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2.尖塔の丘


 ─・─


 一先ずは急いで斜面を降りる事に専念した。


 頭上を警戒しつつ、一旦ジレンが馬を預かり手綱を引く。

 その後ろに、いつでも援護に回れるよう相棒が続く。

 そして、二人には意外のまま訪れた静けさは途切れる事もなく、やがて無事に崖を降りきった。

 少し拓けた原っぱに立ち、辺りを警戒してみるもやはり、危ない気配は無い。


 目をやると、相棒はフードを後ろへ上げた姿で馬の傍らに歩み寄り、首元を撫でて労っている。

 その様子を暫く眺めてから、ジレンは言った。


「お前のせいじゃないのか?」


 ジレンの言葉に相棒が振り向いた。

 狼の顔が、訝しげに傾く。


「何がだ?」

「その顔見てさ」

「……ロージングの賊が、それくらいで逃げるとは思えないが」

「じゃあ、何でだ?」

「俺にも解らん」


 納得の行かない心持ちで、相棒を眺めてみる。

 ──まぁ。相棒も知らない、もしくは気付けなかった何かが、あったという事だろうか。


 ジレンは、狼の顔をした相棒──ウドク・ラグドネルという名の、風変わりな幼馴染みを暫く無言で眺めた後、肩を竦めた。


「そうか。解った」


 言って、ウドクの肩を軽く叩くとその横を過ぎて歩いて行く。

 少し離れた草むらの上に、動く気配の無い二つの身体が横たわっていた。

 元は、自分を乗せていた馬の傍らに立つ。

 投げ出された四肢や頭、そして上下していない太い腹が呼吸をしていない事を認めると、ジレンは短く息を吐いた。


「死んでるな」


 呟き、もうひとつの死体に視線をやる。


 ──そうだ。生きている訳が無い。

 崖を、ジレンの横様を、転がり落ちていった男が、数歩離れた所に倒れていた。


 ややあって、追いかけてきたウドクがジレンの隣に立つ。

 額ひとつ分、自分の視線より斜め上にあるウドクの目と目を合わせると、腕組みして再度溜め息を吐いた。


「厄介だな。埋めるにも骨が折れるぞ」

「そうだな」


 ウドクが頷く。そして言った。


「だが、そっちは未だ生きてるぞ」

「……うん?」

「生きてる」


 ジレンは、一時瞬きを忘れてウドクを見詰める。

 ちらりと、倒れている馬と男を見比べるようにしてから、またウドクに目を戻す。


「生きてる?」

「あぁ。その男だ」


 ウドクが、顎をしゃくり黒い鼻先で示す。

 ジレンは俯せに倒れている男の青い背中を凝視した。


「……へぇ。驚いたな」


 ウドクの言う通りだった。

 男に未だ息がある。その背中が呼吸で僅かに上下して見えた。


「どうする?」


 問われて、ウドクを一瞥するがジレンは何も応えず。

 徐に腰に手をやり、提げていた鞘から短剣を抜き出す。

 それを目にしたウドクが何か言いかけたのを、掌を振って制した。

 男を指さしながら“お前も来い”と無言で顎をしゃくり促す。


 草を踏み、二人して男の元へ近付いて行く。

 近くで静止している姿を目にすれば、男の容姿が解った。


 外套もマントも身に纏っておらず、旅装ではない。

 賊に追われていた様子から、身ぐるみを剥がされた後とも考えられるが、どうも違う。

 向こう側を向いて倒れている頭、その耳と首に銀製らしき装飾品が見える。

 がっしりとした身体付き。

 ウドク程ではないが、背丈もありそうだ。

 衣服の上に装着した革製らしき肩当てやガントレット。

 脚は、頑丈そうな造りのブーツをはめている。

 軽装ではあるが、武装していた。


 だが、男の近くに武器らしきものが見当たらない。

 転がり落ちる間に手離したか、あるいは落ちる時には既に持っていなかったのか。

 装飾品も含め、華美な服装と装備では無いが質は悪く見えない。

 盗賊に奪われたのであれば、それらが見逃される筈もないだろう。


 そして、やはり。

 その身体から、細い木軸が一本突き出ていた。

 背中、左肩の下辺り。

 転がる内に矢羽は折れたようだが、その辺りが黒く染まっている。

 見れば、傷ついているのは矢を受けたそこだけでは無かった。

 崖の中腹で目にした一瞬、黒ずんで見えた青は滲んだ血のせいだったのだろう。

 綻び、所々避けた衣服。

 刃を受けた跡だろうと思えた。

 斑に血が滲んだ上に土にまみれて、まさにぼろぼろの状態である。

 生きているのが不思議なありさまだった。


 だが、この様子だとまともに動くのは無理だろう。

 息があるとは言え、瀕死同然に違いない。

 そう判断すると、ジレンは持っていた短剣を鞘に納めた。


「死に損ないってとこだな。身ぐるみ剥いどくか?」


 ウドクは、応えなかった。

 半分本気のジレンの軽口に反応せず、ただ黒い瞳を男の背中に向けている。

 鼻先と大きな耳が、ぴくりと動く。


 ── 警戒している?

 

 ウドクの様子に気付き、ジレンはしまったばかりの短刀の柄に手をかけた。


「どうした?」

「何かおかしい」


 その言葉に、ジレンは辺りを見渡した。

 だが、怪しい気配も動く影も見付けられない。

 一先ずはウドクの後ろに回り、互いに背中を預け合う態勢を取りつつ、再度問い掛ける。


「何がおかしいんだ? 何か居るのか」


 ウドクは動かない。

 腰に携えた長剣に手をかけようともせず、只そこに立っている。

 ウドクの、低い声が響いた。


「……──この男」


 肩越しに振り向き、ウドクの視線の先を追う。

 ウドクの、呟くような言葉が続いた。


「──不死かも知れん」


 その言葉に応えたかのように、倒れていた男の身体が動いた。

 ぶるり、と青い背中が大きく震える。

 草の上に投げ出されていた四肢が、ずるずると引き寄せられ、その場に起き上がろうと掌を付き、膝を立てる。

 唸るような呻き声が長く響いた後。


「……あぁ、くそっ。いってぇ……」


 ぼやきが漏れた。

 上半身をようやくと言った体で起こすと、男は自分の胸から何かが突き出ている事に気付いたようだった。

 言葉になっていない唸り声が再び響く。

 唸りながら、背中を探り鏃が折れて無くなっている事を確かめる。

 その場に座り込む態勢になると、男は、胸から突き出ている折れた矢を右掌に握り締めた。

 一瞬、その動きが止まり。

 ふうっと大きく短く息を吐いたと同時に、右手を前へ引いた。


「──あああぁぁぁぁあ!」


 男の口から悲鳴とも怒号ともつかない、大きな声が上がった。

 背中から突き出ていた折れた矢が、男の身体の中へと消える。

 男の叫び声が止めば、後は掠れて漏れる呼吸音だけが辺りに響いていた。


 握り締めていた、血の滴る折れた矢を地面に叩き付けるように投げ捨てる。

 唸り声の後、再度ぼやきが漏れた。


「あー……。ついてねぇ」


 ふと、思い出したように男が顔を上げ斜面を見上げる。

 崖の上に動く物が無いことを確かめてから、その視線がぐるりと辺りを見回す。

 草むらの上に座り込んだまま、振り向いた男の目が、そこに突っ立っていたジレン達二人を見付けた。


 目が合う。

 身体と同様、血と土にまみれた頭と顔。

 顔立ちや表情すらも定かに解らない程汚れているが、その目の光は、強く鋭い。

 怖じ気を微塵も漂わせずに、真っ直ぐにジレン達を捉えた──、次の瞬間。

 男が、唐突に動いた。


「う……っ」


 その時、ジレンに出来た反応は思わず漏らした短い驚きの声を上げた事、それだけだった。

 瞬く間に抜き出したのであろう、短剣を握り締めた右手が二人に向けて突き出される。


 ウドクは、それに応えていた。

 素早く男の右腕を捕らえ、勢いを受け流しながら相手の首に掴みかかる。


「やめ──、うおっ!?」


 そのまま、男を地面に押さえ付け牽制しようとしたウドクの口から、驚きの声が上がる。

 喉元を抑えられたまま、男がウドクに体当たりを仕掛けたのだ。

 まともに反撃を喰らい、驚きで見開かれたウドクの目が間近に迫った男の顔を捉える。

 男の目の前に見えているであろう、只の人間のものでは無い、狼の顔。

 だが、男は怯みも躊躇いも見せる様子は無かった。


「うおおおおおおおああああ!」


 怒号のような威嚇の声を上げながら、ウドクに掴みかかる。

 逆手に短刀を握り締めた右手が、ウドクの腹目掛けて突き上げられた──が。

 咄嗟に飛び退り弓を構え、ウドクの加勢に回ろうとしていたジレンの前で、攻防は唐突に終わった。


 不意に、糸が切れたように男の身体が勢いを失ったように見えた。

 短刀を振る右腕が、力無く空振る。

 そのまま、男は崩れ落ちるように膝を折った。

 倒れかけた男の四肢が、首を捕まえたウドクに締め上げられるような態勢でだらりと落ちる。


 だが、男の失速を目の当たりにしても、ウドクは容赦無かった。

 次の瞬間には、捕まえた男の首と顔面を掌で押さえるようにして地面に叩き付ける。

 どすん、と重く鈍い音が響き。

 それきり、男は草むらの中で動かなくなった。


 ──一時。その場が静まり返った。

 遥か頭上で、空を旋回する猛禽の鳴き声が長閑に響く。


 男の首を押さえ付けた態勢のまま動き止んでいたウドクが、ゆっくりと男から手を離した。


「──……どうした? 殺したのか?」


 構えたままだった弓を下ろしながら、問い掛ける。

 足元の男を見下ろしていたウドクが、ジレンに向いた。


「殺していない」

「凄い音がしたぞ」

「少し加減を誤った」

「……そうか。大分でなくて良かった」


 ぴくりともしない男とウドクとを、暫し見比べるようにする。


 ──それにしても。

 一瞬ではあったが、ウドクとまともにぶつかり合って圧し勝つ気配を見せるとは。


 確かに身体は大きいようだが、ずば抜けて巨体という訳では無い。

 体格だけで言えば、ジレンよりはでかいが、ウドクほどがっちりとした造りはしていない。

 初めて目が合った時も、ぼろぼろに弱り果てた様子も伴って、並の人間の男に見えた。

 だが、実際は、そうではなかったようだ。

 ジレンは、少し考え。ウドクに問う。


「──そいつ、もしかして“はぐれ”か?」


 ウドクが頷いた。


「おそらくな」


 と、ふと思い出し、続けてウドクに問い掛ける。


「そういや、お前さっき、“不死”だとか何とか言ってなかったか」

「あぁ」

「どういう事だ?」

「昔な。不死者を見た事がある」


 ウドクはそう言うと膝をつき、男の身体を調べ始めた。

 破れかぶれになっている衣服の穴を探り、矢が貫いていたであろう、男の左胸辺りを確かめ。

 革手袋を嵌めた手の甲で、赤黒い泥になっている汚れを何度か拭う。

 男の身体の検分を続けながら、ウドクが淡々と話した。


「似ていた気がした。この男が目覚めた時の気配が、不死者が息を吹き返す時のものと」

「……なんだ、そりゃ」


 ウドクの言葉に、ジレンは顔をしかめた。


「詳しく聞きたいなら、後で話す」

「……。いや、いい。あんまり楽しくなさそうだ」


 ジレンが遠慮を申し出れば、ウドクも無言になる。

 それから、間もなくして男の検分が終わった。


「やはり、治っているようだ」

「……治ってる?」

「傷口だ。どれも塞がっている」

「……うん? 本当に不死だって言うのか」

「いや、未だ解らんが……見てみろ」


 ウドクが男の衣服を捲り上げ、ジレンを促す。

 半信半疑の心持ちで男の傍らに膝をつき、露になった泥だらけの胸を見下ろしてみる。

 ──そして。

 ジレンは、目を見開いた。


 ウドクの言う通りだった。

 矢に貫かれ孔が開いているはずの胸に、それらしき傷口が無い。

 だが、傷痕はある。

 未だ新しい、癒えたばかりのような。

 

 そして、それだけではなかった。

 衣服や装備に隠れていない、首筋や額、腕やそれこそ至るところに裂傷や斬り傷が癒えたような跡がある。


 無言のままそれらを確かめた後、ジレンはウドクと目を合わせた。


「……驚いたな」

「あぁ。この様子だと傷を負ったそばから治っているらしい」


 ウドクが捲り上げていた男の衣服を払うように戻した。

 ジレンは後方の斜面を振り向き。

 そして、男に目を戻すと首を傾げる。


「……不死ねぇ。なんだか信じられん」

「まぁ……、さっきは急に気を失ったようだしな」

「うん?」

「俺に飛び掛かってきた直後だ。いきなり倒れた」

「何でだ」

「いや、俺にもよく解らん」


 ウドクの言葉にジレンは考え込むと、顎先に手を当てたまま無言になる。


 ──不死、か。

 実際、そうなのかどうかは未だ怪しい気配はある。

 だが、普通の人間でない事は間違いなさそうだ。


 ふと、傍らの草むらの中に気付いて視線を落とす。

 先程、男が取り落とした短刀がそこにあった。

 拾い上げ刃先を確かめるようにした後、ウドクと目を合わせる。


「お前、こいつとやりあって勝てそうか?」


 問い掛けに少し考える間があってから、ウドクが応えた。


「解らん。さっきは、力だけなら互角に感じたが」

「そうか」


 ウドクの応えに弛く頷きつつ、再び男の顔を見下ろす。

 今は、穏やかに息をしているようだ。

 特に新しい傷もなく、小汚ない土人形のように大の字で転がっている。


「とりあえず、縛っておくか。また暴れられると面倒だ」

「……縛る? このまま置いて行かないのか?」

「あぁ。連れて行ってみようと思うが、どうだ? “はぐれ”なら話してみる価値はあるだろ」


 ジレンの提案にウドクが考え込む。

 だが、その間は短かった。


「解った」


 あっさりと了承が返る。

 互いの意思確認を終えれば、その場を立ち上がる。


 二人は、出発の準備を急いだ。


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