第109話「次は遮断できるようにする――とのこと」
一方、子供たちを引き連れ、イリューシアの森へと向かった一行。
彼らは、多少雪で難儀しつつも、無事に目的地へとたどり着いていた。
もちろん、森の外縁から中心部までは青藍の力で転移し、特に事故が起こることもなく魔力濃度の抑えられた安全地帯まで子供たちは移動。
その先で雪の壁に阻まれる、なんてアクシデントもなく、セリンが見たいと言った、一面に氷の張る泉の景色を彼らは堪能していた。
「ね? すごいでしょー。下の方は凍ってないから泡が動くんだよ」
「すごい! きれい!」
先頭に立つのは、この場に長年閉じ込められたがゆえに、なんでも知っていると言わんばかりのアオだ。見ているこちらが寒くなるような軽装備でもなんのその。氷の下を指差し、得意げに説明している。
一方、歩きづらそうなほどに着膨れしたセリンが感動の声を上げれば、同じくらいに着込んでいるアランやイサナも興味津々で反応する。
「あ、そっちいった!」
「こっちはもっと大きいのあるよ」
そんな、きゃらきゃらとした子供たちの声が響く。
何しろ、分解者もほとんどいない泉だ。生息する魚や水生昆虫も当然おらず、その水質は推して知るべし。
加えてかなりの時間をかけて氷が育つため、その透明度は信じられないほどに高い。大人が乗っても全く不安のない厚みにも関わらず、その下の様子まで見通すことができるほど。
その様は幻想的と言っても過言ではない。
雪の白色に縁どられ、直径十数メートルはあるだろう泉は、その全てが青みのかった氷で覆いつくされている。
だが前述の通り透明度が高いため、光が屈折し、徐々に淡くぼやけていようと、氷の下に横たわる倒木や泉の底まで目に見える。
また、水面が凍っていく過程で取り残された空気が、一面に張った氷の下をまるで生き物のように蠢いていた。
細かに分裂したかと思えば、集合し、そしてまた分かれていく。恐らくは、泉の湧水口が水流を作っているのだろう。その動きは予測がつかず、子供たちを飽きさせない。
もちろん、周囲の様子にも目を奪われる。
既に落葉樹林はその葉をすべて落としているが、代わりに枝を雪で装飾され、白く美しい花が咲き乱れているようだ。対して、奥に立ち並ぶ図太い針葉樹林は雪の重みに枝葉を垂らし、時々、ドサリ――、パサリ――、と、思い出したかのようにふと、動く。
まさに冬の秘境。
その絶景と表現できる。
ただ。
見ているだけなら美しいと感嘆するだけだが、現実はそんな甘いものではないのが悩みどころ。
何しろ、昼を過ぎた1日で最も気温の高い時間帯ながら、この場は間違いなく氷点下だろう。辛うじて雲間に覗く太陽と、木々が壁になるため風速がほとんどないのが救い、といった具合。
それでも子供たちは元気いっぱいだ。
構わず動き回る彼らに、声がかかった。
「少し待て、セリン」
子供たちを傍で見守る月白が、呼び止めたのだ。
雪景色に紛れ込みそうな真白い髪に、黄色の瞳。猛禽類の本性を思わせる鋭い相貌の彼は、一切の感情を感じさせない無表情で幼子に言う。
「それでは危ない。直すぞ」
「はぁい」
どうやらセリンの首巻が緩くなっていたらしい。
大人しく寄ってきた彼女の首元を丁寧に整え、ついでに身体が冷えていないか確認するハク。
「……転ばないようにな」
「うん!」
どうやらまだ大丈夫と判断されたらしい。
少しの間にできた距離をハクにひょいと抱かれて移動し、その腕から降ろされれば、また飽きもせずアオたちと共に氷の下を観察しだす。
そんな子供たちの顔はいずれも末端が赤く染まり、吐く息も白い。ついでに言えば、身に着けている防寒具は地球の現代に比べれば保温性も低い。十分に着込んではいるが、そのままでは風邪をひくかもしれない。
近くにいるハクが様子を見ているものの、すぐ子供たちは遊びに夢中になるため、心配は尽きなかった。
とはいえ、その対策として共に来たと言ってもいいのが真緋だ。
何しろ彼女の魔力の属性は“火”。
場合によっては彼女自身が熱源になるため、緊急避難所としての役割が期待できる。
実際、早くも寒さに音を上げた麗奈が、そのディーの隣にいた。
「うわぁ……。アオちゃんはともかく、みんな元気だなぁ……」
この世界の防寒着をこれでもかと重ね、獣毛の帽子や耳当てに埋もれてもなお耐えられないらしい麗奈は、引き攣り気味の表情で子供たちの様子を眺めている。
ディーも同意の意味で苦笑した。
「このところ部屋に籠りきりで、動いてなかったからな。活力が有り余っていたのだろう」
そんなことを言い合う彼女らの足元は、凍った泉の上ではなくれっきとした地面だ。
足が埋まるか埋まらないか、といった程度の雪が積もっていたそこは、ディーが調整している暖気の影響で、円形に雪が解け、地面が見えている。
ディーが気流を操作し、その場の空気を温めながら、拡散しないよう半径数歩ほどの範囲に留めているのだ。
そのため、わずかな空気の動きに麗奈の茶色がかった髪や、ディーの赤い髪が時折不自然に揺れ動いている。
温度としては5℃あるかないかといったところ。だが、周囲が氷点下だけに十分暖かく感じられる。そんな環境が、ごく局所的にだが創り出されていた。
ちなみに。
なんともないような顔をしてディーはそれを維持しているが、当然の如く、この世界の常識に照らせば普通ではない。“植物”の魔力が豊富なイリューシアの森の中、という条件もあるが、相変わらず規格外なことだった。
そんな驚異の技術の恩恵に預かりながら、その事実を知ってかしらずか、麗奈が真面目な顔をして言った。
「あの、ディーさん」
「なんだ?」
なるべく視線は子供たちの方から外さずに、ディーは言う。
もちろん、小さい子たちの安全のためとわかっている麗奈は、同じく視線を泉の方へ向けながら言った。
「もしかしなくても、雪かきとか、あの、いろいろ準備、していただきましたよね。ありがとうございます」
言葉を迷いつつ申し訳なさそうに言った麗奈に対し、ディーは微笑む。
「なに、当然のことをしたまでだ」
そうして視線を麗奈へと向け、ディーはゆったりと言う。
「……それにやったのは我というよりも――」
だが、そこで不自然に言葉が途切れた。
何事かと視線を隣へ向けた麗奈はまもなく、予想もしない姿を間近に認めて驚いた。
「え、わ!」
「なんだアルフレッド」
そこにいたのは魔物姿の彼だ。
鹿に似た顔立ちに淡い金色の角。同じく、金の鱗のような模様を纏う体毛は深く、新緑の翠がその下に見える。
また、首から続く一連の鬣は背筋を通って長い尾まで。こちらも透き通るような金色で、彼の金髪を思わせた。
そんな姿のアルフレッドは、自分の力で転移してきたのか、ディーの右側に突如として現れたようだった。
一方、反対の左にいた麗奈は、目を丸くして言葉もない。
……あ、いや。
正確には、アルフレッドの潤沢な体毛に羨望の眼差しを向けているようだ。
ついでに補足すると、彼女がその実物に触れたことはまだ一度もない。
さすがにどんな反応をされるかは目に見えているため、毛深い動物に目がない彼女でもただひたすらに見つめるのみだ。
対するアルフレッドは、何か言いたげにディーの顔を翡翠の双眸で見上げている。
麗奈には何も聞こえていないのだが、どうやらディーと会話しているらしい。間もなく首を傾げた彼女が端的に言った。
「――なぜ?」
再度の沈黙。
しかし、彼女は破顔する。
「ふふ。なんとも理解しかねる。……いいだろう? お前の性状など、火を見るよりも明らかだ。それに少なくとも、我はお前の行動を横取りするほど厚顔でもないのでな」
何か要望を断られたらしい。
それでも、アルフレッドはしばらく半眼でディーのことを眺めていたが、やがて諦めたように息を吐き、首を返して離れていく。
そのまま数歩歩いたのち、かき消えるようにどこかへ消えた。
また、転移したのだろう。
おそらく彼もそう遠くないところで子供たちの様子を見守っていたのだと思われる。この場にいる誰も知らないことだったが、もしもがあれば駆けつけようと、人知れず待機していたらしい。
だが、ディーたちの会話をどうやって聞いたのか、不本意な話題が出されそうなのを彼は察知。出張ってきたのだろうと思われる。
何しろ、ここは彼の領域だ。
音声を拾うことなど訳ないのだろう。
それにしても早かったな、と独り言ちながら、ディーは微笑まし気にアルフレッドが消えた空間に目をやっていた。
しかし、麗奈の問いに視線を戻す。
「……何か、話してたんですか?」
「ん? ……ああ」
一瞬、訝し気な表情を彼女はしたが、すぐに気がつき苦笑した。
「……彼奴も、いつのまにか器用になったものだ」
すなわち、アルフレッドが以前は使わなかった念話を使うようになり、あまつさえ至近距離にいた麗奈には聞こえないよう、緻密な制御まで熟せるようになったことを指している。
澄んだ碧眼を細めつつ、ディーは言った。
「今回の遠出に当たって、誰が最も貢献したかを言おうとしたら、彼奴に止められたのでな。断っていた」
「え」
話の流れで予想がついた麗奈は再度目を丸くする一方、困った奴を見るような顔でディーは言う。
「実のところ、ここまで準備を整えたのはアルフレッドでな。もちろん我らも多少動いたが、ほとんど彼奴がやったのだ」
彼女が言ったのは、ロウティクス城から森までの道、そして、彼らが今いる泉の周辺――つまり、子供たちが立ち入る場所全ての雪を、アルフレッドが何らかの手段で片付けた、ということだ。
その手段が何だったのか。それをディーは言わなかったため、この時、麗奈の脳裏に過ったのは地球におけるごく常識的な手段――。
「え! まさか、アルフレッドさんがシャベルもって雪かきしたんですか?!」
なかなかシュールかつ非現実的な事を口にした麗奈。
一方のディーは、面白そうに口元へ片手を当てて言った。
「しゃべる、というのがわからんが」
「あ、そっか。この世界にはまだない……」
あわあわと言葉を探す麗奈に構わず、ディーは言った。
「とにかく、お前の予想とは違うだろう。何しろ彼奴が使ったのは魔力だ。これ以上なくふんだんに消費して、この場を整えた」
麗奈は困惑して言う。
「魔力……。めっちゃファンタジーですけど、えっと、確か、“火”、“土”、“植物”、“水”、“金属”の5つの属性、があるんでしたっけ」
恋愛がメインのファンタジーには親しんでいても、バトル要素のあるゲームなどには縁遠かった彼女にとって、魔力の属性うんたら、という話はあまりイメージが湧かないらしい。
たどたどしく言った麗奈に対し、ディーは鷹揚に応える。
「あえて名づけるならそうだな」
「……え、それでどうやって雪を?? あ、“火”で融かしたんですか?」
正確には融かすのではなく、一瞬で水蒸気にまで昇華し、蒸発させるという芸当だったのだが、ディーは軽く頷いた。
「ほどよく雪を残すのに苦労したが、まあ、なんとかなったな」
言うまでもなく、呆れるほどに緻密な魔力コントロールのなせる業だ。
とにもかくにも。
厳冬期の降雪地で、事前の準備無しにこんなところまで小さな子供たちを連れて来られるはずもなく、彼らの希望を叶えるため、裏で大人たちが動いていたというだけのこと。
おかげで、この日を迎えるまでに追加で降った雪で多少難儀したものの、子供たちは無事にこの場にたどり着き、楽しめている。
そして、これに最も貢献大なのが、何を隠そうアルフレッドだった。
ちなみに、ハクやディーも同じことをやるつもりではいたのだが、アルフレッドの動きが最速だった。
何しろ、今の彼には睡眠が必要ない。
不眠不休を素でやれるため、これ幸いと作業を進めていたらしい。
子供たちの遠出を許可した手前、彼としては自分の領分だと判断したのだろう。……が、相変わらず他者が理解に苦しむ自己犠牲性だった。
そうして、1人を除いて誰にも知られず場を整えていたアルフレッドだが。
実は、意外に不器用で大雑把な一面もある彼は、少しやらかしていた。
何かを思い出し、彼女は小さく笑って言う。
「ちなみに、彼奴も雪をほどよく融かすのに苦労したようでな。出力を間違えて、泉の氷まで一部融かしてしまった。自然に任せても元に戻ったかもしれないが、なにせ湧き水というのは凍りにくい。薄い部分が残ったらまずいと、我に相談してきてな」
「え」
それをバラされたくなくて口止めに来たんじゃ? と心配する麗奈を他所に、ディーは言う。
「可愛いところもあるだろう? 宵闇が気に入るのも頷ける」
「はぁ……」
まあ、確かにお2人って仲いいですよね。
そんなありきたりな感想を飲み込みつつ、麗奈は言った。
「えっと、ひとまず私が気になるのは、アルフレッドさんが融かしちゃった氷を、ディーさんがどうやって直したのかなってところなんですけど……」
なぜ、どうやって、と疑問に思うことは良い事だ。
最近の宵闇との会話でその癖がついてきた彼女は、ぐいぐいと質問する。
それをディーが厭うはずもない。
「ああ。それに関しては、我の属性が“火”だからな。通常とは逆の使い方をしただけだ」
「??」
頭上に疑問符が見えるような麗奈の表情に、ディーは言った。
「おそらくお前の場合、後で宵闇に尋ねた方がわかりやすいかもしれんが」
そう前置きしつつ、彼女は言う。
「――我にとって、ニンゲンの言う“魔力”とはこの世界に普遍に拡がる“気”を意味する」
当然ながらピンときていなさそうな麗奈。
微笑して、ディーは言った。
「――その気が、動植物に宿れば、ニンゲンたちが言うところの“植物”に、流体に宿れば“水”に、金気に宿れば“金属”に、死体に宿れば“土”の気に――すなわち各属性の魔力となる。それが我の理解でな」
「その中でも、我を構成する“火”の魔力は、より根本的な“気”に近い。何せ、この空間に宿った気が、“火”の魔力と言えるからな」
身振りで自身の周囲を掴むような仕草を見せ、ディーは麗奈へと視線を向ける。
そうしながら言葉を継いだ。
「どうやら大概のニンゲンは“火”の魔力を、火を操れる力、とだけ捉えているらしいが、実のところそれは、ほんの表層的な使い方でしかないのだ。
より魔力の扱いに慣れていれば、火を操る、という行為は、それすなわち、魔力を用いて熱を与える、という行為だと理解できる」
「……長々と語ってしまったが、ここまで大丈夫か?」
理解を測るようなディーの問いに、麗奈はゆっくり頷いて言った。
「はい。たぶん」
おそらくざっくりとしか伝わっていないだろうそんな反応に、「詳しくは宵闇にでも訊いてくれ」と苦笑しつつ、ディーは言った。
「物体に熱を与えることが可能なら、逆もまたしかり。――つまり、“火”の属性を扱えるならば、物体から熱を奪い凍らせることも可能、ということだ。……まあ、当然、習熟が必要になるが」
もしこの場に宵闇がいれば、かなり微妙な表情を晒しつつ「……物体の分子運動に影響を与えるのが“火”の魔力か」とでも呟いたことだろう。
同じ理解に達したかどうかは不明だが、麗奈もまた納得できたらしい。
「それで、ディーさんが泉の氷を作り直したんですね」
彼女が言えば、ディーも微笑みながら頷いた。
「ああ。……ちなみに、アルフレッドはまだそこまで“火”の扱いに慣れていないらしくてな。相当、恥を忍んでいたんだろう、今まで見たこともない仏頂面で我のところに来てな」
彼女は声音に笑みを乗せる。
一方、さすがに怖気づいた麗奈は恐る恐る言った。
「それ、私が聞いてもいいんですか……?」
ディーはちらりと微笑んで言った。
「では、訊くが。この話を聞いて、お前はアルフレッドのことをどう思う。何か悪感情を持ちうるか?」
「いえ、そんな。……感謝と、尊敬しかないです」
躊躇のない返答に、ディーは頷いて言った。
「だろう。すべては、彼奴が子供たちのためを思って為したこと。少しの危険も残さぬよう、森までの道を整備し、この場の雪を払い、泉の氷を確かめた。……少しは見返りや助けを求めればいいだろうに、まったく何も言わず、ほとんど1人でな」
間違いを起こさなければ、何も言うつもりはなかったのだろう。
そう続けたディーに、麗奈は改めて真面目な顔になる。
「……あとでお礼言わなきゃ」
呟いた彼女へ、ディーは言った。
「お前は、そういうところが素直で良いな。……だがその際、たとえ突き返すような言葉を言われようと、悪く思わないでくれよ。……彼奴は、そういう性状なのだ」
そう言われ、数秒、麗奈は困惑の表情を浮かべたが、やがて納得して言った。
「あー、確かに。……なんとなく、わかるような気がします」
ちなみに、彼女の脳内では想像上のアルフレッドが顔をしかめて言葉を迷う様子がシミュレートされていた。
その後に何を言われるのかは……、まあ、ご想像の通り。
少なくとも、天地が逆さになろうと笑顔は返ってこないだろう。
そんなほぼ間違いない未来予想に、麗奈は今の時点で及び腰だ。
何しろ、彼女はただでさえアルフレッドに引け目があった。
初対面時の彼女的に失礼な態度もさることながら、そもそも近寄りがたい雰囲気を発する彼に、積極的に話しかけるのは至難の業だ。何を考えているかも読み取れず、ましてや生まれも育ちも違う相手と共通の話題を探すのはなかなかに度胸がいる。
常々、あのお綺麗な顔に睨まれても呆れられても平然と対応する宵闇を、すごいと思っていた麗奈だ。
そんな苦手な相手に相対するのだ。お礼を求められていない現状、麗奈が自主的に、嫌な思いをしてまで感謝を伝える必要性はないと言えたが……。
「でも。言わないといけないので、覚悟して行きます」
「ふふ。そうか」
その返答を聞いたディーは、何か言いたげにあらぬ方を見遣ったのち、微笑のまま遊びまわる子供たちを眺め続けるのみ。
ちなみに。
この会話も全て本人に聞こえているかもしれない可能性については――。
少なくとも、麗奈は思い至っていない。
第109話「次は遮断できるようにする――とのこと」