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1.カヤック門 ─南側・廃墟─

 ─・─


 

「 あれは、“ロームの尖塔”よ」

 

 ロージングの街が近付いてくるにつれ、それは視界に入ってきた。

 見上げるジレンとウドクの様子に気付いたのか、ソワスムールがそう告げる。


 あの尖塔の丘からも見えた、白い塔だ。

 森を抜け、川沿いの街道を歩いている内にも、その一端は目に入っていたが。

 カヤック門を抜けてロージング市街地へ脚を入れてから、頭上の視界を遮る物が全く無くなると、その大きさが改めて解る。

 昼過ぎの青い空に、くっきりと白く真っ直ぐに伸びるその様は、巨人のペンかなにかのようだ。 


「川と同じ名前なのは、何か由来が?」


 ウドクが問う。


「ロームの源泉が、あの塔の下にあるの」

「……街の中に、川の源泉が?」


 驚いたようなウドクの言葉に、ソワスムールが楽しげに小さな笑い声を漏らす。


「そうよ。ヴィルタゴの魔女の話は知ってる?」

「いや。そんな昔話があるらしいとは聞いたが」

「あの塔もロームの川も、魔女が作ったと言われてるの」

「なるほど。ロームは、普通の川ではないのか」

「……あら。素直に信じるのねぇ。大抵の人は、源泉を見るまで信じないのに」

「貴方が俺にそんな嘘をつく理由はあるまい?」

「……ふふ、そうね。あぁ、そうだわ。今日は無理かも知れないけれど、今度、見に連れていってあげましょうか?」

「それは……、そうだな。機会があれば」


 並んで歩くウドクとソワスムールの会話に聞き耳を立てつつ、尖塔を見上げていた視線を、周囲へ流す。


 ローム川の源泉が、街のど真ん中にあるのだと言う話は、ジレンも内心驚いたが。

 今は、それよりも今居る場所の様子が気になる。

 街道からカヤック門への道程。

 そして、この市街の通り。

 ここまでずっと、他に人の気配は無いまま、ジレン達は進んでいた。


「やけに静かだな」

「ここは、いつもこんなんだ。盗賊でも出ねぇ限りはな」


 ジレンの呟きを拾ったドールが、隣でまた同じくぼそりと呟くように応える。


 暫く歩いている内に、萎んでいた気力も幾らか戻ったらしい。

 死んだ魚のようだった目が、今は辺りに時折視線を走らせ、気配を確かめるくらいには復活している。

 ジレンの相手をしてくれる位には、機嫌も直った様子だ。


「人は住んで居ないのか」

「南の方はな。大分昔に、森の魔物が暴れて城塞を破って入ってきたところを討伐された。その魔物が呪いを残したとかでよ。この区域だけで疫病が流行ったんだとさ」

「……呪い?」

「心配すんな。歩いてるだけで呪われたりしねぇよ」


 ドールが言って、鼻を鳴らして笑う。

 ドールの言葉通り、ここまで来た街の様子は、荒れて朽ち果てた街の残骸そのものだった。


 ロージングには、城塞があると聞いていた分、街に入る際にも何らかの検閲があるのではと思っていたのだが。

 門どころか、城塞すら見当たらなかった。


 “カヤック門”は、以前そこに城塞門が存在していた、というだけで、今は、ただの地名に過ぎないのだ──と、ジレン達に教えてくれたのは、ソワスムールである。

 その話によると、壊れた門や城塞は修復されることなく、何十年も放置されたままのようだ。

 修復する人手や金が無いのか、あるいは、修復する必要が無いのか。

 詳しい背景や理由までは解らなかったが、もしかするとその“呪い”とやらのせいかも知れない。


「街を破壊するような魔物が出たりするのか?」

「昔話だよ。ここ何百年もそんなことは起きてねぇ」

「……ふぅん」

「なんだよ」

「いや、思ったより平和だなと」

「平和?」

「暴れる魔物もいなけりゃ、人気すら無いしな。街道とか街の周りは、賊が多いんじゃないかと思ってたからさ」

「普通はそうだ」

「ここは普通じゃないのか?」

「いいや。いつもなら、うじゃうじゃ出てくるさ。お前ら二人だけだったら、いい餌だ」


 その、ドールの言いぶりが気になってジレンは眉をひそめる。

 自分達が二人でひょこひょこ歩いていれば、盗賊が喜んで食い付いて来るだろう事は容易く想像はつくが。

 ドールのそれだと、今の面子だからこそ襲われずに済んでいると言いたげな口振りだ。


 ジレンが考えている事を察したのか、ドールが言った。


「ま、今は賊避けが居るからよ」

「賊避け?」

「正真正銘の魔物だって言ったろ」


 そう言って、ドールが顎をしゃくって示したのは、前を歩くウドクとソワスムールの二人である。

 いや、正確には二人ではなく。

 ドールの、その言葉と視線が示しているのは、ソワスムールだ。


 ウドクに話し掛け、楽しげに微笑む横顔。

 その光景は、“魔物”とすれば傍らのウドクの姿こそ相応しく見えるのだが──、否。

 無論、忘れてはいない。

 彼女も、蛇の異形を持つ者である事を。


「……どういう事だ? あの女、盗賊も避ける程の武勇伝でもあるのか?」

「武勇伝、なぁ……。まぁ、そう言ってもおかしくねぇかも知れねぇが」


 ドールがソワスムールを眺めながら、言葉を選んで迷っているのか。

 無精髭の顎を撫でながら、暫し黙る。


「二、三十年以上は昔の話だ。俺も聞かされただけだから、実際に全部知ってるって訳じゃねぇが。あいつは、賊の男共を襲って皆殺しにした事がある」


 ドールが、言った。

 少しばかり悩んだ末らしかったが、その考える間も大分短く。

 言いぶりも、割とさらりとした口調だった。


 そんなドールの様子とは正反対に。

 ジレンは、ぽかんとなった。

 しかし、ドールはそれまでと同じ、未だ微かに疲れを残した横顔で淡々と歩いている。


「……二、三十年前? ……皆殺し?」


 言葉を反復するジレンを、ドールが横目に見る。

 此方が驚く事は、予想はしていたのだろう。

 ジレンの様子を確かめるように暫し無言で眺めてから、頷いた。


「まぁ、これも昔の話だ」

 

 ソワスムールの姿を改めて見詰め、言葉を失うジレンにドールが鼻を鳴らす。

 笑った気配だった。


「……お前よ。ロージングに居る奴なんざ、大抵、脛に傷持ってる奴ばかりだ。こんなんで驚いてたら、この先誰かに会うたんびに、大抵驚く事になるぞ」


 ジレンは、ソワスムールを見詰めたままで、その言葉に首を横に振りつつ応える。


「……あぁ、いや。それは一応、解ってはいたつもりだけどさ」

「つもりだけど? なんだよ」

「あの可愛らしいお姉さんが、そんな歳でそんな武勇伝を持ってるなんて、普通驚くだろ」

「……ははぁ。流石、初心な田舎者だな。騙されたって感じか?」


 ドールの声に、からかう調子が混ざる。

 素直に驚いているジレンの様子に、元気がまた更に戻ってきたようだ。

 ジレンは、ちらりと横目を合わせてから、冷やかすような視線に応えた。


「俺が大分すれてたとしても、その話は驚くだろうよ」


 淡々とそう返すと。

 にやつき始めていたドールが、また疲れた白け顔に戻った。


「……お前、ほんとにつまらん奴だな」


 ぼそりと言う。

 ジレンは、肩を竦めた。


「からかいがいが無いって意味なら、言われた事がある」

「ほぉん」

「あぁ、でも、そういう事なら確かに。あんたは面白い奴だよな」

「……。何が言いたい?」

「いや、別に。そんなことより、どうして、盗賊を皆殺しなんて事になったんだ?」


 さらりと話を戻すジレンに、ドールが不服極まると言いたげな恨みがましい目で睨む。

 だが、嫌味の応報となると、敵わないと思ったのか面倒になったのか、小さく舌打ちしただけで絡んで来なかった。


「詳しく知りてぇなら、あいつに直接聞いてみろ」


 素っ気ない応えが返る。


「……えぇ? またかよ」

「あ?」


 遠慮なく不満の声を上げたジレンを、ドールがじろりと睨む。

 だが、ジレンは構う事なく続けた。


「あんた、お預けだらけで何も話してくれないよな」

「……あ? おい、ちょっと待てよ。俺は、大分話した気がするぞ」

「いやいや。肝心な部分は何も聞いてない気がするぜ」

「なんだと?」

「だってさ。“あかぐち”って奴の事にしても街に行けば解るって、それだけだろ。あんたの素性が天使だなんだってのもよく解らないし。それに、一番はラジエルって奴の事だ。本当に、あんたが言うような滅茶苦茶な奴なのか? あの女の言いぶりだと、そうは思えなかったんだが」

「お前──」

「このまま行きずりで、街でさよならするつもりなら、あんたが話したがらないのは仕方ないかと思ってたけどさ。ウドクの伝を探す手伝いをしてくれる気になったんなら、暫く俺達に付き合ってくれるんだろ? なら、もう少し腹割ってくれてもいいじゃないか。期待しちゃ駄目なのか?」


 何か言いかけたドールを無視して遮り。

 ぺらぺらと、これまで抱えてきた疑問を淀みなく並べ立てる。

 言いたい放題吹っ掛けられて面喰らったのか、ドールは言葉が出ない様子だった。

 言い終われば、ジレンは覇気薄い半眼でその顔を眺める。


 ── まぁ。

 後半は、俺もよく言えたもんじゃないけどな。

 今だって、腹割って話すつもりは、さらさら無い。


 それに。

 ドールがどんなつもりであろうと、直ぐにさよならするつもりも無かった。

 

 ロージングと言う新天地で、まずジレンが手始めに探すつもりだったのは、手頃な“拠り所”である。

 ドールというこの男は、多少扱いにくそうな所はあるものの、ジレンからすると、手頃どころか格好の相手に見えていた。

 見掛けより人の良さそうな所もそうだが、何より出自がウドクと同じ“はぐれ”なのだ。

 ロージングに最も多いらしい人種である、罪人を相手にするよりも、遥かにいいに決まっている。


 ──だが、まぁ。

 それは置いとくとして。


 それ以外の言葉は、割と本気の吐露である。

 そんな嘘偽りない言葉を、正面からぶつけられたからこそか、ドールは暫し黙りこんでいた。


「…… お前よ」


 ドールが、ぼそりと口を開く。


「なんだ?」


 先を促すジレンを一時見詰めた後。

 ドールが、面倒臭くなったのか首を横に振った。


「……いや、いい」

「うん?」

「いいってよ。……そうかよ。悪かったよ」


 ── おお? 何故か謝られた。


 そんな内心の声は口に出さず、ドールの次の言葉を待って黙る。

 ドールは、多少うんざりした面持ちながらも考える素振りをしてから。

 はあっ、と短く息を吐いた。


「……そうだな。じゃあ、今教えてやれる事は教えてやる。おら、聞け」

「……聞け?」

「そうだよ、おら聞けよ」


 開き直った様子になるドールを、ジレンは、少し冷めた半眼になって暫し見詰めた。


 ── いや、“聞け”って。


 何か取り出して、食え、とか、先に行け、とか、なら解るが。

 話すつもりになったのなら、俺が今言った事に、そのまま答えてくれればいいだろうに。


 だが、そんなジレンの内心を知ってか知らずかドールが言う。


「だが、これだけは言っとく。俺は、喋りたくねぇ事は喋るつもりはねぇぞ」


 ドールの言葉に、堂々巡りの様相が見えたような気がしたジレンの半眼が、更に冷え冷えと覇気を無くした。

 

 その時、前方を歩くソワスムールと。

 そして、ウドクが振り向いて此方を見たのと目が合った。

 ソワスムールは、一時無言で見詰めただけで、くすくすと楽しげな笑い声を漏らすと直ぐに前に向き直ってしまった。


 此方の話が、二人にも聞こえているのは当然だろう。

 それは、此方を見るウドクの目が、無言だがそう告げている。


 ジレンが軽く肩を竦めて見せると、ウドクも何も言わないまま前へ向き直る。

 ソワスムールが此方の話に関わる様子を見せないのであれば、ウドクもそれに引かれた方が良いと読んだのだろう。

 ひとまず、話し合いを任せられたつもりになると、ジレンはドールに向き直る。 


 だが、そんなジレンの薄い期待とは裏腹に、また、意外に。

 ドールは、それまでは教えてくれなかった事について、幾つかの答えを寄越した。


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