第112話「戦争という手段」
短く笑い声を漏らした男は次いで言った。
「……それで、俺がやるべきは、まだ生き残ってる奴らの回収か?」
戻った話題に、女性から返るのは頷きだ。
「ええ、お願い」
そう言った彼女は苦い表情で正面を向く。
「……既にオルシニアでも冬が厳しくなる頃でしょう。可能な限り、救える命は救いたい」
男は目を細めて再度笑った。
「ハ、相変わらずお優しいことだ」
これに彼女は一転、自分自身を嘲るように言った。
「……冗談。投資分は回収しないと赤字になるからよ」
そうして、擦れた視線で見上げてくる彼女。
男はにこやかに応じて言った。
「それなら、人員を戻す以外に何か、手を打つ必要があるが?」
女性は頷く。
「そうね。無事な駒を手元に戻すだけじゃ全然足りないわ。アホへの人材提供中止はもちろん、損害賠償も請求しなきゃ」
「契約に則って、か。……ざっと阿呆の年収の2、3倍にはなるだろうな、最低でも」
彼的にはどうでもいいカテゴリーに入る記憶を参照し、半ば呟くように言う。
女性は今度こそ、両手を支えにガクりとうつむき、呻くように言った。
「はぁ……。債務不履行は確実ね。そもそも、あいつの家は代々汚職まみれで借金も積み重ねてる上、下手に無理な請求をすれば領民に余波がいく。山脈の間際、つまり国境領地の荒廃は、国としても見過ごせない」
本来なら知り得ない他家の内情を常識のように口にし、あまつさえ「国として」という大きな主語を持ち出す女性。
男は、彼女の苦悩を面白がるような表情をしたが――。
ふと、何かを思いついたらしい。
にこやかに微笑して言った。
「……いつから、栄えあるイスタニアのエルズウェイン侯爵は、烏滸がましくも国政まで気にしなくちゃならなくなったんだろうな?」
わざとらしい問いかけに、彼女――エルズウェイン侯爵は躊躇なく返答する。
「……この国の王が戦好きのアホになったから、ね」
男は頷いた。
「ああ、そうだ。なにせあっちの阿呆も金に疎い。増やす方法は戦争しかないとでも本気で思ってそうな輩だ」
まったくもって、ありきたりでつまらん。
そう独り言ちる男の一方、うつむいた姿勢から顔を上げつつ、女性が言った。
「そして、面倒なことは全部、こっちにまわしてくる。いくら我が家が代々諜報を司る王家の便利屋だとしても、限度ってものを超えてるわ」
苦虫を嚙みつぶし、よくよく噛んで味わうような苦渋の表情。
さすがの男も、表面上は同情するような顔になる。
「1年前の南の小国との戦では、事前の諜報から財源確保、戦後の統治体制整備まで関わらされたな」
顔をしかめて彼女は言った。
「ええ、あれはまるで地獄のようだったわ。特に戦後処理が」
思い出すのも嫌だといわんばかりに彼女は言う。
「こっちがなんとか這いずり回ってせっかく序盤をイイ感じで整えてやったというのに、中盤を好き勝手に引っ掻き回して、あとはポイ。他人が滅茶苦茶にしてくれた陣形で、将棋の最終局面を打てと言われたようなものよ。ああ、もう、今思い出しても腹の立つ」
独特な言い回しでイラつきを表現する彼女。
実際、わかる者にとってはかなりのストレスを伴う行為と伝わるだろう。
一方の男は理解しているのかいないのか。いずれにしろ、当時を知っているのだから、同情を込めて頷いてやる。
「そうして、めぼしい周辺国を踏みにじった今、今度は次の標的に山脈の向こうを見ているわけだ」
男は言った。
彼女にも異論はない。
「そうよ。だからこそ、モルディのアホへ工作活動に従事する人員を貸し出せ、なんて信じられない命令を受けるハメになったのよ」
「つまりは、このまま都でふんぞり返る阿呆の思うままにしておけば、更なる面倒ごとがこっちに来る可能性は大きいな?」
何かの意図をもって男は言う。
既にそれを察した女性は、探るような怪訝な表情で彼を見上げて言った。
「ええ。あの東の壁――エンデル山脈を越えての戦争だなんて、常軌を逸してるとしか思えないけど。いくら増強された従魔部隊がいようと、オルシニア王国は広大よ。更には魔物への対処にも長けている。なのに、国王のあの調子を見る限り、おそらくはイケるとでも思ってるんでしょうね」
現実と財布の中身を見ない野蛮人はこれだから。
続く独り言は、高位の貴族にしては粗野な言葉遣い。
だが、隣国との戦争、という視点を得たことで、彼女は知りえている情報をもとに、瞬時に算盤をはじき出す。
「……まあ、最近は中央がごたついているようだから、あえて攻めるなら今が狙い目ではあるけれど」
そんなことを呟く彼女。
対する男は肩を竦めて言った。
「だが、戦後処理が上手くいくまい」
これに返るのも肯定だ。
「そうね。加えて、どれだけ楽観的なシミュレーションをしようと、戦時中の兵站線の確保は絶望的だし、そうなれば糧食は現地調達。国王陛下は短期決戦とかほざくでしょうけど、それが100%実現する補償なんて一切ないし」
「ああ、目に浮かぶようだな」
話の内容からすれば軽すぎるほど軽い相槌。
彼が思い浮かべていたのは、イスタニア国王が土台無理な侵攻計画を推し進めたのち、目論見が外れて長期戦。自分たちが兵站の確保に奔走させられ、下手をすれば戦争の泥沼化。
そんな悲惨な光景だ。
普通の感性からすれば、人命が無為に消費されるそんな地獄絵図に対して嘆きを見せるところだが、あいにくこの場にいる男は普通の感性を持ち合わせていない。
確かに彼は、嘆くには嘆いているのだが、それは “今からでも目に浮かぶようなありふれた光景には一切の興味をそそられない” という理由によるものだ。
――何しろ、彼にとっては既に別の場所で、何度も見たことのある光景なのだ。
対する女性は眉根を寄せて瞑目し、言葉を継ぐ。
「――従魔メインで人間が少ない部隊になるとはいえ、だからこそ、オルシニア人からの恨みは強烈なものになるでしょうね。兵の統制なんてとれるわけないし、貴方の言う通り、万が一でも戦後処理をこっちに投げられたら、前回以上の地獄を見るわね……」
冷静に現実を見据え、戦争の終わらせ方、終わった後まで考慮する。
だが彼女も、平和を願う普遍的な正義感からではなく、あくまで利己的な理由のために倦厭の溜息を吐いているのだ。
それでも、彼女が為そうとするのは結局のところ、戦争という惨禍の回避。
男は、その矛盾していそうでしていない論理の面白さに、微笑を浮かべつつ結論を促す。
「すなわちお前にとって、あちらに攻め入るのはなんとしても避けたい事態だな?」
もちろん、女性は頷いた。
「というか、戦争自体が唾棄すべき行為よ。これ以上ない、人的資源、物的資源の浪費だわ。異世界においてさえ、戦争に明け暮れた国が長期的な繁栄を築けたことなんてないんだから」
“異世界の” という決定的な言葉を口にした彼女。
これにも男は動じることなく、既に承知した事実として聞き入れた。
「では、今少し都の阿呆に足踏みさせるため、ついでに、俺たちが被った損失を補填するために――」
そこで言葉を切った彼は、意味ありげにこう言った。
「大掃除を、してみたらどうだ」
ほとんど瞬時にその含意を理解した女性。
次いで、わざとらしく顔をしかめて言った。
「うぅわぁ……。私の――アイリーン・モントレシアの名に、更なる悪評が増えるわね」
その返答に、男は軽く笑って言い返す。
「既に家名からして悪評が轟いているだろう、国の暗部を司る、エルズウェイン侯爵様?」
それへ苦笑を返しつつ、女性は一転、思案気に言った。
「……中央集権の更なる強化、私への注目度の高まり、それらと引き換えに、国内の膿を一掃し、戦争が始まるまでの時間稼ぎと、我が家の損失を取り戻せる……。成果とリスクはそんなところかしら」
提案された手段を検討し、それによって得られる結果を勘案する。
そうして彼女は、淡い金髪をくしゃりと片手で握りながら、わずかに首を横に振り呟くように言った。
「本当に時間稼ぎにしかならないわね。むしろ、戦争へのカウントダウンスイッチを押しかねない……。とはいえ、そうでもしなきゃ、財源もないまま無謀な戦争へ、明日にでも突っ込みかねない現状なら、打つ手は無し、か」
まさに苦渋の選択だった。
そして彼女は決断する。
「……いいわ、キリアン、それでいきましょう」
名を伴う返答。
対する男は、ニヤリと嬉し気に笑って言った。
「ああ。承知した、我が主」
そうして、優雅な動きで頭を下げる彼。
その動作を片肘突いて眺めつつ、女性――アイリーンは不意に言った。
「やっぱりそれがいいわ。しっくりくる」
彼女への呼びかけに関する話だった。
これに、姿勢を戻した男――キリアンは、多少不満を表し、柳眉を歪めて言った。
「長年同じでは飽きがくる。だからこそ、色々試しているというのに」
「だからって、姫だの唯一だの、歯の浮くようなことを言わないで」
ぴしゃりとした返答に、男は瞬時に微笑していった。
「ちなみに、前者と後者では、後者の方が反応はいいようだ」
「っ!!」
完全に面白がっている指摘に、さすがのアイリーンも気色ばむ。
図星だったのだろう。
何かを言い返される前に、キリアンは先手を打って言った。
「ではまず俺は、人員の所在確認と回収から行う。都の方へは――」
「……もちろん私が働きかけるわよ」
仕事の話となれば、遮るわけにもいかない。
根は真面目なアイリーンは憤懣やるかたない、といった態で言葉を継ぐ。
「――並行して、各貴族の汚職に関してアニスにでもまとめさせるわ。冬期中に計画を立案して春先に実行、といったところね。……無駄に贅肉をため込んだ貴族どもから、適正ラインまで搾り取ってやるとしましょう」
キリアンからも否定はない。
「それでいいだろう。……こっちは数日あれば十分だ。回収の前に報告はする。場合によっては都合のいいところに紛れ込んでいる可能性もあるからな」
アイリーンは頷いた。
「それもそうね。連れ戻すかどうかは再度検討しましょう。……早速行くの?」
これに、キリアンは軽く笑う。
「ああ。調べきるまでは戻らん」
そして、首を傾げ楽し気に言い足す。
「――くれぐれも、俺がいない間に死んでいる、なんてつまらんことにはなるなよ」
そんな言葉に、アイリーンはげんなりとした表情で言い返す。
「だからどうして、そのセリフを嬉々として言うのよ。それに、大丈夫に決まってるでしょ」
一定の自信を窺わせる返答。
キリアンもまた、当然のように首肯した。
「ああ。俺の教え子なのはお前も同じだ。……特に、俺の永すぎる生の中で、お前は一等お気に入りだしな」
対するアイリーンは不敵に笑い、明るく言った。
「精々、期待に応えて生き汚く生き抜いて見せましょうとも、私のお師匠様、悪魔様」
「ハハッ」
心底楽し気な笑い声を最後に、クルリと身を翻したキリアンは。そこに確かに存在していたにも関わらず――。
次の瞬間、姿を消した。
まるで黒い影が、蜃気楼のように揺らいで消える。
場に残るのは、一瞬にして高まった魔力の残滓のみ。
やがてそれも、拡散して感じ取れないほどになる。
そんな超常現象を目の前にしながら、慣れた様子でアイリーンは独り言ちた。
「ホント便利よね、あの瞬間移動。散らばった人員も、彼にかかれば捕捉するのはお茶の子さいさいだし」
次いで、彼女は気分を切り替えるように、背伸びを1つ。
「……さてと、私もやるべきことを片しますか」
別室に繋がる呼び鈴の紐を引きつつ、アイリーンは卓上に広がる書類の数々をざっと見渡して呟いた。
第112話「戦争という手段」
【以下、駄文】
はい! 今話はなんともキャラの濃い、新コンビの登場と相成りました!
ホントは、まだこの2人を出すつもりじゃなかったんですけどね……。
当初の想定としては、かなり終盤に登場予定だったんですけど (というかこちらの話にこんな濃いめに登場させる予定でさえなかったんですけど)、なんか、「早く出せ」という感じの突き上げを彼らから感じまして (意味不明)。
更には、1話で収めるつもりだったのに、書き上げて見れば文句なしの2話分!
どんだけ文字数もっていくんだと、作者としてはタジタジです( ̄▽ ̄;)
まあ、もともと、拙作と同軸設定で、イスタニア側の物語を描く長編恋愛?ファンタジー(まだ書いてない)の主人公コンビとして設定していた子たちなので、私の思い入れが形になった結果でしょう!
とにかくも、彼らが今後どんな役割を果たし、どのように物語に関わっていくのか、こうご期待!
それでは!