ナクムの村
ケルンから南西に2日程の場所にナクム村はある。ハスの村とは東西反対方向で、フェネアに近い。それ故、あの光景を思い出し、あまり安全とは言い難いように吾郎には思えた。
「意外と何の問題も無く、村に着いたな」
吾郎はケルンで買ったアルヘトイドの地図から顔を上げると、村の様子を観察する。
人口が百人に満たない、小さな規模の村だ。ナクムの村もハスの村同様、二メートル近い木製の柵に囲まれていた。小さな村でもしっかりと柵があるのは、獣だけではなく魔物や蛮族の存在があるからだろう。
「そうですね、地図がありますし、ゴロウさんの目が良かったので方向に迷わず済みました」
ジーグがそう言って吾郎の隣に並ぶ。
――確かに、思っていたよりも地図の精度が良かった。それに、吾郎の目がぼんやりとだが、村の位置を把握出来ていたのが大きいだろう。しかも、太陽と月の位置が一定なので、この世界で迷う事はそう無いように思える。
吾郎は目も耳も良いので、パーティーの先頭で警戒と案内を任されており、シシリアも同様の理由で後方の警戒をしている。そして、アランは筋力が高いので荷物持ちである。
アランはぎっしりと道具の詰まった大きい背嚢を背負い直した。その足取りは重い。ケルンを出る際、吾郎が役に立ちそうだと思った道具を大量に買ったので、無駄に荷物が多いのだ。ついでにシシリアは、吾郎の買い物に関しては一銭も出さなかった。
「くそ、重い……」
アランが呟く。
吾郎はそれを横目に、自身の背嚢を背負い直す。
「とりあえず、さっさと村に入るか」
吾郎は皆に言うと、村の門へと向かう。
村の周りには小さな田畑が点在しており、ピーク大農場と違い、ほとんどの畑は簡易な柵が設けられているだけである。
門前に門番が一人いる。警備の仕事は、引退した冒険者か兵士の仕事である事が多い。門番は明らかに、四十をとうに過ぎたような男だった。
吾郎達が村に近づくのに気付くと、門番が門を塞ぎ声を掛ける。
「止まれ、お前ら村で見ねぇ顔だなぁ。何のようだ?」
吾郎は、他の三人を後ろに待たせ、一人門へと近付く。
「私達は冒険者です。ここはナクムの村で間違いありませんか?」
「ああ、そうだ。ここはナクムの村だ」
「私達は、ナクムの村付近の農場を襲う、魔物退治の依頼で参りました。村長のナクム氏にお会いしたい。入れては貰えないでしょうか?」
門番は一瞬、視線を宙空へ向け、
「……そうか。一応、冒険者ギルド登録証と依頼受領書を見せてもらおうか」
と手を差し出してきた。
吾郎は門番の言葉に頷き、懐から登録証と受領書を取り出すと、門番へと手渡す。
門番はそれを幾度が見比べ、
「冒険者のタヤマ・ゴロウと、そのパーティだな。村長の屋敷へと案内しよう。どうぞ、入ってくれ」
と言うと、門を開け吾郎を中へと迎え入れた。
「ありがとうございます」
吾郎は軽く頭を下げ、後ろを振り返ると三人へと目配せをした。三人はそれぞれ頷き、村へと入る。
ナクムの村にはおよそ二十戸程の家屋が並び、ほとんどの住居は木造のようだ。幾人かの村民とすれ違うが、魔物に襲われているというのに、どこか呑気な雰囲気を漂わせていた。
村長の住居は村の中心にあり、大きく、そして唯一石造りで出来ていた。
門番の男は扉を叩き、少し開くと、
「村長、ドドロボです」
と名乗り、吾郎達に少し待つよう告げ、村長の屋敷へと入っていった。
しばらく待つと、戻ってきた門番が屋敷に入るように促す。
吾郎達は言われるがまま村長の屋敷に足を踏み入れるが、その脇を通り過ぎた門番の男は、これで仕事を終えたといった様子で、門の方へと帰っていった。
村長の屋敷に入ると、まずは玄関らしき空間が広がっており、その先に廊下がある。
「失礼致します。私、冒険者の田山吾郎と申します。今日は魔物退治の依頼で参りました。よろしくお願い致します」
廊下に立っている人影に気付き、吾郎は軽く頭を下げまずは挨拶を述べる。
「……随分と礼儀正しい冒険者だ」
村長と思しき男が、少し意外そうに吾郎を見つめていた。
――意外と若いな。
吾郎は村長に対して、そういう感想を持った。
年齢は四十前くらいだろうか? 先程の門番よりは若い印象を受ける。赤黒い頭髪を後ろに撫でつけ、爽やかな顔立ちで、身長は吾郎並にあり、全体的に線の細いシルエットをしている。
吾郎の村長のイメージといえば、白髭を生やしたお爺さんというイメージであったが、この村長はまるで貴族のような出で立ちであった。
村長は吾郎達四人をそれぞれ値踏みするような視線で眺め、
「実力の方は分からないが、気に入った。私はここの村長をしている、ワージ・ナクムという。今回はよろしく頼む」
と少し笑む。
「立ち話もなんだ、客室へ案内しよう。ああ、その前にそこの室内靴に履き替えてくれ」
玄関の端にある靴入れにスリッパやサンダルのような、革と布で出来た靴が備えられている。
「別に汚れるのは構わんのだが、傷を付けられると敵わんのでな」
普通、住居内でも靴で上がるのだが、冒険者の使う靴には、底にスパイクや鉄板、刃物などを仕込んだ靴等もあり、床を傷つける可能性がある。ナクムはそれを嫌ったのだろう。
吾郎達はいそいそと室内靴に履き替え、ナクムの案内に従い客室へと向かう。
村長宅は大きいだけあって、客室を備えているらしい。普通の住居に客室など無い。囲いの中に街を作るために、住居面積が狭くなるのだ。そのため、住居は縦に高くなり、密集する。隣家との壁が板一枚などざらにある事だ。
ナクムに案内されるまま、吾郎達は石廊を歩く。吾郎は少し歩みを遅めると、ジーグ達に近寄り、囁くように話し掛けた。
「どう思う?」
「何がでしょう?」
吾郎の問い掛けにジーグが首を傾げる。
「ナクム氏の事だ。村長らしからぬ威厳じゃないか」
「それは、貴族だからではないでしょうか?」
「……貴族?」
領地持ちは爵位を持っている、それは吾郎も聞き知っていた。村長は村の長だが、それは貴族に領地の運営を任されているだけで、貴族である事はまず無い。
「ここはハンジ・ナクム子爵が治める土地です。そしてそのナクム子爵が治める村が、ナクム村です」
「……つまり彼は」
「ハンジ・ナクム子爵の御子息でしょう。村長なんて事をしてる所から、長男ではないのは確かですね」
「……なるほど、面倒臭そうだ」
吾郎が苦笑した所で、ナクムが振り返る。
――話を聞かれたか?
吾郎は自身の体が熱を持つのを感じた。じっとりと手に汗をかいている。
――ナクムには聞き取れない程の声で話していたつもりだが、聞かれていたとすればまずい事になる。
吾郎が体を強張らせナクムの発言を待っていると、すっと後ろから吾郎達の横を人影が通り抜けた。それは、初老の執事服の男である。おそらくは執事か何かであろう。
執事服の男が客室の扉を開けるとナクムが中へ入る。吾郎達も、執事服の男に促され続く。
少し振り返ると、既に扉は閉ざされ、執事服の男の姿は無い。
――全く気配を感じなかったな、何だあいつは。
そう思い、室内に足を踏み入れると、足底に柔らかな感触があった。室内の床一面に絨毯が敷かれている。壁にも、刺繍された布や絨毯が掛けられ、部屋の中央にはソファーとチェアーに、クロスを被せたテーブル。豪華絢爛という感じではない。下品さは無く、一見すると質素に見えるが、よく見れば上品な高級感のある内装だと分かった。
ナクムは迷わずソファーに座ると、
「どうぞ、掛けたまえ」
と吾郎達に椅子を勧める。
吾郎は自身の格好を見た後、
「よろしいのですか?」
と尋ねた。
吾郎達は二日間平野を歩き、昨日は野宿をしている。決して綺麗な装いではない。むしろ薄汚れていると言える。
「気にするな、汚れは掃除をさせれば済む事だ」
ナクムは面倒臭そうに手を振る。
「では、有難く。失礼致します」
吾郎が椅子に座るのを見て、他の三人もおっかなびっくり椅子に座る。座り心地は、冒険者ギルドの椅子とは雲泥の差だった。
「……これは、良い椅子ですね」
吾郎の言葉に「分かるか?」と、ナクムはニヤリと笑む。
「ハイロエルフのマツだ。この、重厚な漆黒に、自然なフォルムが素晴らしいだろう? この足の揺らぎと、お尻に張り付くような波。ハイロエルフの木材を、ケルンで加工させたのだ。成金趣味共には分からんだろうが、素朴ながらどこか高級感のある、まさに逸品だ」
陶酔したように語るナクムだったが、ふと我に返ったように首を左右に振り、ため息をつく。
「しかし、もうハイロエルフの木は無いのだがな……」
ナクムの言葉にエルフ族であるシシリアがピクリと反応した。普段は何も語りたがらず、無口なシシリアだが、やはり何か思う所はあるのかもしれない。――当然か、故郷を失っているのだ。
吾郎はシシリアを横目でちらりと見ると、すぐにナクムへと視線を戻した。
「そうですね、残念な事です」
「真にな……、っと」
ナクムは咳を一つし、テーブルに置かれた鈴を鳴らす。すると、外に控えていたのであろう、執事服の男が二回のノックの後、静かに入室してきた。
「彼等にティーを、いつものだ」
「かしこまりました」
執事の男は綺麗に九十度の礼をすると、音を立てずに部屋を出る。
「さて、そろそろ依頼の話をしようか」
ナクムの声に、吾郎は居住まいを正す。ジーグが一歩、吾郎の側へと寄った。
依頼人との交渉役は吾郎とジーグが請け負っている。
アランは言葉遣いが粗暴で、シシリアは頭は多少回るが無口に過ぎる。結果、吾郎が主な交渉を担い、ジーグが知識の補佐をする形になった。
「まぁ、魔物が田畑を荒らす事は、今に始まった訳ではないのだ。その都度ギルドに依頼させて頂いてる。君達もそうだろうが、駆け出しの冒険者をよく回されてね。いつも、しっかりと依頼をこなしてくれている。だから、そう難しい依頼ではない筈だよ」
「私達も依頼を遂行する為、全力で取り掛からせて頂きます」
「うむ、心強い。それで、依頼について、こちらに何かあるかな?」
ナクムが楽しげに問う。組んだ足に手を置き、トントンと指で叩いている。
「そうですね。ギルドのマスターからは、魔物――イルヴァの群れを退治、または討伐する依頼だと聞いております」
「そう、イルヴァだ。死してなお蘇り、穢れた魔物だ。南西から、規模は二群の十一匹程だと聞いている――が、細かい事は分からん。その辺は村民に聞いてくれ、それに何かあれば報酬を上乗せする準備はあるから安心して欲しい」
――数が多いな。二群とは、群れが二つという解釈でいいのだろうか? と、ジーグに囁くように問いかけると、頷きが返ってきた。
なるほど――と吾郎も頷き、話を進める。
「魔物なので夜行性、我々も夜の行動となります。ランタンと燃料は一応買いましたが――」
「うむ、そこはこちらが持とう。駆け出しの冒険者が、大量の燃料を買えるほどの金銭は持っておるまい。消耗品は幾らか用意してある。後でグラジスに倉庫を案内させるので、好きに持っていくがいい」
「ありがとうございます。後、被害のあった田畑を見て回りたいのですが、よろしいでしょうか?」
「かまわん。とはいえ、村民に迷惑は掛けないように」
「承知致しました」
そう言って頭を下げたと同時に、扉が小さくノックされる。
執事服の男が人数分のカップを持って戻ってきた。それぞれの前にカップを置き、一礼する。
「グラジス、後で彼等をあの倉庫に案内せよ」
「かしこまりました」
グラジスは再度深く礼をし、静かに部屋から出ていった。
「少し話して喉が乾いたろう。このティーもいい物だ。遠慮なく頂くといい」
ナクムはカップを軽く指で持ち上げると、香りを楽しんだ後にティーを口へ入れる。
それを見届け、吾郎もカップに手を付けた。
カップには、琥珀色の液体が七分程入っている。香りからして、紅茶に近い何かのようだ。味は――やはり紅茶に近い。しかし、日本で飲んでいた紅茶の味ではない。甘ったるく、少しの苦味が後を引く。不味くはないが、特別美味くもなかった。
ジーグやシシリアも吾郎に続き口に入れる。そして、その香りと甘さに驚き、目を見開く。アランなどは、ごくごくとすぐに飲み干してしまった。
「お、美味しいです! 俺、こんなの飲んだ事ないです!!」
アランが興奮したように、相変わらずの大声で言う。
「あっ、本当、凄く美味しいです」
ジーグの言葉にシシリアが相槌を打つ。吾郎も一応頷いておいた。
ナクムは、それを得意そうに眺め、満足気に頷く。
「うむ、いい香りだろう。これは紅茶と言ってな、本当はシャヘロンの紅茶を用意したかったのだが、もう無くてな。格では落ちるが、フェネアの紅茶を用意させて貰った」
――シャヘロン、知らない地名だ。
吾郎が横目でジーグを見ると、ジーグはそれに気付き、吾郎の耳へと口元を寄せる。
「シャヘロンは、フェネアの更に南西にあった国です。五十年前程に、蛮族に滅ぼされてしまいましたが……」
吾郎は頷き、ジーグに目礼する。
ナクムはカップを軽く回しながら、香りを楽しむように目を伏せる。
「フェネアの紅茶は香りはいいが、味が悪くてな、シュガーとミルクを少し入れている。今では、紅茶も価値が高騰して、なかなか手に入らんな。この村で作ろうとしたが、上手くいかん。フェネアでも南の方で作られているらしいからな、おそらくは気候が合わんのだろうな」
ルーグテリアには季節が無く、気候はほぼ一定といっていいだろう。温度の変化も無く、日照の変化も無い。雨はたまに降っているようだが、それでもこの環境で作られる物は地球のそれとは違う物だろう。
地域が違えば気候が全く異なる事になる。作物の改良は生半ではないだろう。
「そうですね、シャヘロンは更に南。もっと暖かい地域でないと出来ないのかもしれませんね」
吾郎の言葉に、ナクムはうむと頷く。
飲み干したカップをテーブルに戻すと、しばし緩和した空気が流れる。吾郎はジーグに目配せをした。
――そろそろ。
吾郎は、注意を引くように太腿を叩くと、
「では、我々はそろそろ依頼の準備を始めようかと思います」
そう言いながら、立ち上がる。ジーグがそれに続き立ち上がると、遅れてシシリアとアランも続く。
「そうか、ではよろしく頼む」
ナクムが鈴を鳴らし、グラジスを呼び出す。
「彼等を倉庫へ、その後は村を、特に魔物に荒らされた場所を案内してやれ」
「かしこまりました」
グラジスはナクムへと礼をし、吾郎達へと体を向け、
「それではゴロウ様、バシュタイン様、ミルシュトラトフ様、シシレヒア様、倉庫へとご案内致します。私について来てください」
と慇懃に礼をする。
――名前は知られているようだ。
吾郎の名前は門番に登録証を渡したので、知れていてもおかしくはない。しかし、後の三人は名乗ってすらいないのだ。
とはいえ、ギルドから情報が来ていたとしても何もおかしくはない。情報が早いなとは思ったが、吾郎は気にするのをやめた。
そんな事より、気になったことがあったからだ。
――もしかして皆、ゴロウが名字と思っているのではなかろうか?