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第116話「対話」

視点:3人称


 パチリ……、パチリ……と室内に軽い音が鳴る。

 小さな木と木が打ち合う音だ。


 リズムは不定期。

 一度鳴っては数秒空き、やがてパチリ――と打ち返される。


 その合間には迷いがあり、探り合いがあり、小さな意思決定が積み重なる。


 室内を照らす明かりは窓から覗く満月のみ。

 窓枠に嵌まる木戸は開け放たれ、そこから差し込む青白い光が、卓を挟んで向かい合う2人の男を照らしていた。


 場所は寝室。

 中央端には大きな寝台。その向こう側にはクローゼットや姿見。


 月の光はそこまで届かず薄暗がりにしずんではいるが、決して質素とは言えない内装なのが見て取れる。


 一方。

 窓際には、優美な一本足の卓と2つの椅子、そこに腰かける黒髪と金髪の2人のニンゲンがいた。


 彼らが手にしているのは小さく厚みも適度な五角形の駒。

 大半のそれには表と裏に黒い文字が刻まれ、卓上の板にも三々五々、並べられている。


 指と指の間に挟めるようなサイズの木製の駒を、板に描かれた9行9列の格子に沿い、交互に移動させ、王駒を追い詰めるまで勝負するゲーム――。


 そう、将棋だ。


 自明のことだが、この場にいる2人のうちの片方――宵闇が概要を伝え、主にアルフレッドが魔力を使い再現したもの。


 多少の試行錯誤を挟み、職人の手仕事には遠く及ばない出来ではあるものの、使う分には問題ない。


 そうして創り出したボードゲームで、宵闇とアルフレッドはここ最近、夜な夜な何度も対戦を繰り返していた。


 理由は単純。

 暇つぶしのため。




「段々、アルもコツを掴んできたな」


「……」


 盤を挟み宵闇と向かい合うアルフレッドは、パチリと一手打ちながら、不満を表し口元を歪める。


「まだ、貴方の足元にも及びませんよ」


 宵闇は苦笑する。


「さすがにこれくらいで追いつかれちゃ、俺の立場がない」

 

 パチリと銀を歩の前に出し、宵闇が、いわゆる腰かけ銀を形成する。

 言葉の通り、アルフレッドが意図していた展開を、見事に邪魔する一手だった。



=====================================



 彼らが将棋で対戦するようになったきっかけは、アルフレッドが夜間に暇を持て余すようになったこと。


 言うまでもなく、今の彼には睡眠が必須ではない。


 それでも最初の内は生来の習慣に従い就寝できていたアルフレッドだが、やがて身体が慣れてしまったのか。元よりショートスリーパーだった彼は、夜間に自然と眠気が来なくなった。


 だからこそ、子供たちがイリューシアの森へ行く際にはその準備に時間を充てるなどしていたのだが、そういった潰し方にも限度がある。


 また、時間を持て余すと言えど、昼間と同じく働くわけにもいかない。

 あまり人外じみた仕事量を熟すのも得策ではなく、周囲からこれまで以上の便利遣いをされないためにも避けるべきだろう。


 そんな指摘をした宵闇はそもそも、疑似的だろうと精神衛生のために寝ておけと、あの手この手で説得してもいたのだが。


 無為な時を過ごせない(いわゆる社畜気味な)アルフレッドには少々酷な事でもあり――。

 そうして苦肉の策で提案されたのが、将棋だった。


 実際、野戦を模擬するこのゲームはアルフレッドにとっても理解しやすく、戦術を駆使しての頭脳戦は彼の性格にも合っていた。


 本人も宵闇の目論見通りにすっかりハマり、毎晩人知れず対戦しているという次第。

 徐々に基本的な陣形や戦法、その攻め方、受け方を習得し始めたアルフレッドは、着実に腕を上げていた。



=====================================



 今夜の勝負はまだ序盤。

 手筋は比較的セオリー通り。


 それでも、この時点で相手の意図する陣形を読み取り、それを邪魔するために先手を打とうとせめぎ合う。


 現に、アルフレッドの銀が攻め駒として前に出るのを、宵闇が腰かけ銀という陣形で防いだところ。

 アルフレッドにとっては初めて見る手だったが、間もなく気づいて次善手に切り替える。


 その一手を思案しながら、彼は言った。


「……そういえば」


 パチリと小気味いい音を立て、駒を打つ。


「――昼間、殿下に何を言ったんです」


 その翠の視線は盤面に向いたまま。


 しかし、不意に放たれた質問に、宵闇は一瞬呆気に取られて相手を見る。


「あ? ……ああ、ちょっとした私見をな。あいつの愚痴に付き合って、そんなに深刻にならなくてもいいんじゃないか、って言っただけだ」


 一方、盤面においては、角突き合わせた相手の駒を、宵闇が取るや取らざるやで数秒迷う。結局、歩兵を進めて駒を取りながら、彼は何気なく会話を継いだ。


「何かあいつが言ったのか?」


「礼を伝えてくれと」


 端的な返答。


「それだけ?」


「ええ」


 口元に片手を添え、アルフレッドは思案中。

 宵闇はそんな相手を見遣り、呟いた。


「……あいつは何を意図して言ったんだ」


 返答を大して期待していない独り言のようなもの。

 だが、アルフレッドは言った。


「単に、直接言えなかったからでしょう。……あとは、この会話のきっかけをつくるため、といったところでしょうか」


「それはまたお節介な」


 お約束に従った数手のやり取り。

 取った駒を自分の手元に置きながら、アルフレッドが言った。


「……愚痴、というのは中央のことに関してですか」


「そう。……あー、一応、確認するんだが――」


 翠の視線がチラリと相手に向けられる。

 対する宵闇も、数秒遅れで盤面からアルフレッドへと視線を上げた。


「ルドヴィグ本人がキッカケをくれたんだから、いくら口止めされたことでもアルには話して良いってことだよな?」


「……おそらくそうでしょう」


「ま、訊かれたら最初から答える気ではあったんだが」


 そうして気負いもせず、宵闇はつらつらと昼間のことを説明する。


 といっても、触れたのは後半部分。王都で何が起こっているのか、その憶測に関してルドヴィグとやりとりした部分のみ。


 意図的に情報を絞りながら概要を語ったのち。




 宵闇は、ふと言った。


「そういや今日、なぜか王子殿下とお前を見間違ってな。腰抜かすかと思ったよ」


 その視線は盤面に向けられ、次の一手を考えながらの言葉。


 一方のアルフレッドは宵闇のその顔を眺めながら、わずかな微笑も混ざった、なんとも言えない表情で問いかける。


「……なぜ、間違えたのかわからないんですか?」


 パチリと静かに打ったのち、宵闇は顔を上げる。


「横顔で遠目だったから、耳の方は見逃してな。で、金髪で無言だったのと、あとは座ってた位置で、だと思うが。……訊くのそこかよ」


 多少のひっかかり。


「……」


 アルフレッドは思案する素振りで瞳を伏せる。


「……貴方は、人物の外見を区別するとき、かなり大雑把ですよね」


 淡々とした批評に、宵闇は否定するでもなく頷いた。


「まあな。俺にとって人の顔ってのは印象の集合体でしかない。かなり子供のころから目が悪かったのも関係してんだろうが」


「ですが、今はよく見えているでしょう」


 アルフレッドが一手打つ。

 それを受けるため、手駒の1つを手にしながら宵闇は頷いた。


「ああ。なんのストレスもない」


 答えが分かり切ったやりとり。

 つまるところ、大きな原因はそれではないという証拠――。

 

 宵闇は微笑して言った。


「親にはよく “他人に興味がないから人の顔を覚えられないんだ” って言われたよ。実際、俺の人への関心は偏ってる。俺が顔を覚えてるのは前世だと家族ぐらいしかないし、その他は輪郭くらいしか記憶にない」


 他のことはいくらでも覚えてんだけどな。

 呟きと共に、自陣の最前線へ歩を打つ宵闇。


 ただ、そんな彼が今しがた口にしたのは、一般には極めて薄情な言葉。

 しかし既に察していたアルフレッドは、なんの動揺もなく言った。


「貴方はなんだって、そう両極端なんでしょうね。観察眼がないわけじゃない。むしろ優れているくらいだ。なのに、最も目立つところを見ていない」


 自嘲の笑みを漏らしながら、宵闇は言った。


「自分でも思う。あるいは、ちょっとした障害なんじゃないか? 診断もらったことないから知らねえけど」


 確かに、人の顔を覚えられない症例としては、相貌失認という症状が存在する。

 もしくは、ASDという特性であれば、他人への関心が薄くそれに関わる情報を記憶するのが苦手ということも実際にある。


 彼の念頭にあったのはそんなところ。

 とはいえ、宵闇の場合は社会生活に深刻な影響を及ぼすほどではなく、専門医の診察を受けたこともないため真相は定かでない。


 対するアルフレッドは、前進してきた敵陣の歩に歩をぶつけ、防衛の壁としながら言った。


「一方で、弱者に対しては強く同情する。……特に貴方は子供に弱い」


「まあ、そうだな」


 迷いなく歩を取ったのち、頷いた彼は言う。


「――何かの創作でも、弱者が壁を打ち壊して成功する話とか、不利を覆しての勝利とか、そういうのにすぐ感動して泣いた。子供が頑張るなら効果覿面」


「まだ十代の時の話だが、とある映画――作り話で、ぼろ泣きして姉貴にドン引きされたこともある」


「おかしな人ですね」


 柔らかな笑み交じりの声音。

 宵闇は盤面から視線を上げず、苦笑して言った。


「……自分自身でさえ、もうどこまでが強制された自分で、どこまでが本当で、何が普通で変なのか。客観視できなくなってるよ」


「……」


 桂馬を上げて歩を取り返しながら、アルフレッドは静かに言う。


「多面的に自己を形成していくという点においては、ヒトは皆そうでしょう」


「……」


「貴方はそういう性格だ。そういうことで、いいんじゃないですか」


 フ、と小さく微笑し、顔を上げた宵闇は言う。


「お前にそう言われると、なんか荷が降りた気がするよ」


「大げさな」


 その雰囲気は至って軽い。

 互いに盤面を見つめ、次の一手を考えながら、ついでとばかりに言葉を交わす。


「大げさってほどじゃない」


「……」


 肩を竦めたアルフレッドが、次手を促し片手を振る。


「貴方の番ですよ」


「わかってるよ」


 苦笑しつつ、宵闇が手駒を取る。


 盤面は互いの陣が漸う形成され、攻め駒が激しくぶつかり合うようになった頃。

 歩や桂馬、銀や飛車、角。そういった駒が突破口を開こうと敵陣目掛け、攻め上がっている。


 なかでもアルフレッドが先程、嫌な位置に上げてきたのはトリッキーな動きをする桂馬。歩に次いで特攻の役割を担い、中距離から歩を支援するような使われ方をする。


 放置するのは論外。

 定石通り桂馬の正面――桂頭(けいとう)を歩で突こうと宵闇が打つ直前。


「――あ、ちょい待て」


 自陣の危機に気づく彼。

 小さく舌打ちするアルフレッド。


 その顰め面を見上げ、宵闇が言った。


「おい。しれっと飛車と銀の両取りじゃねえか」


 手中の歩を戻し文句を言えば、直前で気づかれたアルフレッドが、それでも呆れた声で言う。


「貴方、何回それやれば懲りるんです」


「仕方ねえだろ、桂馬の動きが変態なんだから」


 ちなみに「両取り」とは、2つの駒が同時に相手の駒の射程圏内に入っている状態のこと。


 一手ずつ交互に打ち合う将棋では、両取りの形になると狙われた駒のどちらかが、必ず相手に取られることになる。


 特に飛車、角、金、銀といった大駒、時には王が天秤にかけられた状態を言い、すなわち、やられた方は苦渋の決断をするハメになる。


 もちろん、簡単にその形にならないよう、対策もできる。――のだが。


 実のところ、桂馬の餌食になるような位置に、宵闇は大駒を置きがちだった。彼が好んで使う陣形がそうだから、というのも大きいとはいえ、桂馬の守備範囲に意識が向かないという彼の悪癖も関係する。


 飛車を逃がすことで銀が取られ、そうして突っ込んできた桂馬を歩で取って、せめてもの補填とする。とはいえ、攻めの中核である銀と、特攻要員の桂馬の交換では序盤において手痛い損失だ。


 しかし、宵闇には既に、次へ備え飛車を下がらせるしか打つ手はない。


 桂馬を前に進めながら、アルフレッドが言った。


「角道も苦手ですよね。すぐに見逃す」


「ああ、そうだよ」


 そんなことを言い合いながら、パチリパチリと決まり手の応酬。

 アルフレッドの指摘に、手を動かしながら宵闇は言った。


「そもそも、俺は将棋がそれほど得意ってわけじゃない。俺の家族の中で一番強かったのは親父、その次に姉貴。あとは、成長率で言えば祖母(ばあ)ちゃんもすごかったな」


「成長率……?」


 高齢者にはおよそふさわしくないバロメーターに、アルフレッドは小首を傾げて疑問を示す。


 対して、小さく笑って返しながら、宵闇は言った。


「そう。元はルールを知ってる程度の将棋素人だった祖母ちゃんなんだが、これが大の負けず嫌い。何度も負けながら親父に食い下がり、遂には “何度やっても無駄だ” とか、舐めたこと言われてな。そこから目の色変えて猛勉強」


「当時、80過ぎだったのに、親父の苦手な戦法もすかさず取り入れて、遂には3回に1回は勝てるまでに腕を上げるに至ったっていう」


 それは凄い。

 端的な呟きに、宵闇も肩を竦めて微笑する。


「祖母ちゃんが死んだ後も、親父は苦笑いして何度も言ってたよ。口は滑らせるもんじゃない、女性を敵に回すもんじゃない、てな」


 パチリとアルフレッドが一手打つ。

 その動きを見つめながら、宵闇は言った。


「――同時に、人は生涯成長できる、そのイイ証拠だからよく覚えておけ、とも言われたな」


「……」


 数秒の沈黙に、駒が動く音だけが鳴る。

 自陣の守備を固めながら、宵闇は言った。


「あー、ごめんな。家族の話をお前にしちまって」


 対するアルフレッドは首を振る。


「いえ。返せる話題がないだけで。……聞きたいと思っていますよ。貴方の話を」


「そうかい」


 一方、盤上では。

 先程のやりとりで陣形の崩れた一画へ、アルフレッドが攻め駒を上げ、善戦していた。歩や銀を前に進め、敵陣の傷口を広げながら橋頭保を確保する。


 それへ応戦する傍ら、宵闇が苦笑して言った。


「――と言っても、そんなに話題があるわけでもないんだが」


 対するアルフレッドは、銀と飛車を連携させ、いわゆる棒銀という戦法で攻めている。それを角や桂馬で牽制し、凌ごうとする宵闇。


 現時点では彼の方が劣勢だが、その表情は楽し気だ。


 しばらくは防戦一方。

 とはいえ、宵闇も王駒の守備は既に盤石。早々、その周囲は揺らがない。


 取るや取らざるや。

 選択の連続。


 やがては宵闇も別方向から攻めに転じ、必要な戦果を得たアルフレッドも程よいところで駒を引く。


 そんな攻防を行いながら、アルフレッドは言った。


「ご姉弟では、貴方の方が弱ったんですか」


 返る頷き。


「ああ。勝率は俺が4割ってところかな。単純な年の功もあったが、あいつは天性の勘というか、大局を見るのが得意だった。一方の俺は局所的なところに注目しがちで、だから角道とか両取りとか、そういうのに弱いんだが」


「意外ですね」


 端的な感想に、宵闇は苦笑する。


「は。……何しろ才能で言えば、姉貴の方が間違いなくあったんだ。本人は特にこだわりもなく自由人気取ってたが、“使わないならその脳みそ半分くれ” と何度思ったか知れないくらいでな」


「……」


 数秒の間。

 パチリと、駒が打たれる音がする。


「――それが、貴方の劣等感の根源といったところですか」


 唐突な、踏み込んだ問いかけ。

 それを口にしたアルフレッドは、まっすぐ相手のことを見つめている。


 対する宵闇は嫌がるでもなく、盤面に視線を向けたまま、自分に問うように呟いた。


「…………劣等感、ね」


 どうなんだろうな。

 そんな独り言。


 答えを迷う素振りではあったが、内心では、既に結論が出ているようにも見える言動。

 

 パチリと駒を進めながら、彼は言う。


「姉貴の事は、別に嫌ってたわけじゃないし、尊敬もしていたんだが」


 一方じゃ、生きやすそうに伸び伸びしてるあいつが確かに――。


 そこで言葉を切り。




 宵闇は、視線を上げて苦笑した。


「確かに、アルの言ったとおりかもな」


「……」





 それを見つめる翠もまた、複雑な微笑を写して揺れていた。




第116話「対話」



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