第115話「Flag」
「そういえば、殿下の方はどうなんです」
俺は多少、気を許して訊いてみる。
大雑把かつ、礼を欠いた問いだったが――。
「今回の処分に関してか?」
ルドヴィグも平気で返してきた。
頷きながら俺は言う。
「ええ。何やら大層な罪を被されたそうで」
何せ反逆罪だもんな。
言葉のインパクトがデカすぎる。
一方のルドヴィグは顔を小さく歪め、嫌そうに言った。
「ああ。……今、思い出しても業腹だが、グスターヴの難癖を覆せなくてな」
その様子に、俺はこれ以上踏み込んで訊くべきか、一瞬迷った。――が、こっちにもれっきとした理由があるので、慎重に言う。
「……これは、アルにも関係すると思うので訊くんですが。……実際のところ、大丈夫なんですか」
少しトーンを落として尋ねれば、ルドヴィグは鼻で笑い、おもむろに片肘突きながらこっちを見る。
「俺の名誉が著しく傷つけられたこと以外、こちらも実質的な痛手はないな。……ちなみに、今回の処分では罰則として領地での謹慎と、いくらかの供出が課されている」
つまり、罰金?を取られた、と。
たぶん “いくらか” なんて言葉から俺が感じる印象よりもはるかに大きな額だったんだろうが……。
彼にとっては本当に “いくらか” でしかないんだろうな。
ルドヴィグは言葉を継ぐ。
「――とはいえ、徴収された金や物資は十中八九、カルニスの復興に役立てられる。国を支える徒としては、名目に文句こそあれ、出すこと事態に忌避はない」
うわぁ……。
つまりグスターヴは、体よくルドヴィグを王都から遠ざけ、なおかつ災害復興資金の調達もしてたってことね……。
確かに金はどこからか捻りださないといけないんだろうが。
なんとも無駄がないというか、なんというか。
その実利を賄う代わりに、反逆罪とか大層な罪状を吹っ掛けた割には、比較的軽めの追及で終わったってところなんだろうな。
いわゆる、これが政治ってヤツ……?
俺が呆れた気分で黙っていれば、首を傾け、口端を歪めて彼は言う。
「それに、謹慎の何が痛いかといえば、登城できずに手柄を上げられなくなること、それによって注目が薄れ、出世が遠のくことだ。
その点、俺には関係ない。王位を狙う野心もなければ、既に領地も、騎士団もある。これらを取り上げられるなら足掻きもするだろうが。……幸い、そんな話は立ち消えた」
……それ、ホントに自然消滅だったのか……?
ちらりと気にはなったが、さすがの俺も怖すぎて訊けない。
対するルドヴィグは、俺の表情から何を読み取ったか、小さく微笑した後、それを収めて静かに言った。
「……国を無用に混乱させないためにも、3番目の俺はこの城に押し込められているくらいが丁度いい。……兄上の意図も、そういうことだろうしな」
その視線は、いつの間にか卓上に向けられ、声音は独り言のよう。また、表情は微笑だが、その眉間には皺がある。
そんな複雑な表情で、彼は言った。
「――俺は、理不尽な魔物から国を、民を守るために力を使えればそれでよい」
「……なんとも欲のないことですね」
他に思いつかずにコメントすれば、ルドヴィグが苦笑する。
「お前でもそんなことを言うんだな」
おっと、聞き慣れている言葉だったらしい。
ルドヴィグが次いで言った。
「……俺には、どこでそう思われるのかわからんのだが」
本気でそう思ってそうな生真面目な雰囲気。
ほのかに笑いながら彼は言った。
「――こう見えて俺は、これ以上なく欲深く、そして臆病だぞ」
「……」
思いがけない形容に、俺は一瞬言葉を失う。
何しろ、王族とか皇族ってのは常に正しくなければならない。弱みをみせるなんてもっての外。
なのに、わざわざ “臆病” だなんてネガティブな言葉を使うとは。
少なくとも、安易な意図や覚悟じゃないだろう。
戸惑うような視線を向ければ、相手は小さく笑って言った。
「この場限りで忘れろ、いいな」
「……承知いたしました」
精々畏まって答えるしかない。
要するに “お前を信頼しているから、他に漏らすなよ?” という、ある種の脅しだ。
俺の場合、話すとしても相手はアルしかいないだろうし、どうせあいつなら知ってることだろうから特に問題はない。
軽く下げた頭を戻してみれば、一方のルドヴィグは、この際いろいろ吐き出したくなったのか、あらぬ方を見ながら言った。
「どうやら。……俺には才も、力もある。それに見合う立場もある。……確かに昔から、もっと欲をかいてはどうかと、直接でも間接でも提案されたことは数知れず」
愚痴に付き合うつもりで俺は言う。
「それに、一度も頷かなかったんですか?」
碧眼をこっちに向け、ルドヴィグは苦笑して言った。
「そうだ、と言えたらよかったが」
「――白状すれば “こいつまで同じことを勧めるのなら”と、何度か本気で検討したことはある」
「ぶっちゃけますね」
つまり、2人の兄をどうにか引きずりおろして国王になる算段を考えたことがある、と。
……いやぁ。
手段にもよるが、俺は今、めっちゃ危ない話を聞かされていることになる。
どんな表情をすればいいのか本気で迷って苦笑いしていれば、ルドヴィグは言った。
「だが、そうして考えた結果。俺には到底担えるものではない、と判断した。……そもそも、俺が無理に求める必然性もない」
「まあ、上に2人もいればそうでしょうね」
「ああ」
俺の賛同にルドヴィグも頷く。
「上の兄上は病がちだったからな。今のような状況は十分にあり得た。しかし、それでもグスターヴがいる」
複雑な感情を表しながら、彼は言う。
「――そして、あいつは俺以上に才がある。……何を考えているのか不明、かつ傲慢だが、優秀か否かで言えば、それを否定できる奴は誰もいない」
「ああ……、そういうタイプの人間か……」
俺が呟くのも構わず、ルドヴィグは言った。
「――とはいえ」
そこまで言いながら。
ここで彼は一瞬迷うような素振りを見せる
口を小さく開閉し、音にするかするまいか、苦渋の決断をするような表情。
だがやがて、話すことに決めたのか。
こっちに視線を向け、ルドヴィグは念を押すように言った。
「ここからは、俺の独り言だ」
「……」
え、えーっとぉ……?
つまり、返事をするなってことだよな。
未だ躊躇いの残る要求にさっそく俺が視線を逸らし、わざとらしく聞いていないフリをすれば、ルドヴィグもあらぬ方を見遣り、声を落として言った。
「……ひとまず、子飼いの者に命じ、入念に探らせてはいるのだが。今のところ、あいつが王太子の死に関わったという証拠は出ていない。……また、陛下に対しても同様だ」
まあ、そこらへんは探るよな。
アル経由でこっちに何も伝わってないってことは、まだ調査中で結論も出ていないって感じか。
俺が適当に下を向きつつ考えていれば、引き続き、ルドヴィグの声だけが聞こえてくる。
「……もっとも、このアレイアからでも察せられるような安易な証拠を残す相手でもない。それがまた、厄介でな」
「……」
グスターヴがそれだけ念を入れて暗躍している可能性も否定できない、と。
「「……」」
そして、数秒の沈黙。
おそらくはまた、言葉を迷っているんだろう。
俺が指示通りに黙り続けていれば、ルドヴィグはいよいよ、独り言の調子でポツリと言った。
「――もし仮に」
更にトーンが落ちた声。
俺は彼の表情を見ていないが、おそらく無表情に近いんじゃなかろうか。
どこか悲壮な響きも伴って、彼は言う。
「あいつが。……種々の疑惑を、あいつが実際に行っていた場合、それが証明されたなら、俺は――」
何かを躊躇う迂遠な言葉。
ここでチラリとルドヴィグの表情を確認すれば、彼はこっちを見もせずに、意外なほど思いつめた顔でこう言った。
「――その時こそ、行動しなければとは、思っている」
「……」
すなわち。
王族の義務と責任として、やりたくもないことをやらなければと――。
少なくとも、その可能性があることを悲壮なまでに覚悟している、ということね……。
……ホント、なんでそんな話を、俺に向かってしてるんだろうな、こいつは。
しかし、それだけ彼も色々考えて、安易に本音を出せないなか、押し込めていた諸々が今、丁度いいとばかりに溢れた、ということでいいんだろうか。
そう考えるとこいつも中々、難儀な性格をしたもんだな。
まぁ半分、オルシニア王族としての徹底した教育の影響も大きいようだが。
しっかし、生まれついての持てる者が、普段は自信満々に振舞いながら、その実これだけ謙虚な本心を備え、いざとなれば国のため、不正を正そうと悲しい覚悟をキメてるとか……。
ますますこいつの人間性が完璧すぎて、俺は正直引くしかない。
恐らく、男兄弟の3番目という、王族としては価値の低い生まれだったのが効いてるんだろうな。
金髪碧眼の典型的な俺様系イケメンで、普段の言動もそれ相応。だが、その見た目を裏切る一歩引いた、諦めたようなふとした言動が、一言で言えば天然タラシ、言い代えれば抜群のカリスマ性に、更に磨きをかけている、と。
……うわぁ。
しかも、一切、無意識。
ホント、つくづく苦手なタイプだなぁ。
俺は内心で苦笑しつつ、その一方で、彼が言った内容をより深く考えていた。
もっと言えば、王都で今何が起こっているのかを。
ただ、俺が知り得る情報は全て他人からの又聞きだ。
特に第2王子グスターヴの為人を俺は直接知らないから、勝手な妄想と言ったらそれまで。
だがそれでも、こんな話を思いがけず聞かされたからには、どうにかこうにか――。
そうして考えていた俺は、何か言いたげな表情でもしていたんだろう。
ルドヴィグがこっちを見遣って苦笑する。
「いいぞ。発言を許可する」
お、いいのか。
それじゃあ、遠慮なく。
俺は椅子に座り直しつつ、慎重に言った。
「ちなみに、貴方はどれほどの確率でそれを疑っているんです?」
つまり、グスターヴがすべての黒幕だとどのくらい本気で考えているのかってことだ。もうルドヴィグの話し方から予想はついたが、念のために訊いてみる。
そうすれば――。
「…………五分よりは下、だろうな」
押し出すような返答。
「でしょうね」
予想通りの答えに俺は頷いたが、対するルドヴィグは意外そうにこっちを見るから、かえって驚く。
「なぜそう思う」
端的な質問に、俺は肩を竦めて言った。
「仮に、俺が同じ立場だったらそんなことはしないから、です。ましてや、こんなあからさまな怪しいことは絶対にしない。……何しろ、前王太子に子供ができない限り、グスターヴ殿下はほぼ自動的に国王になれるんですから」
顎を引き、睨むようにこっちを見ながらルドヴィグは言った。
「……つまり、上の兄上の不幸も、陛下のお隠れも、すべては偶然重なっているだけと、断言するんだな?」
ちなみに、日本語で「お隠れになる」とは、天皇などが死んだときに使う婉曲表現だが、この場合は単に体調不良で引きこもっているのを言ってんだろう。
俺は曖昧に頷く。
「俺なんかがこんなことを言うのはなんですが」
そう前置きしつつ、首を傾げて言葉を継ぐ。
「――前王太子のことを、国王陛下はかなり大事に思っていたんでしょうね。そんな息子が死んだんだ、気分が落ち込んで部屋に閉じこもっても、俺はおかしいとは思いませんよ」
「あの父上が……?」
そう、父親だ。
長い闘病生活の果て、愛する長男を失えば、親が鬱気味になっても不思議じゃあない。
……まあ、とはいえこれは、死亡率が圧倒的に低下した現代日本人の感覚でもある。
この世界の人間にとって、命はもっとあっという間に消え去るもので、それに一々感情移入していては身が持たない、くらいのサバサバした感覚が、もしかすると普通なのかも。
案の定、ルドヴィグは口端を歪め短く笑う。
「ハッ! 確かに、最初の王妃を娶る際には、語り草になるほどの大騒ぎをしたそうだがな。……あの陛下が、王子を1人失った程度で――」
へえ。そんな経緯があったの。
俺は無言のうちに思う。
周囲に反対されるような王族の結婚、つまりは女性の出身が侯爵とか伯爵家以下で、まず間違いなく恋愛結婚ってことだろう。
グスターヴとルドヴィグは母親が同じようだし、その人はつまり後妻ということ。で、愛した女性との一人息子が前王太子ってことね。
……うわぁ。
俺が内心で呻いていれば、対するルドヴィグは首を軽く振って言った。
「いや、いい。……そんな見方もあるということだな」
「消去法ですけどね」
俺は言った。
すなわち、度重なる不穏な知らせとグスターヴが無関係、という推測に至る理由が消去法、ということだ。
言葉が不足した補足に、ルドヴィグもこっちを見て言った。
「……どういうことだ」
俺は足を組んだまま、背もたれに身体を預けて苦笑する。
「まず、前提を言いますが。
俺は正直言って、実際に誰が何をしただの、そういった事実を追求する気はありません。というか基本的に興味が薄い。人間同士のことだ、真実がなんだろうと事態が動く時点において、それはほとんど関係がない」
「――ただ。貴方は先ほど、グスターヴ殿下が自分よりも優秀だと言った。単なる謙遜ではないことも、今の話の流れで察しが付く」
考えを整理しつつ俺は言葉を継ぐ。
「なら仮に、そんな人物が事を起こしたのなら、今の状況はあまりに不自然だ。何しろ、貴方を王都から遠ざけたんですから、現状、怪しいのはグスターヴ殿下ただ1人。少なくとも、真っ先に疑われる」
実際、方々からそういう目で見られているわけだしな。
「……」
沈黙する相手を見ながら、次いで言う。
「今まで俺は、グスターヴ殿下がそういうことを気にしない、あるいは想定もできないような権力欲剝き出しの人間なんだと想像していました。――が、貴方の評価からすると全く違うらしい」
「――で、あるならば、前王太子に子供ができないように、あるいは、ルドヴィグ殿下が間違っても王太子に指名されないように。その程度の細工をするのは否定できませんが――」
例えば、前王太子の妃に何か働きかけるとか、今回のようにルドヴィグを謹慎させるとか。そういった暗躍は十分あり得るだろう。
だが――。
「――少しでも、想像力と自制心があるのなら、それ以上のことをグスターヴ殿下がする必要は微塵もない」
俺が呟くように言えば、ルドヴィグは片手を目元に当て、押し出すように頷いた。
「ああ、そうだ。俺もそう考えていたとも」
「……過去形ですか。つまり、最近の動きは想定外がある、と」
確認すれば、片手を下ろして彼は言う。
「まぁな。魔物討伐に出てみたり、貴族を懐柔したりと忙しない。言いがかりで俺をここに押し込めたのもそうだが」
「ということは、俺がアルと出会った後からってことですか」
ルドヴィグは曖昧に頷く。
「正確にはその少し前からだ。まるで何かを焦るように、あれやこれやと……」
なんだかんだ解消されない懸念のせいで、彼の眉間に皺が寄る。
あぁ、あぁ。
せっかくの休憩時間までそんなに険しい顔しなくても。
話題を振ったのが俺と言うのは棚に上げ、ひとまず宥める気分で声をかける。
「まあ、とにかく。客観的に見て、いかに第2王子と言えど王太子暗殺に国王軟禁なんて、手痛い嫌疑をかけられる今の状況を、優秀なグスターヴ殿下が望んで作り出したとは到底考えられません。少なくとも、それは確実だと思います」
王族貴族なんて、地球の歴史を振り返っても権力闘争が日常茶飯事なんだろう。とはいえ、あからさまに事を起こし、一歩間違えれば国を大混乱させかねない危ない行為が、当たり前のことだと容認されるはずもない。
標準以上の思考力があるのなら。
そして、この国特有の “教育” がグスターヴにも根ざしているのなら――。
彼が全ての黒幕だ、なんて展開は、まず間違いなくあり得ないだろう。
俺は短く息を吸って言った。
「結論。前王太子の件も国王の件も、グスターヴ殿下とは関係なく、しかし連続的に起こっているからには因果関係がある可能性有り」
「そして、長男を亡くした父親が一時的にでも塞ぎ込むのは、ただの動物でさえ見せるありふれた反応だ。……なら、一国を治める偉大な人物だろうと、至ってまっとうに息子の死を悼み、表に出る気力さえ無くしているのが今の状況、とみるのが妥当ではないでしょうか?」
「……」
だから、あんたがそんな悲壮な覚悟決めて、好きでも無い権力争いの果て、肉親の罪を裁き、これまた欲しくもない冠を被って王位に就く、なんて救いのない未来は。
きっと恐らく、来ないんじゃねえかな。
第115話「Flag」