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3.レグルス街

 ─・─


 

 人の間をすり抜け、駆けていく。

 時折、驚きの声が短く上がり耳を打つが、一瞥をくれただけで構わず走り続ける。

 やはり道を遮る者も無ければ、行く手、唐突に現れる狼頭の姿に、大きな騒ぎとなる様子は無かった。


 ── これが、罪人と“はぐれ”の街。


 フードで深く顔を隠し、まともに目にしていなかった街の光景に、ウドクは一時意識を奪われた。

 行き過ぎる人々の容姿を横目にする。

 通りに見えるのは、“只人”と至って変わらぬようにしか見えない人間ばかりだ。

 カヤック門近くの寂れた通りに居た、荒くれものらしき出で立ちの人間も、ここでは見当たらなかった。

 

 ── 階級制度だろうか。


 大きな都には必ずある“住み分け”だ。

 ここは、富裕層とまでは行かないが、それなりに豊かで活気のありそうな場所に見える。

 少なくともこの通りの街並みにも、人々の様子にも荒んだ気配は無かった。


 平和そのものに見える、活気付いた街と人々。

 その光景の中から自分へと向けられている眼差しを思う。


 それらが、今まで他の街や村で自分に向けられて来た物とは異質であると解ってはいる。

 だが、ウドクは気が重くなるのを否定出来なかった。

 少なくは良く。そして、多くは悪く。

 ウドクが、ロージングに向かう事を決めた時の思惑を裏切られたような物だったからだ。


 ── ここも、他と代わり映えは無いのかも知れん。


 内心、そう落としたのを最後にして女々しい思惑を振り切る。

 そうして、少女の追跡へと意識を戻そうとした時だ。


 ── それは、本当に不意の事だった。


 ごおっ、と風を巻く音を直ぐ背後で聞いた。何者かが肉薄した気配だと悟ったと同時。


「── よう、兄弟」


 耳元で囁く声が響いた。

 反射的に身体を翻し、地面を蹴ってその気配から退こうとする。

 だが、声の主はウドクが逃げるのを許さなかった。

 回転し大きく腕を振りかぶる残像──それが見えたと思った時には、弾き飛ばされていた。


 地面を駆けていた勢いもそのままに転がり倒れる。

 どこか近くで悲鳴が聞こえたようだったが、それに構う余裕すらない。

 直ぐ様、態勢を直しその場に四肢を立て起き上がろうとしたが。


「わはっ! ひでぇノロマ」


 再び、耳元でそう聞こえたと同時に両手が地面からはらわれ、倒された。

 声も無く横っ面を地面に打ち、平伏した形で転がる。

 それでも、起き上がろうと腕を立てようとして。

 がつん、と目の前の地面に突き立てられた剣の切っ先にウドクは動き止んだ。


「ようよう? こーんな所で派手にやってるな。兄弟」

「ほんとほんと。変身したまんまなんて、よっぽどだよね? そんなに急いでどこ行くの?」


 頭上で、ふたつの声が響いた。

 一方は、先程から立て続けに仕掛けて来た男のものらしき低い声。

 もう一方は、かん高く、女なのか男の裏声なのか定かでない妙な声音だ。

 うつ伏せになったまま、視線を上げる。


 先程まで、人々が行き交っていた道上。

 三人の周りには、今は他の人影は無かった。

 ただ、遠巻きにしている幾つかの人垣は見える。

 急ぎ足に立ち去る素振りの姿も見えた。


 その光景を背にして。


 その二人は、ニヤニヤと薄い笑いを浮かべ、自分達の足元に倒れているウドクを見下ろしていた。


 ── 奇妙な出で立ちの男達。

 彼等を目にして、ウドクがまず初めに抱いた印象はそれだった。


 ウドクの眼前に突き立てられた剣の柄を握っている男。

 見たことのない、微かに青みがかった黒髪。

 それを短めに刈り上げ、髪と同じ色合いの刺青を左頬に大きく入れている。

 その刺青の構図は、昔、子供の頃に見た事がある魔法陣のようだった。

 細く狡猾そうな切れ長の目の、狐を思わせる顔立ちだ。


 いや、その男一人であれば、そこまで風変わりではなかっただろう。

 問題は、もう一人の方だ。


 並外れた、小男。

 並んで立つ刺青の男の、胸あたりまでの背丈しかない。

 そして、白粉でもはたいたような、白い顔に小造の目鼻立ち。

 髪の毛の無い頭。その小さな目の更に小さな黒目を、神経質にきょときょとと揺らしながら此方を眺めている。

 その目を見ると作り物の人形のようで、口元だけ笑っているような外見が不気味な男だった。


 おそらくは背丈からして、先程仕掛けて来たのは刺青の方だ。

 ウドクは、無言のまま刺青の男の顔を見据えた。


 ウドクの視線に込められた静かな怒りに気付いたらしき、刺青の男の笑みが厭らしく歪んだ。

 ウドクの眼前に突き立てていた剣を引くと、剣吊の鞘に収める。


「あれあれ? 怒ってんの? そりゃねぇぜ、兄弟。わざわざ俺達の方から出迎えの挨拶に来てやったってのによ」

「ほんとほんと。新顔の癖に生意気だなぁ。どうする? フリオ」

「さぁてな? どうしよっかな? ニコ」

「殺しちゃう?」


 性質の悪い悪ふざけのようなやり取りの延長線上。

 小男が、さらりと口にした言葉。

 そう、普通であれば悪ふざけにしかとれない言葉ではあったが──、その時、小男がそう口にしたのを聞いたウドクの首筋の毛がざわりと逆立った。


 それは、おそらく本能的に感じた危機感からだったろう。

 だが、戦慄するウドクを他所に、二人の男はどこか能天気な調子でやりとりを続ける。


「何言ってんの、お前。殺しちゃ意味ねぇだろ」

「だって、なんかこいつの顔、むかつく」

「そりゃ、お前より男前だからじゃねぇの?」

「狼の顔じゃ解んないよ、そんなの」

「お前が初見で気に入らねぇから殺すのって、男前ばっかじゃん」

「そんなことないよ? ラダは殺さなかったし」

「またまた。何言ってんの? あれは、仕掛けたお前が殺されずに済んだだけだろ」

「そうだったっけ?」

「そうそう。とりあえず止めとけよ。こいつを殺したりしたら、俺達がステラークに半殺しにされかねねぇわ」

「そっかぁ」


 小男が頷き。

 見合い、話し合っていた二人の視線が再びウドクに下ろされる。


 一見、風変わりな若い二人組の無頼。

 だが、そうでは無い。


 今、彼等の口から出た名前と、そして、彼等が互いを呼びあったその名前。

 それら全てに、ウドクには覚えがあった。


「── “番人”……、リクラス兄弟か」


 うつ伏せに押し潰した胸の奥から、唸り声を絞り出すようにウドクは言った。


 二人の顔が、ふと気付いたようにウドクを見る。

 無言で睨みつけるウドクを、きょとんとした様子で眺めていたが。

 刺青が、ニヤリと笑った。


「なぁんだ。知ってんのか。さっすが俺達。名が売れてんな」


 ── ソワスムール。

 彼女が、口にしていた“番人”の名前だ。

 どうも、毛嫌いしているような口振りに聞こえていたが。

 なるほど。性質の悪い連中のようだ。


 刺青と小男── フリオ・リクラス、そして、ニコ・リクラス。

 この男達が、ドールやソワスムールが言っていた、ウドクと同じ狼の姿を持っている“赤口”である事に間違いは無さそうだった。


「なになに? なんで、こいつ俺達のこと知ってんの?」

「そりゃ、俺達が有能だからだ」

「ゆーのー?」

「ゆーのーゆーのー……って、おっと。そのままそのまま」


 腕を立てて起き上がろうとしたウドクの背中を、すかさず刺青──フリオ・リクラスが靴底で押さえ付ける。

 ウドクは逆らわず、そのまま伏した。

 聞いた通りの話であれば、ここで彼等と事を荒立てるのはよくない。


 背中の靴底を払いのけ、今すぐにでも、あの少女を追い掛けたい気持ちを抑えつつ。

 再度、二人を見上げ言った。


「俺は、法を犯していない」


 それを聞いたフリオが、片眉を上げ顔を歪めた。

 自分の耳の後ろに掌を添えながら、聞き返す仕草を作る。


「あぁん?! 何だってぇ?!」


 わざとらしく大声を張り上げるフリオを、ウドクは暫し無言で睨み付けたが。

 静かに繰り返した。


「……俺は、法を犯していない」

「こいつ、法を犯してないんだってさ」

「聞こえてるよ」


 ウドクの言葉を拾い聞かせるニコに、フリオが白けた顔で応える。

 すると、ニコは黙って首を傾げただけだった。

 フリオの視線が、ウドクに戻る。


「で? お前、どこ行こうとしてたの?」


 問い掛け、覗きこんでくる目。

 それを見上げたまま、ウドクは口を閉ざす。

 ウドクに直ぐに応える気配が無いことを悟ると、フリオはウドクの背中に置いた片脚に、ぐいと体重を載せた。

 じりじりと踵を回し、踏みにじる靴底が背中に食い込む。


 ウドクは無言のまま、顔をしかめる事すらせず堪えた。


 それは、大した痛みでは無く。

 そうされる事自体に、強く憤りを覚える事も無い。

 だが、時間を急く焦りと、行く手を理不尽に遮られている事への怒り。 

 それらを入り雑じらせた目で睨み付けるウドクに、フリオは酷薄な笑みを浮かべて見せた。


「なになに? 話す気はねぇって? おいおい、お前さ。それこそ法を犯した事になるぜ? 俺達の質問に応えられねぇんならな?」

「そうそう。早く応えた方がいいよ?」

「うんうん。痛い目見る前にゲロってみ? ほらほら」

「ほらほら。ほらほら、ほらほら?」


 ニコが言いながら、ウドクの目の前にしゃがみこむ。

 そして、不意に顔を間近に寄せる。

 突然の事に、ウドクは驚き目を見開いた。


 地面近くに顔を下ろし、正面から見据える小さな黒目が、瞬きもせずウドクの目を覗きこんでいる。

 光の無い、ただの黒点のような瞳。

 間近にすれば、尚更、不気味な目だった。

 それが、向かい合い、にらめっこでもしているように無言で顔を覗きこんでいる。


 ウドクは、それでも黙っていた。

 相手も身じろき一つせず、そんなウドクと地面近くで相対している。

 奇妙な無言の睨み合いが続いたが。


 ニコ・リクラスの薄気味悪さと、過ぎていく時間の焦りに負け。

 ウドクは閉ざしていた口を開いた。


「……急ぐのだ」

「どうして?」


 間近に顔を寄せたまま、ニコが問う。


「友人が居なくなった。探しに行く」

「友人?」


 ニコがウドクの言葉を繰り返しながら首を傾げる。

 じり、と横っ面を地面に擦るが構わない様子だ。


「そういや、二人だって聞いてたが居ねぇよな?」


 ウドクの言葉を拾ったフリオが、頭上でそう言った。

 その声で、ようやくニコが身体を起こしウドクから離れると相槌を打つ。


「そうだったね」

「あぁ。街に着く前に、とっくにおっ死んだと思ってたが違ったか」


 二人の会話に、ウドクは鼻面を微かにしかめた。

 その言いぶりだと、彼等が、ロージングの街に辿り着く前のウドクとジレンの様子を知っている風に聞こえた。

 そして、それに習うなら、おそらく。

 今、ドールと同行していた事は知られていない。


 ── 何故だ?


 どうも、街中でたまたま此方の姿を見付けてちょっかいをかけてきた様子では無いようだ。

 ウドクは怪訝に思ったが。

 そんなウドクを他所に、二人がやりとりを続ける。


「どうする? そいつも探す?」

「えぇー? めんどいなソレ」

「でも、こいつと一緒に居た奴だよ? ほっといていいの?」

「こいつが探してんなら、そいつもこいつを探してんじゃね?」

「でも、そいつがこいつを探してても、俺達がそいつを探さなきゃ、俺達は、そいつを探せないんじゃないの?」

「いやいや。違う違う。そんなこたねぇよ。仲間って言うのはな、どっちもどっちを誘き寄せる餌になるんだよ。餌が餌に誘き寄せられる。だから俺達は、これ以上何もしなくていい訳だ。だから、そいつを俺達は探さない。……ま、餌に食い付いて来ねぇような奴なら、始めっから用無しだ」

「……? フリオ、時々、意味解らない事言うよね」

「お前よかマシだよ、ニコ」


 また白けた顔を作り、ニコとの会話を切り上げるとフリオがウドクを見下ろす。


「ん、そっか。解った。仲良しちゃんを探す、寂しい一匹の迷子ちゃんになってた訳ね?」


 その言葉の後、ウドクの背中からフリオの脚が退けられる。

 そして、直ぐ様。

 ウドクは上腕を掴まれ、引き立たされた。


「んじゃ、行こっか?」


 ウドクの腕を捕らえたまま、フリオがにこやかそうに細い目に笑みを浮かべる。

 自分より、一回りほど小さい体格でありながら、女子供でも扱うように振り回してくるフリオを、ウドクは戸惑いを隠せない目で見返す。


「……何処へだ」


 問うウドクに、フリオがにやりとした。


「決まってんだろ。俺らの主の所だよ」

「── なんだと?」


 訳が解らず問い返すウドクを、両脇から押さえるように、もう片側にぴたりとニコが付く。

 小さな子供のような白い手が、ウドクの手首を取る。

 だが、その手にもまた有無を言わさぬ、易々とは振り払えない力が込められていた。

 二人が、ウドクを引き摺るようにして歩き出す。


 それまで、ひたすら堪えて低く絞っていた声を思わずウドクは荒げた。


「待ってくれ! どういう事だ! 訳が解らん! 離してくれ!」


 その傍らで、フリオが喧しそうに顔をしかめる。


「うっるせぇなぁ。大人しくしねぇと片耳毟るぞ」

「頼む……友人が姿を消したのだ。放っては置けない」

「大丈夫大丈夫。ほんとに仲良しなら来てくれるって」

「だから、訳が解らない。離してくれ! 俺は何もしていない!」


 声を上げながら、辺りに視線を走らせる。

 遠巻きにしている人垣や、足早にその場を行き過ぎる者に、無論、助けを期待などしていなかった。

 思わず探していたのは、ジレンやドールの姿だ。

 しかし、それも見付かる筈が無い。


「ねぇねぇ。俺が片耳毟る?」

「やーめーろ。今は未だいいって」


 問うニコを、フリオが首を横に大きく振って制する。

 ニコは、それで大人しくウドクを引き摺るだけになった。


「待ってくれ! 頼む──」


 二人に抗おうとしながら、視線を向けた先。

 その時、ウドクは見覚えのある小さな人影に気付いた。


 人垣の間、大人の陰に隠れるようにして此方を見詰めている大きな目。

 口元を両手で覆い隠すようにして、じっと窺う素振りの。


 ── あの少女だ。


 ドールが、“ベルルース”と呼んでいた、ウドクが先程まで追い掛けていた、あの少女である。

 目が合った瞬間に、少女は素早く大人の後ろに身を隠した。

 リクラス兄弟に身体を引かれながら、ウドクは少女を目で追う。


 そろそろと、人の間から再び小さな顔が覗く。

 ウドクが見詰める先、少女は凍り付いた様子で此方を見詰め返していたが。


 ── “静かに”


 そう告げるように口元に人差し指を当てて見せた。


 ウドクは、怪訝に顔をしかめて返したが。

 少女は、それきりで素早く人垣の中に引っ込み見えなくなってしまった。


 引き摺られながらもなお、ウドクは少女の姿を探す。

 だが、通りを離れ街中から連れ去られるまで、ウドクがその姿を再度見付ける事は叶わなかった。




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