1.シードバック・ギルド
─・─
喧騒が近付いてくる。
暮れなずみ、空の端が紫に染まり始めた夕刻。
それまでの無人の静けさが嘘だったように、ジレン達が踏み入った広い通りは騒々しかった。
だが、その賑やかさは人でごった返す市場や商店の並ぶ場所の類いの物ではない。
怒声、罵声、そして、歓声である。
見れば、通りの一角に小さな人だかりが出来ている。
並んでいるのは、どれも見るからに性質の悪そうな男ばかりだ。
その間から、激しくもつれあっている数人の気配がしている。
どうやら、喧嘩だ。
その横をゆるゆるとした足取りで興味を向ける事無く通り過ぎて行くドールの後ろを、ジレン達も無言のまま付いていく。
歩きながら、辺りを見渡す。
その街並みは、ジレン達が通って来た村や宿場街とは異なる、変わった様相をしていた。
通りに、今にも雪崩れ込もうとしているかのように密集して建ち並ぶ建物。
その大半が、二、三の階層を持ち、同じような造りをしている。
外壁に張り巡らされた、白い梁や柱。
その歪な直線から思い浮かぶのは、洗われた巨大な骨だ。
それらの建物の軒先には、看板らしき板が下がっていた。
それが疎らながらにも並んでいる所を見ると、おそらくこの一角は何らかの商店街だろう。
だが、人通りは少なく、先程の野次馬を除けば閑散としている。
ひなびた街といった佇まいだ。
その街並みの、その向こうに臨む巨大な尖塔。
都の中心に建っているはずのそれは、未だここからは遠く見えていた。
「変わった街だな」
辺りを見回しながらジレンが言うと、ドールがちらりと肩越しに振り向く。
「もっと違ったの想像してたか?」
「いや、そうでもないけどさ」
ドールに応えつつ、既に遠く後方になった野次馬の方を目線で示す。
ドールの視線がその方に流れ。また、戻る。
「この辺りは、カヤックに近いからな」
「近いと何かあるのか?」
「物騒だっつう事だよ。住みたがる奴は、あまり居ねぇわな。居るのは物好きかクズばかりだ」
ドールの言いぶりから、理解する。
つまり、破壊された門の跡とその周辺の呪われたとされている廃墟地帯。
そこと隣り合わせとすれば、確かに場所柄は良くない。
さしずめ、貧民街にあたる一角という事だろう。
「ま、もう少し行けば街らしくなるわ」
そう言って、ドールが顎をしゃくって通りの先へと促す。
「他の場所は、もっと違ってるのか?」
「下町は、どこも大して変わらねぇがな。この先にある通りは、もうちょいマシだ」
ドールの言葉を聞きながら、ジレン達は大人しく付いていく。
──と。
暫く歩いた所で、ドールが再び振り向く。
その視線が、鬱陶しそうにジレンの隣の相棒を睨んだ。
「つぅか、お前。それずーっと被ってるつもりか?」
その問い掛けに、暗緑色のフードの奥から覗いている白目が瞬く。
ウドクは今、外套のフードを深く頭に被った姿だった。
すっぽりと狼の顔は隠れている。
「だめか?」
問い返すウドクをドールが無表情に見詰め。そして肩を竦めた。
「別にいいけどよ。でも、隠してるつもりなら必要ねぇと思うぞ」
「面倒な事にならないかと気になってな」
「面倒ねぇ。……まぁ、ちょっと騒ぎにはなるだろうが」
ドールの言葉に、ウドクが一時黙り。
それから、静かに問う。
「それは、俺が“あかぐち”に似ているからか? それとも、狼の姿をしているからか?」
「そりゃ、“赤口”だからに決まってるだろ。人狼が一人や二人歩いてた所で、ロージングじゃ騒ぎにもならねぇよ」
あっさりした様子で応えてから、ドールが前に向き直る。
それでやりとりが途切れると、フードの頭が動いて此方に向いた。
黒い顔の上にある、ふたつの大きな目と目が合う。
その目がどうするべきか問い掛けているように見えたので、ジレンは弛く口の端を上げて笑って返した。
「好きにしろよ」
白目の中の大きな黒目が動き、伏せられ。
少し考える素振りがあったが、結局ウドクがフードを上げる様子は無かった。
まぁ、無理もない。
その姿になりバロウィケンの村を出てからと言うもの、ジレン以外の人目につく場所では、ウドクはずっとそうしてきた。
バロウィケンの村でその姿でうろつけば大変な騒ぎになるのは確かだが、ロージングに辿り着くまでの方々の村や街でも、異形の“はぐれ”を見掛けるような事は無かった。
他の人目がある場所で、ウドクがその姿を晒すのを躊躇うには充分な経緯がある。
それは、今居る場所がロージングであっても変わりはないのだろう。
ドールも解っているのかいないのか、ウドクのフードには、それきり触れようとしなかった。
「……まずは、早いとこ飯だな。丸一日ろくな物喰ってねぇ」
前方のドールが、ぶつぶつ言っているのが聞こえる。
聞こえる程の声量なのが、此方にも話を振っているのだろう。
その背中に、声を投げる。
「なぁ、飯の前に弓が見たいんだが」
「……解ってるよ。武器屋な。忘れてねぇし」
心外そうな声が返ってくる。
だが、心底面倒臭そうな様子だ。
余程、腹が減っているらしい。
そういえば、森でスープを分けた時にも器に何杯も平らげる勢いだった。
単に飢えていただけなのか、飯喰らいなのかは解らないが。
無論、ドールの丸一日は共に過ごしてきた此方とて同じだ。
早いところ食事にありつきたいのは同意だが、ロージングの街中で丸腰でうろつく事を想像すると心許ない。
先程、通りのど真ん中で当然のように繰り広げられていた喧嘩を目にしたせいもある。
まぁ、ウドクやドールが居れば何か事が起ころうと、ジレンの出る幕はないかも知れない。
だが、ジレンとて一応、腕に覚えはある。
もしもの時には、備えておきたい。
一応、本当に一応、だが。
ジレンがそんな事を考えながら歩いていると、不意にウドクが立ち止まった。
そのまま行き過ぎようとして気付き、ジレンも立ち止まって振り向く。
「どうした?」
と、問い掛けた後。
ジレンは、怪訝に動き止んだ。
ウドクの脚の横に、小さな人影があった。
白く小さい掌が、ウドクの外套の端を握り締めている。
それに引き留められていたウドクが、フードの頭を揺らし下を見下ろす。
それは、小柄な少女だった。
茶色の髪を、ネジ巻きのような変わった形の髪留めで纏め。
服装も、また変わっている。
継ぎ接ぎのような、だが、ぼろではないらしき事が解る裾の長いスカート。
歳の頃は、十歳かそこらだろうか。
少女は、ウドクと目が合うと笑顔を浮かべた。
「迎えに来たよ」
少しかん高い、明るい声質が大きく響く。
間近で聞こえたその声音と言葉に、ウドクは驚いたようだった。
すぐに応える事が出来ず、固まっている。
と、その時。
「── げっ?! ……ベルルース」
ジレンの後ろで、蛙が潰されたような呻き声が上がった。
振り向くと、そこに愕然と歪んだドールの顔があった。
ドールの視線がジレン横をすり抜けて、ウドクと少女の方に向いている。
怪訝な心持ちのまま、その視線につられて再度向き直ってすぐに。
ジレンも、今しがたのウドクと同じようにぎょっとして固まっていた。
いつの間にか、少女がジレンの足元に居た。
大きな茶色の目がじっと見上げ、少女が、にこりと笑う。
「ようやく来たね? ずいぶん待ったよ」
幼なさの残る高い声に、不釣り合いな口調。
だが、その口調にぴったりの、キザな優男が作るような笑みを浮かべて、少女はジレンを見上げていた。




