ケイトウ
私は死んだ。なぜなら、先ほど自殺したからだ。でも、なぜだろうか。まだ私はこの世にいるほかの人に見え、いまだに彼女に会えていない。マンションの玄関で、愕然とした。そして、彼女が好きだった花はそよそよと揺れている。いや、話が脱線した。...そもそもの発端は家で持ち帰りの仕事をしていた時、彼女の言葉を思い出したことだった。
『悲しいときには笑って
絶望したときに夢を見て
泣きたいときに上を見て
そして本当にうれしい時に…』
本当にうれしい時に…なんだっけ。なんだか大切な言葉だった気がする。だが私は今現状思い出せる糸口がない。理由は簡単だ。私にそれを言った人はもうこの世にはいないからだ。彼女の手を思い出す。どうもおぼろげで、そしてはかない。でも、あのぬくもりを、あの日与えてくれたあの優しさを私はきっと忘れることはできないのだろう。
―そう思っていたのに。
あの人からもらった言葉も、あの人の声も、あの人の顔も、あの人のたたずまい、しぐささえ、日が経つにつれて忘れてしまいそうで、時折恐ろしくなる。もういやだ。そんなのはいやだ。あの人を、ぬくもりをくれた人を失うだなんて、その人の記憶をなくしてしまうだなんて、そんな恐ろしいことは嫌だ、そんなのは嫌だ!
なんて心の中で考えても、あの人の顔は日に日に忘れそうで、こんな時一枚でもあの人の写真があればと何度願ったことか。あの人は本当に写真を撮られるのが嫌いで、どんな楽しい雰囲気であっても、写真を撮られそうになると、即座に機嫌が悪くなった。なんでそんなにも写真を嫌がるのか、前に聞いたことがある。
『そんな機械の中におさめられてる私なんて、私であって私でないようなものだから嫌いなの。』
それに、私、ちゃんとここにいるから、機械の中の私でない私を見られたら、ちょっと嫉妬しそうだしね。と柔らかく笑う彼女の口から、嫉妬という言葉が出た時にちょっとうれしく思ったのを思い出す。そんなことなんてあるんだ、こんなきれいな心の持ち主でも嫉妬なんていう感情を持っているんだ、と。そんなことをそのまま言ったら彼女は、私だって人間よ、私をなんだと思ってるの。と困ったように笑われて、ちょっとまどったのを同時に思い出した。だって、私にとって彼女は天使のような、神のような、マリアのような存在であったためだ。それから私の様子を察したようで彼女は…。
―なんていったのだろうか
ああ、またほら、彼女を忘れた形跡を見つけてしまう。彼女の言ってくれた言葉、送ってくれた言葉を、次々に忘れていく私のことを、彼女はきっと呆れてしまうだろう。これ以上、彼女を忘れないうちに、命を絶ったほうがいいのではないのか。
…それが、事の発端だった。
思い立ったがすぐ行動。それが私のモットーであり、好い面でも悪い面である。そう、今回のような考えなしの行動だって、そういう私のモットーに基づいてである。
友人にも言われたが、
「お前の底なしの行動力には本当に尊敬すると同時に、怖くなるよ。」
というのはそういう意味であろうと、いまさらながら思う。
というのも、一番最初に思った通りに、私は実際死んだからだ。そこに、私の残骸がまだ残っている。一応首つり自殺をしたはずで、だから首をつっている私の死体というものが目に見えている。首つりというのは案外簡単に死ねるらしい。意識をなくすように死んだ覚えがある。まあ、その前に首が閉まったので苦しかったが。死ぬ前にさんざん泣いたため、目は赤く充血しており、口は押える力を失ったためだらしなく舌を垂らしている。よだれも、垂れている。さらに、肛門の筋肉もなくなったため、屎尿が垂れ流しになっている、情けない姿の私が、実際私の目の前にいる。でも、その死体はほかの人には見えず、私にしか見えていないらしい。そして、どうも死体という名の私の実在する身体よりも、精神状態の私のほうがみんなに見えているらしい。彼女が大好きだった、なんか鳥の頭みたいな花を一瞥して、ちょっと出歩いたら、大家さんが、
「あら、大柴さんじゃないですか、昨日は息子の勉強を見てくださってありがとうございました。今度何かお礼を…」
と言って近づいてきたし、帰ってくる時に隣の武田さんが
「あ、大柴さん、先週借りていた本をお返しに行こうと思ってたんですけど、ちょうどよかった。はいこれ。犯人の猟奇的な創造というか考えというかがすごく面白かったです。特に、部屋中血まみれのシーン!あそこはほんと見ててドキドキしました!いやあ、あの人の作品はとてもわくわくするものが―」
と話しかけてきた。私は死んでいるのだと、この調子で語りかけたら絶対に信用してもらえないだろうと思ってしまったので、一応次の本を貸すついでに家に引き入れ、死体を見てもらおうとしたのだが、どうやら彼はその死体が見えていないようで、ちょうど死体の下―つまり屎尿とかがたまっている床である―に何の躊躇もなく座って―その時私はついあっ、と声を上げて顔をしかめそうになってしまった―その上に私の借りた本を置きそうになって、その時とっさにああ、すぐに本棚にしまうからそこにおかないで私に渡してくれといった。必死だった…。
そして、武田さんが帰った後、これは私の妄想ではないのか、きっと妄想の産物だ、触ったら消え失せるような、そんなはかないものなのだ、と言い聞かせて、死体に触ったら、生きていないようなぞっとする冷たさを感じ、私はやっぱりこれが死体であるということを再確認して、今に至る。
私は確かに死んだはずなのに、なんで死んだ私をみんなが認識しているのかはわからない。でも、一番の問題は、そう、これなら生きてる時とほとんど変わっていないということだ。彼女のいない世界に絶望し、彼女のいない世界から逃れようと自殺を図ったというのに、実際死んでみたら私という人間の体は死んでいるはずなのに死んでいないという実態に陥ってしまっていることだ。ああ、何ということだろう。これじゃ本末転倒じゃないか、何事もなしえてないじゃないか。そう思って、散々に泣いた。泣いた後に、ふと違う自殺方法なら私という人間は死ぬのではないだろうか、先ほどは首吊り自殺という名の自殺であったため、私という人間は死んでいないのではないだろうか、と思い立った。
全文でも述べたとおりに、私という人間は一度思い立ったら実行する人間だ。中学校の先生は、
「お前な、一度考えてから行動しろ。だから体育で同じミスを繰り返すんだ。何度バスケゴールに入りそうなボールをダンクみたいな形で止めて、足をけがしたと思ってるんだ、うんたらかんたら…。」
と言われたぐらいである。ああ、もちろん先生はうんたらかんたらなんて言っていない。ただ私が思い出せないだけだ。ちなみに、そのあと卒業するまで私はこの行動をやめなかった。やめる意味が見いだせなかったからである。まあ、高校のときは彼女に、けがされたら私もつらいからもうやめてと諌められ、さすがに彼女にいわれてまでやるということはしなかった。
ああ、話が脱線してしまった。つまりだ。私という人間は、また同じ行動―つまり、自殺―を繰り返したのである。違った方法で。前回は、空中にいたので、次回はちゃんと地に足をつけて自殺をしてみることにした。つまりだ。いわゆる腹切り、切腹という方法である。それにしてもだ、時代劇では案外あっけなく死んでいるので、あっけなく死ねるものだと思ったのだが、さし所が悪かったのか、存分にのた打ち回った。うん、のた打ち回ってしまった。…つまり、だ。皆さんももう察することができるだろうが、部屋中血まみれという猟奇ホラー真っ青な状態になってしまった。つまり、隣の武田さんがわくわくする展開で、この前貸した本と同じ状況になってしまった。不覚だ。
でも、これだけ痛い思いをして、のた打ち回ったのだから、確実に死ぬことができるはずだ。そう思っていた私が甘かった。自殺をした結果、私の部屋に大ダメージを与え、さらに私の死体が増えているだけだった。なんということだろう。私は頭を抱えてしまった。別に部屋のリフォームなんて望んでなかったのに。しかも隣の武田さんがわくわくするような部屋に。…なんかこの部屋にいたら、精神衛生上非常によろしくない気がする。いや、自殺しているという時点で私の精神というものはほとんど壊滅しているのだろうが…。
いや、今度こそは私はただの幽霊になっているという可能性も無きにしも非ず。まあ、何というか、その、彼女には会えていないが、彼女に会うための条件は達成しているはずで、それで私というものはあと彼女を探すという目的だけになるだろうと、楽観的に考えていたのが悪かった。…結論から言うと、また私はほかの人に見えているようだった。彼女を探すことに専念しようと、一度外に出てみて、彼女が大好きだった不思議な形の赤い花を一瞥して、繁華街まで行ってみて、幽霊ならば他の人を素通りできるはずだと考え、そのまま人にぶつかったときに判明した。…どうやら、私という人間は、また幽霊になれていないようだった。くっそ。不覚だ。それにぶつかった人間は、ヤがつくご職業の方のようで、
「何ぶつかっとんじゃあ!我ぇ!てめぇ、神崎組に喧嘩でも売っとんのかぁ?あぁあん?」
とメンチを切られて、危うくぼこられそうになった。最近の人間というものはここまで切れやすいのか、現代社会の闇というものの影響だろうか、とても恐ろしいな。と他人事のように彼が怒っているのを眺めていたら、その様子に腹が立ったのだろうか。余計鋭い目でにらまれてしまい、慌てて
「あ、すいません。その、今日メガネを忘れてしまっていまして。前が見えていなかったのです。本当にすいません。」
ととっさに嘘をつき、事なきを得た。まったく恐ろしいものだ。それにしても私の顔が、彼女に言われた通り“普段メガネをかけていそうなメガネが似合う凡庸な顔”という褒め言葉とも貶しているともとられる―いや、どちらかというと貶し成分の方が多いだろうか―顔をしていてよかったと心底思った。ちなみに私は裸眼で両目どっちも2.5以上もあるので、メガネなんかかけたら即吐く自信がある。いや、自信だけじゃない。実際、見た目絶対裸眼だろうと思われる友人がコンタクトをたまたま入れ忘れてメガネを持ってきた時、私にふざけて、
「お前、絶対メガネ似合うからかけてみろよ」
といって私にメガネをかけたとき実際吐いた。目の前がぐわんぐわんして焦点が合わなくなってしまった。本当にあの時はめったに取り乱したりしない私も焦った。そして同じぐらい友人もあせっていた。ちょうど通りがかったクラス委員長の笹井さんも、もらった資料をすべて手から滑らせるぐらい焦っていた。後から聞いた話によると、友人は裸眼で、余裕で0.1を切るぐらい目が悪いらしい。何ということだ。こんなに目が良い私に、そんなものを見せて普通でいられると思っていたのか。浅はかだな。でもその友人のおかげで保健室の天使となっていた彼女に出会えたので許してやろう。
ああ、うっかり彼女との馴初めを思い出してしまった。いや、彼女のことはこの場を借りても書き尽くせない。彼女のことを書こうとすると、一生かかっても書ききれない。というか、彼女のことを書くと決めたら120歳まで生きなければいけないという義務が発生する。まあ、彼女のことは私だけがすべて知っていればいいので、そんなことをしないが。
さらに帰り際、隣の武田さんとは反対側の私の部屋の隣に住んでいて、私と同じカポエイラを趣味に持つ鶴岡さんが、
「あ、柴田さん。この前、カポエイラ全国競技大会のビデオ入手できたんですよー!生で見てきたんです!明日一緒に見ませんか?」
といまだに私の名前を覚えていない様子で話しかけてきた。…私の苗字は柴田ではない。大柴である。ちなみに名前は賢次で、次という字が治という字だったらあの「銀河鉄道の夜」を書いた作者さんと同じ名前になるはずの名前だ。いい加減覚えてほしいものだ。別に入居して3日とか、一週間しかたっていないとか、それなら許すだろう。しかし彼は私とほぼ同じ時期に入居して早5年もたっているのに、一向に私の名前を憶えてくれない。カポエイラですごく親交も深まっているはずなのにだ。いや、それは私だけ考えていることだろうか。そうだったらすごく傷つく…。
今日は柴田さんの日だったようだが、ひどいときには忍尾羽という珍妙な苗字で呼ばれたこともある。おしおば。“し”と二つ目の“お”を入れ替えてほしい。そうすれば私の本来の苗字になるのに。…そう考えると、今日は柴という漢字があっているだけ、ましなような気がしてきた。まあ、苗字が間違っているからと言って彼との交友関係が終わるはずもなく、明日見ると約束をつけて自分の部屋へと帰って行った。
とにかく、また私は死んでいないようである。なんだ、私はフェニックスのように不死身になってしまったのだろうか。まあ、フェニックスは死んだら灰になるが、私という人物の死体はそのまま残っているままだから、なんというか、その、非常に困る。フェニックスのように灰になればいいのに。絶対これ、夏は臭いそうだ。
そして、私は思った。もしかして、空気のある場所でやるからダメなんだろうか。ならばと思い立ち、溺死をすることに決めた。くどいようだが、私は思い立ったがすぐに行動する人間である。そういえば、このくだり、三回目だな。さすがに私も飽きてきた。じゃあなんでやるんだ、ということだが、とりあえず、この衝動的な行動を説明するには、私が思い立ったら行動する人間でなければ成り立たないためだからである。そういえば、この前も職場の上司に、
「…大柴。お前な、別にセクハラされていた学生を助けるのはいいが、助けたのにその学生にセクハラされていた人と勘違いされて警察沙汰になるのはやめろよ…。よりによって大事な会議の日に…。」
と怒られたばっかりだ。…ん?あれ?これって私が悪いわけではないような。でも、勘違いも解けて無事セクハラしていた犯人がお縄に捕まったため、事なきを得たから良しとしよう。…そんなに私は、セクハラするような顔に見えたのだろうか…?
とにかく、お風呂に水を張って、それから重石をつけて、溺死した。それにしても、溺死が一番つらい自殺の方法といわれていたのは伊達ではないようだ。まあ、最初の自殺は溺死と首つりどっちかで悩んでいたが、ネットでそう書いてあったため、結局首つりにしたのだからな。死にたいのに、思わず、水面から顔を出したいと衝動的に思ってしまうほどやばかった。そして、おいそれとすぐに死ぬことができなかった。じわじわと肺に水がたまる感覚を味わった。中世の魔女裁判で、魔女と断定された人が水没の刑を受けていたと知識の片隅で思い出したが、こんな感覚はそういう状況下では味わいたくないと思ってしまった。きっと、魔女と断定された人にとって、希望がどんどん絶望に浸食されて、じわじわと絶望が胸から這い上がってくる感じがしただろう。そして、希望という活力が見いだせないため、力もでない。活力もわかない。ああ、絶対最悪に違いない。いや、火あぶりもどうかと思うが。
とまあ、三回目の自殺をしたのだ。今度こそは大丈夫なはずだ。きっと物理的に通り抜けるはず。うすうす気づいていた私はそのことをなかったことにして、壁をすり抜けようとした。はたから見たら、勢いよく壁にぶつかる変な人だ。うん、とりあえず、ぶつかった。それだけで察せるだろう。どうやら、透過能力はないらしい。なんということだ。いやでも、それだけで幽霊ではないと決めつけるのは浅はかだ。友人が私に視力0.1以下の人が付けるようなメガネをつけた時並みに浅はかだ。なんということだ。ちょっと考えてみたら腹が立ってきた。あの友人と同じ浅はかの系列になってしまうのは避けなければならない。心の中で散々に友人を罵った後、例のごとく外に出ることにした。隣の武田さんに二度目のエンカウントを果たしてしまった。そして、部屋のリフォームについて話をした。彼によると、
「やっぱり、今日大柴さんから借りた本の世界観のような部屋にしたいですね―」
だそうだ。ちなみに彼が今日借りていったのは、例のごとく、あれだ。ホラーだ。猟奇的なホラーだ。うん。部屋いっぱいに血が舞っている、そう、今の私の部屋のような部屋にリフォームしたいと申しているようだ。神経を疑った。あんな部屋にいたいのか?すごく落ち着かないだろう。精神衛生上に非常によろしくないだろう。何ということだ。何ということだ!今すぐ部屋替えを要求したい。私のしかも私の部屋には私の死体が2体、お風呂には一体いるので武田さんも非常に喜ぶだろう。そして私もあの部屋を手放せるならば万々歳だ。お互い、ギブアンドテイクですごく良好だと思う。いいはなしだろ?
と思ったが、そういえば、武田さんは私の死体を目にすることができないので、つまり、私の部屋の血まみれ状態もきっと見ることができないはずということになる。ああ、何ということだ。彼が私の死体をみることができたらよかったのに!そうすればよかったのに!ああ、何ということ!神様は本当に意地悪だ!別に私は死体を愛するではないのに!ちなみに隣の武田さんは生きているものに興味がない、死んだ者が大好きな変態だ。まあ、別に誰かを殺そうとかするようなではないのだが。だからこそだ!なぜ私には私の死体が見えるのだ!彼だけ見えるようにして、私は見えないほうがよかった!まだましだ!いや、それもどうだ?彼は一応殺人はしないとはいえ、死体愛好家なのだ。ちょっとまずいかもしれない。と考えると、現状はまだましな気がしてきた。ううん。なんと世知辛い世の中なのだろうか。困った。
とりあえず、私は、彼女に会うために思いつく限りの自殺を図った。たとえば、飛び降り。これは恐怖心が勝るから本来やりたくなかったのだが、体がぐちゃぐちゃになればさすがに私というものは消え去ることができるのでは、と思ったのだが、それも失敗に終わった。臓器をあたり一面にまき散らすという多大なる迷惑行為にしかならなかった。ちなみに、その私にしか見えない死体は、道行く人に踏まれ、臓器も道行く人に踏まれていたので、ちょっといい気分はしなかった。それにしても、なんでみんな私の死体が見えないのだろうか。本当に不思議だ。あとは、電気ショック死。ほとんどの死に方が重力に頼っているものだったため、今度は自然に頼らないものをと考えた方法だ。しかし、結果、焦げ臭くて真っ黒になった私の死体が増えただけだ。なんということだ。この焦げた肉のにおいというものは本当に鼻について離れない。バーベキューをしてる時に、肉から目を離してその直後燃え上がった炎によって一瞬で焦げたあの肉のにおいを思い出す。ああ、あの時はみんなから避難轟轟だった。そのせいで私はその日肉抜きにされてしまったのだ。でもその当時一緒の部活だった保健室の天使、食の神様、私の恩人の彼女がこっそり肉を取っておいてくれたことには非常に喜び涙したものだ。その夜、私はみんなが花火をしている中、彼女を岩間に呼び出して、彼女に告白したのだった。
…まあ、話はそれたが、そんなこんながあって私は、私という死体は非常に増えてしまった。そう、私のすわり場所がないぐらい。そして、死ぬ回数なんて途中から数えるのをあきらめるぐらい私は死んだのに、どうやら私は死ねないらしい。どういうことだろう。もしかして、私が自殺したと思い込んでいるだけであって、死体は本当には死体じゃなくて、ただの妄想なのかもしれない。そう思って、私はこの部屋の元の状態を思い浮かべて死体たちがいないものとして生活することに決めた。どうせ、私は意志の弱いチキンで、妄想に逃げているのかもしれないのだから。
しかし、事態は悪化した。そう、死体たちが腐りだしたのだ。これは、その、なんというか、妄想で済ませられるレベルの悪臭ではない。なんということだ。本当になんということだ。もうすごく嫌だったので、死体の腐ってる匂いすらいとおしいとこの前話していた武田さんに部屋を交換してもらうことにした。武田さんは、とても不思議な顔をしていたけれど、私が
「この部屋には実は数年前自殺した人がいて…」
と言ったら即交換しようと言い出した。どうやら、武田さんはだけではなくて、幽霊愛好家でもあるらしい。恐ろしい。恐ろしすぎる。武田さんという人物について知れば知るほど、変態度が増していっておそろしい。これ以上知りたくないという気持ちのほうが勝ってしまう。本当に恐ろしい。
とりあえず、悪臭放つ―私だけしか感じることができないのだが…―部屋から逃れられた。それから、私はどうしようと思った。このまま繰り返し自殺しようとしても、自殺できないということが理解できた。それでは、私は自殺をあきらめるのか。
…それは絶対にない。
昔、中学時代の先輩にも言われたが、
「お前、本当に一度決めたらそれを実行するまでずっと執拗に、ストーカー並みに執着し続けて、それで達成するよな。ほんと、あきれるよ。だからそのプリンはお前のな。」
だそうだ。それにしたって、ストーカーとかブーメランで自分自身に帰ってくる言葉を
使う先輩ってなんて哀れなんだろう。ちなみに、この先輩は一時期、私の彼女の親友のストーカーをしていたのである。なんてブーメラン。ちなみに私はストーカーなんて悪趣味なまねはしない。それに、いくら振った相手をストーカーするまで執着するような執念なんて持ち合わせていない。ので、違うと言い切りたかったが、その先輩がプリンをよこしたのでそのことを不問にした。それからそのあと、俺のプリンを食べたということでタコ殴りにされかかった。まったく。先輩ったら、本当に情緒不安定なのだから。というか。先輩がくれたのにそんな風にわめくだなんてひどい人だ。まったく。警察沙汰にしなかった分、プリンを私の彼女の親友に送り付けても…あー、それはそれで怖いか。元ストーカーがくれたプリン。何かが入ってそうで、絶対に食べたくない。
…まあ、ちょっと精神が情緒不安定になっただけで、先輩自身はそんなに悪い人ではないということは確かなのだが。それに、先輩だって反省して、ストーカー行為を止めるために精神病院に行きだして治ったのだから、大丈夫だと思う。本当に手間がかかる先輩だこと。
とりあえず、私はストーカー並みといわれたその執着心を全身全霊、自殺にささげた。いや、ささげることにした。
まず、私が死ねないという原因は、どこかにあるはずだと決めつけた。原因のない結果はない。物事には必ず因果というものがついて回って、理由のないものなどこの世界には存在しないのである。そう、存在しないのである。重要なことなので二回言いました。世の中には理由のなき殺人とかあるけど、あれ、別に理由がないわけじゃないと思う。だって、理由のない殺人をしたその原因は、絶対どこかにあるのだから。その結果が理由のない殺人。殺人が結果で、理由がない理由が原因というわけなのだ。だからみんな勘違いをするのだと思う。理由なき殺人をした人を作り上げた原因というものを作り上げた原因というものを作り上げた原因というものを…という風に人の場合すべてがつながっている。
どういうことだろう、と思うだろう。これを一言で言おうとするには難しいが、例えるならば簡単だ。たとえば、ここに一人の男の子がいるとする。特に理由なく殺人を行ったとする。でも、特に理由なく殺人をする原因を作った人がいる。それは、彼の父親だったり母親だったり、兄弟だったり、友人だったりクラスメイトだったり、先生だったり、親戚だったり。彼にかかわったすべての人と、彼が今までいた環境によって理由なき殺人を行う人間が生まれるというわけだ。父母などの近しいものの影響力以外は、一つ一つの影響力はあまり強くないだろう。でも、その影響力がちょっとずつ重なれば、彼という人間の器はどうだ。きっと簡単に壊れるだろう。壊れて、理由のなき殺人というものを行うようになるだろう。
別に私は理由なき殺人を行った人を可哀そうだとか同情心で言っている意味ではない。私だって理由のなき殺人というものを行いたくなった時もある。彼女に会うまでは。だからなんとなくわかるというわけであって、殺人という重い罪から逃れられるように弁明しているわけではない。ましてや、その罪を許してあげましょう、可哀そうだからという風に反吐が出るような気持ちが悪いことを言おうとしているわけでもない。殺人というのは罪である。それが何であっても―つまり人でも犬でもネコでも、魚でも虫でも―意味のない殺生、無駄な殺しというものは罪が重いと思う。だからと言って、無駄じゃない、理由ありきの殺人というものが許されるかというと、そういうわけではない。それとこれとは話が違うと思う。理由ありきの殺人も、理由なしの殺人もどっちにしろ殺人で、結果には変わらないのだから。そう、自殺も許されるものではない。別に私は自分の行動というものを棚に上げて、自殺も許されるものではないといっているわけではない。ただ、一般的に、この世に生を受けて、それから父母の恩恵を受けて育つというその手間暇かかった自分というものを自分で殺人するという行為は自分以外のすべてのものを悲しませる行為であるということであるということは存分に身に染みている。ずいぶんと窮屈な世の中だ。
そんなことを前大学の教授に言ってみたら
「お前、ずいぶん面倒くさいこと考えるんだな。そして青臭い。まあ、別に嫌いじゃないが、とっても青臭い。うん。青春真っ盛りか君は。でもきれいごとで飾り付けられていないだけまし」
と言われてしまった。そんなに青い発言だっただろうか。結構黒い発言だったんじゃないかな、と思っていたら、どうやら感情を読まれたらしく、教授はこうつけたした。
「殺人というタブーについて考えているってことが青いってんだよ。普通だったら専門家とか厨二病以外は存外、すぐに流しちまうんだって。本当に面倒臭え奴だな」
と、私を厨二病扱いをしてきた。なんということだ。
話はそれてそれまくって、なぜか道徳について語るという心の中じゃなくて他者に喋っていたら赤っ恥ものであるその考えに至ったのかとちょっと思ったが、とりあえず元の話に戻ることにしよう。
さて、原因だ。考えられるだけ考えてみよう。
まず、一つ目。私はすでに死後の世界にいるため、自殺には無縁である。
次に二つ目。妄想であって、実際死んでいない。
最後に三つ目。何か超自然的なことが起こって、私に自殺させてくれない。
一つ目は、ちょっとありえない妄想だ。実際、私は死んだ覚えがない。自殺したが、色々試してみた結果、死んではないみたいだしな。だが、実際に自殺したのだがよく似た異次元に移動されてしまったという可能性もなきにしあらずだと私は思った。それでも、彼女がいないというこの状況は絶対にありえないので却下。
二つ目は結構自殺を繰り返したあたりで思ったものだが、...。いや、どういったってあの苦しさというものは妄想で生み出すには苦しいものがあるんだよな、とどこか他人事で思った。絶対におかしいと思う。あんな苦しさを妄想でできるのならば、自分という人間はきっと、小説でもかけてるんだと思う。それで飯食ってられると思う。…楽観視しすぎた。だが、まあ、こんなに文才ない私がそんな芸当をできるはずもなく。だから却下だ。それに、自分をわざわざ貶めたくない。うん。だって、自分が頭おかしいキチガイの、妄想も現実もどっちだか区別がつかないやばい人っていうのは絶対に嫌だ、と思うからだ。ううん。理由になってない気がする。
三つ目が最も力説できるだろう。自殺は実際にしている。だが、私という一個の人間を殺させはしない。…考えようによってはなんという悪夢なのだろう。いや実際今、悪夢を味わっているわけだが。私は神というものを信じてはいないし、唯一崇拝しているものは彼女以外はないのだが、もしもそうだとしたら彼女がそうさせているのだろうと思う。彼女は前、私にこう言ったのだ。
「どんなに辛いことがあっても、私の後追いという名目で死んで私に会おうという風にしないでね」
なんて。彼女は病気に体を侵されて、いつ死ぬかわからない状況だったから、わざわざ長生きできる命を自殺という形で命を自ら奪うという行為に嫌悪感を覚えているようだった。
一般的な人では自分の彼女に対してその彼女の嫌がることは絶対にしないだろう。私はともかく、浅はかな友人も、ストーカー気質の先輩も、おせっかいな小中高の先生も面倒臭がりな大学の教授も、きっと、しない。でも、私はどうやら頭がおかしい人と上記の奴らに認識されているため、彼女の嫌がることでも平気で行ってしまうのだ。
もちろん、彼女の前では、彼女の嫌がることはしない。だからと言ってすべてがすべて、彼女の言う通りやめるかというと、そんなわけではない。いくら彼女が私の中で唯一崇拝する存在だとしても、そしてそんな信仰の対象でありながら私の彼女であっても、私はやめるということをしない。彼女にそういわれる前に自殺を覚悟した時から、つまり彼女がいなくなった世界で彼女がとても嫌悪した自殺だけは、死に際の彼女に自殺しないでと言われたって、自殺すると決めていた。
だから、原因といえばそう、彼女以外ありえないのである。
私の彼女は、病気という悪によって寿命というタイムリミットが短くされているせいなのか、それ以外なのかわからないが、とにかく不思議な女の子だった。誰だって彼女のことを見れば喧嘩していたことを忘れて見とれたし、つらいことがあって泣いている人だって彼女の顔を見れば、そして少し話しただけでその顔に笑顔が戻った。まさに、天使。彼女は保健室から出ても天使だった。
でも唯一、彼女は、私に対して不思議な力を使えないでいた。私という人間は彼女を崇めてはいるが、彼女に心を動かされるようなことはなかったのである。だからであろう。私はその相容れぬ存在である彼女に恋をして告白し、彼女はその靡かない私という存在に恋をして告白を受け入れたのであろう。
彼女の言葉は一字一句忘れず覚えている…いや、彼女が生前の時は一字一句、彼女の言葉を覚えていたが、でも、その言葉が心に響いたことは一度もない。なんということだ。改めて思ったが私という人間は案外薄情なのかもしれない。本当になんということだろう。
そう、つまりは彼女の言葉というものには好意を持っているけれど、彼女の言葉によって特に行動を変えたというわけではない。彼女の言葉は、簡単に言うと、私の心を動かすほどではなかったのである。いや、その言い方だと、まるで彼女は私の心を理解せず、ただ適当なことを述べる女の子で、特に神秘的でもなんでもない女の子になってしまうだろうが、そんなことはない。私の心情を理解したうえで、私が最も欲している言葉を、最も欲しているタイミングで発していた。それでも私の心というものは変わらなかった。その理由は単純である。私は、一度こうであると決めたら変えない人間だからである。それは、きっと私が死んでも変わらない。私という魂はその制約に縛られているといっても過言ではない。ん、なんかこの言い方めっちゃ厨二病っぽくてちょっと嫌だな。なんということだ。とっても悲しい。私はいつの間に厨二病になってしまったのだろうか。おかしいな。中学生はもうとっくに終わっているはずなのに。厨二病って中学生が思春期の時にかかる病気なのに。
また話がそれてしまったが。そういうことである。だから、彼女は私をよく気にしていたし、私も彼女のことを気にしていた。実に的を射たことを言っていても、なぜ靡かないのか私自身不思議に思っていたからだ。周りの人はいとも簡単に彼女になびいて行った。保健室の先生だって、浅はかな友人だって、面倒くさがりな大学教授だって、おせっかいな高校の先生だって、とりあえず、彼女にかかわった人間は彼女にかかわったことによっていい方向に変わっていった。そして、彼女の中にある、その人たちに対する興味も、次第に失せていくことがわかった。
だからだろうか。私が彼女の話を心に留めなくなってしまったのは。きっと、彼女のいうことを聞いたら彼女に捨てられてしまうと考えたのではないだろうか。私という人間は無意識のうちでそんなことをしてしまうから困る。まったく、頭が身体に従えばいいのになあ…。そうしたら脳筋になってしまうか。それに自分という器を完璧に操れる人間なんてそうそういないしな。
そう思ってふっと彼女が好きだった花を窓から眺める。何て名前だったか。いつも聞いていたのに、思い出せないなんて。
「はーあ」
私はでもやっぱり彼女が好きだ。ここまでいやがっているんだ、バスケの時みたいに、その方法をやめるしかないじゃないか。我慢比べで負けてしまった。私はいつも彼女には勝てないなあ。
そよそよ、気持ち良さそうに、よくわかんない鶏みたいな花が揺れている。この花のかわいさも、彼女の口から言われてもわかんなかったなあ、なんて。
ふと、外を見る。実に透き通って見えた。
お読みくださり、ありがとうございましたm(__)m