第106話「鼓腹撃壌とは似て非なる理想」
「ところで」
ふと、話題を変えるようにアルが言った。
「――セイジカ、とはなんですか?」
「やっぱそこ訊いてくるかぁ……」
俺は、意識して大仰に身を起こし、苦笑する。
それにしても、なんで俺も毎回、余計な単語を言っちまうかな……。
込みあげる可笑しさに逆らわず、俺が緩く口端を上げれば、向かいに座るアルも同じようなことを考えているんだろう。呆れの見える表情で言った。
「既に、あなた方の社会がミンシュシュギという制度に則っているのは聞きました。また、身分の垣根が実質的にないことも」
確かに、軽くそこらへんは説明したことあるな。
背もたれに身を預けつつ視線で促せば、アルは言う。
「――ですが、あなたの言葉から察するに、セイジカという権力者はいるようですね?」
俺は苦笑を深めて言った。
「まぁ、そうだな。その立場にある人間を“権力者”と表現しても差し支えはないだろう。一応、条件さえ満たせば誰でもなれるチャンスはあるんだけどな」
そんな答えに、アルは軽く首を傾げて言葉を迷う。
何をそこまで疑問に感じているのかと見ていれば、やがて、こいつにしては珍しいくらいの不満げな顔で言った。
「――そもそも、僕にとってはミンシュシュギからして理解しにくいんですが」
「ハハっ! ……だが確かに。こっちじゃあ、まだ意味不明に感じるのかもな」
俺はゆっくりと足を組みかえながら、言葉を探す。
何しろ、ずば抜けて理解力の高いこいつが「理解しにくい」と言ったからには、もう一度同じような説明をしたって時間の無駄だ。
表面的な思想や、制度、そんなものについてではなく、もっと根本的な話を要求されているんだろう。
「――じゃあ今回は、民主主義が生まれるまでの流れを、ざっくり説明してみようかね。ちょうど、さっきの話題にもつながるし」
「……先程の?」
訝し気に見てくるアルに頷き返し、俺は言った。
「上に立つ者がルールを破りすぎると信用をなくす、ってやつだよ」
「……どう、関係するんです」
「まさにドンピシャな話でな」
心なし顎を引いたアルの一方、俺は内心楽しくなりながら言った。
「地球においても、かつてはこの国のようにただ1人の国王が国のすべてを所有し、貴族たちがそれを支え、一般市民が労働力として消費される、そんな社会が主流だった時代があるんだが……。そこに、デカい風穴を開ける出来事があった。――革命だよ」
右のひじ掛けに体重を移動させ、俺は片肘をつく。
一方、椅子に深く腰掛けたアルは、言葉を選びつつ言った。
「……その文脈だと、カクメイとは、身分制度を根本から覆すなんらかの動き、といったところですか」
俺はゆるりと笑って言った。
「ああ。しかも、そんな柔らかーい“動き”、なんてものじゃない。血で血を洗う、まさに明日を賭けた闘争だ」
そんな表現をすれば、おおよそのイメージは伝わったのか、アルが眉を顰めて言った。
「すなわち、労働階級が支配階級に反旗を翻した、と?……そんなことが可能なんですか。――というか、そもそもなぜそんな事態に?」
「よくぞ訊いてくれました」
ニヤリと笑って俺は言う。
「――その、なぜ、という部分が、さっきの話に繋がる」
アルにはこれだけで十分だったらしい。
ほとんど間もなく言った。
「……それほどまでに、支配階級に対する、人々の信用が尽きた、ということですか」
「ああ」
俺は頷き、次いで言った。
「まぁ、なにせ同じ体制が継続して長かったからな。一般市民と、貴族・王様の感覚が、隔絶して久しくなりすぎた。様々な要因が絡む話だが、概説すればそんな感じだ」
「……」
これに、アルは深刻な顔で何やら検討し始めたようだったので、俺は宥めるように言葉を足す。
「別に、この国で明日にでも起こる、なんて話じゃない。恐らく数百年くらい経たねぇと同じことは起こらねえよ」
「……」
何しろ、この国の理想は鼓腹撃壌。
アルやルドヴィグの言動を見ていれば、それは明らかだ。
ちなみに、「皇帝の力がどれほどのものか。衣食住足りている俺には関係ないね」と、酒に酔い陽気に歌う太った爺さんを見て、古代中国の伝説の帝が「うん、平和だな」と確信した、という逸話が“鼓腹撃壌”の大まかな内容だが。
要は、一般市民が政治のことを一切考えることなく毎日気楽に暮らせるほど、その日々が当たり前である、ひいては支配階級(この場合は皇帝)が果たすべき責任を当然の如く果たしている――そんな世界が、古代中国における1つの理想だったことを示す話だろう。
一方の“民主主義”。
これは、国民全員が政治に参加するのが前提であるからして、その目指す姿は似て非なるものと言えるだろう。
そして対する、オルシニア王国。
その名に“王国”と付いている通り、この国の政治体制はまさに君主制だ。それも、支配階級が呆れるほどに自制的な、古き良き理想的な君主制と表現してもいい。
国の運営や安全保障といった義務を支配階級が果たし、見返りとして労働階級へ徴税と言う名の権利を行使する。そんな関係性を、ある程度実現できているのがこの国の現体制だ。
そのバランスが釣り合っている限りは、この“王政”という政治体制も悪くはない、のだが……。
「とはいえ、きっといつかはこの世界でも起こるんでしょうね。そのカクメイ、とやらは」
「ああ、たぶんな」
アルの言に俺は頷く。
地球人類の歴史を鑑みるに、十中八九、階級闘争は起こるだろう。何しろ、欲望に弱いのが人間だし、いくら頑丈な体制を作ろうと世代交代していくのもまた人間の特徴だ。
ある一面ではそれが人類発展の一因でもあるが、残念なことに、負の結果をもたらすこともよくある話。
念入りに築き上げた国家体制が、徐々にほころび崩壊していく。その過程は、驚くほどに呆気ない。
そんなことを俺が考えていれば、一方のアルは、いつか起こるであろう革命という動乱に思いを馳せていたのか、こんなことを言った。
「……一体、どれほどの人間が死んだんです」
そこを訊いてくるか。
相変わらずな相棒に、俺は苦笑しながら言った。
「それはもう、正確な数もわからないほど、だ」
「……」
俺は言葉を継ぐ。
「革命は、様々な形、様々な国で起こったことだが、その中でも初期の方、最も大規模な革命の1つがおこった国では、まず正規軍と民衆の衝突で多大な被害がでた」
「……」
「だが、死んだ人間はそれだけじゃない。過程は色々挟むが、結果としては民衆の勝利。ではその後、何が起こったかと言えば――。既存の支配階級の、徹底的な排除だ」
固い表情を崩さないアルへ、俺は淡々と言った。
「まず、死刑になったのは国王、次いで王妃。どっちも斬首刑。しかも、国の中心部の大広場で、一種の見世物として殺された」
「その他、貴族なんかの特権階級者、王家を擁護した知識人、さらには革命の主導権を巡った派閥争いで、あらゆる罪もない人々が同じくみんな平等に斬首刑。その他もろもろ、戦争なんかもあったから、関係する死者数は100万とか200万とか、だったかな」
俺が曖昧な知識で言葉を連ねれば、無言だったアルがポツリと言った。
「……それが、ただ一国での出来事ですか」
頷きながら俺は言う。
「規模は違えど、他の国でも似たり寄ったり、同じことが起こったな」
そうして、懐かしき歴史の授業を思い返しつつ、俺は目を閉じて言った。
「そもそもが、国の正規軍と数だけが頼みの一般市民の戦いだ。死んで元々。
どうにもならない不自由の中で死ぬか、――せめてムカつくあの野郎どもに抗って死ぬか。……そんな、究極の状況、だったんじゃねえかな」
ま、幸いなことに、日本ではそういった市民革命は起こってないが、強いて言えば明治維新がこれに近い。
主に武士が主役の派閥争いであって、身分をひっくり返す階級闘争ではないが、多くの人間が死んだのは広く知られている通り。
とにもかくにも、社会制度を変えるというのはそれだけ犠牲が伴う、ということだろう。
悲しいことだが。
「――そうして。……多くの血を代償に身分制度を覆し、あなた方は何を得たんです」
更なる突っ込んだ問いに、俺は苦笑を深める。
「何を得たんだろうなぁ」
そうして言葉を選びつつ、俺は言った。
「……生まれながらの自由と平等、あらゆる権利。――そして、更なる混乱と細分化された多大なる義務、かな」
「……どういう意味です」
俺もアルに訊かれて初めて思い至った答えだ。
それを慎重にまとめつつ、言った。
「要は、王や貴族に一極集中していたあらゆる権利と、国を運営していくという重い義務と責任が、平等に、1人1人に、切り分けられ、保有されることになった。……それが民主主義と言えるんだろう、と思ってな」
これに、アルは首を傾げて言った。
「当然でしょうね。その義務と責任を果たしているからこそ、この国では王族・貴族が民の上に立っている。それを力づくで排除したならば……」
そこまで言って、アルの中でも何かがつながったらしい。ふと言葉を切り、改めて言った。
「――ああ。そういう意味での混乱と義務、ですか」
「まあ、ざっくり言っちまうとな」
俺が頷けば、アルが言う。
「その状態を収めるため、考え出されたのが民主主義、だと?」
「そんな感じだ。実際にはいろんなやり方が生まれたんだが、当時もっとも上手くいった方法の主流がそれかな」
正確に言えば、大別して民主主義と社会主義の2つが生まれ、更に細かいことを言えば、国の数だけやり方が異なると言っても過言じゃない。
とはいえ、ここでそんなことを口に出せば、どんどん話題が広がっちまうので俺は大人しく口を閉じておく。
まだまだ今の話題だけでも話が尽きないしな。
「――民の1人1人に政へ参加する権利が与えられる……」
自分に言い聞かせるように呟いたアルが、溜息を吐くように言った。
「よくもまぁ、それでうまくいきますね」
「お、なんでそう考える?」
俺は面白くなって訊いてみる。
対する相棒は、呆れにも似た表情を浮かべ言った。
「自明なことでしょう。皆が等しく政に関わるには、それだけの知識と判断力を、皆が持っていなければならない。でなければ、無為無策の乱発で、国が傾くのは必至」
「そう。まさにその通り」
もっともらしく頷いていれば、わずかに目を見開いたアルが、ひじ掛けに片肘つきながら言った。
「……そうか。それで教育も……」
うんうん。
そこまでピンピンと察してくれるのはさすがだ。
民主主義を成り立たせるうえで、垣根のない教育は必要不可欠。
自分でそこまで辿り着いてくれるあたり、やっぱこいつと話すのは楽しいねぇ。
俺が無言でにこにこしていれば、なぜかアルの眉間に皺が寄る。
だが、アルが口にしたのは何かしら感じた不満の方ではなく、別のこと。
「実はずっと疑問に思っていたんです。あなたほどの知識を有しながら、前世では特に官職に就いていなかった、一般的な職だったと聞いて。……そんなことが、あり得るのかと」
「あー、平均と比べれば、確かに俺はモノを知っている方だがな。……ただ、前世で言えば、俺程度、凡百のうちだろうよ」
何せ、上には上がいるもんだ。
俺はギリギリ狙えて秀才どまり。ついでに言うと、社会不適合ぎみだから、さらに価値は落ちるかな。
俺が内心で独り言ちていれば、対するアルは、心底疑わしそうに言ってくる。
「……あなたのその自己評価が正当であるか否かは、確かめようがないので保留にしますが」
なんだよ、まごうことなき正当かつ客観的な評価だよ。
「とはいえ、あなたがそう感じる程度には、地球における教育は広く高度で、ほとんどの民がそれを安易に享受できる状況、ということですか。なるほど」
「ああ。かなり地域差はあるがな。少なくとも、俺が生まれ育った国ではそれが法によって保障されている」
「恵まれたものですね」
アルのストレートな感想に、俺は色んなものを飲み込みながら、苦笑して言った。
「そうだな。……こっちに生まれ直して比べるに、俺は心底、以前の環境が豊かだったんだと実感するよ」
ホント、“旅”はしてみるもんだよな。
俺の場合、2度と戻れないことだけが残念だが。
第106話「鼓腹撃壌とは似て非なる理想」