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5.シードバック・ギルド


 その名乗りの声が、再度室内の空気を震わせた後。

 暫し、沈黙が落ちた。


 腕組みした姿勢のまま見下ろしている男を、ジレンは表情を殺した半眼で見上げる。

 反応を待たれている気配があったが。

 何も応えないまま視線を逸らし、改めて周りの様子を確かめる方を先にした。


 自身の身体──おかしな所は無い。

 指先も動けば、座り込んだままの脚にも確かな感覚がある。

 先程のおかしな痺れは、今はもう完全に引いている。


 室内には、やはり他に人の気配は無い。

 そして、目の前の男──ラジエル・シードバック。


 薄いガラス越しの目は、その二枚の表面に映りこむランプの光のせいで、表情が定かでない。

 だが、口元は相変わらず笑みを湛えたままだ。


 ── この男の意図が、見えない。


 ── いや。ひとつ、心当たりはある。


 だが、その心当たりが正しかったとしてジレンには楽観できるような材料が無い。


 この部屋へ来る直前、街中で少女が口にした言葉がジレンの耳に蘇る。


『ロイスの息子だろ?』


 ジレン自身は、その“ロイス”という名前に心当たりはなかった。

 だが、もしかするとという考えは過る。

 通り名か、もしくは“偽名”か。

 その名を過去に名乗っていたのが、ジレンのよく知る男──ラジエルの言葉通り、“父”ではないのかと。


 だが、ロイスという名前自体を知らぬジレンに、答えが出せるはずもなかった。


 無言のまま、立ち上がろうと膝を立てる。

 此方が動こうとするのを牽制する素振りは、ラジエルには無い。

 それを確かめてからゆっくりと身体を起こし、立った。

 向かい合ってようやく、ジレンは口を開いた。


「俺の名前は、もう知ってるんだっけな?」

「まぁね? ジレン・バルコ」


 意味深な含みを持たせて、ラジエルがジレンの名前を呼ぶ。

 ジレンは、疑問の核心をこの男に投げるべきか一時迷ったが。

 先ず、口から出たのは無難な疑問の方だ。


「あいつ等は何処だ?」

「君の友人やドールのことなら、未だ街に居るはずだよ」

「……俺も街に居たはずだが」

「言ったろ? 君だけ呼んだんだ。彼等はここには居ないさ」

「呼んだって、どうやって? 俺に何かしたのか?」

「転移術さ」

「てんいじゅつ?」

「一瞬でここに君だけを移動させた。そう言えば解るかな?」


 あっさりとした様子で、ラジエルは告げた。

 直ぐにその意味が理解出来ず、ジレンは戸惑う。

 だが、ラジエルはそんなジレンの様子は意に介さぬ口振りで続けた。


「──と言うかね。時間は有限だ、ジレン・バルコ。僕は、魔術の話をしたくて君を呼んだんじゃない」


 言いながら、ラジエルがジレンの前に手を差し出す。

 差し出された掌を、ジレンは見下ろした。


「持ってるんだろ? “死者の書”」

「……へ?」


 ジレンの反応に、ラジエルが微かに眉をひそめた。


「持ってないとは言わせないよ? ベルルースが君に触れる事が出来なかった。あれは、間違いなく“呪い避け”だ。渡してくれるなら、君の話も聞こうじゃないか」


 それまでの砕けた調子とは明らかに異なる、ラジエルの低い声。 

 それを聞き、ジレンの“心当たり”が背中から腰に落ちるようにヒヤリと冷やす。


「どうしたの? 渡す気は無いってことかな?」


 差し出した空の掌をそのままに、ラジエルが言う。

 動く気配を見せないジレンを見据えるラジエルの目に、不信の色が過る。

 それに気付くと、ジレンは我に返ったように首を横に振った。


「……あ、いや。ちょっと待ってくれ」

「なんだい?」

「さっきから、あんたの言ってる意味が俺にはよく解らない」


 ラジエルの目に一層険しい光が過った。

 ジレンは、急いで付け加える。


「嘘じゃない。だからちょっと教えてくれないか」

「……あのね? 君は僕の質問には応えてくれないで、自分の知りたい事ばかり聞くのかい?」


 呆れた声で切り返されて、ジレンは続く言葉を失った。


 ── 得体の知れない、目の前の相手。


 どこからどう考えたところで、此方より明らかに一癖も二癖もある、上手の相手だと匂わせる事柄しか浮かばない。


 これまで、ドールやソワスムールから聞かされてきた事。

 そして今、自分自身が置かれている状況。

 意識が途切れていたのが、本当に一瞬だったのかどうかは解らないが。

 だが、此方に気取られない手法が使われて、この部屋に連れ去られた事は確かだ。


 ── これは。下手に誤魔化すと返って不味いかも知れない。


 普段なら、初見であればどの程度の相手か、探りを入れてみるくらいの事はしてのける。

 だが、この男に同じように試すのは上手くない──勘に近い感覚ではあったが。

 そう考えた方が良さそうだった。


 腹を括り。

 ラジエルの目を見据え、ジレンは応えを返した。


「あんたの質問に応えたいのは山々だが、知らないのは本当だ。“ししゃの書”なんて聞いた事が無い。渡せと言われても心当たりが無い」

「……──君の父親の名は?」

「……うん?」

「君のお父さんの名前だよ。聞いたけど、未だ教えてもらってない」


 ラジエルの言葉に、ジレンは頷き。

 素直に応えた。


「ゴードン・バルコだ」

「ゴードン?」

「あぁ」

「歳は?」

「ちゃんとした歳は……忘れた。でも、四十半ばぐらいだったかと」

「髪の色は?」

「灰みがかった茶色」

「目の色は?」

「俺と同じ。灰みがかった黒」

「背丈は」

「俺より、額ひとつ低い」

「どんな奴だ?」

「……うん?」

「どんな奴だと思う? 息子の君から見て。ゴードン・バルコという男は、どんな奴なのかな」


 問い掛ける黒い瞳。

 遮る光の映り込みが消えて、ガラス越しにその目の色がはっきりと解る。


 底知れぬ気味の悪さを感じさせる、あの、確かめるような、深く探るような目だ。


 ジレンは一時、その目に魅入られたように動き止んでいたが。

 唾を飲み落とし、狭く閉じたようになっていた喉を開く。

 そして、応えた。


「── クズかな」


 その答えを聞いたラジエルの目が、瞬いた。


「……ほう? 君は、父親が嫌いなのかい?」


 問い掛けに、ジレンは少し考え。

 肩を竦めた。


「いや。そんなことは無いよ」

「なら、何故クズだなんて言うんだ? どんな風にクズだと思うの?」

「まぁ……、アレの考えてる事がなんとなく解るから」

「解るって?」

「どうやって自分の手を誤魔化そうか、どうやって相手より上手く立ち回ろうかってさ。頭の造りも腕っぷしも、さほど出来が良くないからな。ひたすら、そればっかり考えてる。小狡い事が好きなクズさは、流石に俺の親父だって思うから。……かな?」


 応えるジレンの言葉に、ラジエルは瞬きひとつせず聞き入っていた。

 頭に浮かんだ言葉を一通り口にした後、ジレンが黙れば。

 ラジエルは、口元ににやりと笑みを浮かべた。


「なるほど。君は、父親似なのか」

「そうなるね。……只人にも血筋の有る無しってものはあるんだなと。アレを見てると思う」

「ふぅん」


 にやにやと笑ったまま、相槌を打ち。

 ジレンの顔をひとしきり眺めた後。

 ラジエルは、言った。


「やっぱり、君は間違いなくロイスの息子だ。その眠たそうでぱっとしない顔立ちといい、小心者で警戒心は強い癖に破天荒な物言いをするところといい、狡く立ち回ろうとしてダメだと踏めばすぐに諦めて相手に折れるところといい──、そっくりだよ!」


 淀みなく、一息に。

 そして、それまでの重く冷たい面持ちからは一転して、さも嬉しげな様子でラジエルは、そう言い放った。


 ジレンは、その変わり様と遠慮なしの物言いに面食らい、そして、閉口した。


 暫し、ジレンの方だけに沈黙が落ちる。

 ラジエルも無言ではあったが、表情の薄いジレンとは対照的に、楽しげな笑顔だ。

 ジレンは、訝しげに首を傾げ。

 ラジエルの言葉に応えた。


「……俺は、ロイスって名前は知らないんだが」

「そりゃあね。ロイスの事だ。名前を変えたんだろ」


 あっさり、ジレンが考えていたのと同じことを告げてから、ラジエルはようやく得心したように頷く。


「そうか。……なるほどなるほど。じゃあ、君は本当に知らないんだ」

「あんた、親父の知り合いなのか?」

「うん、そうだね」


 にこやかなままで頷くラジエル。

 その顔を見詰めつつ。

 口にするのが、一番怖いような気がする質問をジレンは投げた。


「……どういう間柄だったんだ? 親父は、ロージングで何やってたんだ?」

「聞いてないのかい?」


 少し意外そうな声で、ラジエルが問い返す。


「──賞金稼ぎのような事をしていたと。それだけは聞いた」


 ジレンの応えに、ラジエルは、にこりとした。


「なるほど。それは、間違ってはいないかな」

「間違ってない? じゃあ、正しくは何をやってたんだ」

「“番人”の走りさ」

「……“番人”? 番人って──、あの、魔王の処刑人の事か?」

「あはは。上手いこと言うね?」


 初めて知り得た、父親の過去にジレンは言葉を失う。

 そんなジレンを笑い飛ばすようにすると、ラジエルは言った。


「まぁ、僕達がやってた事と今の“番人”とじゃ同じなようで全く別物だけどね? やってた事自体は、あまり変わり無いけれど」

「僕達……っていうのは、あんたも?」

「そう。と言うか、そんなに驚く事かい? あれを賞金稼ぎって例えたのは、よく言ったもんだと僕は感心したけどな」

「いや……、もっとセコい事をやってたんじゃないかと思ってた」

「うんうん。よく解ってるね、ロイスはそりゃあもうセコかったよ? 僕はセコくなかったけどね?」


 言って、ラジエルが腕組みしていた腕を解く。

 そして、腕をゆるりと振って部屋の奥にある机と椅子の方を示した。


「座って話そうか? でもまぁ。何も知らないって訳じゃなさそうだね? 君も」


 ラジエルの言いぶりに、ジレンは返す言葉なく無言になる。

 初め、どうやって誤魔化そうか考えていた事を、やはり見透かされていたようだ。


 とりあえず、促されるままラジエルの後につく。

 ラジエルは、大きめに設えられた机の向こうに回ると、布張りのゆったりとした造りの椅子に腰を下ろした。


 机を挟んだ前に、同じような椅子が置かれている。


「あいつとの仕事は楽しかったよ。あいつは、時々僕でも考え付かないような事を言ったり、仕出かす事があってね」


 言いながら、ラジエルが座るように身振りで促す。

 ジレンは、大人しく従った。


「それで? ロイスには、どこまで聞いてるんだい?」

「いや、特には」


 腰を下ろした椅子の感触に、ジレンは少し驚きつつ問いに応える。

 随分、いい造りらしい。

 布張りの柔らかな沈みが、腰と背中を包み込む。


「── 特に? 何も聞いてないの?」

「親父の口から直接聞いた事は無い。賞金稼ぎだったって話も、ガキの頃はホラ話だと思ってたからな」

「じゃあ、どうしてここに来たの?」


 椅子の感触に一時、気を取られていたジレンは、その問い掛けに動き止んだ。

 ジレンにとっては、その話こそ触れて良いものかどうか迷う“核心”だった。


「それは、まぁ……」

「友人の為、だとか言うつもりはないよね?」


 すかさず言われて、ジレンは黙るしかなかった。

 そんなジレンを、ラジエルが机の向こうから見詰める。

 にこやかな笑顔のまま。

 だが、目を合わせれば再び。

 その目だけ、笑っていなかった。


「君は、本当にロイスに似てるんだと思う」


 ラジエルが、机に片肘を付くとジレンの顔を眺める。


「そうだねぇ……。君にしたって、友人の為でもあるんだろう。あの、純朴な幼馴染みの為、君もここまで一緒に来た。その言い分は否定しないさ」

「……。本当に何から何まで知ってるんだな」


 観念するような心持ちで、大きな椅子に背中を丸めて座り込む。

 ジレンの顔を眺めながら、ラジエルは弛く笑った。


「幾らなんでもそんなことは無いさ。でも、君の目的はそれだけじゃないよね? 君が、ロイスの息子なら尚更だ。──ほら。隠してる物があるだろ?」

「……それって、さっき、あんたが渡せって言った物の事か?」

「そうだよ」


 頷かれて、ジレンは考える。

 それから、用心深く言葉を選ぶ。


「……。“書”って言ったよな?」

「うん」

「書って言うと、ここにあるような本か?」

「そうだね」

「それなら、やっぱり俺には覚えが無いぜ?」

「それなら、本以外の形でなら?」


 座る膝に両肘をつき。

 口元を覆う形で掌を握り合わせた姿で、ジレンはラジエルを見据えた。


「── それなら、まぁ。確かに。……それっぽい物は知ってる」


 ジレンの言葉に、ラジエルは鷹揚に頷いて見せた。


「だろうね」

「ひょっとして──、だが」

「うん?」

「親父が、あんたからそれを盗んだとか?」

「えっ?」


 ジレンの問い掛けに、ラジエルが短く声を漏らす。

 微かに見開いた目は、本当に驚いた様子に見えた。


「いや。それは違うよ。あれは、ロイスの物だ。盗んだなんて、僕がそんなこと許す訳無いだろ?」

「じゃあ、何故だ? 渡せ、なんて脅してきた?」

「脅したつもりはないんだけど」


 少し心外そうに言った後、ラジエルは鼻に掛けている銀縁をすいと、中指で押し上げた。

 そうして、ガラス板の位置を直してから改めてジレンを見据える。


「あれは、ロイスの物で君の物じゃないからだ。でも、ロイス自身もそれを持つ資格はとうに失くしてる。だから、僕が回収しとくべきかと思ってね」

「……持つ資格?」

「そう。彼はここを出てった。いや──、逃げたと言った方が正しいかな」

「……へ? ……逃げた?」

「そう。だって、僕にも誰にも言わずに突然姿を消したんだ。……ま、ロイスらしいけどね。──“自分以外はどうでもいい”。あいつの、若い頃の口癖」

「……あぁ」


 何やら、自分自身にも身に覚えがあるような台詞にジレンは生返事を返す。

 ふと、此方を見詰めるラジエルの目が笑んだ。


「あいつ、元気にしてる?」


 ジレンは、その問い掛けに瞬く。

 穏やかに見詰める面持ちのラジエルを暫し黙って見返した後。


「ぴんぴんしてるよ」

「そっか。今は何をしてるの? 詐欺師かな?」

「……いや。堅気だ一応。狩人やってる」

「狩人? ……あはっ。なるほど、あいつにしては真っ当な選択肢だ。弓の腕前は良かったからね」

「そうだな」


 ジレンは短く言っただけで、口元を両手で作った拳で覆ったまま黙りこむ。

 再び、何度目かの沈黙が落ちたが。


「……あのさ」


 恐る恐る、とジレンは口を開く。


「なんだい?」

「俺が知ってる物は、どう見ても本には思えないんだが……“ししゃの書”って、それって、死人のことか?」

「そうだね」

「一体、どんなものなんだ?」

「呪具の一種だ。呪いが込められてる」


 ジレンはまた動き止む。

 ──その時。

 自分の血の気が引く音が聞こえたような気がした。


「どうしたんだい?」

「……呪いってどうにかなるのか?」

「どうにかって?」

「──ベルルース、とか言ったっけ。あんたの操り人形みたいな事してたチビ」

「……ははっ。操り人形はちょっと酷いな? うん? 彼女がどうかした?」

「“呪い避け”とか言ったよな。あのチビに触られたとき、びりっとしたんだが。……あれが呪い?」

「正確には、それは呪いじゃなくて。それが、“呪い避け”だ」

「どういうことなんだ?」


 真剣に問い掛けるジレンの顔を、ラジエルが見詰めた後。

 首を傾け、問い返した。


「やっぱり、持ってるんだね? 君が」

「……多分な」

「そっか。じゃあ、今度こそ渡してくれる?」

「いや……それが。渡したくても渡せない、と言うか」

「……渡せない?」


 怪訝そうに聞き返すラジエルに、ジレンはどう話したものか悩む。

 少しの間、考え。徐に右手を上げる。


「──これくらいの」


 と、手を上げ人差し指と親指を立てて示す。

 指の間に、ちょうど銅貨くらいの大きさの隙間を作って。


「これくらいの大きさだ。でも、ただの黒い石に見えた。親父が、書き付けと一緒に隠してたのを見付けたんだ、一年前に」

「……ほう?」

「その書き付けを見て、興味が湧いた。俺がロージングに来た理由はそれだ」

「何が書いてあったの?」

「……あぁ。それより、先ずその石の事なんだが」


 言いながらラジエルの顔を見詰め。

 ジレンは、自分の下腹部を指差した。


 その手振りに気付いたラジエルが、首を傾げる。


「何? 僕はそんな趣味は無いよ」

「違う」

「じゃあ、何なの?」

「──……飲んだんだ」


 ジレンは、渋々、告げる。

 片手の掌で、腹を押さえながら。


 今度は、ラジエルが固まって動き止む番だった。


「飲んだって……、その石を?」

「あぁ」

「どうして」

「ヴィルタゴに入る前にな。失くす訳に行かないと思って」


 ラジエルが、ぽかんと口を半開きにしたままジレンを見詰めた。




 ── それから、暫くして。


 辺り憚らないラジエルの大きな笑い声が、“シードバック・ギルド”の建物内に一時響いた後。

 また、静かになった。

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