第121話「御下命」
厄介な魔物の討伐。
小型とはいえ昆虫型が大量発生し、早急な対応が求められた。
お誂え向きにクレムゼン騎士団が数百人規模で出動し、地道な索敵で巣があると思しき範囲を特定、毒餌を用意し、その効果が出るのを待つこと数日。
魔物の体内に蓄積された酸と、毒餌に含まれる塩基成分が反応することで気体が発生。魔物が泡を吹いて次々と絶命していくのが確認され――。
まもなく、掃討戦が始まった。
騎士団の面々で打ち漏らしがないか囲い込みながら、特定していた危険地域を火と土の魔法で潰していく。
悍ましいことに、巣穴が想定よりも広範囲に複数、といった予想外の出来事もあったが、それも人海戦術でなんとか決着。
確実に卵や女王個体まで焼いて潰し、ようやく一息つける。
そんな日の、夕刻の事だった。
予後監視のため、これからも数日は部隊が逗留する予定だが、人員の大半は明日にも本拠地のロウティクスへ引き上げる。
これまで気を張っていた新人たちも緊張から解放され、最後となる野営の準備を周囲と談笑しつつのんびりと進めていた。
特に今夜は風呂に入れる。
良くて川水での水浴びが精々だったこの数日だが、王子殿下の指示により慰労も兼ね、掘っ立て小屋に、いわゆるサウナが用意されているらしいのだ。
魔力がある世界とは言え、燃料も水も贅沢に消費するこの蒸し風呂は、高名な騎士団に属する彼らでもなかなか経験できるものではない。
カンカンに熱せられた焼け石に、清水をぶっかけ蒸気にする。
比較的寒冷な気候のこの国では、風呂と言えばサウナであり、地球で言うフィンランド式サウナが形式的には近いだろう。
高温高湿の空間でしばらく汗を流せば、外に出た瞬間の開放感はひとしおだろう。
小屋は数日前から複数建っており、まもなく順番に利用できるようになる。今か今かとその割り当てを待ちながら、部隊の各人はそこはかとなく浮足立っていた。
そんな集団の中央部。
王族用だろう、ひと際大きな野営テントの中で――。
ルドヴィグが、静かに言った。
「――夫人の希望は承知した。片手間にやる分には、俺に不都合はない。あとはアルフレッドの返答次第だ」
背後にイネスを従え、ルドヴィグはその場で唯一の床几に腰かけている。
それに相対しているのはハク。
隣にディー。
彼らが居るのは木組みの可動式テント――地球の遊牧民が使うゲルの様な――の中だ。周囲に張られた布は、上から下まで美しい緋色。また、ルドヴィグの背後にはカーテンで仕切られた一画もあり、恐らくはそこに寝台などもあるのだろう。
討伐任務など長期間の遠征で使われる王族専用のテントだった。
明り取りのため、天井の一部からは夕焼け空が覗いており、それでも足りない光量は複数の優美な燭台が補っている。
その揺らめく赤い空間のなか、白髪の男がルドヴィグの言葉に目礼を返したようだった。わずかに下がる頭、数秒の無言。
その沈黙を繕うように、今度はディーが言った。
「シリンたちのことは、我が預かろう」
「……ああ。頼んだ」
端的だが、信用があるのだろう、ハクの声音に揺らぎはない。黄色の双眸を彼女に向け、彼は静かに頷いた。
「――では、肝心の奴らを呼び出したいところだが」
ルドヴィグが足を組みかえつつ含むように言葉を切れば、ディーが首を振って言った。
「それには及ばない。丁度、来たようだ」
直後、天幕に新たな人物が訪れを告げる。
「アルフレッド・シルバーニ。事後調査より帰還しました。お目通りを」
テント外側の取次ぎ要員を介し、ルドヴィグが促せば入ってきたのはアオ、アルフレッド、宵闇、麗奈の一行。少し遅れてレイナも姿を見せる。
中でも真っ先に駆け入ってきたのはアオだ。
「ねえぇ! 手伝ったんだからボクたちも入ってもいいよねー? お風呂!」
その外見は十代半ばほど。
柔らかそうな青い髪、血色の薄い肌、スラリとした肢体。貴族の子女の様な洒落た衣服を身に纏い、黙っていれば誰もが振り返るような美少女になったアオが、屈託ない言動でルドヴィグへ駆け寄り、小首を傾げる。
また背丈が伸びており、麗奈よりは低いがもう少しといったところ。ただ、言動はほとんど変わらず、ミテクレとのちぐはぐさが更に増しているのだが、もはやそれも彼女の魅力と言ったところか。
とはいえ、そうして無邪気に向かっていく相手が、この国の王族という点に関してだけは、少し憂慮する必要があるかもしれない。
さすがのイネスも何やら言いたげな表情をするなか、当のルドヴィグは何ら動じることなく、微笑んで言った。
「ああ。お前が居てくれて助かった。おかげで十分な水量を確保できたからな。もちろん、使ってくれて構わない。ただあいにく、世話する奴がいないだろうから――」
「当然、自分たちでやるさ」
そう言ったのはディーだ。
他の面々――アルフレッドたちがゆっくりと歩み寄ってくるその一方で、ディーとルドヴィグが言葉を交わす。
「ああ、そうしてくれ。……既に話は通してある。早いうちに使った方がいいだろう」
頷いて言った彼に、ディーも軽く首肯する。
「承知した。――では、青藍、麗奈。我がついていてやるから、行こうか」
「わーい!」
「は、はい!」
諸手を上げて喜ぶアオ。
一方、来て早々の指名に、隅にいた麗奈が動揺の声を出し、本当に行っていいのか窺うように、アルフレッドの斜め後ろに立つ宵闇をチラ見する。
それに気づき、彼は言った。
「遠慮することねえだろ。気分もすっきりしていいんじゃないか?」
なんの裏もない脊髄反射的な答え。
「私、なんにも貢献してないんですけど……」と顔に書いてある麗奈を他所に、宵闇はくるりと首を返して別方向を見る。
その先にいたのはレイナ。
宵闇は言った。
「一応訊くが、あんたも行きたければ――」
「行くわけがない」
食い気味の返答は、男性を装った低めの声。
基本的に男所帯では面倒を避けるため、レイナは男装している。髪を隠し、体型を誤魔化すための黒の衣服に身を包み、腰元にはそれとわからないよう括りつけた愛用の小太刀。
宵闇よりも更に厳重に上から下まで黒づくめ。袖のない、ストンとした外套は春先には少し異様だ。入口の最も近くに立ち、気配も薄い。
そうして目立たないよう細心の注意を払っておきながら、その苦労が無駄になりかねない入浴という行為を、彼女が進んでやるはずもない。
半ば予想通りの反応に、宵闇は気にしたふうもなく肩を竦めて答えとする。
「あとで水桶をもっていく」、すれ違いざまにかけられたディーの気遣いも、レイナは片手を振って受け流す。
そうして3人が退室し、新たに用意された床几へアルフレッドが腰かけた。
綺羅々しい眺めの金髪から覗くのは、静かな湖水のような2つの翠。尖った両耳、冷淡な視線。背後に黒衣の宵闇が立ち、自身は薄緑が一部に入った簡易な旅装。
旅先とはいえ、王子殿下に相対するのに多少ふさわしくない恰好だが、しかし、その待遇がほぼ対等であるのは、両人ともに同じように腰かけ、向き合っている時点で明白だ。
そうして改めて場が整ったところで、ルドヴィグが言った。
「イスタニアを探ってきてくれないか」
あまりにも端的で唐突な物言い。
「……」
一方、彼の正面に座るアルフレッドはわずかに思考したのち、言った。
「具体的にはどういった情報を?」
問われたルドヴィグは口端を上げる。
「隣国の軍備、民の暮らし、国王への感情、主要貴族への印象。……要は、有益な情報であればなんでもいい」
「それはまた、面倒な注文ですね」
躊躇もない返答。
背後に立つ宵闇は笑いでも堪えたのかピクリと肩を震わせている。
ちなみに、現在この場にはルドヴィグの背後にイネス、宵闇の少し後方にレイナ、また、5人の中間あたり、幕の間際にひっそりと月白がいる。
計6人が幕内にいたが、今更取り繕う必要もない人員しかいないため、ルドヴィグは至って素直に、ニヤリと笑う。
「ああ。だから、お前以外に頼めない」
「……」
アルフレッドは、こちらも何の感情を隠すことなく顔を顰めてみせる。
鼻で笑ってルドヴィグは言った。
「どうやらグスターヴは、意地でもお前をいない者として扱うらしい。……まったく、便利遣いも困ったものだが、黙殺というのも、思い切ったことをする」
それは、彼の目論見が外れ、アルフレッドが引き続き貴族社会でいない者扱いされていることを意味していた。
そもそも、アルフレッドが出張らずとも、手間と人員をかければ今回の討伐任務のように厄介な魔物でも対処できないことはない。
何しろこの世界の人類は、非力ながらも魔物が跋扈する厳しい環境で世代を繋ぎ、対処法を編み出しては生き残ってきたのだ。
特にオルシニアでは魔物の発生数が周辺国でも群を抜いており、その警戒網の密度、各騎士団に蓄積された手法、様々な面で充実している。
言うなれば、アルフレッドという特効薬を得る前の、本来の対応状況に戻っているわけだ。
その分、人員の消耗も魔物による被害も微増していることだろうが、アルフレッドただ1人に負担が集中していた以前よりかは、ある意味で余程健全な状況とも言えた。
一方のルドヴィグは言った。
「――お前も、このまま討伐任務も課されず、無為に日々を過ごすよりは、多少面倒だろうがやるべきことがあった方がいい。そうじゃないか?」
そう言いはしたが――。
そのルドヴィグの表情がわずかに苦慮で歪んでいることを、アルフレッドは見て取った。
宵闇やレイナは単なる皮肉気な笑みとしか思わなかったが、なんだかんだ付き合いの長い彼にはその差異が分かってしまう。
さしずめ、目論見が外れたのを勝手に気にしているのだろうと彼は思った。
しかし、それでひと際面倒な仕事を振ってくるあたりは、ルドヴィグらしいと言えばそうだろうか。
もちろん、アルフレッドに断るという選択肢はなく、軽く息を吐いて言った。
「……謹んでお受けいたしましょう」
「はは。それでいい」
破顔するルドヴィグ。
アルフレッドは思案を巡らせ口を開く。
「つきましては、現地の様子、直近の情勢を知る、レイナも同行させたいと思いますが、問題ありませんか」
「!」
「ああ。お前の配下だ、好きにしろ」
そう言ったルドヴィグは、対面で表情を変えた本人を見て言葉を足す。
「――不都合があるとすれば、そちらのようだがな」
そう言って笑ったルドヴィグ。
アルフレッドは左後ろを振り返って言った。
「祖国に戻ると、何か問題でも?」
端的な確認に、レイナは顎を引いて言葉に詰まる。
間もなく彼女は言った。
「国に戻ること自体は問題無い。……気にしたのは別のことだ。後で言う」
ぼそりと呟くような返答。
アルフレッドは一瞬鋭い視線を向けるも、すぐに逸らしてルドヴィグを見た。
「必要があれば後ほど報告します」
「一向にかまわん。それと――」
肩を竦めたルドヴィグ。
次いで、右方に立つハクを指して言った。
「こいつも同行させてほしいと、セルゲンティ夫人から申し出があった。いつもの通り連絡要員として使えば有益だろう」
ちなみに、セルゲンティ夫人とはシリンのこと。
対して、限りなく存在感のないハクは、話題を振られようと身動ぎもしない。
黄色が混じる白髪を後ろで束ね、猛禽類を思わせる黄色の瞳は目蓋に隠され今は見えない。腕を組み、目を伏せているからだ。
場の話を聞いているのかいないのか。
おそらく聞いてはいるのだろうが、何ともマイペースなハクを気にもせず、ルドヴィグは言った。
「言うまでもないが、御夫君の消息を少しでも、ということだろう。セルゲンティ元子爵、今は生死不明の逃亡者だそうだ」
「……」
シリンたち家族の父親に関しては、アルフレッドや宵闇もレイナから聞いていた情報だ。既に承知しており、大した反応もない。
ルドヴィグも事務的に言った。
「調査の比重はお前らで決めろ。俺としては情報が入るなら何でもいい」
イスタニア貴族の動向は、情報としても悪くない。
ルドヴィグは呟くように言う。
一方のアルフレッドは胸に手を当て、慣れた様子で言った。
「承知いたしました」
第121話「御下命」
あっれ~( ̄▽ ̄;)
もう少し進むはずだったんだけどなぁ、、、。