第120話「怖れ」
赤の装飾を纏った集団が、森の間際を薄く広く警邏している。
騎馬と歩兵の混合部隊、対魔物においては国内随一と名高い、クレムゼン騎士団の本隊だ。
森の中に毒餌を仕掛ける一隊とは異なり、こちらは万が一のため、近隣の村を守護する目的で動いている。
数騎の騎馬と5、6人の下級兵士を1組として、それが70組強。森と人里の緩衝地帯である草地に配され、もしも魔物が出れば即座に対応できるよう、長大な警戒網を敷いている。
そしてその中間ほど。
他とは違い、10騎ほどの騎馬で構成された組が1つだけあった。
時折各小隊へ指令を発しているのを見れば、少なくとも騎士団の頭脳部であるのは明白だ。しかし、殊更陣幕で囲っているわけでもなく、数としても小規模。
遠目からでも馬の質で飛びぬけているのは察せられても、他の装備に実用以上のものはなく、一見して現場指揮官が集中しているのだろう、くらいにしか思われない一隊。
そもそも、騎士団のトップがこんなところに揃っているはずもない。
実体は様々だが、名ばかりで口だけデカい騎士団長も存在しないことはなく、ましてやすぐそこで魔物が蠢くような現場近くにそんな輩がやってこようものならこれ以上の害悪はない。
預かった砦の執務室で、指示出しに明け暮れ自ら判を押しているならトップとして上出来な方、といった具合だ。言い換えれば、それが常識というもの。
――なのだが。
「イネス、別動隊の首尾は」
「は。特に問題はなく、忌避剤も機能しており、あとは毒餌の効果が出るまで待つのみ、と」
実際のところ、そんな平凡な常識は、ここクレムゼン騎士団においてクソほども役に立たないことを、直近で配属された新人たちは間もなく叩きこまれることだろう。
何しろこの場には、まさに騎士団の最高指揮官と最高責任者が揃い踏みだ。
「血気盛んに突っ込むようなバカも無しか。それは、ひとまず重畳」
「……」
見事な黒鹿毛の愛馬に跨り、森の方角を見つめたまま鋭い碧眼を皮肉げに細めたルドヴィグ。それとは対照的に、なんと返すのが適切か、イネスは言葉を迷いつつ言った。
「確かに、ある程度必要な選別ではありますが、やはりお2人にお任せにならずともよかったのでは」
黒髪にアンバーの瞳、鷹のような鋭い相貌。四十路にも手が届くかといった彼は、しかし、その印象とは異なる柔らかな口調で意見する。
一方のルドヴィグは、含意を承知したうえで揶揄った。
「なんだイネス、お前がやりたかったとでも?」
まさか団長自ら新人教育に時間を割くはずもない。本人は満更でもないだろうが、他にも適任は山ほどいる。
明らかな冗談に、イネスも苦笑して言った。
「……私としては、彼らが礼を失した言動をしないかどうか、その点だけが気がかりでして」
間違いなく飛びぬけた実力を有しながら、どこまでも謙虚で実直さが垣間見える受け答え。対するルドヴィグは口端を歪めて言った。
「後から現実を知って青ざめるがいいさ。衝撃は大きければ大きいほどいいからな」
そんな言葉に、イネスはもはや苦笑するしかない。
少なからず心労をかけてしまうだろう、アルフレッドと宵闇への申し訳なさも表しつつ、どうか致命的なことはやってくれるなよと、最も危険で単純な持ち場へ向かわせた新しい部下たちへ、イネスは念を送るしかない。
一方、ルドヴィグは誰にともなく言った。
「――固定観念ほど、邪魔なものはない」
短く静かに呟いたのち。
イネスを振り返り、彼はニヤリと笑って言う。
「その点、お前は話が早くていい」
「……光栄です」
馬上で静かに腰を折るイネス。同じく馬上の王子殿下は、適度に馬を構いつつわざとらしく嘯いた。
「ついでに言えばウォードは一言多い。話が通じるのはいいがな」
今は城代としてロウティクスにいる、ウォーデン・ワイエスのことだった。幼少期からの付き合いだけに遠慮のないその表現。
ルドヴィグのボヤキを、イネスは慣れた調子でさらりと返す。
「それがあの人の役目と承知しています」
「はは。それはそうだ」
からりとした笑い声。
まさに気心の知れたやりとり、といったところ。
だが、ちなみに。
先程一部の小隊が件の昆虫型を草地で発見したため、彼らを除いた周囲の人員は状況把握と対処のため、盛んに動き出していたりする。
しかしそんな事態でも、イネスもルドヴィグも、そして騎士団全体にも動揺はない。
何しろ想定内の事態であり、既に策も用意し事前に共有済み。あとは持ち場の隊がそれを粛々と遂行するのみとなっている。
ましてや、彼らには確固たる実力がある。
裏を返せば、だからこそこの場にいるのだ。
繰り返すが、彼らクレムゼン騎士団は対魔物において国内随一と名高い存在だ。
何しろ人智を超える魔物という脅威に対し、彼らはおよそ10年にわたって国の東北部を堅固に守護し続けている。
そして、それだけ安定した成果を上げるには、家柄などの忖度を入れる余地はなく、徹底した実力主義を貫いている。
その象徴と言っていいのが、結成間もなくから騎士団長を拝命しているイネス・ハーシュという男だろう。彼は漁民の出ながら持ち前の運動神経と天性の魔力強化で突出した剣技を瞬く間に発揮した。
本人曰く魔力強化は無意識、その他の魔法は使えないとのことだが、意図せず適切に身体能力を魔力で底上げできる時点で、やはり普通ではない。
そんなイネスを筆頭に、クレムゼン騎士団の面々は元々の氏素性に関わらず、各人が真に優れた玄人だ。
元をたどれば、人員の4割ほどが魔力や剣術に優れた貴族の非嫡出子、それ以外が魔力量を基準に取り立てられた元庶民。そんな組織においては、何かと軋轢が生まれるのも自然なこと。
だが、人類の脅威たる魔物の前でそんなくだらない諍いがあろうものなら隊が全滅するのも珍しいことではなく、また、そんな体たらくではイリューシアの森に面するクレムゼン騎士団の担当地域を守り切れるはずもない。
第一、実力が無ければ端から負傷し、欠けていくような実働具合。指揮官先頭を理想とし、それぞれの隊長格は配下からの信頼を一心に集めて任務にあたる。そうして初めて、強力な魔物に対応し、討伐できるのだ。
そのための徹底的な実力主義。
ましてやそのトップとなれば、それはそのまま戦闘力における頂点ということ。イネス・ハーシュはその点で間違いなく、騎士団一の実力があった。
それほどまでに徹底して組織された集団において、王族であるルドヴィグもまた例外ではない。
騎士団の者たちでさえあまり意識してはいないだろうが、実のところ、第3王子ルドヴィグ・ライジェントは騎士団の拠点たるロウティクス城の主であり、彼らを所有する存在ではあれど、決して長ではなく、作戦遂行段階おける騎士団自体への指揮権は、書類上ないことになっている。
内実はどうあれ必ずイネスを通さなければ誰からのいかなる指示であろうと騎士団に通りはしないのだ。
当のルドヴィグがそのように組織を形づくった。
第3王子直下の護衛隊として編成されればその限りではないが、その場合でも必ず命令書に署名するのは騎士団長であるイネスである。
また、魔力を十全に活用できなかった以前までは、ルドヴィグ本人の自重もあり、彼がこういった討伐任務に出ること自体が少なかった。
いざという時に魔法を誤射するような精度では、むしろ前線では邪魔になる。それを自覚していたルドヴィグ、およびイネスやウォーデンらの判断を踏まえての事だった。
だが彼は、少し前にディーとの特訓でしっかり己の魔力をモノにした。元より、剣の腕ではイネスにも食らいつける力はあり、加えて火の魔法も実践レベルで使えるとなれば、それはまさしく鬼に金棒。
万が一の奥の手でしかなかったこれまでとは異なり、イネスの堅実な評価も併せ、今回の魔物討伐への同行となった次第。
謹慎で暇しているのをいいことに、しっかり戦力の1つとしてこの場についてきたのだった。
そして。
戦力といえば他にも幾人か、騎士たち以外の存在もここにはいた。
なぜか別動隊として編成されたアルフレッドと宵闇をはじめ、面白そうだからとルドヴィグが同行を指示した者たちだ。
そのうちの2人、ルドヴィグたちが敷いた警戒網の少し後方。
気性の穏やかそうな栗毛の馬に乗った少女――麗奈と、徒歩のディーが、ゆっくりと草地を移動していた。
ちなみにアオやレイナもいるのだが、アオはつい先ほど探検と称してどこかに消え、レイナはアルフレッドたち別動隊の連絡要員として森の中。
一方、残された麗奈には特にやることもなく、邪魔だけはしないようにと、ディーに付き添ってもらい、馬で散歩していたといわけだ。
ディーに手綱を引かれているわけでもなく、麗奈は自分でしっかり馬を操作し、ディーの歩幅に合わせて歩かせている。その手つきは多少の緊張も見られたが、ある程度慣れているのが見て取れた。
その傍らを少し距離をとって歩くディー。
彼女は、麗奈の方へ視線を上げて言った。
「お前は、中々達者だな」
「え。あ、乗馬ですか? ありがとうございます」
集中していたからかワンテンポ遅れた、はにかむような返答に、豊かな赤髪を風に遊ばせるディーが穏やかに言う。
「馬も乗り手に懐いている。巧者の証だ」
歩く傍ら、気持ちよさげに麗奈の手へ首を預ける牝馬を見ての言葉だった。
一方、慣れた手つきでビロードのような栗毛の感触を楽しんでいた麗奈は、数秒考えたのち、神妙な表情で訊き返す。
「……すみません、“こうしゃ”ってなんですか?」
頭の中で漢字変換ができなかったのだろう、少し臆したような問いかけに、ディーは笑みを深めて返答する。
「何かに優れ、手慣れた者のことだ。巧みな者、で巧者」
「へえ」
いまいちピンと来ていないらしい彼女に、ディーは重ねて言う。
「つまり、お前は騎乗に慣れているな、と言いたかった」
「え! あ、そうか。私の事か。……いえいえ、この子がお利口なだけです。目が優しいし、大人しいので、私の指示でも聞いてくれるんです」
「ふふ、そうか」
麗奈が多少大きな声をだしたことで、牝馬が少し驚いたらしい、首を振り歩幅が乱れたのを「ごめん、ごめん」と宥めながら、彼女は言った。
「実際、こっちに来る前に乗馬クラブとか行ってましたけど、こんな実践的な装備で長距離移動とかやったことないし。たぶん、神様の力がなかったら、筋肉痛で酷いことになってたと思います」
「……ふむ」
ちなみに神様の力、とは、麗奈の身体が生命活動を半ば止めているのを指した言葉だった。
飲食はできるし排泄もするが、彼女の身体はそれ以外の代謝機能が鈍くなっており、例えば髪や爪が伸びてこないのがわかりやすい。
そして、どうやら彼女は筋肉痛にもならないらしい。
何せ、ロウティクス城からこの地まで軽く十数キロはあるのだが、その間自分で馬に乗って移動してきた麗奈だ。
軽く乗馬経験があるとはいえ、一般人がいきなりそんなことをすれば、筋肉痛で悪夢を見るのは確定。彼女も内心覚悟していたようだが、幸いにもそうはならなかった。
まるでズルをしたような、微妙な心情の麗奈に対し、今度はディーが尋ねる番だ。
「……麗奈、キンニクツウ、とはなんだ?」
「え」
まさかその単語が通じないことに驚く麗奈。
とはいえ、実際人外であるディーにとって筋肉痛という現象は縁遠く。また、そもそも現代人とは違い、この世界の人間たちはほとんどの物事を人力で熟しているため、必要な筋肉が幼いころからついている。
筋肉通で苦しむ者も少なく、宵闇以外にも通じない可能性が高いだろう。
そんなことを知ってか知らずか、気を取り直した麗奈が言葉を迷いつつ言った。
「えっと、慣れない運動をしすぎると、筋肉に負荷がかかって痛くなっちゃう、的な? 筋肉が成長するときの痛み、とか聞きますけど」
「ほう。それまた難儀だな」
端的で柔らかな返し。
深く頷いた麗奈は、げんなりとして言った。
「ほんとに……。特に乗馬の筋肉は内腿全体と腰回りなので、下手すると一歩も動けなくなります。それが2、3日は後引くと思うと、ぞっとしますね」
「はは。……つくづく、神はお前に目をかけているようだな」
ディーの言葉に、麗奈は再度微妙な表情になって言う。
「……はた迷惑にも程がありますけどね。色々経験できるから、いいですけど」
実際、麗奈は筋肉痛に悩まされないことを始め、物理的にも魔力的にも強力な防御がフルオートで発動するなど、かなりの恩恵を受けている。
だからこそ、戦闘力が皆無の彼女でも、今回の討伐隊に同行が許されているし、現代日本では中々無いだろう馬での長距離移動なんて貴重な経験もできている。
元から動物好きな麗奈としては、まんざらでもない状況だろう。――が。
それでも、身寄りも知り合いもいない異世界に突然飛ばされ、いつ終わるとも知れない異常事態に晒され続ければ、まだまだ子供の高校生が気疲れしないはずもない。
ある意味至れり尽くせりにも拘らず、本人の心理的ストレスには一切配慮しない一方的な恩恵に、麗奈はどんな感情を持てばいいのか地味に悩んでいたりする。
「神の寵愛とはかくあり、といったところか。……まあ、嘆いても詮は無い」
ディーもまた、神の被造物としてこの世界に配置された自覚がある手前、麗奈の心情を介しつつ、苦く笑って言った。
「ひとまずは、この状況を楽しめばいい。……そうすれば、いつかは道も開けるだろうさ」
すべては神の裁量の内。
どうにもできないことならば、必要以上に気に病むこともない。
ディーの含意はそんなところ。
一方、いつしか馬の脚は止まっており、馬上を振り仰いだディー。それに対し、どこを見るともなしに視線を彼方へ向け、麗奈は言った。
「問題は、そのうち元の世界に戻るの、忘れそうなことなんですよね……」
そう呟いた彼女の表情に浮かぶのは、何に対する感情か。
苦みを堪えるような、怖れを内に秘めるような。
なんとも言えない表情だった。
第120話「怖れ」
お待たせしてすみませんでした!!!!!<(_ _)>!!!!!!