第103話「懐古」
子供たちも混じり、わいわいと賑やかな食卓。
シリンやハクも揃っており、アランやセリンにとっては家族のだんらんだ。
また、食事の習慣がなかったディーやアオも味覚への刺激は楽しいらしく、毎食律儀に食堂へ来ては珍しそうに一口一口味わっていく。
既に見慣れた光景だ。
もちろんここにイサナや麗奈、宵闇も加わり、王都の屋敷では考えられなかった大人数での食事になる。
最近では、ほぼ必ずアルフレッドも姿を見せるため、その人数分の調理を一手に担うベスはとても楽し気だ。
東部アレイア特有の食材も段々と扱いが分かってきたらしく、メニューのバリエーションも着実に増えている。
そんないつものお昼時。
食事も終わりかけた食卓で、図らずも2人分の声が重なった。
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさまです」
宵闇と麗奈だ。
宵闇は食器を置いて軽く頭を下げ、麗奈は律儀に両手を合わせてぽつりと言う。その一切躊躇のない慣れた仕草。
そんな彼らを興味深そうに眺めていた者――ベスが、不意に言った。
「ショウとレナって、同郷よね?」
「なんだ突然。そうだけど」
あらかた大人たちの食事は終わっており、子供たちもあと少し、といったところ。そのため、卓上を片付けようと動き始めていた彼――いや、彼女は、手を止めずに重ねて訊いた。
「食前と食後のそれは……神への祈り、なのかしら?」
その大きな両手に何枚も皿を乗せながら首を傾げるベスに、宵闇は「ああ」と得心の声とともに言った。
「いただきます、ごちそうさまってやつか」
ベスは頷く。
「ええ。ずいぶん簡易な祈りだけど、必ずやっているから2人とも意外に敬虔なのかって気になってたの。でも、それにしてはなんでも食べるし、禁忌も特にないようだし、不思議でね」
「あー、気にしてくれてたのか、ありがとな」
食事を用意する者として、各人の好みや食べられないモノ、そして宗教上のタブーには気を払っていたのだろう。調理人として当然のことをしたまでだったベスは、思いがけず礼を言われ灰色の両目で驚きを示す。
一方の宵闇は、麗奈にチラリと視線を向けたのち、ベスを見て言った。
「ひとまず俺の感覚として、あれは神への祈りじゃなく、食材へのあいさつなんだ。あとは、作ってくれた人への感謝かな。少なくとも俺はそういうつもりで言ってる」
「……そうなの」
「ああ。――“ありがたく頂きます”、“ご馳走をありがとうございました”ってな。習慣なんだ」
宵闇の答えに、麗奈がふと気づいたように言った。
「そういえば私、無意識で言ってましたけど、みなさんは何もしてないですね」
そうして周囲を見た麗奈に応えたのは、卓の上座、宵闇の斜め隣に座るアルフレッド。
「ベスの言った通り、この国では教会関係者くらいですよ、食前の祈りをするのは。特に地母神ガリアへの信仰を重視する者たちですね。僕も以前はやらされていましたが、孤児院を出てからはやっていません」
そばにいたローランドも、アルフレッドの食器を下げつつ言葉を添える。
「あるいは、港に行けば海を渡ってきた者たちが、食膳を前になにやら手を振り回す仕草をするのを見かけますね。彼らは彼らでまた別の神を信仰している、と聞いたことがあります。その神への祈りなのだと思いますが」
「へえ」
異世界文化に麗奈が感心すれば、今度は宵闇が言った。
「ちなみに地球だと、食事の前後にお祈り以外で何か言うのは日本人くらいらしい。ま、元は仏教から来た習慣だから、日本人のこれも宗教絡みのお祈りって言えばそうなんだが」
多くの日本人の感覚と同じく、「そう教わったから無意識に言っている」麗奈からすれば仏教が関係してると聞いても実感に欠けるのだろう。微妙な表情で首を傾げた。
「え、あ、確かに……そう、なるんですかね?」
そんな反応に、周囲がその実態を察するのは簡単だ。すなわち、宵闇が言った通りの意味合いが強いのだろうと。
腕を組み、片方の手を顎に当てながらベスは言う。
「神々への言葉じゃなく、食材への感謝、というのは面白いわねぇ」
この感想に、当たらずしも遠からずなニュアンスを感じ、宵闇は苦笑して言った。
「まあ、説明が難しいんだが」
そうして卓に肘を突き、顎に片手をやって言葉を継ぐ。
「――俺たちの文化では、あらゆるモノに意志が宿ると考えるんだ。大きな石や大木、長年使われた道具、どんなに小さな命でも。で、そのすべてを一応“神”と認識する。その総数は八百万。つまり、それだけあらゆるところに存在してるって意味でな。この国にもいろんな神がいるだろうが、まあ、桁が違うだろ?」
実際、男の口から飛び出た大きな数字に驚きつつ、ベスは食べ終わった子供たちの皿をまとめ始めながら言った。
「それじゃあ、歩くのも食べるのもろくにできないんじゃない? 神を踏んだり食べたりしてもいいわけ?」
理解の早い話に、宵闇は楽しそうに微笑んで言った。
「いいんだよ。だからこそ一言食べる前と後に断るんだし。
しかも俺たちにとっては神も妖精も悪魔も――この世界で言うと魔物か、とにかく色々一緒くたでな。“侵すべからざる絶対的な上位者”ってわけじゃない。隣人なんだ」
そんな表現に、聞いている者たちはみな一様に混乱したような、変な表情になる。ちなみにアルフレッドは既に知っている話なので無反応。
一方の男はますます面白そうに言った。
「もちろん人によって感覚は違うんだが……。同じ空間で生活しているちょっと違う存在。時には利益、時には害をもってくる、理解不能なお隣さん。……俺たちにとっての神ってのは大概、言葉にするとそんな感じなんだ」
「その関係だと、踏んだり食べたりもアリなのね」
「そう。まあ、場合に寄るし、質が悪ければ罰も当たるが。……お互い様だからな」
曖昧に頷いたベスは「そんな考え方もあるのぇ」などと言いながら、仕事に戻っていく。納得はしたが、理解はできないと言ったところか。
ついでに補足すると。
今の会話を他の一般人、特に敬虔な宗教関係者に聞かれた場合、神々へのあまりの冒涜に眼を剥いて抗議してくるか、一切聞かなかったことにして無視されるか、といった、まさに劇物だったりする。
何しろ、他宗教の神を容認するようなベスやローランドの言動に、食前の祈りを否定的に語ったアルフレッド。何よりも、“神が魔物と同じ”と言ったに等しい宵闇など、禁句のオンパレードと言ってもよかった。
実際、同じ空間で話を聞いていたシリンなどは、苦笑しながらもその口元は引き攣り気味だ。聡明な彼女は受け入れられる話なのだが、あまりに危ない話題にハラハラしている、といったところか。
だが、ある意味この場に神を妄信するような人間はいない。何しろ、各人がそれぞれに社会から弾かれた存在だ。ベスやローランドなども神へ祈り、裏切られたこと数知れず。端から拠り所にしていない。
それは宵闇も承知のうえだった。
食事を終えれば、やがて食堂を出て行くのは当然だ。
宵闇たちが話している間に、ハクとシリンに手を引かれた幼い兄妹が部屋を出た。麗奈やイサナ、真緋に青藍も銘々にその場を立ち去っていく。
それはもちろん、宵闇も同じだった。
「さて、それじゃあ、俺は戻るよ。美味しかったぜ、ベス。ローランドさんもお世話様です」
「はーい。毎回ありがとねぇ」
席を立ちながらの言葉に、ベスは肩口から振り返って応え、ローランドも柔和な表情で会釈する。
次いで、イスを引いて立ち上がったのはアルフレッド。
「夕食もこちらで食べます」
「承知しました」
ローランドへ端的に告げたのち、彼は言った。
「……それと」
だが、珍しく言葉を迷い、彼は視線をうろつかせる。
宵闇が食堂を出て行けるくらいには長い間が空き、扉の開閉音が響く中――。何事かとローランドとベスの視線を集めながら、一息ついた彼は言った。
「僕も、美味しいと思っています」
「!!!」
ちなみにこの瞬間、あまりのことに呆気にとられたベスは、盛大にガチャリと食器を取り落としていたりする。幸いなのは、卓から持ち上げた直後だったということか。
さほど落下距離もなく、皿も割れなかったようだが、もちろんベスにとってはかなりの失態だ。
それを視覚でも聴覚でも捉えているだろうに、アルフレッドは無表情に、視線を卓上のどこかへ向けながら言った。
「人手が足りない、もしくは、欲しい設備などはありますか」
未だ呆然自失に近かったが、ベスはほとんど反射で受け応える。
「い、いえ、手が空いていればシリンやレイナも手伝ってくれますし、足りないものも特にありません」
アルフレッドは頷いて言った。
「そうですか。もし何かあれば言ってください。……それでは、僕も戻ります」
「ええ。良い午後をお過ごしください」
恭しく応えたのはローランド。
彼は当事者ではなかっただけに、既に何事もなかったように立て直していた。主を送り出し、その姿が食堂から出て数秒。
いまだに微動だにしない、自分よりも身体の大きな同僚のもとに歩み寄り、言った。
「良かったですね、ベス」
とりあえず。
なにがしかの反応が返るまで、かなりの時間がかかったとだけは、ここに記しておく。
「クロ」
「おお。なんだ?」
レイナに扉を開閉してもらい、食堂を出たアルフレッドは、既に扉脇にいた男と歩き出しつつ言った。
「先ほど――食事の前に、レイナへ何を言ったんですか。知識がどうのというのは聞こえていたんですが」
「……ああ、あれか」
珍しいことをさらりとやってのけたアルフレッドは、特に変わった様子もない。
当然、宵闇は何も気づかず、問われたことを思い出すのに数秒かかりながら、視線を前方に戻して言った。
「――知識は、絶対に奪われないただ1つの財産だ、って話をな。あいつが、知識を身に着けるのは無駄、みたいなこと言うから。……あ、もちろん、記憶喪失とか特殊な事例は除く」
付け足した言葉は独り言に近い。
そして彼が言ったのは、食前にレイナへ向けて語ったとある民族の話。彼らが語り継ぐという教訓の話だ。
青年は言った。
「……つまり、身一つしか持てないほど、住む場所を追われるような民族だったということですか」
そこまで聞こえていたのか、と顔に張り付けながら男は言った。
「そうだ。しかもその歴史はなんと約3000年。なんとか国を建国しても内部分裂したり、ようやく同じ土地に再建国しても他と揉めたり、でな。あとは、異教徒を認めない教義だから宗教的に反感を買いやすいし、とある別の宗教の聖人を金で裏切り殺した男がその民族出身だからってんで、金に目がない卑怯者、という印象を持たれがち、らしい」
「なぜ伝聞なんですか」
半歩先を行くアルフレッドがちらりと振り返れば、男は肩を竦めて言った。
「なにせ全部、遠い国の話で。俺にとって、というか日本人にとっては、宗教的な恨みつらみは理解しにくいし。……何千年も前に祖先が受けた迫害を理由に泣き狂う、なんてお前でもできないだろ? 万事、感覚が違いすぎてな」
「……」
多少混じった呆れの声音。
数歩、黙って進んだアルフレッドは溜息をつくように言った。
「裏を返せば、それだけ根深い歴史なんですね」
男も苦笑して頷く。
「まあ、そんな感じだ。で、話を戻すと、そんな長い長い迫害の歴史の中、その民族は知識を何より重視するようになったわけだ。明日をも知れない状況が常で、金も土地もすべてが不確か。信じられるのは己の知力のみ。――そうして子々孫々に伝えていた結果、人類史の重要な発見の多くを、この民族は成し遂げている。ひとまず、その点ではすごいよなぁ」
軽く響いたその言葉。
しかし、アルフレッドは呟くように言った。
「……自らに、価値をつけなさい。誰もが無視できないような、“力”を身につけなさい」
男は一歩大きく踏み出し、青年と並ぶ。
「お? 誰か偉人の言葉か」
興味を惹かれて尋ねた宵闇に、アルフレッドは首を振った。
「いえ……。とある、世話になった人の言葉です。
その人は、“力とは、知恵であり、振舞い方であり、魔法や魔術だ”と言った。……それを賢く用いて、自分の価値を高めろと」
「……なかなか、賢明な人だな」
「ええ。……かけがえのない人でした」
隠しきれない懐古の情とかすかな悲しみ、それを察しつつ、ゆるく、だが複雑な笑みを浮かべた宵闇は、前方を見つめながら言った。
「その人が言った通り、知は力だ。常の言動や、大きな力を扱うための技術や知識もしかり。……相手が知らないことを知っている、できないことができる」
「――それは、どんな小さなことだろうが……、いつか、絶対役に立つ」
その言葉は。
まるで自分自身に、言い聞かせてもいるようだった。
第103話「懐古」
2024/11/3 追記
この話では比較的持ち上げる方向で語らせましたが、最近の世界情勢等々を見ていると、正直言って、他宗教を排除し、そこはかとなく見え隠れする男尊女卑には、閉口する部分もありますねえ。
余計なことを書きました。
ご放念ください。