモノたちは決して彼を嫌いではなかった。
何しろ彼の行動原理はたった1つしかない。
シリンたち家族の安寧を守れるかどうか。
ひたすらに、それしかない。
ついでに最近は、彼が仲間だと認識したモノたちも軽くその枠に入るようだが、その対象を外れれば、途端に彼は無関心になる。
宵闇以上にその線引きは明確で容赦がなく、また、彼とは異なり隠す気も一切ない。
反対に、庇護下に入れると認識すれば、その慈愛の仕方は仲間内の誰よりも手厚かった。
相手に共感することが不得手なため、その愛は時に的を外すこともあったが、それでも彼の心根が愛情深いことに異論の余地はない。
彼なりの気遣いを見返りなど考えず一心に注ぎ、常にシリンと子供たちの安全を、彼の行動原理の中心に置く。
また、ほとんど表情に変化がなくとも、彼に接し慣れてくれば、その黄色の双眸や深い声音が存外変化に富むこともわかるだろう。
加えて、感情が魔力を介してダイレクトに伝わる魔物姿にひとたび接すれば、彼の内にある暖かな情動に面食らうことになるだろうし、あるいは、敵と判断した者への苛烈な態度に驚くかもしれない。
要するに月白は、彼自身の感情をうまく外に出す手段を知らないのだ。彼の本性が表情筋のほとんどない鳥型なのも関係しているだろうし、また、永いこと暗闇の中、大した刺激もなく独りで過ごしたことも影響しているのだろう。
宵闇もアルフレッドも、そしてレイナも。1年に満たない短い付き合いとはいえ、そういった月白の特性は既に察している。
今更、月白が簡素過ぎる別れを告げ、背を向けようとも気にはしない。
宵闇は去り行く姿に苦笑していたが、やがて、残る3人は目の前の天幕へと入っていった。
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「それで? 貴女が隣国へ行くに際して、気にしているのはなんです?」
敷物が敷かれた天幕内。
銘々にそれ用の布を重ねてクッションのような居場所を作り、そこに腰を落ち着ける。
当然のようにアルフレッドが奥側に、宵闇はその右手手前に。
レイナはその2人と向かい合う位置に胡坐をかいて座り込む。
そうして早速発された質問に、レイナは深い蒼の瞳を眇めて言った。
「……単純な話、オレは足手まとい以外のなんでもないと思ってな」
「「……」」
彼らにとっては意外な評に、揃って言葉を失うアルフレッドと宵闇。
やがて、アルフレッドが言った。
「なぜそんなことを?」
レイナは言った。
「この中で食料が要るのはオレだけ。休息が要るのもオレだけ。ついでに女だしな。長期の任務に同行させるのは不都合しかないと思うが」
至極当然のことを口にしたまで、という表情。
この時点で宵闇は言葉に迷う素振りをしたが、一方のアルフレッドは理解できないと言いたげに反論する。
「ですが、貴女はかつてイルドア山脈を越えてこの国にやってきた。体力的な面で不可能という訳でもないでしょう」
これにレイナは頷いた。
「ああ、もちろん。3日から4日あればオレの足でも越えられる。だが、お前らだけならもっと短いだろ」
成人男性に匹敵する日数を挙げた彼女だが、それを誇るでもなくさらりと流す。
対するアルフレッドは首を傾げて言った。
「別に1日そこらの時間的短縮にこだわるほど、この任務は急かされていません」
「……」
「また、貴女が言った通り僕らが持つべき装備は多くない。つまりその分、持ち運びに余裕はある。こちらも気にする問題ではない」
「……」
淡々としたアルフレッドの言いぐさ。
その口調は――中身はともかく――、無表情と相まって冷たい。
ちなみに、隣に座る宵闇は、両者の間で徐々に高まる緊張感に口端を引き攣らせるのみだ。アルフレッドの言い分も、レイナの心情も、ある程度想像がつくだけになんとも口を出しづらい。
どうあっても引かないらしいアルフレッドに、レイナは遂にイラつきを表し唸るように言った。
「まさか忘れてるんじゃないだろうが、女は月一で面倒がある。場所によっては獣を呼ぶし、巡りが悪ければ使い物にならない。そんな奴を連れにして何が――」
「レイナ」
「……」
あくまでも事実の羅列。
しかし、それを口にする彼女の表情は押し隠した嫌悪でわずかに歪んでいる。 もちろん、相手に向けた感情ではない。自分自身に向けた感情だ。
そんな自傷行為のような反論を、アルフレッドは静かな呼びかけで遮った。
そうして、彼は己の耳――他人とは異なる横に長い耳を、右手で指して言葉を継ぐ。
「貴女も目の前にいながら忘れているようですが、僕の外見はコレです。嫌でも人目を引くし、記憶にも残りやすい。たやすく引っかかる気もありませんが、人買いに目を付けられ面倒ごとになる可能性も高いでしょうね」
何しろ、イスタニアは公然と奴隷の売り買いが行われるような国だ。近年は山脈の向こうで戦争を繰り返し、その土地の人間を捕虜にしては労働力としている。
すなわち、人身売買が生業として成立しているということだ。そもそも、人権侵害などクソくらえな異世界。隙を見せれば容易に搾取され、運が悪ければ自由は容易く奪われる。
アルフレッドが口にしたような事態もあり得ないことでは決してない。
彼は次いで言った。
「そして、こっちのクロはそもそも常識に疎い。彼にとっては当然の行動でも、我々にとっては突拍子もないことだったりするのは、貴女も見たことあるでしょう。ましてや、僕も隣国においてはクロとそれほど変わらない」
「それに、先ほど貴女は隣国での従魔の扱いに関して的確に助言し、クロを従魔とする僕らの案の欠点を指摘した。この通り、あちらの状況を知る存在は必要です。僕らだけでは、イスタニア人と会話するだけでも不便が生じる」
実際、話し方や細かな言い回しの違いで、アルフレッドがオルシニア人であることはすぐにバレてしまうだろう。一方、宵闇は念話の要領でイスタニア語自体は自動的に話せるだろうが、今度は何気ない常識の違いで容易く相手に違和感を抱かせる。
「要するに、貴女の能力はこの任務に必要だ。ならば、付随する懸念をこちらで補うのは当然のこと。そもそも、こちらに不足があるからこそ、貴女に同行を依頼しているんですから」
そうしてアルフレッドが言葉を継ぐ。
「――つまり、貴女も僕もクロも、立場は同じだ。そうですよね」
「ああ、そうだな」
「……」
アルフレッドの静かな問いかけに、宵闇が苦笑と共に肯定する。
対するレイナは顎を引いて沈黙。
そんな彼女の様子をひたりと見つめ、アルフレッドが凪いだ表情で言い足した。
「全てをこちらに明かすのは無理でしょうが、要求があれば言ってください。こちらも遠慮なく貴女の能力を使います。報酬はこれまでと同じく日々の保障と実績に見合った待遇」
ここまで口にしたところで、彼はわずかに首を傾げる。
「あるいは、貴女が隣国へ戻ることで命の危険に曝されるのが明白で、それを理由に同行を拒否したいというのなら、この話は考え直しますが」
既にルドヴィグの前でも確認した問い。
これには素直に答えが返る。
「……いいや。多少、面倒なのがくる可能性もあるが……。それを気にしてるわけじゃないし、問題でもない」
「では、今回の任務への同行に関して他に何か懸念点はありますか」
「……」
無言で横に振られるレイナの首。
もはやそこに抵抗はないが――。
その表情は、あらゆる感情が飽和したような、半ば呆然としたものだった。
第122話「嫌悪」
長らくお待たせしました( ̄▽ ̄;)