2.闇喰いの溝
─・─
「んー……。まぁ、見てくれは鳥の雛だ」
「雛?」
「姿形はな。でも、あくまで見てくれだけだぜ。千年近く生きてるって言われてる」
それが、“闇喰い”とは何なのか、ジレンの問いに返されたドールの答えだった。
ドールと足並みを揃えて進みつつ、ジレン達は彼の話に聞き入っていた。
「“闇喰い”って名の由来は、色だ。頭のてっぺんから尾羽まで真っ黒らしい。それで、とにかく馬鹿デカい。図体だけじゃなく、嘴がでかくてな。森ごと喰っちまうくらいだから、夜の闇を呑み込んで黒くなったんだっつう昔話まである」
「森を喰う? ……あの溝って、餌喰った後なのか」
「さぁなぁ。千年も餌にされ続けてたら、ヴィルタゴなんてとっくに無くなってるんじゃねぇの。魔物のする事なんて理解する方が難しいもんだ。なんであれが森掘ってんのかは、誰も知らん」
「凶暴なのか?」
「どうだろうな。なんだかんだ、あれが街を襲った事はねぇが。近くであれを見た事がある奴はいねぇ。いたかも知れんが、生きて知ってる奴はいねぇな」
「……それって、近くで見ると死ぬとでも言うのか」
「聞いた事がねぇからな。ただ、山みてぇにデカいらしいから、現れりゃ遠くからでも見えるんだと」
「……。あんまり傍で見たいとは思えないな」
「まぁ、それが正解だわな」
ドールが、ジレンの言葉に頷く。
それが正解だと思うなら、こんな所に連れて来るなと言いたい所だが。
ドールの横顔を、白けた目で睨んでおくだけにする。
と、それまで静かに二人の話を聞いていただけだったウドクが口を開いた。
「ドール」
唐突に、名を呼ばれてドールは少し驚いたようにウドクを見た。
その目線を受けて、ウドクが声を落とす。
「……。名で呼んではいけなかったか?」
問うウドクに、ドールが気が付いたように瞬きする。
そして、なんでもなさそうな顔を取り繕うと肩を竦めた。
「……いや。別に。なんだよ」
「もし、良ければあんたの事をもう少し知りたい」
「……あ?」
ウドクの言葉に、ドールの顔があからさまに機嫌悪く歪んだ。
その目が、じろりとジレンを見。ウドクに戻る。
そして、ジレンの顔を指差しながら言った。
「昨夜、あんだけ根掘り葉掘り聞いた癖に、まだ聞くつもりか?」
目の前に人差し指を突き付けられたまま、ジレンは素知らぬ顔のまま歩き続ける。
とぼける様子のジレンに、ドールが忌々しげに舌打ちした。
先程、聞こえる声でジレンに『抜けている』と陰口を叩かれた事を根に持っているらしい。
ウドクは、そんな二人を暫く見比べるようにしていたが、徐に口を開いた。
「嫌なら、無理には聞かんと言った」
「あぁ?」
端的なウドクの物言いに、ドールが苛立ちを露に顎を突き出すようにする。
先程までは、ウドクに甘い様子を見せていた癖に余程機嫌が悪いらしい。
だが、険のある目と声で牽制するドールを前にしても、ウドクは静かに見返しているだけだった。
ジレンを真ん中に挟んで、暫し二人の視線がぶつかり合う。
ウドクは、無言だった。
おそらく、その言葉通りにドールが拒めば黙るつもりなのだろう。
睨み合いと言うよりも、ドールが一方的に怒気を発している様相だった。
暫し、沈黙があったが。
様子を変えたのは、ドールの方だった。
はぁ、と短く息を吐き出す。
溜め息と共に、苛立ちも失せた様子でウドクに顎をしゃくった。
「……何だよ。言ってみろ」
ドールに促されて、ウドクが口を開く。
「あんたは、罪を犯してロージングに逃げて来たのではないと思っていいのか?」
その、ウドクの問い掛けは、思いがけなく。
だが、端で二人のやりとりを聞くだけにしていたジレンも興味を引かれてドールの顔を、ちらりと見る。
すると、丁度、ドールの頬がひくりと震えた瞬間が目に映った。
「……また、何だと思ったら。俺ぁ、言ったよな? 罪人じゃねぇってよ」
ドールの唸るような声が響く。
その目に、ちらつくような怒気が見えた。
「……いや、それは聞いていない」
ウドクが、首を横に振った。
ウドクの応えに、ドールの目が一瞬怯む。
だが、怒気を取り戻しかけ──、それもまた消えて、今度は怪訝そうに顔を曇らせた。
「言わなかったか?」
「そうだな。盗賊じゃなく、“はぐれ”だとは聞いたが、罪人じゃないとは聞いてないな」
ドールの言葉に応えて、ジレンが横から告げる。
ドールが、記憶を手繰っているのか暫し黙りこみ。
そして、首を捻る。
「……言ってなかったか」
「言ってない」
「そうか。……また、今度は面が悪人面だとか、言い出すのかと」
「……えぇ? それこそ、そんな事は言ってないぞ」
「あ? お前、言ったろう。賊だと思ったって」
「あんた、そういうの結構気にするんだな」
「お前が、わざと聞こえるように言うせいだろうが」
「まぁ、陰口を聞こえないように言うのもな。気分悪いだろ?」
「……それは、陰口じゃなくて悪口って言うんだよ」
「あぁ……、なるほどな」
「なるほどな。じゃねぇよ」
「まぁ、怒るなよ。嘘つくなって言ったのあんただ」
「……あのな。お前、ああ言えばこう言うのは止めろ」
「思ったこと言ってるだけだ」
「この野郎……」
気がつけば、その場に立ち止まり口喧嘩が始まっていた。
喧嘩と言っても、のらりくらりと受け流しながらからかうジレンと、あしらわれて苛立ちを募らせ歯軋りするドールとで、ジレンのやや一方的な言葉だけの応酬である。
それを、馬と並んで無言で見守るウドクの姿が合わさると、端から見ればそこまで険悪なものでは無かったかも知れない。
事実、ジレンは意地悪く、ドールの反応を少し面白がってもいたので。
ドールの反応は、実に解りやすかった。
── そうして。
三人が、その場に脚を止めてから間もなくだった。
異変の兆候は、唐突にジレン達の元に届いた。
──どん、と鈍い振動が三人の足元を突き抜けた。
ぴたりと、互いに動き止む。
「……なんだ? 今の」
思わず、顔を見合せたままジレンは呟くようにする。
遠雷のような、重く低く震えるような音。
だが、それが大気を伝わって響いてくる物では無いことに、直ぐに気付いた。
三人共、ほぼ同時に自分の足元を見下ろした。
靴底を伝わって、脚を競り上がってくるように地面から伝わる振動。
「なんの地響きだ?」
「地震か?」
「……いや。これは──、地震じゃねぇ」
二人の言葉に、応えるドールの声が固く響く。
互いの顔を見合せる視線を、誰からともなく溝の方へと向けた時だった。
どすん、と地面ごと突き上げてくるような凄まじい衝撃が走った。
跳ね上げられ、一瞬身体が浮く。
拳で殴られたテーブルの上、倒れ転がるグラスのように、地面に投げ出される。
咄嗟に態勢を立て直そうと四肢を踏ん張ろうとしたが、無駄だった。
視界がぶれ、最早、自分が上を向いているのか下を向いているのかすら解らない。
絶え間無く、地面を下から殴り上げてくるような衝撃が続いた。