1.シードバック・ギルド(2)
─・─
机の上に並べられた品々。
目の前のそれらを、ジレンは疲れた半目で眺めていた。
室内は、先程までのラジエルの大笑いの余韻が消えた後で、しんと静まり返っている。
「どうしたの?」
ラジエルが問う。
首を傾げて静かに声を発するその様子は、思慮深そうな趣を醸し出しているが。
── どう考えても、遊ばれてるよな。
問われてもまともに返答する気になれず、ジレンは黙っていた。
それでも、ラジエルが待ちかねて此方に向けている視線に、椅子に持たせていた身体をひとまず起こす。
身を乗り出すようにして、机の上に並んだ品々を改めて眺めた。
それは、全部で三つ。
その内の二つは机の引き出しから、後の一つは、ラジエルが自身の懐から取り出した物だ。
まず、コルク栓のされた黒い小瓶。中は見えない。
次に、くるりと丸められた紙片。比較的新しい。
最後に、使い込まれた様子のくたびれた革袋。口はきっちりと紐で結ばれている。
腕組みし、にらめっこするように三つを見比べ。
そして、答えが出せずにそのまま黙りこむ。
ちらりとラジエルの方を見ると、変わらず静かにすました面持ちだ。
「……あのさ」
「なんだい?」
「この三つから選ぶ理由はあるのか?」
「選べないなら全部でも構わないよ」
「いや、全部嫌だから聞いてるんだ」
「どうしてだい?」
── どうしてって。
本気で聞いてるのかと逆に聞きたい。
しらばっくれた様子から遊ばれているのは、ほぼ確実だが、“選べ”と急かす以上は本気でもあるのだろう。
だが、その品物を並べる際のラジエルの種明かしが酷かったのだ。
内容的には、二人の間で、こんなやりとりがあった。
──黒い小瓶。
『これは、砂追い蟲の幼生だ』
『……蟲?』
『本来は家畜の体の病を取り除く為に使う物だけど、僕が改良したんだ。人間用にね。身体の中の異物を取り除いてくれる。病巣でも毒でも、身体を侵す悪いものはなんでもね。飲み込んだ蟲がそのまま排泄されるんだ』
『……一応、聞くがどうやって使うんだ?』
『口から飲み込むか、肛門から入れる。異物を摂取してから時間が経ってるなら、肛門からかな』
『……』
──紙片。
『あぁ、それは選びやすいように紙に書いただけだよ』
『何を』
『呪文』
『何の』
『僕の手を君の腹に差し込んで直接内臓まで通して探る為の術式さ。直に取れるから、まぁ一番安全かな』
『本当にそんな事出来るのか』
『まぁね? 人間に試すのは初めてだけど』
『……』
──革袋。
『腹下しの薬だよ』
『ただの薬か?』
『品質は良いよ。効き目も抜群』
『効き目は腹下しだけ?』
『幻覚剤も入ってるかな』
『……どうしてそんなものが入ってるんだ』
『材料が“瑞々草”だからね。元々そういう薬草だ。セザンの金持ち連中も好き好んで使うような薬さ。毒になるような事も無いよ』
『普通の腹下しは無いのか?』
『下りすぎて酷い事になるようなものならあるよ』
『……』
どれも、ジレンを閉口させる代物ばかりだった。
机の上のそれらを睨んだまま、深く長い息を吐く。
そんなジレンの重い溜め息すら心地よさげに聞いている様子の目の前の笑顔が鬱陶しい。
一応、再考はしてみるも、やはりどれも手に取る気にはなれず。
身体を起こし、首を横にゆるゆると振った。
「まぁ……、こんな物使わなくても今晩か明日の朝には出てくるだろ」
ようやくジレンが出した答えに、ラジエルが少し不服げに首を傾げる。
「早く出したいんじゃないの?」
「今まで何ともなかったし。色々手を貸してくれるのはありがたいんだが、俺は、その三つのどれも嫌だ」
「だから、どうして?」
「どれも気味が悪いし胡散臭い」
── それに、人払いした上で早く寄越せと急かしてくるこの男が一番胡散臭い。
その内心は、口にはしなかったが。
ジレンは、ひとまずきっぱりと拒むことにした。
それで強行手段を取られるなら、その時はその時だ。
まぁ、これまでのラジエルの言動からそれは無いだろうと踏んだ上での拒否だったが。
「そっか、残念。思ってたより我が儘だなぁ」
「父親似なんで」
「あはっ。そうか。……ま、君が嫌なら仕方ないね。なら、この二つはあげるよ。気が向いたら使ってみるといい」
「え? いや、いらないぜ?」
「そう言わず。どんな物でも無いよりは有る方がましだよ?」
断られたからと言ってラジエルがつむじを曲げた事は無さそうだった。
直ぐに切り替えた様子で、そう言いながら小瓶と革袋をジレンの方へ押して寄越す。
重ねてくれる、と言われれば頑なに拒み続ける言い訳も見付からず。
ジレンは、ひとまず受け取るだけはして、小瓶と革袋を腰の道具入れにしまいこんだ。
「あと、これもあげよう」
その言葉に、視線を向けると机の上に新たに置かれた物がある。
「何だ?」
「お守りみたいなものさ。とっておきだから、誰にでも渡せる物じゃない」
「お守り?」
怪訝にラジエルの言葉を繰り返しながら、ジレンはそれを見詰める。
銀色の針金で作られたような、小さな輪である。
目を凝らしてよく見てみると、針金の表面には細かな彫刻らしき物が施してあった。
「ピアスだ。耳飾りさ」
「俺はそういうのは付けないんだが」
「付けなくてもいいさ。あげるから、それもしまっときなよ?」
にこにこと年嵩の叔父よろしくラジエルが促す。
とりあえず、素直にそれも道具入れにしまった。
「何かおかしな事があれば、いつでも僕の所に来るといいよ。君の腹の中にあるソレが何を仕出かすか、正直、僕にも解らない所があるから心配でね」
従うジレンの様子を満足げに眺めながら、ラジエルが言う。
心配している割には、寄越してくるものが酷く胡散臭かったり、ガラス板越しの目はどう見ても楽しげなのだが。
「気にかけてくれてどうも」
それでも、礼だけは口にしておく事にする。
すると、ラジエルは小さく笑っただけだった。
「心配してくれてるついでに聞きたいんだが」
「なんだい?」
「コレの事だよ。“呪い避け”って言ったよな」
言いながら、ジレンは自分の腹を指し示す。
「さっき、教えてくれなかっただろ。どんな物なんだ?」
「あぁ──」
ラジエルが、笑顔のまま声を途切らせた。
机に片肘を置いて、ジレンの顔を眺める。
「さっきも言ったけど“呪具”だよ。どんな物かと言うと……そうだな。護身用かな?」
「ゴシンヨウ?」
「そう。ありとあらゆる呪いから持ち主を護る。強力な呪具だ。呪いを呪いではね返せる。僕がベルルースの身体のままで君に触れなかったのはそのせいさ」
ラジエルの言葉に、ふと甦った。
あの少女に触れられた時の、手の甲に走った弾かれたような衝撃。
ラジエルの説明が続く。
「あぁでも、これだけは先に言っておくよ。僕もベルルースも、君に悪さをするつもりは無かった。ただ、彼女自身が呪いそのものだと言っていい存在なんでね。だから必然的に反応した、それだけのことさ」
「……何者なんだ? あのチビ」
「蘇生者だよ。一度、死んだのに生き返った」
「……は?」
ぽかんとなるジレンに、ラジエルは肩を竦めた。
「まぁ、彼女の身の上話は関係無い。今のところの問題は、君のお腹の中にあるソレだよね」
言って、ラジエルが机から身体を離すと椅子に深々と身体を持たせる。
腕組みし、ジレンの顔をまじまじと眺める仕草の後。
再び、にこりとして問い掛けてきた。
「ロージングの領主が、誰なのかは知ってる?」
唐突な質問だった。
死から生き返ったのだと言う少女の話を、あっさりと流した後で。
だが、目の前の不敵な笑顔と、嫌な含みを感じさせる物言いに気を引き戻される。
ジレンは、用心深く応えた。
「ヨハン・ステラーク。……魔王とか呼ばれてるらしいな?」
「そう、その魔王だ。ロージングの創成者とされ、何百年も生きていると言われてる。この街の押しも押されぬ支配者さ」
そう言った後、ラジエルは直ぐに次の言葉を続けようとしなかった。
此方を見詰めるガラス板越しの目が、ただにこやかに笑っている。
「ロージングの領主が何か関係あるのか?」
含みあるその笑顔を薄気味悪く思いながらも、ジレンは問い掛ける。
ラジエルが頷いた後、応えた。
「“死者の書”は、元々ステラークの物だったんだ。それをロイスが奪った」
「──…… 奪った?」
「そう。あぁでも、“奪った”と言うのはあいつのやり口だと少し違うかな? 正しくは──」
ラジエルが言葉を切って一時、黙った後。
がたり、といきなり立ち上がると机の上に身を乗り出した。
そして、ジレンの顔を真正面から見詰める。
ジレンは、突然豹変したようなラジエルに驚き、椅子に身体を引いて固まったが。
そんなジレンを見据えているガラス板越しの目が、にいっと笑った。
「──あれは! “騙し盗った”!だね、うん! そりゃあもう、姑息な手口でさ! 解るかい? 想像してごらん、あのステラークだよ? あれは、もう傑作だったね! 後にも先にも、ステラークをあれだけコケにしたのは、ロイスくらいだよ?! もう、本当にさ、君の父親は最高だよ! さいっこうのクズだよね! あはっ! あはははは!」
そう、高揚した声で捲し立ててから。
たがが外れたようにラジエルが笑いだした。
それを前にしたジレンは、椅子に背中を押し付け固まったまま、唖然と言葉を失っていた。




