1.ひねくれ者
普通の純愛モノにする予定です。すると言ったらするんです。
みなさんごきげんよう。
今日は十二月二十四日。ついでに言えば午後十時。新年まであと一週間というだけの、ただの平日。それにしてはどうにも世間は騒がしいようで。ただの平日なのに。そんなに慌てなくても、もう七つか八つ寝ればお正月なのだから、そしたら好きなだけ凧をあげてコマを回せばいいでしょうに、ただの平日にここまで浮かれて。世間のなんと気の早いことか。
そんな事を一人考えつつ、疲れた目で窓の外を見た。駅とショッピングモールへと続く大きな表通りに面したアパートだけあって、目に映る景色には人の往来は多い。
行き交う人々の中には当然、男女がペアになって歩く姿が目立つ。
...あぁそういえば、クリ・・なんとかイブなんてお祝い事の前夜祭も今日?海外の偉い人の誕生日だったかしら?普通二十歳も過ぎれば誕生日なんて大した感慨もなくなる。というか、五十歳も過ぎたら年齢をいちいち数えても、むしろ憂鬱になってくると思うのだけれど。
昨夜から駅前で煌々と飾りを光らせていた樅の木などよりはよっぽど多く齢を重ねているであろう、この聖夜祭の主役は毎年毎年、何を思ってこの行事を迎えるのだろうか。さぞ憂鬱に違いない。
考えるにつれ、自分の思考がどんどん穿ってきた気がしてきたと苦笑する。
気分を変えようと、つい先程淹れたはずの紅茶に口をつけたが、いつの間にやら随分と冷めていた。
ひねくれた思考は、いつの間にか避けていたはずの本題へと突入する。
クリスマス。クリスマス・イブ。
まだ私が小さければ、イブにはプレゼントを楽しみにして心を踊らせ、中々眠れない夜を過ごし、きっと翌朝には喜びで身も躍らせる素敵な行事だろう。
大人にしても、お祝いと称して夫婦でケーキでも食べれば、忙しい年末においての心の保養になる。
そして.....世のカッp....くぅ...カップル達にとっても特別な日。ある意味では子供よりお楽しみで夜眠れないだろう。爆発しろ。
まぁ、年を明けというのは、一年の始まりとして襟元を正すようなイメージがあるのだけど、だからこそか、対して年末のお祝い事というのは彼らにとって一番やりたい放題できるタイミングなのかもしれない。世に忘年会という物があるように、今なら何をしたって新年に身元を正せば帳尻が、まぁ....少なくとも本人たちの中では、合うのだろう。正月ロンダリングとでも言おうか。
...ここであくまでロンダリングできるのは精神的な物に限るとも付け加えておく。ケーキにチキンにお酒にお雑煮、ことカロリー摂取量に関しては年末年始では全く清算できない。襟元を正そうにも、おそらくボタンがとまらなくなる。
さて。
そんな世のめでたい皆さんを尻目に、クリスマスには必ずと言っていい程、目が死んだ連中も結構な人数存在している。というか私の事だけど。
窓から表通りを見やる。なんというカップル率。。。
彼らと私とで何が違うのかと言えば、まあ当然、独り身か否かだろう。クリスマスにせよ新年にせよ『祝い合える相手』が居ないのでは盛り上がりは欠片も無い。そこの君、涙拭こう?紅茶飲む?淹れるよ?
そんな寂しい人種だからこそ、奥面もなく幸せそうに、そりゃあ幸せそうに歩いているカップル達を見て、「爆発しろ」なんて言ってやりたくもなるのだ。
なんだあのカップル繋ぎは。脱臼してしまえ。それは独り身には刺激が強すぎる。煙草の副流煙のような物だ。本人より周囲の人間に、吸っている者より吸っていない者、この場合は勿論、独り身の人間にこそ最大級の精神的被害を生むのだ。マナーを守れ。
ふと思い出した、有名なスフィンクスのなぞなぞ。あれは正確には「朝は四本足、昼は二本足、夕は三本足。この生き物は何か?」だっただろうか。問いへの答えを間違えるとスフィンクスに取って食われてしまう、そんな逸話だったはずだけど。往来のカップル達ときたら、「朝も昼も夕も一緒に歩くから四本足です!」とでも言わんばかりにくっついて歩いている。なぞなぞを解かれたスフィンクスは石の台座を降り崖から海に身を投げたというが、そんな答えを聞かされた日には、石の台座を頭突いてカチ割り、海に向かって叫びそうなものだ。
思考が渦巻く中、バス停もないのに立ち止まったカップルが偶然目につく。
え?何?何故向かい合った?ちょっ!?公衆の面前でキスとかするな!!
...スフィンクスの代わりに取って食ってやろうか。
耐え切れずカーテンをしめて、ソファに身を投げだした。
ああ恨めしい。羨ましい。
クッションに顔を埋めて、ただただ思う。
名雪 絢鞠 にまだ春はこない。