4.カヤック門 ─南側・廃墟─
「……詐欺師って。そんな奴が法の番人なんて出来るのか?」
ジレンが、ソワスムールに問う。
それは青臭い否定などではなく、素直な疑問だった。
他人を手玉に取り、利用しようが騙そうが平気な顔をしていられる人間の性質の悪さや信用の無さは、よく知っている。
そんな奴が、ごくごく身近に居たせいだが。
ジレンの言葉を受けると、ソワスムールは笑んだ。
「そうねぇ……でも、ラダは他の二人に比べれば未だまともなんじゃないかしら」
「その他の二人っていうのは、どういう奴なんだ?」
「一言で言えば……どっちも乱暴者ね。名前は、ニコとフリオ。実の兄弟よ。リクラス兄弟って呼ばれてるわ。あたしは、あの二人あまり好きじゃないの……可愛くないんだもの」
言って、ソワスムールがウドクの腕に顔を寄せながらほうっと息を吐く。
「ラダ……、あの子苛められたりしてないかしら」
「そんなタマには到底見えなかったぞ」
ドールが、白けた目でソワスムールを横目にする。
「そんなこと無いわ。あれで繊細なところもあるんだから」
「眼力だけで殺しが出来そうな面じゃねぇか」
「……それは……うふふ。そうかも」
ドールの言葉に、ソワスムールが夢想するような密やかな笑い声を漏らした。
──目で殺す。
どんな恐ろしげな人相をしているのか。それとも、狼の姿に変身した時の話なのか。
ジレンもつられて、なんとなしにそんな事を考えていたが。
僅かに弛んだ空気の中、ただ一人生真面目な面持ちの相棒が、次の質問を口にした。
「ここの領主は部下を選ぶ時、“あかぐち”かどうかだけで決める事があるのか?」
ウドクの問いに、ソワスムールがこくりと頷く。
「そうね……ドールが言ってた通りよ。ステラークは、“赤口”を特別扱いしてるみたいね。理由はあたしも知らないけれど。とてもお気に入りなのは確かね」
答えながら、ソワスムールがウドクの腕を引き、身体を押し付けるように寄せる。
そして、ウドクの顔を甘える少女のような仕草で見上げた。
「だから、とられないように気を付けなきゃね?」
「俺は、“あかぐち”として扱われるのだろうか」
ウドクが、そんなソワスムールを見下ろし静かに問い掛ける。
扇情的だったり、愛らしかったりするソワスムールの素振りにも大分慣れてきたようだ。
ウドクが初心なのには変わりないが、人間の姿である時にも、感情は表にあまり出さない質だった。
普段の方向で対処しようと決めたのかも知れない。
「そうなると思うわ。貴方、どう見ても“赤口”だもの」
「そもそもよく解らないのだが……、外見だけで何か違いがあるのか」
「あたし達は、持ってる血筋の違いが現れるのよ」
「……血筋?」
「そうよ。“赤口”は他の人狼より優れてると昔から言われてるわ。実際にそうね。とても力が強かったり、生まれつきで魔力を使う事が出来たり」
「俺は、そんなことは無い。確かに、只人よりも力や五感は強い。だが、飛び抜けた力も無ければ、魔力なんて知らないし、見た事も使えた事も無い」
ウドクは、淡々とソワスムールに告げた。
だが、その言葉の端々に僅かに戸惑いや困惑が滲んでいる事にジレンは気付く。
そして、それに気付いたのはジレンだけでは無かったようだ。
「……心配しないで?」
ソワスムールがそう言うと、狼の頬に掌を添える。
「貴方がそうでも何も知らなくても、血筋は貴方の中にあるの。ちゃんと、解るときが来るわ」
言いながら、ソワスムールがウドクの目を覗き込むように見詰める。
異形の狼男を慈しむような優しげな面差しで一時──、それから、ふと。
ソワスムールが悪戯っぽく笑った。
「貴方、本当に可愛い。あたしがとってしまいたいくらい」
ウドクが、言葉を失ったようだった。
ソワスムールの顔を見下ろしたまま、狼の横顔がひきつっているらしいのが此方から見ていても解る。
ソワスムールが、ウドクの目に艶然と微笑みかけた。
「……大丈夫よ。貴方達が望まないようにはしないわ。あたしが、そうさせないようにする。……ねぇ、今夜家に来ない? 来て? 一人で来るのが気になるなら、ジレンも連れて来るといいわ。あたしも、その方が楽しいし。……ね? ウドク」
と、ソワスムールがウドクの身体に自分の身体を絡ませるように寄り添う。
── 悲しいかな、力及ばず。
ウドクが抵抗虚しく、また木偶の坊のように固まりかけたのを横目にしながら。
ジレンは、隣のドールに向き直った。
「もう少し話を聞きたいんだが、いいか?」
「あぁ。聞けと言ったのは俺だ。別に構わねぇが……、あれどうにかしてやらんのか」
ドールが、ウドクとソワスムールの方を目で示す。
ジレンは、弛い半眼のまま肩を竦めた。
「大の男の女遊びに口出しする事ないだろ」
── 第一、なんで俺が度々邪魔する役を買って出なきゃならんのだ。
ソワスムールは、いたくウドクを気に入ったらしい。
ついでのようにウドクを口説くダシに使われている事が面白くなくもあったが、邪魔するような事になれば、また此方も巻き込まれかねない。
それは、いささか面倒である。
── まぁ。それも、悪くは無いが……。
いやいや。間男かよ、俺は。
ジレンが、そんな他愛ない葛藤を胸内で遊んでいると。
ドールが呆れたような声を出す。
「どう見ても遊ばれてるのは相棒の方だろ」
「本当に喰われたりでもしない限り大丈夫大丈夫。……うん? ……大丈夫だよな?」
「……気になるなら助けてやれよ。薄情な野郎だな」
「いや、ここで押し倒されでもすんなら助けてやらんでもないが」
──まさか、そこまでは。
そう思いつつ、ちらりと横目に二人の方へ視線を流した時である。
ウドクの救いを求めるような、見開かれた大きな黒目と目が合った。
ウドクの身体、下半身。
その右脚に、文字通り絡み付いているのは異形の銀鱗の蛇の胴体だった。
ソワスムールの腕がウドクの首を絡めとり。
微かに紅潮した白い横顔が、狼の顔に迫っている。
「…… あ。ありゃダメだ」
目にした光景に、一瞬唖然となったジレンの横でドールがぼそりと言った。
「ほっとくと止まんねぇぞ、あのまま喰われる」
「……は?」
「ぺろっとな。頭から呑み込まれるぞ」
ジレンは、未だ唖然としていた。
ドールがそんなジレンを前にして、大きく深い溜め息を吐く。
そして、むんずとジレンの肩口を掴まえて引いた。
「だから、止めねぇとヤバいって言ってんだよ。ソワスムールが男を捕って喰うってのは、下だけの話じゃねぇ」
ドールの話す横顔は相変わらず気だるそうだったが。
その言葉には、真剣見があった。
「あいつはな。惚れると本当に殺して喰っちまうんだ──よっ!」
「── うわっ!?」
「うおっ……」
「きゃっ……!?」
ドールの掛け声のような語尾が響いた直後。
その場で、様々な悲鳴や声が上がった。
何故なら、ドールがジレンの肩と腰のベルトを掴んで持ち上げたと思った次の瞬間に。
ジレンは、ローム川に投げ込まれた時と同じくして、ソワスムールとウドクの方に向けて放られていた。




