第114話「似ているが違うモノ」
視点:1人称
突然だが。
俺は今、久しぶりに本気で驚き、更には椅子から滑り落ちて尻を打つなんて間抜けな失態を犯していた。
「なんであんたがここにっ、あ、いや、なぜ貴方がそこに座ってるんですか、ルドヴィグ殿下!」
ガタガタと椅子を背で押しのけながら俺が叫べば、対する元凶はこっちに向けていた碧眼を見開いたのち、破顔した。
「クク、アハハッ!!」
ああ、もう。
部屋の左奥の執務机に腰かけていたルドヴィグ殿下は、目元を片手で覆い盛大に笑っていらっしゃる。
そう、ルドヴィグだ。
アルじゃない。
念のため言っとくと、俺が部屋を間違えたわけでもない。…………だよな?
思わず周囲を見渡し、間違いなく見慣れた部屋だと確信する。
ちなみに、俺はついさっきこの部屋――アルの執務室に入ってきたところ。
時刻は昼を過ぎて15時くらい。
昼食後にアルは仕事関連で部屋に戻らず、麗奈も与えられた自室の方にいるってことで、俺は散歩がてら城内を1人歩きまわっていたんだ。
最近は少しずつ日も長くなり、積雪量も落ち着いてきている。
まだまだ寒いが、ちょっとした変化でもないかと、のんびり移動して戻ってきたところだったのだが――。
思わぬ驚きが待ち受けていたもんだ。
確かに、俺が扉開けて入った瞬間、室内に金髪の人間がいることは認識していた。
だが俺は、そこにいるのがアル以外にないと疑いもしなかった。
だって、アルの執務机に、黙って本を読んでる同じ髪の色の人物がいたら、それはもうアルしかいないだろ?
実際、そうとしか見えなかったし。
で、俺は子供たちが使っている卓の方に座ってから、もう内容も吹っ飛んだが、なにか話しかけようと視線をやって、驚きのあまり間抜けにも座面から滑り落ちた、というわけだ。
そこにいたのはアルではなく、ルドヴィグ殿下だったから。
改めて見れば表情も仕草も、ましてや服装なんかも全然違うのに、ついさっきまで彼がアルだと信じて疑わなかった。
そのことを、俺は自分のことながら今現在も信じられない。
王子殿下の珍しい呵々大笑が響く中、俺は体勢を整えなんとか椅子に座り直して一息つく。
マジで彼以外に目撃者がいなくてよかった……。
カッコ悪いにも程がある。
あー、それにしてもあちこち痛い。
人間のままだったら、絶対、肘とか尻とか痣になるレベル。
羞恥や安堵、痛み等々、俺が卓に肘を突いて百面相している間、ようやく笑い治めたルドヴィグが、手にした書物を掲げながら言った。
「この部屋の主が持って行った書の中で、俺も確認したいものがあったからな。探しに来たついでに該当箇所を確かめていたんだ」
俺が発した「なぜここに」という問いに対しての答えだ。
未だに爆笑の余韻を残しながら、彼はニヤリと笑いかけてくる。
俺は顔を上げ、呆れながら言った。
「なにもそこで読まなくてもいいでしょうに」
やっとのことで返せば、王子殿下は鼻で笑って言ってくる。
「借り主がまだ必要だと言うんでな。戻しに来るのが面倒だった」
ありがたくもそんなお答えをいただいたが……。
……ホント、あいつはこの殿下に対して遠慮ってものがねえな。
ていうか、そもそもこういうのって王子御本人が、しかも城内とはいえ単独で動くもんじゃねえだろ。
側近の下っ端とか、そもそもアル自身が、殿下の居室へ恭しく返却に伺うのが筋じゃねえのか……?
俺は軽い頭痛を堪え、卓に片肘ついて呻くしかない。
もう礼儀も何もあったもんじゃないが、初っ端でやらかしてるから今更だ。
幸いこの場には他に誰もいねえし。ちらっと確認した限りでは、ご本人様も気にした様子はねえし。
一方、その王子殿下はゆったりと構え、おもむろに言った。
「それにしても久しぶりに顔を見たな、ショウ」
「おかげさまで」
俺はもうヤケになって返答する。
「子供たちに色々教えるのに、すっかりこの部屋に引き籠ってますからね」
足を組みつつ彼は言った。
「ああ、アルフレッドから話は聞いている。……お前は本当に、変なことに精をだすな」
面白がるように見てくるから、俺は視線を逸らして不貞腐れたように言う。
「放っておいてください。俺にとってはこれ以上なく楽しいことだ」
これに、殿下は皮肉気に顔を歪めて言った。
「楽しい、ね。……俺にとって教師とは、己の知識をひけらかし、個人的な主張を押し付けてくる頭の固い老人ども、という印象しかないのだが――」
わお、かなり過激に非難されてる、と思っていれば、彼は次いで言った。
「――庭いじりも楽しいと表現したお前なら、また違った意図が、あるんだろうな」
俺は視線を戻して苦笑した。
「……殿下の言う教師という存在と、俺もそうは変わりませんよ。ただ――」
背もたれに身体を預けつつ、俺は言った。
「対象を観察して理解し、俺の思うより良い方向へ誘導する、という点において。確かに、庭いじりも教師の真似事も、俺にとっては似たようなものですね」
真面目ぶってそれらしく答えれば、相手も真顔で言ってくる。
「そうか。俺には相変わらず、面白いことだと思わんが」
そのはっきりとした意見表明に、俺は力なく笑うしかない。
「ところで、貴方の方は最近どうなんですか? もう魔法の練習はしていないのはわかってますが」
話題を変えようと振ってみれば、彼も背もたれに深く沈みつつ言った。
「当たり前だ。収穫後から春にかけては領主としての仕事が多い。謹慎にかこつけてこっちにいられるのがありがたいくらいにはな。……加えて、都や貴族たちの動静調査に、例の学者と間者から隣国に関する聴取も行っているから、一言で言えば多忙だな」
まさに猫も手も借りたいような状況か。
そして、ここにいるのはちょっとした息抜きってところ。
「既にアルフレッドには仕事を振り、最近では当のシリンやレイナも活用しているような状況なのだが……」
……あ、でも、やばい。
このパターンはつまり――。
俺が瞬間的に嫌な予想をしていれば、ルドヴィグは逃がさんとばかりに微笑して言った。
「――どうだ? お前も何かやるか?」
言うと思ったよ。
俺は心なし身を引きながら返答する。
「それ、断ると不利益あります?」
おそらく俺の表情は引き攣っていたことだろう。
対するルドヴィグは、意味ありげに笑みを深める。
「さて、どうしたものかな」
わー、パワハラだー(棒読み)。
当然、そんなことを言ったってこの世界に労働基準監督署はもちろん、労働基準法だってあるはずがないので、俺はにっこり笑って答えるしかない。
「まあ、俺程度にできることがあるのなら、ぜひアルを通してご指示ください。……とはいえ、読むのはまだしも筆記がまだ俺は拙いんで、お役に立ちづらいとは思いますが」
「なんだ、使えんな」
思いっきり失望の眼差しを向けられたが、俺には痛くもかゆくもない。笑顔のまま言った。
「申し訳ございません」
「まぁいい」
元より向こうの本気度も半々といったところらしい。
苦笑とともに返された。
何しろ、俺には周囲の言葉が日本語として聞こえているからな。単語のつづりは覚えてなんとか文意を掴めるようになったが、例えば、言われた言葉をそのままオルシニア語で書き起こすとかだと、まだものすごい時間がかかる。
もっと言うと、日本語で聞こえた言葉を、頭の中で無音声のオルシニア語に変換するのがかなりキツイ。
わかりやすく英語で例えるが、耳から音として「ペン」と聞こえるから、英語のつづりが「pen」だとわかるんだ。言い換えれば、「p」が「ピー」、「e」が「エ」、「n」が「ン」という音に対応するとわかっているから「ペン」を「pen」と変換できる。
なのに、発音もわからなければ1つ1つの表音文字がどんな音を表しているかもわからない外国語を使って、日本語を訳せと言われているようなものだ。
それこそ「これはペンです」程度の文章なら丸暗記で書けるんだが、行政文書にそんな程度の筆記力で立ち向かえるはずもない。
時間をかければクリアできるだろうが、俺の現状はまだそんなところ。
とはいえ、オルシニア語を勉強し始めてわずか1年未満。それでなんとか未知の言語を読めてる時点で、誰か俺をほめてくれ。
人外の記憶力の賜物とはいえ、ぜひ自画自賛しておきたい。
そんなことを考えていれば、ルドヴィグが「ああ、そうだ」と、ふと言った。
「本人に言っても関心が低すぎるから、お前に言うが――」
俺が何事かと視線を合わせれば、何とも言えない苦笑と共に彼が言う。
「――アルフレッドの、都での扱いに関して伝えておく」
確かにそれは聞きたいな。
俺は居住まいを正し拝聴すると姿勢で示す。
ルドヴィグは言った。
「ひとまず、バスディオの件に関してはもうほとぼりも冷めたようだ。事後処理はグスターヴが主導して軌道に乗せたし、そもそも世継ぎが亡くなり、それどころではなくなった」
まあ、その点においては次期王位継承者の不幸はこっちにプラスになったな。
俺が1人納得する間も言葉は続く。
「報告書は既に俺を通して中央に送付済み。内容は都合よく改変し、一応、災厄の原因は神の怒りではなく噴火という自然現象だったとしたが、まあ、どこまで理屈が通じているかは疑問だな」
だろうな。
本来なら、とても信じられない話だろうし。
さもありなんと思っていれば、ルドヴィグは心なしか背筋を伸ばす。
「ちなみにあの当時、我が師匠の目撃情報が多数報告されていてな。それも利用して、災厄自体は神の加護で最小限に食い止められたらしい、と俺の方から一言添えてやった。実際、かつての災厄に比べれば事実だしな」
あー。
確かにディーは本性で派手に動いてたから目撃もされただろうな。
「なおかつ、アルフレッド本人は重症のため療養中、としている。しかしこれに関しては、なぜ南のバスディオ山で負傷しながら、北東のロウティクスで療養するのか、その点を全く弁明しなかったから、中央からの印象は間違いなく悪化していることだろうな」
ん?
「ついでに、あいつも気にせず動き回って姿を晒しているから、少し情報に通じた者なら嘘だと疑いもしないだろう。王都に戻れば更なる針の筵だな」
ああ、要はズル休みしてると思われている、と。
あいつがバスディオ山の一件で重症一歩手前だったのは事実だし、俺が付き合うようになった短期間だけでもありえないペースで便利遣いされていたから、このくらいの長期休養もらおうと当然の権利だと主張したいところだが……。
まあ、なにせ世界が違うからな。
仕方がない。
やれやれと思う一方、ルドヴィグは口端を上げて言った。
「――とはいえ、あいつの価値がそんなもので揺らぐはずもない」
お?
「それに、災厄直後に王都に戻っていれば、詳細も不明なまま何を課されるか分かったものじゃなかったが、事態が明らかになり、幸運にもグスターヴが綺麗に収束させた現状、わざわざ過ぎたことを掘り返すバカもいないだろう」
え、てことは……。
お咎め無し?
強いて言えば「お前なに無断欠席してたんだよ」的な視線に晒されまくるってくらいか!
ルドヴィグもゆったりと苦笑して言った。
「普通なら、出仕ができないこと自体、貴族にとっては出世が遠のく大きな痛手だが。……お前も知っての通り、本人が立身出世に興味もない。後ろ盾としても既に俺がいる」
「まあ、周囲からは自主的な謹慎と捉えられているだろうな。それで災厄に関する失態は相殺。アルフレッドからすれば、実質的な不利益は無いに等しい」
「……そうですか」
「またぞろ冬が明けて春になり、魔物の被害が増加すれば、どうせあいつを呼び出すしかなくなる。おそらくは、何事もなかったように声がかかるだろうよ」
そんな補足に、俺は一息ついて頭を下げる。
「色々と対応してもらったようで、ありがとうございます」
「当然のことをしたまでだ」
一方のルドヴィグは、苦く笑って言った。
「……本来ならあいつには、国家的英雄として多大な恩賞があってしかるべき。イリューシアでの件も併せ、現状では不当にも程がある」
まぁ、なあ。
噴火の被害を抑え、イリューシアでは森の結界を改変し、アル本人は遂に人間ではなくなった。
この上、痛手にならないとはいえ、世間的には重めのペナルティが課されるんだから、主観としては文句を募らせてもいいだろう。
とはいえ――。
「――とはいえ、世間の下す評価とは得てしてそういうもの。未然に防いだ、最小限に抑えた、では評価されず、目に見える形で、大々的な活躍があって初めて賞賛される」
おお、言いたいことがルドヴィグと被った。
ホントこいつは若いのに、さすが王族、世論ってものがわかってるらしい。
「……なんとも馬鹿らしいがな」
だが、次いで口からでた言葉は、年相応に青いモノ。
俺は苦笑して言った。
「極論を言えば、平和の維持よりも戦争における暴力的解決のほうが尊ばれる。……まあ、そうして発展してきたのが人類ですからね、仕方ない。確かにそういうものです」
「……」
ちょっと話が飛躍したかな。
だが、目に見える成果を上げなきゃ広く賞賛されない、というのは、ある程度当然のことだし、自然なことだろう。ニンゲンが数ある生物の中で特に好戦的なのは事実だし。
俺がなんの感慨もなく口にすれば、ゆっくりと身を起こしてルドヴィグが言った。
「……そんな言葉がすぐに出てくるお前は、本当に、何者なんだろうな?」
執務机に両肘をつき、組んだ両手越しに微笑まれる。
だが、その視線はまっすぐこっちを射抜くよう。
一方の俺は、そんなおっかない顔をされようと、彼が納得できるわかりやすい説明をする気もない。肩を竦めて答えるしかない。
「少なくとも、殿下がご存じの通り、ニンゲンではないですね」
「ハッ」
何がツボだったのか。
短く笑い、彼は言った。
「まあ、いい。……あいつの支えである限り、俺はお前を許容する。それさえ確かなら、俺も構わないことにしよう」
ええ。もちろん。
俺は苦笑でもって返答する。
思い出すのは春先のこと。
初めて会って大騒ぎして、その後に言った言葉は俺も覚えている。
あいにく、“盾” になれてるとは言い難い現状だが、たぶん “支え” にはなれている、はずだ。
第114話「似ているが違うモノ」