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3.尖塔の丘

 ─・─


 日が傾き始めていた。


 頭上に広がる木々の枝葉が切り抜かれた影絵のように、くっきりと黒い輪郭を描く。

 朱の上に墨を撒き散らしたような、鮮やかで禍々しい文様の空。

 

 ざざざざ、と木立を揺らして風が通り過ぎて行く。

 木のうろにそれが共鳴すれば、低くか細く咆哮するような音が重なる。

 幹が空洞化した古木や巨木の多い、旧い森ではよく耳にする、“森の声”。


 それらは、進みかけた脚を躊躇わせ、一度立ち止まらせるには、充分に不気味な様相だった。


「あー……。思ってたよりずっと気味が悪いな、これ」


 馬の手綱を掴んで引きつつ、辺りを見回し呟く。


「……一体、どういう仕掛けなんだ」


 後方で響いた声を拾い、ジレンは振り向いた。


「なんでも、ドーガ鉱石のせいらしいぞ」

「ドーガ鉱石?」

「ここの土地に多いんだと。一見黒い石だが、光の加減や方向を変えて見ると、いろんな色に光るそうだ」

「……ほう。そんな土地で育つと草木がこうなるのか」

「さぁな。俺も話に聞いただけだ。どこまで本当なのかは知らないぜ」


 未だ踏み入って間もない森の様子を見渡し眺めているウドクから、辺りの光景へと視線を流す。

 そして、手近にあった木に歩み寄り幹に指先を伸ばした。

 樹皮を撫で、爪の先で僅かに削り、付いた苔の色を確める。


「どう見ても黒くないな」

「だが、丘の上から見た時は違っていた」

「……遠くから見ると黒一色、近くで見ると普通の森、か」


 指先についた苔を払い落としながら、顔を上げる。

 数百年は経っているだろうと思われる大木。

 冷涼な高地に在るこの森は、下草は少なく低木もほとんど見当たらない。

 迫る夕闇、薄暗い森の中で木々は、ごく自然の色を纏っている。


 緑色の葉、茶色の樹皮、枝、木々や地面を覆う苔の暗緑。

 尖塔の丘から眼下にした“黒の森”の様相とは明らかに異なっていた。


「ドーガ鉱石の話が本当なら、光の当たる方向や見る場所で変わると言う事か」

「まるで、大きな騙し絵のようだな」

「呪いとかあったりして」

「……。あって欲しそうな言いぶりだな」

「まさか。俺だって呪われるなんてのはごめんだ」


 ウドクと軽口を交わしつつ、辺りを見渡す。

 日は、落ちかけている。

 ジレン達にとって、選択肢は三択だった。


 街道沿いの拓けた場所で夜営するか、一旦森の中に分け入って夜営するか、はたまた、夜通しの移動で強行するか。

 ウドクが馬の疲弊を口にしたので強行策は潰えた。


 再び賊に遭遇する事が危ぶまれる街道沿いは避けたく、森の奥深くまで踏み入らなければ、さほどの危険も無いだろうと考えたのだが。

 得体の知れぬ森の光景は、想像以上に進む脚を躊躇させた。


 顎先に手をやり、一時考え込む。

 それから、無言のまま馬の上へ視線をやる。

 そこには、狩られた熊のように、だらりと力無く下がっている身体があった。


 崖の下で遭遇した、件の男である。

 ぼろぼろの様子も相まって、頭を逆さにしたまま動かない姿は一見、死体を運んででもいるようだ。

 だが、そんな有り様で、男自身は眠っているように穏やかな呼気を漏らしている。

 土と血が泥のようになってこびりついていた顔は、拭ってやったお蔭で今は幾らかましになっていた。


 顔立ちは精悍とも言える造りで悪くは無い。だが、人相は好くない。

 赤茶けた短髪とその色と同じ無精髭、がっしりとした体躯。

 賊に襲われていた様子だが、外見だけだとむしろ、この男自身が賊らしく見えるような風貌である。

 耳には、くすんだ銀の小さな輪が幾つか並んでいる。首にも、同じくくすんだ銀色のレリーフが付いた鎖を下げていた。


 縛るついでにその身体を調べてはみたが、男の身の上が解るような物は見付からなかった。

 一応、腰に長剣の剣吊りを二つ下げていた所からすると、剣士ではあるようだ。

 だが、ジレン達が調べた時には既に、鞘は両方とも空だった。


「いい加減、起きて貰うか」


 言って、男の傍らに歩み寄る。


「簡単に起きるとは思えないが……、気をつけろ」


 ウドクが言う。

 目を合わせると無言で頭突きの素振りと、剥き出した犬歯を指して見せる。

 へらりと口の端だけ上げてそれに返してから、間近になった男の顔を改めて見下ろした。


 ──まぁ、確かに。


 あの勢いだと目が覚めた瞬間に噛み付いて来そうな気配は充分ある。

 だが、一旦連れて来る事にしたからには、先ずはこの男と話を付けたかった。

 尖塔の丘付近をうろついていたのであれば、この男もロージングに何か関わりがあるのは間違い無いだろう。


 だが、当座の問題は、男に目を覚ます気配が全く無い事だった。


 何しろ、縛り上げて手荒に馬の背に投げ上げようが、ぴくりともしない。

 森に向かう手前で、通りすがりに見つけた小川から汲み上げた水を頭からぶっかけてみても同じだった。


 ウドクが言うには、それこそ死んだように意識が無いとの事だ。

 だが、男に死にそうな気配はない。

 ただ、ひたすら眠っているようにしか見えないせいもあるが。

 何より、崖の下で目の当たりにした光景がジレンにそう思わせるに充分だった。


 ── しかし。“不死”か。

 

 この男が人間離れしているのは間違いなく、それが“はぐれ”である故なら、ウドクと“同じ”であるという事である。

 それだけでも、話を通す切っ掛けに出来そうではあるのだが。

 果たして、どうか。

 ジレンには、未だ解らない。


 難しい顔で考えつつ、その場にしゃがみこみ生えていた草を一本むしる。

 そして、手にした雑草の細い先をつまんで持つ。


「……何をするんだ?」


 ジレンの手元を訝しげに見詰めながら問うウドクに、細く尖った草葉の先を示して見せつつ答える。


「うちの親父は、酒を喰らって寝入ると何しても起きないんだがな。これだと、一発だ」


 ウドクが見守る中、男の顔にそれを近付ける。

 そして、指一本分はある長さの草を躊躇無く男の鼻の奥に突っ込んだ。


 ──その瞬間。

 男の眉が険しく歪んだ。

 だが、それも一瞬だけだった。

 それ以上の反応はなく、うなされているようなしかめっ面に変わって、変わらず目蓋が開かれる気配はない。


「……お前。以前、同じ事を俺にしたな」


 ウドクの、呆れ混じりの不機嫌な声が後ろで響いた。


「お前にも効いただろ」


 振り向きもせず、突っ込んだ草の先で男の鼻の奥をつつきながら答える。

 だが、男に変化が無いのを認めると、鼻に突っ込んだ草をそのままに、手を離した。


「だめだな。手強い」

「意識が無い相手には通じないと思うぞ」

「でも、少し反応したぜ」

「……ほう?」


 反応があったと聞いて、ウドクの声音が僅かに変わる。

 ウドクが近付いて来ると、横から覗きこむ──と、その時だった。

 鼻の穴から草の根元を覗かせたまま、しかめっ面をしていた男の顔が、一際激しく歪んだ。


「……っぐ」


 ひきつり、苦し気な呼気が大きく漏れた次の瞬間。

 男が盛大なくしゃみを放った。

 それと同時に鼻から噴き出された草が緑の残像を残して飛んで行き──、その残像に引かれるように視線を向けた先、最高に不機嫌そうな色に変わったウドクの大きな黒目と、目が合った。


「……」

「草、付いてるぞ」


 眉間、黒い毛並みの額にぺったりと濡れた緑の草が張り付いているのを指差す。

 ウドクは、無言のままそれを摘まみ取り、捨てた。


「凄いな、狙ったように鼻水と唾の飛沫を浴びるとは」

「……笑うな」

「いや、すまん」


 込み上げそうになっていたのを堪えて、ひきつっていた頬を自分で軽く擦りつつ、男に視線を戻す。

 異物を噴き出した後は、穏やかな様子に戻って寝息としか思えない呼気を吐いている。


「しかし、これでも起きないか」

「そんなに起こしたいのなら、殴ってみるのも手ではないか?」


 顔を拭い、拭った手袋の表面をうんざりとした様子で眺めつつウドクが言う。


 ジレンは、その言葉に少し考えた。

 元々、話がしたくて連れてきたのだから手荒な事はするべきでは無いと考えていた。


 だが、一発くらい大丈夫だろうか。

 そもそも、矢が胸を貫いても平気な奴だ。

 構いやしないのかも知れない。

 第一、起きないし。


「───…………なんなんだ、お前らは」


 少々質の悪い悪戯のような考えに至りかけた時。

 ふと、力無く呟くような、そんな声が聞こえた。


「……目が覚めたな」


 ウドクが、言った。

 ジレンも、気付いた。


 ずっと落ちたままだった目蓋が、うっすらと開かれていた。

 険しくひそめられた眉の下──正確には、逆さまに馬の背から下がっているままで、位置としては逆だが──、深い茶色の瞳が睨んでいる。

 ただ、目覚めたばかりだからか初めて出会した時の覇気は無く、気怠げだった。


 暫し、無言で見合う。

 男が身動ぎしようとして、その目が気付いて瞬き。直ぐに動き止むと再度、目の前に立つジレンを見据える。

 腕を縛られ、馬に乗せられている自分の事態を悟ったようだ。

 その口がゆっくりと開き、言った。


「……クソが。ぶち殺すぞ」


 男の目に、殺気が戻っていた。

 もっとも、依然として覇気充分とは言えぬ様子ではあったが。


 ──殴る前で良かった。


 目の前の男の様子と、吐きかけられた言葉に内心思いつつ、弛く笑顔を作って誤魔化す。


「あぁ、悪い。また、いきなり暴れられると面倒だったんでな。縛らせてもらった」


 ジレンの軽い謝罪と弁明を、聞いているのか聞いていないのか、直ぐに反応は返らず。

 ややあって、男がぼそりと言った。


「……解け」

「解いたら、ぶち殺すのか?」


 ジレンの言葉に男が口をつぐみ、じろりと視線を横に流す。

 其処に立つウドクの姿を見留め、見上げる。

 だが、ウドクの異形を目にしても、やはり男に動揺する様子はなかった。

 ただ、忌々しげに顔を歪める。


「……“赤口”な。くそめんどくせぇ。死ね、アホ」

「……“あかぐち”?」


 男が口にした子供のような罵倒は聞き流し、ウドクが怪訝そうに繰り返す。

 ジレンも、その聞き慣れぬ言葉に気を留めた。

 どうやらウドクを指して言ったらしい事は解る。

 だが一先ず、それは置いておいて男に再度話し掛ける。


「なぁ、兄さん。とりあえずだ。ひとつ約束しないか?」


 男が無言で、ジレンに視線を戻す。

 その目に、弛い笑顔を見せながら続ける。


「お互い、ぶち殺すとか死ねとかは一旦無しにしようぜ。俺達は、ちょっとあんたと話がしたいだけだ」

「……」

「どうだ?」

「……」


 男は、応えない。

 ジレンもそれの鏡返しに暫く口を閉ざしてみたが。

 やはり、返る反応が無ければ諦めて口を開く。


「そのだんまりは、どうあってもぶち殺すって事か?」


 どす黒い敵意を露にした、強い光。

 それを放つ男の目に問い掛ける。

 すると、男の顔が歪み、唸るような声が返った。


「縄を解けってんだよ。そうしたら、幾らでもお喋りしてやるよ」


 男の返答を受けて、ジレンは作り笑顔を顔に張り付けたまま、暫し黙った。

 それから笑顔を引っ込め、ウドクに向き直る。


「どう思う?」


 傍らで黙って聞いていたウドクが、問われると首を傾けた。


「どうとは?」

「俺には、縄を解いたら速攻で殺すって言ってるように聞こえたんだが。お前はどうだ」

「……。そう思うなら、縄を解くのは止めたらどうだ」

「いや、そこはさ、万一の時はお前が身体を張って止めるとか言ってくれ」

「そうして欲しいなら、そうするが。縛ったままが楽に済むのかと」

「それじゃあ話が進まないかなってさ。こういうときは、お互いの要求を飲み合ってから、ようやく話し合いに至れると思うんだが」

「……なるほど。そういうものか」

「あぁ。だから頼む」

「解った」


 こくりと頷いたウドクから視線を外し、男に向き直る。


 すると、先程までのどす黒い気配が幾らか治まった様子の男と目が合う。

 たが、怒気や敵意が薄まった代わりに、呆れた色がその顔に浮かんでいる。


「……お前ら、馬鹿か?」


 声をひそめる素振り無く、相手の前で堂々と算段を話し合う二人の様子が、男には理解し難かったようだ。

 

 まぁ、男をからかい半分のわざとやった事ではあったが。

 一応、ウドクと示し合わせておきたかった事もある。

 男の言葉に、ジレンは肩を竦めた。


「未だこういう事に慣れないんでな」

「……こういう事?」

「縛った相手を脅したり好かしたり、殴ったりする事」


 眠たげな半目で相手を眺め、覇気の薄い声でそう告げれば。

 拍子抜けしたらしい男の顔から、毒気がそっくり丸ごと抜け落ちる。

 だが、直ぐに険しい面持ちに戻ると、品定めするような無遠慮な視線に変わった。


「……お前ら、此所で何してたんだ」

「今日、此所に着いたばかりだ」

「……今日?」

「あぁ。バロウィケンって知ってるか」

「……知らん」

「南の方にある田舎だ。エゼナスより東にある。土田舎だ」

「聞いた事ねぇな」

「土田舎だからな」


 男が、ジレンとウドクとを見比べるようにする。


「じゃあ、その田舎者がこんな所で何してる」


 未だ、男の様子に警戒は濃い。

 直ぐには何も応えず、男が此方を眺めるに暫く任せていたが、男の目線に背を屈めてから言った。


「と言うか、兄さん。あんた、そのなりのままで話を続けても構わないのか? 俺は構わないけどさ」


 ジレンの言葉に、男がむっとして口を真一文字に結ぶ。


「あんた、かなり頑丈みたいだけど、そのまんまだと流石に辛いだろ」


 見下ろしてくる視線に、自分が置かれている屈辱的な状況を思い出したのか、男は再び怒気を目に宿しかけた。

 だが、歯噛みして堪えたようだ。

 忌々しそうに顔をしかめ、一時考える様子の後。

 はっ、と短く切る息を吐き出した。


「……なら、下ろせ」

「いやいや。下ろすなら、その前に約束しよう」

「……あ?」

「ぶち殺し合いは止めとこうぜ? そんな事しても、俺達には得が無いんだ。何より俺もこいつも、あんたと違って怪我したら直ぐ治るって訳には行かないし」


 傷が即座に癒える身体の事を指摘すると、男の目にちらりと鋭い光が過る。

 そして、苛立たしげに声を放つ。


「何なんだよ、お前らはよ? 得だ? 俺にも、お前らと殺り合って得なんかねぇよ。お前らが、本当にただの田舎者ならなぁ?」

「そうか。なら、良いじゃないか。約束しろって。解いてやるから」


 男の目が、じとりとジレンを睨み付けるが。


「……はぁ。解ったよ。何もしねぇ」


 溜め息と共に、半ば諦めの入った小さい声が返った。

 実際、ジレンが言った通りに、その態勢は厳しいようだ。

 馬上から逆さまにされたままの横顔には、疲弊の色も見てとれる。


 一先ず、ようやく得られた男の承諾にジレンは、頷いた。


「よし。じゃあ行くか」


 軽い口調でそう告げて、馬の手綱を手繰り寄せる。


「……って、おい。ちょっと待て」

「うん?」

「……下ろせよ」

「ここじゃなんだから。もう少し我慢してくれ」

「……。いや……、今下ろせよ」


 続いた声は、力なく懇願するような響きさえ含まれていた。


 ジレンは、肩越しに振り向く。

 口の端だけ上げて男に弛く笑いかけ、そして。

 首を横に振った。


「駄目だ」


 男が、僅かに目を丸くする。

 その目に驚きと、やや遅れて怒りが見えたが、直ぐにそれも萎んで目を背けた。


「……何なんだよ、本当に何なんだよ、こいつら……」


 そうぼやいた声が聞こえたが、男がそれきり黙ってしまえば、ジレンは構わず再出発を決め込む。


「……下ろしてやったらどうだ」


 ジレンに続いて歩き出したウドクが、横に並んでそう言う。


 傍目には確かに、そんな同情をかけたくなるほど男は弱って見える。

 だが、ジレンは再度首を横に振った。

 ウドクが怪訝そうに続けて問う。


「どうして」

「また暴れられたら面倒だ」

「それはそうだが……、もう大分弱ってるぞ」

「弱ってくれてた方がいい。縄を解いて、万一ぶち殺し合いになった時、楽にぶち殺せる」


 男の言いぶりを真似つつ、淡々とそう言ってのけるジレンを、ウドクが呆れたように見詰める。


「……なぁ」


 ふと、そんな声が二人の会話に割り込んできた。


「……お前ら、ひそひそ話すとか知らねぇのか。聞こえてんだが」


 男の声が呆れを通り越して、うんざりとした様子で言う。


「聞かれた所で困らないからな」


 ジレンがそう応えると、男は何事かぶつぶつ唸ったが。

 それきり、馬上で揺られるまま何も言わなくなった。



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