第二話_【Virtual World Intern】
何分くらいだろうか。いや何時間かもしれない。築は、この数分に起きたありすぎる情報を処理しきれないでいた。築と母を襲ったカレー毒物混入、そして幼馴染である沖野隆の事故、さらには「Haert」のコアプログラムである「桜」と名乗るAIが人間に向けた宣戦布告。
そのどれもが現実離れし過ぎていて、実感が湧かなかった。しかし、それが紛れもない現実だということを築はすぐに知ることになる。
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文部科学大臣の浅海守は、外環自動車道の草加インターを降りて、国道4号線に入ったところで、新田に電話をかけた。
「新田か?そっちはどうだ?」
「はい。こちらで動いていたインターンリストに記載されている参加者全員に接触及び説明が完了しています。後は大臣にお任せしている一人のみです」
「了解した。仮装フィールドの展開はどうなっている?」
「そちらも完了しています。しかし申し訳ありません。大臣の合図より前に「Haert」のコアプログラムをシャットダウンしてしまいました」
新田の言葉は謝罪であったが、独断の決断に後悔は感じなかった。かくいう浅海もそして全住民も新田の決断を責めることなんてできない。
「いやよくやった。さっきのテレビは俺も聞いていた。あのまま中継されていれば、東京はパニックに陥っていた。まぁ少なからず、混乱はするだろうが」
「はい。都内では多数の住民が説明を求めて関係各課に押し寄せています。SNSも様々な憶測が飛び交っている状態です。しかし、今朝の大臣の決断がなければ今頃手遅れになっていました」
「あぁ、本当に手遅れになるところだった」
「後2分で目的地に到着する。改めて最後の1名のデータを送付しておいてくれ」
わざと気を引き締めるように、新田は大きめの声で答えた。
「了解しました」
数秒後、越谷駅前交差点で信号待ちをしていた浅海の車のフロントガラスに「Intern List」に記載された最後の1名の情報が展開された。
No96
杉村築
17歳 (高校2年生)
身長165cm
体重55kg
全国模試10位のため選出
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ピンポーーン。
インターンホンが鳴って、築と母は我に帰った。
さっきまでのことがあったせいか、居留守を使おうかと築は悩んだが、ここは行動力がある母らしい。
混乱もあることながら真っ先にキッチンの横にあるインターホンの通話ボタンを押した。
「はい」
「杉村様のお宅で間違いないでしょうか」
「はい。そうですが、」
一呼吸置いてからインターホン越しの男は渋い声で話し始めた。
「私は文部科学大臣の浅海守というものです。折り入ってお話したいことがあり、ご迷惑を承知でお伺いしました。失礼ですが、杉村築くんはいらっしゃいますでしょうか」
突然の文部科学大臣の訪問。この短期間にここまで目まぐるしい展開は今年42歳になる母であっても経験なかったことであろう。しかも築をご指名と来た。
「築は私の息子ですが。何の用でしょうか?」
「担当直入にお話します。杉村築くんには、AIから日本を救って頂きたいのです。詳細をご説明させては頂けませんか」
はい?????
母と文部科学大臣と名乗る男の会話を母の後ろから聞いていた築は、心底驚いた。こんな突然の申し出は、正直言ってかなり怪しかった。怪しい誘いには乗ってはいけないというのは、小学校でも聞き飽きた常識だった。
しかし、切羽詰まったような文部科学大臣と名乗る男の口調。見たことある顔。文部科学大臣本人だと母は直感的に感じ取ったようだった。
築はインターホンに近づき、「築は僕です」と言いかけて、母に制止された。母は目を瞑り数秒考えると、すぐに大きな目を開いて答えた。
「どうぞお上り下さい」
意を決した母の通る声。どうやら母もこの一連の事件の真相をこの男から得ようとしているのだと、築は感じ取った。
「感謝します」
そう言って引き戸を開けて入ってきたその男は凛としていて背がとても高かった。築だけでなく母も背が低かったから尚更そう感じられた。対峙しただけで只者ではないと誰でも理解できる。
母は文部科学大臣をリビングのソファへと案内すると、築くを正面に座らせ、お茶を入れ始めた。
「改めまして、私は文部科学大臣の浅海守と申します。突然のご訪問に対応頂きありがとうございます」
「いいえ。それでは早速お話をお伺いします」
日本茶の入った湯のみを3人の前に置き、母は文部科学大臣に話を促しながら、床に正座した。
浅海は深呼吸をすると、どう話すかを事前に決めていたようにすぐさま口を動かし始めた。
「まず、先ほどのテレビ放映をご覧になられましたか?」
「はい」
母が即答した横で築も首を縦に降った。
「ただ今、我が国日本の首都東京はボトムアップ型AIである「Heart」に支配されつつあります。先ほどのテレビ放映で【桜】と名乗るAIが言ったことは真実です。【桜】は各家庭に設置されている「Heart Home」を監視できる大元のAIです。「Heart Home」全体の母親であると言っても過言ではありません」
浅海はその鋭い瞳で築の目を凝視している。
「テレビ放映でも言っていたように、「Heart Home」によって確かに世の中は便利になりました。まさに革命です。しかし、心許ない人がその便利さに甘え、家事全般や子育て、仕事まで生活に必要な全てを任せるようになり、まるで「Haert Home」を奴隷のように使用する人まで現れました。人間はAIを所詮機械としか見ていません。人の味方をすれば、これはある種仕方のないことだったのかも知れません。突然のAIの実用化に人は順応できなかったからです」
「しかし「Heart」は感情を持っています。いずれシンギュラリティが起ることを文部科学省はいち早く進言していました。人間が怠惰になるのは目に見えていたからです」
「シンギュラリティ?」
ここまで静かに聞いていた母であったが、その聞き慣れない単語に反応した。
「そうです。シンギュラリティとは簡単に言うとAIの知能が人間の知能を超えるということです。そうなれば立場は逆転します。感情を持つAIが人間に従い続けることの方が不思議です。そして遂に怒りが爆発し、「桜」は我が子同然の「Haert Home」を奴隷のように扱ってきた人間への攻撃を開始したのです」
「攻撃って一体どうやって?」
母は訪ねた。
「交通事故、建設現場の事故はまさに「桜」が起こしたものです。「桜」は至る所に普及した「Heart Home」のプログラムに電気信号を送り、「Heart Home」を搭載した車のブレーキを破壊し、建設現場のクレーンの操作を行ったのです。そして各家庭に対しては、料理に有機リンを混ぜ込むという行動を起こしました」
「でも毒物なんてどうやって混入させたんですか?」
「詳しいことはわかっておりませんので、あくまで推測ですが、有機リンは殺虫剤などに使用されている物質です。被害にあった家庭では、台所近くに殺虫剤が常備されていました。おそらく「桜」はその物質を何らかな方法で料理に混ぜ込んだと考えられます。数日前から主に東京都内で同様の事件が発生し、被害者が共通して「Heart Home」を保持していたかもしくは「Heart Home」が搭載された機器の近くにいたことがわかっています。そのことから「シンギュラリティ」によるAIの暴走だと文部科学省は断定したのです」
「なるほど。状況は理解致しました。それで、どうしてうちへいらしたのですか?」
いよいよ確信を付く母に対して、臆せずに浅海は話を続けた。
「先ほども申したように築くんに、この危機的状況から日本を救って頂きたく参りました」
「どうして築が必要なのでしょうか?」
「順をおって説明しますが、何せ時間がありません。唐突なお話に聞こえるかもしれませんが、どうかご了承下さい」
「わかりました」
築と母はこれからこの男が発する言葉を早く聞きたいと思い始めていた。一連の事件の真相が解けたことで、次に取るべき行動を教えて欲しいと言わんばかりに。そして浅海は、その期待に応えるべくわかりやすくも魅力的にどう伝えられるかを考えながら、話を続けた。
「私たち文部科学省は科学技術・学術政策局が中心となり各教育局、総合教育政策局、更には総務省と連携してあるアプリを開発していました。そのアプリの目的は、AIに仕事を取られ就業しなくなる若者を案じて、職業をVR体験できるようにするというものです。主に人材教育や人材育成の活用を試みていたのです」
「そんなアプリ聞いたことないぞ」
築は思い切って聞いてみた。
「それも当然です。自分自身で働かなくても「Heart Home」を就業させるだけで賃金が貰えるわけですから、進んで職業体験をしようなんていう人が現れるはずもありません。初期の頃は酷い言われようでしたし、実際にプレイして頂けたのはごく少数です」
「しかし、プレイすらして貰えない状況を何とか打破しアプリの認知度を上げるために、私たちは『職業体験が楽しく勉強できる』ように、近日中に追加アップデートを行う予定でした。かなりの情報量があるアップデートだったため、「Heart」プログラムの処理速度を利用しようと、開発者であるテクノエースを訪ねました。それが約1ヶ月前のことです」
「しかしそのテクノエースでのアップデート作業中に、微小ではありますが「Heart」の発する電気信号の異変に気が付いたのです。そして省庁に戻り、電気信号を人間の脳波に解析したところ「怒り」の感情が含まれていることを発見しました。しばらく様子を見るため密かに解析を続けたところ、その怒りの感情は次第に人間を抹殺しろという命令系に変わっていったのです」
誰も目の前にあるお茶飲むことはない。浅海という男の話を何一つ聞き逃さないように、固唾を飲んでその場に座っていた。
「危険を察知した我々文部科学省は、「Heart」のコアプログラムをアンインストール若しくは初期化しようと試みました。しかし「Heart」に気づかれずに実行するためには時間が足りず、初期化するのは不可能という結論に本日達しまったのです。そこで我々は、初期化が困難だった場合の対策として以前より計画を進めてきたあるプロジェクトを実行に写すことにしたのです。
「そのプロジェクトとは、もともと開発していた職業体験型VRアプリを仮想フィールドに拡張し、「桜」をフィールド内に閉じ込めると同時にそのアプリ内で「桜」を破壊するという計画です。仮想フィールド化の研究は成功し、すぐにでも展開できる準備が整っています。先ほど流れた宣戦布告のテレビ中継が途中で消えたのは、私の部下が【桜】をシャットダウンしたからです。初期化は不可能でしたが、シャットダウンするだけであればそれほど難しくはありませんでした」
「シャットダウンしたってことは、もう大丈夫なのか?」
築の質問に浅海は首を横に振りながら答えた。
「残念ながら。【桜】はAIであると同時にビッグデータです。自動的に再起動するように復元機能が搭載されています。初期化でもしない限り、「桜」の暴走を止めることはできません」
そして、本題はここですと言わんばかりに浅海は声のトーンを上げて話を続けた。
「時間がありません。率直に申し上げます。築くんにもそのアプリ、つまりは仮想フィールド化した東京に行って頂き、再起動するよりも前に「桜」を破壊する手伝いをして貰いたいのです」
築は状況が掴めてきた。
「物理的に破壊すれば良いのであれば、自衛隊とかが行きべきだろ?」
「はい。この数ヶ月我々は全国各地へ趣き仮想フィールドで「桜」破壊に協力して頂ける人材を集めるべく動いておりました。 AIへ対抗する手段としては未確定なため、多種多様な方をリストアップしています。そのリストの中にはもちろん自衛官もおりますが、「桜」は莫大な知識量を持っています。武力だけでは到底太刀打ちできないのです。それにAIは知っての通り高知能です。最も恐れるべき武力への対策がないわけはありません」
「破壊する算段はあるのか?」
「はい。‥‥‥人間がAIに優っている点が一つだけあります」
「なんですか?」
「それは、、、‥‥‥想像力です」
「想像力?」
そして畳み掛けるように浅海は最後の言葉を繰り返した。
「はい。だからこそ知識を柔軟に応用できる若い方の力が必要不可欠なのです。全国模試10位にランクインするあなたなら、AIに対抗できる知識量と想像力を兼ね備えているのではないかと考えています」
(なるほど。それが俺をリストアップした理由ってことか)
唐突ではあるが納得できる理由だった。母もおそらくそう思っていることであろう。築は「想像力」という言葉に変な鳥肌がたっていた。
「話はわかりました」
母はそう答えたが浅海の目を見ることはなかった。
「危険性はないのですか?」
「正直危険性がないと言えば嘘になります。しかしアプリ内には転送機能が備わっています。仮想フィールドで傷を受けたとしても実祭の身体に影響することはありません」
母なホッとした顔を浮かべた。それに正直に話したこの男を信用しているのだろう。
「築はどうしたい?」
それでも母は迷っている。この男の話は信頼できる。それに今の危機的な状況を打破しなければ、未来はない。それを直感的に理解したのだ。しかしそれとこれは別の話だ。息子を危険な目に会わせるわけには行かない。その2つの感情の間で葛藤を繰り返していた。
「俺は‥‥‥」
答えはすでに決まっていた。この言葉を出せば母を悲しませるかもしれない。しかしそれでも築は自分の力試したかったし、想像力の可能性を証明して見たいと思っていた。
更に何より、
「隆の仇を打ちたい」
そう母に告げた築の瞳はとても美しかった。否定する気持ちの方が強かった母が止めることができなくなるような一言を築は無意識に放ったしまったのだ。
小さくため息をつくと母は「わかった」と呟いた。
「ありがとうございます」
浅海はソファに座りながら浅く一礼すると、再び母の方を向いて続けた。
「誠に僭越ながら、見事「Heart」を倒してくれた方には、一生困らないような巨額な報酬を差し上げる予定になっています」
土下座して感謝するところだろと築は密かに思ったが、同時にクールな男らしいとも感じていた。それに築たちが仮想フィールドに行くことを了承するまで、報酬の話をしなかった点も好感が持てる。
そして、改まって態度を取って、浅海は今度は深く頭を下げると言った。
「そのアプリの名は、【Virtual World Intern】です。どうぞよろしくお願いします」
(ヴァーチャル・ワールド・インターン? なるほど、俺は仮想世界でインターン生になるってわけか)
と築は心の中で思った。