3.黒の森
─・─
閉じた目蓋、ちらつく眩しさで目が覚める。
うっすらと目を開け、首を回す。枝葉の合間から覗く、青い空に気付いた。
──……朝か。
ぼんやり思う。
固く腕組みした格好で、寝ていたようだ。
腕を解き、横向きにしていた身体を返して起き上がろうとしたジレンは、そこで動き止んだ。
顔を上げた目の前に、無精髭面の強面があった。
「ようやく起きやがったか」
不機嫌な声が響く。
「とっとと動け。行くぞ」
寝惚け半分、そして、いきなり目の前に現れた逆光の熊のような姿に驚き半分。
固まっているジレンを一睨みしてから、ドールが屈み腰から立ち上がり離れて行く。
厳ついブーツが視界から退くと、馬の傍らで支度を整えているウドクの姿が見えた。
固まったまま、瞬きする。
そして、のそのそと身体を起こして立ち上がった。
見ると、ドールは焚き火の後始末をしている所である。
「……行くって何処に」
起き抜けの掠れた声が出る。
ウドクが手を止めて、此方を振り向いたのが視界の端で解る。
靴底で燃えかすを踏み潰していたドールが、横目に此方を睨みながら応えた。
「お前、寝惚けがひでぇな。街に決まってんだろ」
「……うん? ……なんでまた」
問うジレンに、ドールが足踏みするようにしていたのを止める。
「なんでまた、……だ? お前は、人に素直に頼むって事を知らねぇのか」
ぎろりと凄い剣幕の視線が返るが、状況に付いて行けず。
寝惚けた顔をしているように見えるのだろう。
だが、ジレンの目付きが冴えないのは普段からだ。
むしろ、頭の中はドールの言動で覚めきっていた。
──なんでこいつが、普通に出発の準備を手伝ってるんだ。
それも、なんで俺より先に起きてる。
いや、寝坊した俺があれなのは解ってるが── なんでそんなことになってる?
答えを求めてウドクを向けば、狼の顔が何処となく機嫌良さげに見えた。
「街まで案内してくれるそうだ」
ウドクが言って、ドールの方を鼻先で示す。
視線を戻せば、腕組みしてぶすっと此方に向いている不機嫌そうな様子のドールが見えた。
「解ったら、さっさとしろ」
そう言うと、ドールはジレンから目を逸らし、焚き火跡から離れて行ってしまった。
文字通り、取り残されたようになって暫しジレンは、その場に突っ立っていた。
──……うん? これは?
昨夜の状況を思い出してみる。
昨夜は、ドールはろくに話もせずに勝手に寝てしまった。
ひたすら面倒臭そうな様子に見えていたのだが。
そうでもなかったという事だろうか。
ふと、浮かんだ問い掛けを、そのまま口に出してみる。
「……助けてくれるのか?」
ドールが、振り向いた。
目が合うと、何と答えたものか迷っているように暫く黙る。
そして、素っ気なく鼻を鳴らした。
「そんな大層なもんじゃねぇよ。俺は、街に帰る。そのついでだ」
その応えを受けても、ジレンは呆けたように黙っていた。
起き抜けのせいか、普段のひねくれた軽口が頭に浮かばなかった。
そんなジレンをドールは暫く黙って眺めていたが。
ジレンからの応えがないのを受けて、肩で息を吐く。
「今日は、もう尋問は無しか?」
「……尋問?」
「昨夜の話だよ。気持ちは解らねぇでも無いがよ。しかしまぁ……ひねた野郎だな。あのわんころの欠片くらいでも、少しは素直になった方がいいぞ」
ドールの物言いは、心底呆れた様子だった。
だが、その目は睨んではいるが険のある鋭い物ではない。
昨夜も話している内に、それほど険悪な様子は見せなくなっていたが。
── なんだ? これ。
昨夜の様子と一変して、世話焼きの年嵩の口ぶりで諌めてくる。
面食らったジレンが何も言えずにいると、ドールが舌打ちした。
「面倒くせぇ奴だな。なに小難しい面してんだよ。おら、早くしろ」
だが、数度に渡りドールに急かされれば、ジレンも動き出すしかなくなった。
自分の荷物を拾い上げ、矢筒と弓を背負う。
怪訝そうに首を傾げながら、馬を引くウドクの元へ向かう。
「それも載せよう」
並んで歩き出そうとすると、ウドクにそう声を掛けられた。
見ると、ウドクはやはり機嫌が良さげだ。
とりあえず、聞いてみた。
「……何かあったのか?」
「何かとは?」
「いや……あいつの様子がなんか違う」
ジレンの言葉に、あぁ、とウドクが頷く。
「少し話をした。思っていたより悪い奴ではなかった」
その言葉と、先程のドールの言葉を頭の中で並べてみて、ジレンは察する。
自分が起きる前に、何事か二人の間で和やかなやりとりが行われたらしい。
ジレンは、少し頭を抱えたい気分になったが。
気を取り直して問い掛ける。
「何を話した? 妙な事は言ってないよな?」
「俺の事だけだ。お前の事は話していない。心配するな」
ウドクは、さらりとそう言ってのけた。
その狼の顔を、ジレンは暫し無言で見詰めたが。
一旦、信じる事にしてそれ以上聞くのは止めた。
ウドクは、馬鹿ではない。
だが、変に世間ずれしていない所があるせいか、時たまに間の抜けた事をやらかす。
とりあえず、ドールがどういうつもりなのかは、暫く様子を見た方がいいだろう。
「荷物は? 邪魔だろう」
ウドクが言い、再度手を伸ばして促す。
だが、歩きながらジレンは首を横に振った。
「いや、これはいい」
自分の馬と共に大半の旅支度を失ったジレンは、無事に済んだ物を纏めて入れた革の袋を肩に下げていた。
その為に、さほど荷物が多い訳では無いが、弓矢と共に背負っていれば嵩張りはする。
それにも関わらず、荷物を手離そうとしないジレンに、ウドクが怪訝そうにする。
「邪魔じゃないのか?」
「あぁ。平気だ」
革袋の紐を握り、背負い直しながら応える。
ウドクは怪訝そうにしていたが、ジレンがあくまで断るなら、それ以上は言って来なかった。
暫く互いに無言で歩く。
ふと、思い付いてジレンはドールの背中に声を投げた。
「なぁ。ここから街まで、どれくらいかかるんだ」
ドールが振り向き、応えた。
「夜には着く。休まなきゃな」
「何処を通って行く?」
「普通なら川沿いを行くが……、ま、どっからがいいか考えてるとこだ」
「川沿い? 表の街道か?」
「いや。表は主流ってやつだ。そこから別れた小川が、森の中に細かく走ってる。どの川でも川沿いに上流を目指せば、いずれ街に着く」
「へぇ。なんだ、意外に解りやすいな」
「ちゃんと上流を目指せれば、の話だけどな。この辺りはどこも邪魔が多い。ま、出来るだけ早くて危なくない道を通る。だから、気にすんな」
そう言って、ずんずん先に進んで行くドールの後ろ姿を見詰める。
泥を払って大分ましにはなったが、血で黒ずんで破れかぶれの背中。
── いや、どうだろうか。
気にするな、とは言われたが。
どうも、この男は危険回避に疎い所が多そうな気がする。
だからと言って今更着いていくのを止めるつもりは無いのだが、ドールが道を選ぶに任せていいものか、少々不安が過る。
ジレンは少し考え。
ドールの背中に、再度呼び掛けた。
「なぁ、おい」
「なんだよ」
「道は複数知ってるのか?」
「あぁ、そりゃあな。東西南北、何処からでも抜けられるぜ」
「今から行くのは、どんな道だ?」
「あー……道って言うより“溝”だな。人が作った物じゃねぇし」
ドールの言葉に、ジレンの脚が止まりかけた。
──今、不穏な言葉がその口から出たと思うのだが。
「……人が作った物じゃないって、どういう意味だ?」
「魔物だよ」
ドールが言う。
そして、肩越しに振り向き、告げた。
「“闇喰い”って呼ばれてる馬鹿デカイ鳥の魔物だ。そいつが掘った」




