3.シードバック・ギルド
─・─
空は、夕焼けに染まり始めていた。
通りを進むうち、次第に街の様相が変わってくる。
建ち並ぶ建物の造形に違いはない。
だが、今まで只白く陰気だった風景が、人の姿が増えるにつれて活気に色付いている。
雑踏の中を歩きながら、ジレンは行き過ぎる通行人の姿を横目に捉えていた。
徒党をなす者や、独りうろつく様子の者。
廃墟近くの寂れた通りで見掛けたような、無頼らしき容姿の者は相変わらず多い。
だが、その中にちらほらと混ざる一見、堅気のような者。
女子供の姿すらある。
間も無く日も暮れる刻だと言うのに、通りは賑やかだった。
怒声のような声が上がった辺りに視線を走らせれば、見えたのは荒れた光景ではない。
露店の軒先で並べた商品を前にした、商人の客を呼び込む声だ。
── レグルス街。
それは、この通りに差し掛かってから暫くしてドールが教えてくれた、ここ一角の名前だった。
「──普通の街と変わらないな」
ジレンが呟くと、隣のウドクが俯き気味に歩いていたフードの頭を僅かに揺らして此方を向く。
見ると、フードの陰から覗く大きな目と目が合う。
人混みの中、ウドクはか細く溜め息を吐いたようだった。
「……人が多い」
ぼそりと悲嘆するような声が漏れる。
「そりゃ、“都”って呼ばれるくらいの場所だからな」
「一体、どこまで歩くんだろうか」
疲れきった様子でウドクがぼやく。
ただでさえ目立つ大きな身体で、人目に触れぬよう顔を伏せて歩き続けていれば、それは気疲れもするだろう。
ジレンは、無言でウドクに肩を竦めて見せたものの。
ウドクの向こう側を歩いているドールに視線を向けた。
「未だ、かかるのか?」
「……あ?」
とろとろと脚を運んでいたドールが、気の抜けた目と声を向けてくる。
顔を見合わせれば、腑抜けているのではない。
ドールもまた、酷くくたびれた様子になっていた。
此方の男の気力が減退したような様は、先程まで口喧嘩のような騒々しいやりとりを繰り広げていたせいだ。
その喧嘩相手は、今は涼しげな様子で前方を元気に歩いている。
あの、“ラジエル・シードバック”であると名乗った少女だ。
「まだ、歩くのかなってさ」
再度、ジレンが問い掛けるとドールが心底面倒臭そうな声で応えた。
「あぁ。もう少し先だ」
「この調子だと夜になりそうだな」
「……嫌なら、あいつに言えよ。また今度にするから今日のところは失せろってよ」
「ここまで着いて来て、それはないだろ? 出直す方が面倒だ」
ジレンにそうする気がないのを聞くと、ドールは短く溜め息を吐いた。
元より、そうなると期待はしていなかった様子だ。
少女に誘われるまま。
ジレン達は、彼──いや、彼女なのかはよく解らないが。
とにかく、ラジエル・シードバックが取り仕切るという“シードバック・ギルド”に向かって歩いていた。
やや離れた前方を行く少女の後ろ姿。
ここに至るまで、少女とはろくに会話らしきものは交わしていない。
少女とドールが“闇喰い”の一件で話し込んでいたからだ。
少女は、“闇喰い”が現れた時の事を知りたがった。
それで、問い掛けに応える形でドールは起きた事をひとつひとつ話して聞かせていたのだが。
時折、喧嘩のようなやりとりになっていたのは、端で聞いていた感じ、単にドールが少女の言葉にいちいち突っかかっていた故に思える。
余程、ドールにとって虫の好かない相手であるのは間違いない。
それは、それにしても一先ず。
ラジエル・シードバックは、ジレン達の話を聞くつもりであるようだった。
それ故に、奇妙な少女からの招待であっても素直に受けて、ジレンも大人しく付いて来ているのだが。
少女の後ろ姿を暫し眺めた後。
ジレンは、やや声を落としてドールに問い掛けた。
「……なぁ、ドール」
すると、ドールが物珍しそうな目でジレンを見た。
「……ほぉ。なんだよ。お前、ひそひそ話出来るんじゃねぇか」
冷やかす言葉を向けられて、ジレンは閉口する。
だが、ドールはしつこくしてくる様子は無く話を促した。
「なんだよ?」
「あのガキが、ラジエルなのか?」
ジレンの問い掛けに、覇気を無くしたドールの半眼がちらりと此方に向く。
表情薄いまま、暫くジレンを眺めていたが。
「まぁ……さっきも言ったけどよ。正確には違う」
「それ、どういう意味だ」
「あれは、ベルルースっていう“はぐれ”の女だ。ラジエル本人じゃねぇ。俺も仕掛けはよく知らねぇが、あの女が、ラジエルの代わりに喋ってるだけだ」
「……代わり?」
「中身が入れ替わってるようなもんだ」
気のない声が応える。
それは、実のところジレンもうっすらと予想はしていた事だったのだが──、ジレンは、まじまじとドールの顔を見詰めていた。
「本当に、そんな事が出来るのか」
声をひそめたまま、問い掛ける。
すると、ドールは小馬鹿にするように片眉を上げて見せた。
「目の前でやってる奴が居るだろ」
「……そんな奴が居るのが、信じられんから聞いてるんだよ」
「あんな気色悪いガキが居る訳ねぇだろ」
ドールがそう言って、少女の背中を顎でしゃくって示す。
──と。
前を歩いていた少女が、くるりと振り向いた。
不意を突かれてジレンは、ぎょっとした。
それまで、寡黙に聞いている気配だけだったウドクも、ジレンと同時にフードの頭をびくりと震わせる。
驚いて立ち止まった二人の顔を、大きな目がくりくりと動いて見上げた。
興味深く観察するように、二人を爪先から頭の上まで見回す素振りの後。
少女の顔が、にこりと笑った。
その目が、ジレンに定まる。
「そうか。魔術師を見るのは初めてかな?」
正面から少女に問い掛けられ、ジレンは思わず他の二人の顔を横目に見た。
ウドクは、フードの奥から大きな目で少女を見下ろしているだけで動かない。
ドールは、目が合うと無言で肩を竦めただけだった。
どうでも良さげな素振りだ。
ジレンの応えがなければ、暫くその場の四人に沈黙が落ちた。
少女の大きな目が、じっとジレンを見上げる。
そして、きょとんと首を傾けた。
「そういえば、君、よく僕だって解ったね? どうしてだい?」
「……そりゃ、変態野郎って言や解るよな」
少女の問い掛けにジレンが応える前に、ドールが横から口を挟む。
見ると、ドールが片眉を上げたままの白けた顔でジレンを眺めている。
── 図星だった。
いや、無論その他のドールと少女のやりとりも察するに至る理由にはなったのだが。
ドールがしきりに毒づいていたおかげで、あの時の少ない二人のやりとりでもジレンには、ぴんと来たのだ。
ドールもそれは、解っていたらしい。
確信犯らしい顔をしている。
少女は、そんなドールとジレンの様子を不思議そうに見比べるようにしていたが。
腕組みして、再度首を傾けた。
「──ふむ。変態野郎か。ちょっと困った愛称を貰っちゃったな」
そう言って少女がにっこりと笑う。
すると、対照的に薄気味悪いものを見るようにドールの目が曇った。
「愛称じゃねぇよ。頭、腐ってんのか」
「君の罵倒は、僕にとって友愛の証だからね」
「お前、ほんとにいっぺん死ねよ」
「あはは」
ドールの呪詛を明るい声で笑い飛ばしてから、少女がジレンに向き直る。
「君、ジレンだっけ?」
確認する問い掛けに、ジレンは一先ず素直に頷いた。
「歳は?」
聞かれて、少し訝しく少女を見るが。
応えておくことにする。
「二十一だ」
「フルネームは?」
「──ジレン・バルコ」
「出身は?」
「バロウィケンだ」
「セザンじゃないの?」
「……なんでそんなこと聞くんだ?」
「バルコって、セザンの方に多い名だって記憶しててね?」
矢継ぎ早に問い掛け、見上げてくる目にジレンは一時黙り。
特に、隠す事もないかと思い至り応える。
「母親の名だ。確かに、セザン出身だな」
「じゃあ、父親の名は?」
──ふと。
再び、ジレンは黙る。
向かい合う、少女の目。
大きく、澄んで澱みは無い。
だが、問い掛けるその様子は、ただのお節介な知りたがりや好奇心と言うよりも。
何かを、確かめようとしているような目だ。
その時、不意に少女が横に下ろしていた手を上げた。
白い指先が、ジレンの手に伸ばされる。
そして、触れようとした瞬間だった。
── ばしん、と激しく弾かれたような衝撃がジレンの手に走った。
「……っ!?」
声にならない息を漏らし、ジレンは目を向いて反射的に身体を引いた。
「──……なんだ? 今、何した?」
ややあって、ドールが低い声を漏らした。
ジレンは、衝撃が走った手を思わず顔の前にかざして確かめていた。
だが、何も無い。
── なんだ? 今の。
確かに今、手の甲に打たれたような痛みが走った。
だが、そこには傷もなにも無く、打たれたような跡も無い。
ふと顔を上げて見ると、怪訝そうに此方を見詰めているドールの目と、目が合う。
その横で、フードの奥から見詰めている、相棒の目もあった。
ジレンは、その二人の目を何が起こったのか訳の解らぬまま見返す。
それは、二人にしても同じ様子だった。
「──あれ。まさかと思ったけど……そうなんだ」
ふと、そんな独り言のような声が落ちる。
その声の主を、ジレンは見下ろした。
少女が、自分の白い掌を眺めている。
その目が、ジレンを見上げた。
「何だか、妙な気配がしてるとは思ったんだけどね?」
きょとんとしたような大きな目が、ジレンを見詰めると、言った。
「そういえば、目元がよく似てる。そうか──、君、ロイスの息子だろ?」
少女の口から出た、その名前にジレンは動き止む。
ジレンの目を、暫く少女は覗き込むようにしていたが。
すいと視線を、ドールとウドクの方に向けた。
「ごめんね? ちょっと先に彼に聞かなきゃならない事が出来たみたいだ。君達は、少し後からおいで」
少女のその言葉が聞こえたと思ったのが、その時、その場でのジレンの最後の感覚だった。
ふっ、と唐突に意識がそこで途切れた。




