第107話「諦観」
視点:3人称
※キャラクターの性格設定上、心無いセリフがあります。平にご容赦ください。
ロウティクス城の一室、雄爵筆頭アルフレッドの使用人たちが詰めるその部屋の戸が、コンコンと廊下側から叩かれる。
間もなく開いたそこに、ひょこりと覗いたのは黒髪黒目の男。
「子供たち、連れてきましたよ」
端的な報告に、返答したのは室内の女性。
「ショウ様、どうぞこちらへ。ハク、お願いするわ」
「ああ」
近場にいた白髪の男に指示しつつ、彼女はショウと呼びかけた相手、およびその後ろに続く子供たちを室内へと招きいれる。
一方、白髪の男――月白は、次いで入ってくるアランやセリン、イサナ、麗奈を促し、外出の準備をさせ始めた。
今日は天気もいいため、子供たちはかねてより計画していた、遠出をすることにしたらしい。
ちなみに青藍も一緒だ。
時刻は午後。
午前中の片づけをしたのち、宵闇がこの部屋まで連れて来たところ。
セリンは甲斐甲斐しく月白に世話されながら、今にも飛び跳ねそうなほど楽しげだ。アランとイサナもいそいそと準備を進め、一方、いち早く着こみ終わった麗奈は、走り寄ってきた青藍や真緋と、どんな遊びをするかでニコニコと話しをしている。
ちなみに、青藍は寒暖差を気にしないため、服装はほぼ普段着のまま。ニンゲンを装うのに申し訳程度の外套を羽織るのみ。傍目にはものすごく寒そうだ。
そんな騒がしい子供たちの様子を部屋の端で眺めつつ、宵闇の隣でシリンが言った。
「いつもありがとうございます、ショウ様」
幼い兄妹に、彼が勉強を教えていることへの感謝だった。
まっすぐ見つめてくるシリンに、軽く口端を上げて宵闇は言う。
「昔取った杵柄を活かせるので、俺も本望ですよ」
日本語特有の言い回しに、シリンは一瞬意味を掴みかねたが、まもなく察して頷いた。
「前世、のことですか」
「ええ」
宵闇も頷き返して苦笑する。
「――子供たちにモノを教える仕事がしたかったんです。といっても、結局違う職に就きましたが」
「……そうだったんですね」
補足しておくと、職業選択の自由など、この世界には存在しない。
親の生業をそのまま継ぐのが一般的な認識のシリンからすると、そういったなんらかの事情――家格が釣り合わなかった等――で夢破れたのだと考える。
何しろ、宵闇の「教え方」は堂に入っていた。知識もある。
才能は明らか。
そのうえで叶わなかったのならば、どうにもならない事情があったのだろう、と。
だがもちろん、そんな事はない。
実のところ、彼には教師として必要な、とある才が欠けていた。
だからこそ諦めた。
ただそれだけの、単純な話。
宵闇は苦笑を深めて言った。
「――なので、今の状況は俺の趣味に、貴女の子供たちを付き合わせているようなものですよ。アラン君もセリンちゃんも可愛い生徒で、教え甲斐がありますし」
「ふふ。ショウ様も楽しまれているようで」
そんなことを話していれば、間もなく外に出る準備が整った小さな兄妹が駆け寄ってきて言った。
「かあさま! いってきます!」
「きます!」
これに、シリンは視線を合わせて膝を突く。
「はい。くれぐれも気を付けて行ってきて。ハクやディーさんの言うことをよく聞いて」
「わかりました」
「うん!」
順に応える我が子たちに微笑んだシリンは、次いで、同行する2人に向き直る。
「ハク、ディーさん、よろしくお願いします」
「ああ。責任もって預かろう」
微笑んで応えたディーに対し、ハクは慣れた様子で頷くのみ。
ちなみに、今日の子供たちが向かうのは、イリューシアの森の泉だ。
今頃、氷が張っているだろうと言った青藍の言葉がきっかけで、主にセリンが行きたがった。もちろん、麗奈も含めて強く主張はしなかったが、他の皆も同じようなものだろう。
本来なら危険極まりない目的地だが、現在では言わずと知れたアルフレッドの管理区域。青藍も転移の精度が上がり、以前あったような事故もなくなっている。
月白と真緋も引率として付いていくことにして、そうしてやっと、子供たちの希望が叶えられることになった形だ。
ついでに言うと、本日の予定に最後までいい顔をしなかったのはアルフレッドだ。
あくまで安全を慮っての反応だったが、既にイサナや麗奈も立ち入っている場所であるし、なんでも禁止にするのも楽しみがないからと、おもに真緋が仲裁に入って今日に至る。
そうして整えられた外出。
まだ見ぬ光景に目を輝かせるセリンはハクに抱えられ、アランにイサナ、麗奈たちは、青藍、真緋と会話しながら外へと向かう。
やがて、楽し気に声を弾ませる子供たちがぞろぞろと出て行けば、パタリと閉じた戸と共に、唐突に部屋が静かになった。
「……本当に、今の状況には感謝しかありません」
見送りとして上げていた片手を降ろしながら、ポツリとシリンの言葉が響く。
何事かと視線を向けた宵闇に微笑んで応えながら、彼女は言った。
「あの子たちには、農民か猟師か、そのような道しか用意できないと思っていましたから」
合点がいったと頷きながら、宵闇が言う。
「……少なくとも、アラン君には向いてなさそうですね」
「やはりそう思いますか」
苦笑するシリンに、宵闇もまた似たような表情で付け加える。
「もちろん、まだ将来はわからないですけど」
シリンは頷き、片手を顎に添えながら微笑んで言った。
「セリンは夫に似て活発な子ですが、アランはどうやら私に似たようです。身体を動かすよりも、知識を得るほうが好きなようで」
「そうでしたか」
やがて、仕事があるので失礼します、とシリンが退室していけば、部屋に残るのは宵闇ひとり。
子供たちの勉強を連日で見ていたため、たまの休みと今日は何も予定がなかった。
彼もまた、どこかに立ち去るかと思われたが……。
次いで、その部屋の戸が開いた時、入ってきたのはレイナだった。そして彼女が見たのは、戸を背にして椅子に腰かける男。
「チっ」
「おいおい、早々舌打ちとは随分だな」
室内の簡素な卓から、宵闇は苦笑とともに首だけで振り返る。
レイナは構わず、吐き捨てるように言った。
「なんであんたがここにいるんだ」
「誰もいない時間を狙ってるのか」
宵闇が反射で訊き返せば、卓の向かい側に回り込んできていたレイナが、盛大に顔を顰めて言った。
「問いに問いを返すんじゃねえよ」
それもそうだと苦笑を深めつつ、宵闇は言った。
「別に理由なんかないさ。……今日はもう予定がないから、なんとなく、ぼうっとしていたくてな」
「ご苦労なことだな」
「……」
雑に椅子を引き、卓についたレイナ。
ちなみにこの部屋は使用人たちの休憩室だ。時間的には昼食後の片付けがひと段落した頃合い。
休憩にしては少し早いが、人気を避けた結果、この時間なのだろう。
レイナは一息つくように肩をゆっくり上下させたのち、対面を見やる。
一方、数日前にも同じことを言われていた宵闇は、同じ答えを返しかけて押し黙っていた。言った人間も同じなら、何か意図があるのだろう。
実際、問い返すような視線を向けられたレイナは、肩を竦めて付け加えた。
「原因は別のようだが、あんたは最近、消耗している。そうだろう?」
子供たちの面倒を見ることで、ではないが、それが遠因となって疲労している。そんな指摘に、宵闇は笑みを引っ込め、首を傾げて言う。
「……まあ、確かに。――傍から見てそんなにか?」
「どうだろうな」
宵闇の問いに、レイナは関心も低そうに言った。
「おそらくだが、ワタシは他の奴らと一緒に行動しないから、お前が油断した瞬間の表情を、たまたま見てるんだろうよ」
「そうかい」
なんとも言い難い表情を晒しながら、宵闇は言う。
「まぁ、どっちにしろ、お気遣い感謝するよ」
「ふん」
そうして一旦途切れる会話。
ちなみに、レイナは卓に対して斜に座り、正確には宵闇の斜め向かいにいる。
侍女姿で足を組み、瞳を伏せ腕も組む。
この世界の女性はまずしない仕草。
ついでに、裾の長いスカートの内側には案の定、小太刀が脚に括り付けられている。
当然、真剣。金属の塊だ。
重量もそれなり。
だが、それを感じさせないバランスの取れた足運びはさすがの一言。
「……」
そんなことを考えていれば、不意にぎろりと、濃い碧眼が宵闇に向いた。
「……なんだ? 視線が鬱陶しいんだが」
そこで初めて、彼は自分がレイナをしげしげと観察していたことに気づいたらしい。
目を軽く見開きながら、宵闇は言った。
「あぁ、いや。……さすがに不躾な疑問でな」
そうして視線を逸らす彼に、レイナは挑発するように口端を上げる。
「言ってみろよ。そのあと何するかは保証できないが」
「おお、こわ」
おどけて苦笑しつつ、宵闇は言った。
「――それじゃあ、それ相応の覚悟をもって訊くんだが。
自己認識として、あんたは男なのか? 女なのか?」
事前に断っていたものの、唐突で文字通りの失礼な問いに、レイナは一瞬言葉を無くす。
「……いいだろう。お望みとあらばこの場で脱いで証明してやる」
「おい、やめろ。望んでねえよ」
そういう意味の侮辱と理解し、上着に手をかけるレイナ。
一方の宵闇は、慌てもせずに片手を挙げて押しとどめた。
「だから訊かないでおこうと思ったんだ。それに、俺が言いたかったのは身体じゃなくて心の話。だが、今の反応で答えはわかったよ。悪かったな」
ため息を吐くように言われたそれに、レイナは眉をひそめて言い返す。
「……その2つを分ける必要性を感じないが」
そんな真っ当な指摘に、宵闇はにやりと笑って言った。
「別に全くの無関係ってわけじゃないが、実のところ、身体と心は分けて考えるほうが正確らしいんだ」
そうして首を傾げ、言葉を継ぐ。
「ほら、俺たちの身近にもいるじゃねえか。身体は男だけど、心が女性のベスが」
これにレイナは、片眉を上げて呆れるように言った。
「あれが? オレ――ワタシはてっきり、ど下手な女装かと」
思わず出てしまったのだろう“オレ”という一人称を言い直しつつ、彼女は言った。
対する宵闇は、例に挙げなきゃよかった、と後悔しながら確認する。
「…………それ、本人に言ってねえよな」
「必要ないからな。口には出してない」
まったく悪びれた様子もない彼女に、宵闇は諦めとともに息を吐く。
「まぁ、いい。そういう捉え方も仕方ないからな」
「で? 身体と心がなんだと?」
意外にもレイナの関心を惹いていたらしい、この話題の継続に、宵闇は身体の重心を右に寄せながら言った。
「ズレることがあるんだよ。というか、そもそも、男女の性差は身体も心も連続的で境界がないからな。確率的には必然と言ってもいい」
「……」
「何しろ、身体の基本設計図は同じだから、女として生まれながら後天的に男に変化する、なんていう症例もあるし。
心に関しては、一部では男性的、一部では女性的、それを全体で見渡した時に、どっちの割合が大きいかで判断するのがより正確だ。
もちろん、中間もありだ。人間にも両性具有の人はいるし、心がどっちつかずの場合だってある」
相手の理解力を度外視した言葉選びは意図的だった。
なにせ、現代の地球でさえ、容易には理解されない内容だ。
この世界の常識に照らし合わせれば、一体どこから補足を入れればいいのやら。
独り言と表現しても過言ではない言いように、当然のごとくレイナは理解を放棄し、かろうじて拾った部分のみを訊き返す。
「……女が、男になる?」
「ああ、本当にごく稀な話だが」
「……」
きわめて真面目な顔で返され、今度こそ彼女は二の句が継げない。
宵闇は構わず、半端にてきとうな知識で言った。
「生物ってのは、基本的にメスの身体がベースでな。そこにオスとしての情報を加えることで身体的にオスになる。その追加情報に何か不具合があると、ヒトでも生まれた後に性別が変わったりする、んじゃねえかな」
魚類とかだと、後天的な性転換はあまり珍しくはないんだが。
今度こそ独り言を呟いて、宵闇は一応、相手の様子を窺った。
一方のレイナ。
こちらは、言葉を反芻してでもいるのか、数秒沈黙したのち言った。
「それが、全くのホラじゃないなら、面白い話だな」
対する宵闇は肩をすくめ、投げ出すように言う。
「信じるか信じないかはご自由に。どうせ、大多数の人間にとって生涯関係ない話だし。――ただ」
そうして言葉を切りながら、宵闇は体勢を整え、悠々と言った。
「そういうこともあるんだってことを、承知だけしといてくれると嬉しいね。そうすりゃ、きっと世界は少しだけ平和になる」
お気楽かつ適当な言葉だったが、ある一面では事実だろう。
「……平和、ねえ」
対するレイナは、吹けば飛ぶようなその言葉に、一切の価値を感じていない声音で呟いた。
第107話「諦観」