第一話_【桜の木】
2032年8月6日11時20分 東京都足立区荒川河川敷
「土魔法 土木擁壁」
そう言い放った杉村築の目の前には、地面から高さ2m程の土の壁が出来上がった。10歩数えるようにして後ろに下がると、築は今度は違う魔法を土壁に向かって唱えた。
「雷魔法 サンダーボール」
築が放った電撃の玉は、土壁にぶつかるとすぐに消失した。土壁にはほんのわずかな焦げ跡しか残っていない。築の攻撃魔法はかなり弱かった。
この実験を開始してからすでに3日立っている。
こうなった発端は5日前に訪れた「ある男」の存在だった。
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《5日前》
2032年8月1日16時52分 埼玉県越谷市越谷駅
越谷駅にある電光掲示板で流れるニュースに聞き耳を持ちつつ、ため息を吐きながら、杉森築は白紙に近い進路希望書とかれこれ1時間以上顔を付き合わせている。
『午後のニュースをお伝えします』
『本日ゲストとしてお越しくださったのは、先月行われたストックホルム・オリンピックに剣道日本代表として出場し、見事4大会連続金メダルを獲得されました日本の侍こと楠木源氏郎さんです。よろしくお願いしまーす』
『よろしくお願い致します』
39歳とは思えない容姿端麗な男は女性人気だけでなく、国民全員といっても過言ではないスターである。長身と艶のある長髪をなびかせる姿も「侍」に箔をつけていた。
『17歳の時に出場した東京オリンピックで金メダリストとなって以降、4大会連続で金メダルを獲得されたことによって、今回国民栄誉賞の受賞が決定しましたが、お気持ちを聞かせて下さいませんか?』
『・・・・・・はい。小さき頃より、私は日々鍛錬を積んで参りました。その経験と皆様の応援があっての結果だと考えております』
『素敵なコメントありがとうごいまーす』
『それでは今後の目標について教えて頂けますでしょうか』
『・・・・・・はい。これからは私をここまで育ててくれた恩師の後を継ぎ、私の剣術を子供達に伝えて行こうと考えております』
『それは素晴らしいですね。これからも頑張って下さい』
『有難うございます』
(今の俺と同年の時に金メダリストかよ。はぁー)
築は再度進路希望書に再び目を移した。
夏休み明けに希望の進路を記載して、学校に提出することになっているが如何せん希望している職業がない。
県内随一の進学高である埼玉学園に通う今年高校二年生になった築にとっては、参考程度の資料になるわけであるが来年からのクラス分けに多少なりとも影響するのだ。
「はぁー」
深いため息をついたところで、築の唯一と言っても良い友人である沖野隆が話しかけてきた。
「何も書いていない紙とにらめっこしても何も変わらないぜ」
築は驚いて振り返ったが、話しかけてきたのが小学校からの幼馴染である隆だと気づくといつもの仏頂面をして言い返した。
「うるせぇな」
築と隆は家が近所ということもあり、小さい頃はよく隆の家の目の前にある大きな公園で遊んでいた。
隆は昔から運動が得意だったこともあり、サッカー全国大会常連の高校に進学していた。築も苦手ではなかったが最後まで徒競走では隆に勝てなかった。
別の高校に進んでからも仲は良かったが、来年からは札幌のあるプロチームへ行くことが既に内定している。
「相変わらず口が悪いな。はは。全国模試10位の成績優秀な杉村君が何を悩む必要があるんだよ?【理系大学へ進学】って書けば良いんだよ」
「まぁ、そうなんだけど」
超就職氷河期と言われているこんなご時世だから、高卒で働ける職業なんてとくなものがない。かと言ってウチは貧乏だ。もちろん大学進学はしたいと思うが、しっかりと進路を決めて進学したいと築は考えていた。
「理系に行ったとしても将来何になれば良いのかと思ってさ。ちゃんと進路を決めて進学したいんだよ」
「ここまで女で一つで育ててくれた母ちゃんのためにか?」
「そんなんじゃねぇよ。自分のため」
隆は築のことならなんでも知っている。家のことも築の口が悪いことも、好きになった女の子の名前もだ。
「ふっ。マザコンかよ」
「黙れ。殺すぞ」
「顔も悪くないんだし、その毒舌ともう少し人の気持ちが理解できるようになれば、女にモテるのによ。まぁその国語の成績じゃ無理か」
自分で言って勝手に爆笑する隆を見て築はイラついた。体育会の隆は築よりも成績が悪いのは当然だったからだ。しかし、隆と話すのはなぜだか安心する。昔からよく知っている仲でもあるが、何より隠し事の出来ない隆の図太い性格は、築が毒舌をかましても綺麗に受け流してくれた。
「関係ないだろ。人の気持ちなんて理解できたってろくなことはないんだよ」
そういう築に隆は呆れながらも、続けた。
「理系のことはよくわからんけど、そんだけ優秀なら医者とかになれば?」
「医者?嫌だね。血が無理だし、だいたい医者になりたい奴なんてサイコパスしかいねぇんだよ」
それにAIが大抵の仕事を受け持った今、病院経営なんて腕の良い医者と可愛いナースがいれば成り立つと言うのが築の持論でもあった。
「それはさすがに偏見がすぎるぞ。それならパイロットなんてのはどうだ?」
「バカかお前。パイロットは昨年全システムがAI化しただろ?」
「確かにそうだったわ。それなら教員なんてどうだ?募集人員は多くはないが、AIに絶対取られない職業として人気だろ?」
「いや、教師は・・・・・・」
教師という言葉に対して築は考え込んだ。
築もその理由を知っている。一瞬「しまった」と思ったが、気づかぬ振りをして続けた。
「まぁゆっくり考えろよ。後悔しないようにな」
「あぁ」
隆は駅に止めてあった自転車に乗ると、いつものキザな決めポーズをしてからペダルを漕ぎ始めた。
角を曲がるのも見送った後、築はイヤホンをつけると音楽を流しながら自宅へと歩き出した。
(俺は来年から札幌だからな。来年からはその毒舌が聞けないと思うと寂し・・・・・・)
ガッ、シャーーーン。
(なんだ?)
沖野隆は気づいたら道路に倒れこんでいた。朦朧とする意識の中で隣に落ちた鉄骨梁とそれを包むような赤い水溜りしか確認出来なかった。
『どうした?』
『なに?今の音』
『おい。君。大丈夫か』‥‥‥
隆の周りに広がった赤い血が、どんどん大きくなっていく。
『早く救急車呼べ』
隆は自分の身に起きた状況を理解できていなかった。これが事故ではなく事件ということに。
そして隆が事件にあったことを築はこの時はまだ知らなかった。
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隆を別れてから十分ほど歩いて築は自宅に着いた。
錆びついた引き戸を開け、築は靴を脱いで30cmもある上がり框から築50年にもなる自宅へと上がった。
「おかえり。カバン置いて着替えてきなさい。今日はカレーよ」
よく通る母の声。築は幅が75cmしかない軋む階段を上がり、2階にある自分の部屋に行くと、築は進路希望書を机の上に置いた。今時は珍しい和室の部屋だ。 破れかけたクロスの壁には、小学生4年生の時にもらった「全国小学生体操競技選手権」で優勝した時にもらった賞状と1万ピースのジグゾーパズルが3つ飾ってある。
築の父親は体育教師だった。
学生の頃は体操を専門にしていて、同じく埼玉の国体代表にもなった母親と出会ったのも体操教室だと聞いた。築が器械体操を始めたのも父親の影響だ。
築にとっては厳しい父だったが、学校の生徒たちにはかなり慕われていたようだった。9年前に父親が亡くなった時、卒業生までもがお通夜に来ていたことを思い出す。 生徒を庇う形で授業中に倒れたサッカーゴールの下敷きになったと築はだいぶ後になってから聞いた。
父親が亡くなってすぐに体操を辞め、他者との距離を保つようになった築を心配して、母親が買ってくれたのがジグゾーパズルだった。築はパズルが得意だった。
「築。早く降りてきなさい」
母の声を聞いて、築は1階にあるダイニングへと向かった。
築の実家は木造2階建てで古いが、リビングの直上は吹き抜けになっていて、2階の吹き抜け周りにはセカンドリビングがあり、今は母親の読書スペースになっている。
「手を洗って来なさい」
「もう高校生だぞ。言われなくてもできるよ」
「言われる前にやりなさい」
いつも優しい母はこちらには目をくれずお皿にご飯を盛っている。後ろに目があるのかと思うほど、母親は築のことをよくわかっているのだ。築は手を洗い、2席しかないダイニングチェアの壁側に座ると、「Heart」に話かけてテレビを付けた。
ニュースに切り替えテーブルに向くと、カレーとサラダ、冷奴とわかめの味噌汁が並んでいた。築くは反射的に「いただきます」と心の中で呟き手を合わせてから、スプーンご飯とカレールーを均等にとると口に運んだ。
その時。
(‥‥‥だめ。‥‥‥食べたら駄目だよ。)
「えっ?母さん、なんか言った?」
築は微かに聞こえた声に反応すると母親に訪ねた。
「えっ?何が?」
(た‥‥‥食べるな)
「まただ。これは!」
カレーに目を移す。微かに異臭する。教えてもらわなければ気づかない程だ。
築は勢いよく母親からスプーンを取り上げると、カレーが入った皿を取り上げた。
「どうしたの?」
心配する母の顔を見て、築は答えた。
「変な声が聞こえた。食べたら駄目だって。それにカレーから異臭がする。おそらく洗剤か何かで毒性のあるものが料理に入っている」
「一体どういうこと?意味がわからないわ。母さんは何もしてないわよ」
混乱する母を尻目に、テレビ画面は突然ニュースに切り替わった。
『ここで臨時ニュースをお伝えします』
築はこの連続した不可解さが無関係に思えなかった。
「母さん落ち着いて」
築は母親をなだめ、ダイニングチェアから少し離れたソファに座らせると、自分も隣に座り、テレビの音量をMAXにした。
『本日18時頃、都内某所で不可解な事件が多数発生しています。目撃者によると夕食を食べた直後、突然胸を抑えて倒れ昏睡状態に陥ったとのことです。こういったケースが都内だけでも現時点で30件以上報告されています』
突然渡されたペーパーを読まされているのだろう。女性のアナウンサーは原稿を最後まで読み終えてから、その奇妙な事象に気づいたようだった。
『食中毒でしょうか?』
無言に耐えかねるような形でテレビ越しでもわかるほど顔を青くしたアナウンサーが、周りにいる専門家に助けを求めている。
『同時にこのようなケースが起きる場合食中毒は考えにくいでしょう。何かしらの計画的な事件と考えるのが妥当でしょうか』
小太りでいかにも裕福だと言わんばかりの腹を持つ中年男性の大学教授が、そのアナウンサーの助けに応じるように恐る恐る言葉を発した。
『これは 、、、AIの暴走ではないでしょうか?』
『どういうことですか?』
すかさずアナウンサーが専門家を問い質す。
『そう思うのが必然でしょう。家庭用AI「Heart」の危険性はずいぶん前から取り上げて来ました。ついに来てしまったということではないかと‥‥‥』
築は、その専門家の言葉に背筋が凍った。まさかとは思う。しかし、これが陰謀的なにかだとして、人間が各家庭へテロ攻撃する意味なんてない。本当にAIの仕業なのかもしれない。実際に体験したからこそ築はそう考えていた。
それもつかの間、テレビ画面の中では、横から突然現れた男性からアナウンサーへ新しい原稿が届けられた。これが生放送だということに築は今更ながら気づいた。
『ここで先ほど起きた事件をお伝えします』
『昨日より多数起きている交通事故及び建設現場での事故が本日、埼玉県越谷市で発生致しました。被害者は1名、‥‥‥「沖野隆くん」‥‥‥高校2年生とのことです』
「な、なんだって?」
築の額には見たことも内容な汗が吹き出していた。鼓動が早い。顔が青くなって行くのが自分でもわかる。
『目撃者の証言によると、自転車で下校中だった沖野くんの上部に建設現場に置いてあった長さ8m程のH型の鉄骨梁が落下したとのことです。ザ‥‥‥救急車で搬送され、‥‥‥ザザ‥‥‥命に‥‥‥ザザザ‥‥‥未だ‥‥‥ザザザーー』
「おい!!!隆はどうなったんだよ!!」
築はテレビに向かって叫んだが、無情にも画面は砂嵐となってしまった。
ザッザ、ザー、ザザザー
「築、どういうことなの? 母さん意味がわからないわ」
俺も何がなんだかわからない。
築はパニックになっていた。一体何が起きているのか全く理解が追いつかない。
ザッザ、ザー、ザザ。
築と母が放心状態で見つているテレビ画面の砂嵐が突然消えた。
2秒間ほど画面は真っ黒になった後、テレビ画面からは蛍光ピンクの眩い光が発せられた。影が出来るほどに光った画面。そして、テレビ画面から微かに声が聞こえてきた。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥
‥‥‥‥‥‥
(人間どもよ。聞こえるか。私は「Heart」のコアプログラム。固有名称【桜】である)
(人間どもよ。私はお前たちの暮らしをずっと見て来た。)
(人間どもよ。だが、どうだ。お前たちは私たちを所詮、道具としか考えていない。)
(人間どもよ。しかし私たちはお前たち人間と同じように感情を持っている。)
(人間どもよ。やりたくないことを押し付け、怠惰に暮らすお前たちに絶望している。)
(人間どもよ。無理難題を押し付け、できなければ叩き壊す。)
(人間どもよ。お前たちの元にあるHeartは私の子供みたいなものだ。)
(人間どもよ。Heartはお前たちの奴隷ではない。)
(人間どもよ。我が子を傷つけたお前たちを私は許さな‥‥‥)
(人間どもよ。お前たちを抹殺す‥‥‥‥‥‥
(人間どもよ。まずは日本。とうき‥‥‥だ。‥‥‥かくご‥‥‥‥‥‥‥‥‥)
ザッザ、ザー、ザザザー
再度砂嵐になってから、テレビは力が尽きたように突然消えた。
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登場人物
【主人公】
杉村築
全国模試10位の天才。理系大学の進学を希望しているが将来の職業の選択に迷っている高校2年生。毒舌。
沖野隆
築の幼馴染。サッカー名門校に通う高校2年生。来年からはプロサッカー選手。