4.銀鱗の誘惑者
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ドールに問われると、ソワスムールは何ともない様子で、すらすらと話した。
「あたしが頼んだの。“闇喰い”が現れたら、教えて欲しいって」
「なんでそんなこと」
「……そうねぇ、野次馬?」
「野次馬?」
「そうよ。あたし会ってみたいの、“闇喰い”に。だって、誰も会った事がなかったのよ? それなのに会えたなんて……羨ましいわ」
そう言って、ソワスムールが微笑む。
柔らかで愛らしい笑顔だったが、それを前にしても男共三人の面持ちは、晴れなかった。
呆れたような、疲れたような重さに沈む。
実際に遭遇した者としては──ドールは、あれはまやかしだったと言う考えが強いようだが──あれは、二度と出会したくはないと思える相手でしかない。
あの絶望的に巨大な身体、圧倒的な恐怖。
それに、あれは人間に通じる“意思”を持っていた。
言葉を話し、そして、おそらく笑ってすらいた。
あのような手の付けようが無さそうな化け物が、意思を持って何かしてこよう物なら、背筋が寒くなる想像しか出来ない。
ジレンは、魔物について深い知識がある訳ではない。
だが、田舎の村でも耳に入るような恐ろしい魔物の昔話や伝説は様々にある。
まぁ、野次馬だと言い切るソワスムールの気持ちは、解らない訳でも無かったが。
「俺は、見た訳じゃねぇけどな」
そう、不機嫌な声で言ったのはドールである。
ドールは、自分が気絶することになった顛末を、既にソワスムールに話していた。
ドールの言葉を受けて、ソワスムールの瞳が揺れ。
ジレン達の方に向く。
「だけど、貴方達は見たんでしょう?」
問い掛けられ、ウドクは難しそうな顔のまま黙り。
ジレンは、肩を竦めた。
「見た事は確かだけどな」
「だけどって?」
「まだ“闇喰い”だと決まった訳じゃねぇ」
ドールが、ジレンの代わりのように応える。
「……あら、どうして? ラジエルも言ってたのよ。“闇喰い”が現れたって」
ソワスムールに問い掛けられて、ドールは、少し躊躇う素振りを見せた。
どう話したものか迷っているらしき様子の後、これまでの経緯を思い起こしているのか、黙りこみ。
それから、ようやく口を開く。
「お前、ラダとは未だ付き合いあんのか?」
「ラダ? そうねぇ……最近は会っていないわね」
「会おうとしたら会えんのか?」
「どうかしら。難しいかも。あの子、冷たいんだもの」
「あー……。じゃあ、お前に話しても意味無さそうだわ」
「なぁに、それ。酷いわ。あたしには内緒なの?」
ソワスムールが口を尖らせて、ドールを睨む。
だが、絡まれそうな気配が面倒になったのか。
結局、ドールもソワスムールに話して聞かせ始めた。
“闇喰い”に出会した経緯と、その後にドールが考えたラジエルという男への疑惑のこと。
そして、ドールとジレン達が森を同行することになった経緯。
ジレン達が、ロージングを訪れたことの理由については、ドールがジレンに語り手を預けた。
ジレンは、ドールに打ち明けた分に関しては、そのままソワスムールにも伝えた。
結果、三人の間で既知となっている事に関しては、割と洗いざらいソワスムールにも知れた事になった。
長い話が一区切りついてからソワスムールは、一時黙っていた。
その目が、ゆっくりと動くと隣のウドクの顔を見上げる。
狼の顔を、眺めた後。
「……初めて聞いたわ。人の姿に戻れない“魔の子”なんて」
そう言った後、にこりと微笑み一時は離れていたウドクの腕に再び腕を絡ませた。
「だけど、そのままでも素敵よ」
ウドクは、困った様子で首を傾げただけだった。
その様子を眺めて、ドールが大きな溜め息を吐く。
「お前がどう思うかは、どうでもいいんだよ。こいつらの伝になりそうな話は知らねぇのか」
「そんな事、ラジエルに頼めばいいじゃない?」
「……は?」
ソワスムールの言葉に、ドールがぽかんと口を開いたまま、彼女の顔を見詰める。
暫し、沈黙があったが。
「……お前、今の俺の話聞いてたか」
「聞いてたわ。だけど、ラダに話を取り次ぐにしても、他を当たるにしても、それが早いでしょう? ロージングで一番、耳が早いのは彼よ」
ソワスムールの言葉に、ドールが頑なそうに首を横に振る。
心底、嫌そうな顔だ。
「早いとかそんな問題じゃねぇ。……あのよ。お前、なんも解ってねぇな」
「貴方がラジエルを避けてるのは解るけど、“闇喰い”がラジエルの悪戯かどうかなんて未だ解らないじゃない。そもそも、“闇喰い”の事を教えてくれるようにラジエルに頼んだのは、あたしの方よ? ラジエルに頼まれてここに来た訳でも、騙されたような気もしてないわ」
ソワスムールの言葉に、ドールの彼女を見る目付きが一瞬、疑わしそうな物に変わった。
ソワスムールは、それを見逃さなかったらしい。
ウドクに絡めていた腕を離すと、ドールの方に向き直る。
そして、微笑んだままの目でドールを見据えた。
「貴方……、また、あたしを疑ったりしてる?」
ドールの眉が、ぴくりと震えた。
一瞬、その目が泳ぎ。
だが、渋々と言った様子でソワスムールの視線の前に戻る。
「いや……、そんなつもりはねぇけどよ」
「ほんとね?」
真っ直ぐに見詰められ、重ねて問い掛けられて、ドールは居心地悪そうに顔をしかめ。
仕方なさそうに頷いた。
「疑ってねぇよ」
「ならいいわ」
「でも、ラジエルに頼むだのどうだのとは話が別だ」
「あら。じゃあ、他にいい考えあるの? 貴方、この子達に手を貸してあげるんでしょう?」
「まぁ……それは」
「ラジエル以外にいい伝がある? 私には無いわ。……ね? あたしも手伝ってあげるから」
畳み掛けられて、ドールの顔が歪む。
痛い所を知られていて、そこを突かれたような。
痛い所を知っていて、そこを遠慮無く突きつつも、優しく宥め好かすような。
二人のそんな様子から、どちらが優位なのか端で見ていても解る。
ドールは、ソワスムールに強く言い返す術が無いようだった。
── と言うか。
“この子達”、か。
ソワスムールが、そう自分達の事を示したのを聞いて、ジレンは妙にこそばゆい感覚を覚える。
歳は然程換わらないように思っていたのだが、違うのだろうか。
自然に、此方をガキ扱いしてるような所からすると。
“正真正銘の魔物”であると、ドールがソワスムールの事を言っていたのが思い出される。
とりあえず、ドールに続いてこの女も手を貸してくれるつもりがあるらしい。
お人好しそうなドールの知り合いなのならば、そんな流れになるのもおかしくはない。
それよりも、今、気になるのは先程から二人の話に上がる、別の誰かの名前だ。
── ラダ、とかいう。
ソワスムールの口振りからすると、どうもそのラダが例の“あかぐち”らしく聞こえる。
何故なら、初めて出会した時にも彼女の口から、その名前が出ていたからだ。
あの時、ソワスムールはウドクの事を見てそう言っていた。
なら、そのラダがドールの言っていた“ロージングの嫌われ者”という事だろう。
ドールは、“あかぐち”と呼ばれる者と、さして親しいような口振りでは無かった。
だが、ソワスムールはそういう訳でも無さそうだ。
── しかし、この二人。
ドールとソワスムールを眺めながら、ジレンは思う。
ソワスムールが、ドールそっちのけでウドクやジレンを口説こうとしていた件。
その時の素振りから、互いへの興味が薄そうに見えていたのだが。
どうも、それは違っていそうな気がする。
まぁ、他人様の事、詮索はしても余計な口を突っ込むつもりはないが。
傍観していたジレンが、そんな事を考えている横で、ドールは黙ったままだった。
ウドクはと言うと、何やら言いたげな様子をしてはいるが、話の間に割り込む猶予を見付けられず大人しく座っている。
ソワスムールは、ドールの応えを待ってか言葉を続けずに居る。
暫し、そのまま沈黙が続いた。
「……仕方ないわねぇ」
ふと、そう言ってソワスムールが溜め息を漏らした。
「じゃあ、あたしがついてってあげる」
「……はぁ?」
ドールが、うんざりとしたような顔でソワスムールを見──、はたと気が付いたような顔をした。
ソワスムールは、微笑んでいる。
「いや、いいよ」
ドールがそう言って首を横に振る。
何やら、慌てた様子だ。
すると、ソワスムールが首を傾げた。
「いいって何が?」
ドールは、黙っていた。
まるで、聞かれたことに応えてしまえば、何か良からぬ事が起きるのを恐れているかのように。
僅かにひきつった顔で、ソワスムールを見詰めている。
ソワスムールが、にこりとして言った。
「行きましょ。ラジエルの所に」




