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6.カヤック門 ─南側・廃墟─


 ─・─


 カヤック門から大分離れ、廃墟の様相がただの瓦礫から建物の名残を残している物が多くなってきた頃。

 真上にあった日の光は、少しずつ傾き始めていた。

 未だ、ジレン達以外に辺りに人影は無い。

 例の白い尖塔が少しずつ近付いて見えて来る中、反対にヴィルタゴの森は後方に遠くなっていた。


「これからどうする?」


 問い掛けられて少し考え。背中に手を回す。

 背負っていた長弓を掴んで外し、目の前で持ってみる。

 真っ二つに胴の部分から折れた弓が、擦り切れた弦に下がってぶらんと揺れた。

 無惨に壊れた長弓をかざしたまま目を合わせると、ウドクが鼻先をしかめた。 


「それだと使い物にならんな」

「ミミズの化け物に襲われるわ、川に放り込まれるわ、投げられるわで散々だったからな」

「直せるのか?」

「うーん……、どうだろうな。親父なら直せるのかも知れないが、俺には無理だ」

「あぁ。親父さんに譲って貰ったのだったな」

「まぁな。とりあえず武器を扱う店があるなら行ってみたい」


 話しながら並んで歩いて行く。

 弓だけでは無く、矢筒もぼろぼろで携えていた矢は全て失くしてしまっていた。

 暫し、ぶらさがる弓の残骸を眺めてから再び背負い直す。

 捨てても構わないかとも過ったが、一応それも忍びなく感じる事もある。


 歩きながら時折、ウドクは辺りを見渡していた。

 “賊避け”だったらしいソワスムールが不在になった現在、三人の中で唯一、武器が無事に済んでいる事もあってか周囲への警戒を怠る様子はない。

 だが、ようやく安寧を取り戻したらしく、穏やかな面持ちでジレンの隣を歩いている。


 どうも、当て馬のような立場に自分が居た事に気付いているのかいないのか、気にしていないだけなのかは解らない。

 だが、少なくとも機嫌が悪そうな様子は無い。

 狼の顔は表情は解りづらくとも、素振りだけでもそれは解る。


 問題は、もう一人の方だった。

 二人が歩く、少し離れた前方。

 何やら、大分重たげな背中が見えていた。


「大丈夫だろうか」


 ウドクが言った。

 ジレンの視線が、ドールの背中に向いていたのに気付いての言葉のようだ。


「さぁな」


 気の無い返事を返すと、ウドクが此方に向いて首を傾げる。


「声を掛けなくてもいいのか」

「ああいう時は、放っておいた方がいいんじゃないか」

「そうか」

「気になるなら、お前が声を掛けたらどうだ?」

「……いや。今、俺が話し掛けるのはまずくないか」

「俺だとまずくないのかよ」

「ドールが塞ぎこんでいるのは、ソワスムールの為かと思うのだが……、違うだろうか?」


 ふと、ジレンはウドクの顔を見る。

 

 ── なんだ。解ってるじゃないか。

 男女の機微から来ているらしきこの気まずさは、鈍感と言うか無知そうなこの狼男も感じていたようだ。


 ジレンは少し考えて、無精髭の顎を撫でながら黙る。


 ──とは言え。

 あれから、ドールは話の続きをしてくれる気配もなく無言のまま先に歩き出していた。

 唯一、此方に掛けてきた声は『行くぞ』と、それだけだ。

 捨てて行かれる様子は無かったが、酷く不機嫌になっていた。

 ジレンが見たところ、あれは塞ぎこんでいるというより腹の底で怒りを抑え込んでいる様子だったが。


「俺が話しても、また余計にこじらせそうな気がするんだけどな」

「……なら、止めておけ」

「でも、店を探すにしてもあいつに相談しなきゃ始まらないだろ」

「それはそうだが」


 ジレンは、今一度考え。そして、決めた。


「解った。じゃ、間男は後ろで黙ってろよ」

「……おい」


 そう言い残し、何事か言いたげにしたウドクを置いて歩みを速め、ドールに追い付く。

 一先ず横に並び、その横顔を見ようとして。

 直ぐに、目と目が合った。


「……なぁ」


 待ち構えてでもいたように、ドールが声を掛けてくる。

 その目は、淀んでおり光が無い。

 どす黒い怒りを、ふつふつとたぎらせているような面持ちだ。

 横に並んだ事を、少し後悔したくなる程の暗い怒気を発しているドールと、ジレンは無言のままで見合った。

 ジレンが黙っていれば、ドールが続けて言う。


「お前だったら、どうするよ」

「何の話だ?」

「……人喰いを止めた魔物の女が、目の前で、また人を襲う気配を見せてると感じたらよ。どうするべきだ?」


 ドールの問い掛けに、ジレンは今一度まじまじとその顔を見返す。

 どうやら、本気で問い掛けているらしい。


「……それだが、ソワスムールの事だよな?」


 ドールが訝しげに顔をしかめる。

 決まってるだろうと言いたげだったが、話の全容が見えていない此方としては応えようがなく。

 ちょっと探りというか、単刀直入に抉ってみる事にする。


「あの女にフラれて落ち込んでるのか?」

「……はぁ? 違ぇよ」


 即答が返った。心底、面倒臭そうにだるそうに、首を横に振る。

 その後、ドールは続けて言った。


「……まぁ、昔はな。あいつとは大分前に色々あったりはした。でももう、今は違う。顔見知りって以外の関わりはねぇよ」

「へぇ。それってもしかして、あんたが昔、あの女に喰われかけたとか?」

「実際、喰われた」


 ぽろりと何の遮りも無く返された答えに、ジレンは思わずぎょっとなる。


 ── いや、なんとなく想像は付いていたのだが。

 半分、冷やかしのつもりで問い掛けてみて、いざ返ってきたその答えがそのまんまだと意味が意味だけに戸惑う。


「……まぁ、丸呑みにされただけだったからよ。その辺の野郎ならひとたまりもねぇだろうが、……俺だからな」


 ドールが後半、呟くようにする。

 それは、ドール自身の半不死に近いらしい身体の事を指してだろうが。

 ドールが、ぼそぼそと続ける。


「コトが終わってからだ。寝入ってると、首を咬まれてな。痺れて動けなくなった所をひと呑みだ」


 と、ドールの目が微かに翳る。


「それがあいつの性なんだよ。止められねぇ。あいつは魔物の血が濃いんだ。まぁ、それから色々あって一応、今の付き合いはあるが……」


 そこでドールの目付きと声音が、唐突に変わった。


「──それなもんだからよ、俺も気は使ってやってんだぞ? それがなんだ、あの言いぶりは? なぁ、お前どう思うよ? あれはどう見ても襲う寸前にしか見えなかったろうが? 脚だって無くなって化け物に変わってたんだぞ? それを、馬鹿? 俺が馬鹿だと? 正体隠して何やろうとしてたのか解ったもんじゃねぇぞ?」


 堪えられなくなったものを一気に吐き出すように、ドールが声を荒げる。

 ── と。

 ドールが、ふと気が付いたようにジレンの顔の前で視線を止める。


 ジレンは、普段の弛い淡々とした半眼でドールを見詰めていた。

 いつしか、互いに歩みを止めていた。


「何か企んでるようには見えなかったぜ?」


 ジレンは、言った。

 すると、ドールの顔が歪む。

 ドールが口を閉ざした様子に、ジレンは問い掛けるべき事を一時考え。口にした。


「あの女、今でも人を殺して喰ってるのか?」


 やや間があって、ドールが首を横に振った。


「……それは、無ぇ。……多分だが」

「なら、別にいいんじゃないか」

「……あ?」

「あのおん──ソワスムールも言ってたが。……あー……」


 その先を言おうかどうか迷う。

 何故なら、ドールがすがるような睨むような、もの凄い目付きを此方に向けているからだ。

 だが、結局。ジレンは口を開いて、告げた。


「あんたが馬鹿っぽいのは、俺も同意だ」


 ドールの顔色が、変わった。

 それが明らかな怒気に固定される前に、急いで付け加える。


「喧嘩するのは、ソワスムールとしてくれよ。俺は、あんたに聞かれたから思った事を言っただけだ。あんたらの事だろ? 俺は関係ない」


 ドールの顔色が、また変わる。

 怒気が去り、迷っているような目線がジレンの顔の前で揺れる。

 解りやすい反応に内心呆れつつ安堵もしつつ、ジレンは肩を竦めた。


「まぁ……、あんたの気持ちも解らんでも無い。腹がたったんなら明日、また会いに行くんだろ? その時話せよ。ただし、俺達の用が終わってからにしてくれると助かるな。また、ソワスムールに途中で帰られちゃ困る」

「──あぁ。それは、……お前らには迷惑かけたと思ってる」


 一変して、ドールが殊勝な詫びを口にした。

 根っから、素直な質らしい。

 ドールの話におさまりがついたと思ったところで、ジレンはウドクの方を一瞥する。


 狼の顔が、鷹揚に頷いて見せた。

 ジレンは、それを鬱陶しそうに軽く睨んだ後、ドールに向き直った。


「ところで……、ちょっと物は相談なんだが」


 それまでより声を少し落とすジレンに、ドールが訝しげに視線を返す。


「色々と買いたい物があってな。店を教えてくれないか」

「あぁ」


 ドールが頷いたのを見届けてから、続けて。


「あと、金も貸してくれ」

「……あ?」


 ドールの目が胡散臭い物を見る目に変わる。

 だが、ジレンは物怖じすることなく言う。


「担保ならある。あんたのせいで潰した馬、二頭だ」

「……お前。そりゃ、担保無しって事じゃねぇかよ」


 ドールが呆れた声を出すが。

 はぁっ、と溜め息を吐き出した後、頷いた。


「まぁ、いいわ。幾らか都合はつけてやる」


 そう言いながらドールが視線を横に流す。

 ウドクと目を合わせ。


「悪かったな」


 それだけ告げた。

 ウドクは一時返事に迷ったようだが、無言で頷いた。

 何に対しての謝罪なのか直ぐに拾えなかった様子だったが。

 その場のやりとりと、ソワスムールの件であろうと腑に落としたようだ。


 そうして、三人は誰からともなく再び廃墟の中の街道を歩き出した。


 

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