アランとジーグ
「今日は休みます」
吾郎はハミンの質問にそう答えた。
いつものカウンター席に座りエールを注文したところである。冒険者ギルドは今日もそこそこに盛況のようだ。
「あっ、そうなんですか、ずっと働き詰めでしたもんね」
ハミンが小銅貨を手元で数えながら、そう答える。
吾郎はここ十日程、連続で依頼をこなして、さすがに疲れを感じていたのだ。
マスターが勧める依頼は主に雑用で、草刈りに石運びや荷物運びといった、力や体力のいる仕事ばかりをやらされていた。
ぱっと見は単純労働で何だか簡単な作業に見えるが、実際は冒険者の恩恵を受けていないと完遂出来ないであろう仕事ばかりで、吾郎の身体は疲労のためか少し動かすだけできしきしと痛んだ。
「さすがに疲れましたから、二三日くらい休もうかと」
吾郎がそう言うと、ハミンは「そうですね、それがいいですよ」と頷く。
「本当にゴロウさんは働き者ですね。普通はあんなに連続で依頼を引き受けたりはしませんよ?」
「あー、そうなんですか?」
「そうですよ、そうでなくても冒険者さんに来る依頼はきついお仕事が多いですからね。いくら恩恵を受けているからって、ちゃんと休まないと体壊しちゃいますよ?」
ハミンはそう言うが、吾郎としては日本にいた頃と同じ要領で仕事をしていたので、特に働き過ぎたという感覚は無い。しいて言えば、肉体労働はしたことがなかったので、慣れない仕事は辛いなという感想を抱いたくらいだ。それでも、冒険の神キシリクの恩恵のお陰で、体は動いてくれる。
二日掛けての草刈りで八十アール、荷運びが日給三十アールでそれを三日、外壁補修の石運びを五日で二百五十アール。しめて、十日間合計で四百二十アール。なかなかの稼ぎである。
――これならば危険を侵さずとも何とか生きていけるだろう。
「……そうですね、すみません。実際少し体が痛いですしね、ゆっくり休ませて貰います」
「そうしてください」とハミンは微笑を浮かべると、奥の厨房へと向かった。
吾郎にはこの世界の文字が読めないため、ハミンやユラにメニューを読んでもらうか、欲しいものが出来るかどうかを聞いて注文をしている。
今回はビールではなくエールを頼んだのだが、何故エールを頼んだかというと、エールの方が圧倒的に安いからだ。
なんと三アール、ビールの半額以下である。
エールという名前は聞いたことはあったのだが、日本ではあまり見かけることがなく、飲んだことはなかった。吾郎の予想では劣化ビールのようなイメージだ。
「はい、お待たせしました」
ハミンがエールの入ったジョッキをカウンターに置く。ビールと同じで、濃い茶褐色で泡の少ない液体が並々と入っている。香りからしてビールと違い、吾郎のイメージするものと少し違うようだ。
エールを口に含むとハーブの薫りが口内に広がる。何故、この世界の飲み物には何でもかんでもハーブが入っているのだろうか? 不思議である。
エールのお味はというと、一言で言うと苦味が足りない。まずフルーティーな甘さがあり、喉を通る時に苦味が若干引っ掛かる感じがする。炭酸が少なく飲みやすいが、アルコール度数が高いようで、ビールの感覚で飲むとすぐに酔っ払ってしまいそうだ。
「エールは初めて飲むんですが、ビールと全然違うんですね」
「当たり前じゃないですか、エールは煮詰めて発酵させた麦汁に果汁や香辛料を入れたもので、使う麦も燕麦が多いですし、ビールとは全然作り方が違いますよ?」
「へぇ、そうなんですね」
とはいえ、変に癖はあるが思ったよりかは飲みやすい。ビールといい、日本の物と比べるとどうしても見劣りをするが、決して飲めなくはない。
問題は食べ物で、これは食べるのが辛いものが結構多いのだ。
根本として、この世界にはレストランといったものが存在しないようで、宿に付く食事や、酒場のツマミ程度の料理はあるが、家庭料理の域を出ない。
しかし、その中でケルンの冒険者ギルドは飛び抜けて味か良い。頼めば食事も出してくれるので、吾郎はレストランとして使用しているのだが、ただ値が張る。このギルドの殆どのメニューは、他の場所より二三割高いのだ。その代わり味は良いのだが、そういった商売なのだろう。
吾郎もケルン市内の酒場や宿屋併設の食堂を幾つか回ってみたが、結局はここに戻ってきてしまった。きっと、多くの冒険者もそうなのであろう。
ハミンが給仕に戻ると、吾郎はやる事も無くギルド内を眺める。
――この世界は娯楽が足りない。
他の冒険者たちはカードゲームらしき遊びに興じているが、文字の読めない吾郎にはカードに書かれている文字すら分からない。おそらくはトランプ同様、数字が書かれているのだろうが、数字すら複雑な文字で書かれており読み取れなかった。
しばらくしてエールを飲み干すと吾郎はギルドを出て、貧民街へと向かった。
貧民街は文字通り、下流市民の更に下の貧民層の人間が多く暮らしている区画である。貧民街と言えども、家は石造りでしっかりとしており、とてもここがスラムだとは思えない。まさにここが、ケルン市の豊かさを表していると言える。市が全区画をしっかりと管理し、全ての建物は規格を厳密に定められているのだ。
通りを幾つか行くと小さな広場があり、吾郎はそこで立ち止まった。周りの住人が「今日も来た」といった感じに、遠巻きに吾郎を眺めている。余所者だが、冒険者らしいので危険は無いだろうと思われているのだ。
吾郎は軽く柔軟体操をこなすと、腰紐で結んだ皮の鞘から右手で剣鉈を抜いた。柄は木製で、皮が巻かれ滑り止めがなされている。柄と刃の間には指を切らないように小さな返しのような鍔が付いており、刃は片刃で刃渡りは十五センチほどである。
吾郎は体を右半身にし、剣鉈を袈裟懸けに振るう。鉈は押し付けて引く際にモノを切り裂くので、そこを意識して動かねばならない。
最近の日課である、身体を動かす訓練である。
冒険者にはそういった仕事が回ってくることもあるというので、念の為に訓練をしているのだ。――それに、冒険者になってからは体が軽く、思うように動く体に少し楽しくなっている。
剣鉈を逆袈裟、正面から垂直に落とし、手首を捻って切り上げからの横払い。体は半身のまま、足で捌いて移動しながら手を動かす。
吾郎がこういう運動をするのは高校以来になる。高校では剣道が必修だったので、多少の心得はあるつもりだが、体を動かしてみると、思った以上に動く。――重要なのは基礎の反復だ。
一通り訓練を行うと、汗がじんわりと吾郎の全身を濡らしていた。
「今日はこんなもんかな」
時刻は一時間ほど経過していた。
正直、体の動かし方として合っているのか分からないが、吾郎はとりあえず満足し、宿へと帰ることにする。
次の日ギルドで昼食を取っていると、奥部屋から聞いたことのある声が近付いて来た。
「これで俺達も冒険者だな!」
「そうだね、なんとかなって良かったよ」
吾郎が声のする方を見ると、男の子が二人いた。何処かで見た記憶のあるローブ姿の二人組だ。
一人は勝気そうな短髪の男の子で、もう一人が坊ちゃん刈りの気弱そうな男の子だ。
「ジーグ、さっそく何か依頼を探そうぜ!」
「えっ、う、うん、そうだね」
ジーグという名前に聞き覚えがあり、吾郎は少し虚空を見つめる。
――あぁ、あの十三歳の子達か。
奥部屋から出て来たという事は、昨日今日に契約を終えたのだろう。契約に一週間と少し掛かった事になる。
二人は吾郎の隣の席に座ると、マスターに声を掛ける。
「マスター、何か仕事下さい!!」
相変わらず無駄に大きな声で、隣の席の吾郎は思わず耳を塞いでしまった。
「うるせぇ、そんな大きな声を出さなくとも聞こえてる」
マスターが鬱陶しそうに、二人の前へとやって来る。今日もギルドは盛況だが、冒険者ギルドとしての仕事はしていないようで、今いる冒険者は皆食事目当てのようだ。
「すいません、えーと、何か依頼ありませんか?」
「んー、そうだな。お前達なら、市壁の修復作業の依頼があるぞ。主な仕事は石運びだ」
「えっ、もっといい仕事下さいよ! 魔物退治とか蛮族討伐とか!!」
「アホか! お前らみたいな駆け出しにそんな仕事任せられるか。駆け出しにしても、せめて四五人のパーティを組んでからだな。そうじゃないと、ただ死に行くだけだ」
「そんなぁ……」
酷く落胆したように男の子は肩を落とす。
「アラン君、仕方がないよ。やっぱり地道に、コツコツやっていくしかないよ」
ジーグが落ち込む男の子――アランの肩に手を置く。
「でもよ、シルバーファングのサーネ・ヒストリアとか、十四歳の時の初仕事が単独でのゴブリン討伐だぜ? 俺もそんな活躍したいよ!」
「サーネ様とか、天才と僕達を比べちゃ駄目だよ……」
「……でもよぉ」
アランは口を突き出し、しばらく拗ねた様子を見せていたが、何か思いついたらしくジーグへと笑顔を見せる。
「そうだ、パーティを組めばいいんだったよな! 四五人だから、最低あと二人!!」
「……そんなに上手くいくかなぁ」
ジーグはアランとは正反対に不安そうな表情を作る。
「大丈夫大丈夫、要はパーティに入ればいいんだって。強い人達の仲間になれば、あっという間に強くなって、何とかなるって」
アランのその言葉にマスターが口を出す。
「それは許可出来んな」
「……えっ!? どうしてですか!!」
「パーティのバランスが悪くなると、その分危険が増えるからだ。可能な限り同じレベルの冒険者が組むようにこちらも調整している、あと依頼の管理も楽だしな」
「そんなぁ、じゃあどうすれば……?」
「同じレベルの奴と組めばいいだろ」
「あぁ、そうか!!」
アランはそう言うと、くるりと回れ右してギルドで食事をしている冒険者を順々に眺めていく。
勿論、見ただけで冒険者証明書に書かれた具体的な数値が分かる訳ではない。しかし、装備や雰囲気から多少は察する事は出来るだろう。
「おっさん、ちょっといいですか?」
「あ、アラン君ちょっと?」
結果アランは、いかにもみすぼらしい格好の吾郎に声を掛けてきた。ジーグが驚いたようにアランを見詰める。
――って誰がおっさんだ。
「えっ、俺?」
「はい、おっさんはパーティを組んでいたりしますか!!」
「い、いや、組んでないけど……」
正直に答える必要はなかったが、勢いに押され手拍子で答えてしまう。
「じゃあ、俺達とパーティ組みませんか!!」
アランが吾郎に詰め寄り、吾郎は困ったようにマスターに視線を送るが、マスターはそれを無視する。
「あー、えっと」
ジーグが吾郎の迷惑そうな表情に気付き、アランのローブの裾を仕切りに引っ張るが、アランは気付いていない。
「大丈夫です、俺達が前衛務めるんでおっさんには危険がありませんから、ちょっとだけ、ちょっとだけ、お試しでパーティ組みませんか!!」
「……い、いや」
「そう言わずに、お願いしますよ! ちょっとだけ、とりあえず一回だけでもお願いします!! お願いします!!」
吾郎はパーティを組んで冒険者をするつもりはない。
しかし、アランの押しが強く、しばらく粘ってはみたが、最終的には吾郎が折れる事になった。
「わ、分かったから。……とりあえず、試しに組むくらいなら」
「やったー!!」
アランが立ち上がり、跳ねながらガッツポーズで喜びを表現する。
――大袈裟な子だ。
だが憎めない、そんな愛嬌のある幼い笑顔をアランは見せている。
「……アラン君が迷惑を掛けてすみません」
ジーグはそう言うと申し訳なさそうに頭を下げた。
「まぁ、いいよ。気にしないで」
吾郎としては、本当にお試しに一回だけのパーティのつもりであったし、それ程長い付き合いにはならないだろうと思っていたので、一つの経験としてある程度は受け入れていた。
「ありがとうございます、おじさん」
ジーグは再度頭を下げる。――が、おじさんではない。
「いや、俺の名前は田山 吾郎と言って――」
「そうだ、あと一人、おっさんは誰か心当たりは無い?」
アランが吾郎の言葉を遮り話し掛ける。
「……いや、ないな」
吾郎は片眉を上げたまま微妙な表情で答えた。
「そっか、あと一人どうしよう」
そこでマスターが、声を挟む。
「一人なら心当たりあるぞ、入ってくれるかは分からないけどな」
「本当ですか!!」
「ああ」
マスターは頷き、いつの間にか手に取った羊皮紙の束をペラペラと捲る。
アランは好奇心を抑えきれないようで、カウンターに手を付きマスターに詰め寄った。
「どんな人なんですか?」
「まぁ、典型的なエルフ族だ」
「……エルフか」
吾郎は思わず呟く。
エルフと言えばファンタジーの王道だ。
――エルフ族。
エルフ族といえば、ガゼル達バーニンナイツのロマスがエルフである。
ルーグテリアの南西の端にハイロエルフという国があり、その国は亜人種であるエルフ族が治めている。亜人とは、字の通り人に劣る種族という意味である。
吾郎の思っていたエルフとは違い、ただの人間であり、魔法も使わなければ長寿でも無いのだが、弓の扱いに長けているというのはイメージ通りだった。
ハイロエルフはプアーレス大森林という森に覆われた国で、大森林で取れる木材と木材加工が有名だ。そして最も有名なのが、弓の製造である。そのせいか、エルフ族は子供の頃から弓を習い、成人の儀の際には弓試を行うという。その弓試の難度は、人間では到底通過出来ない程と言われている。
エルフ族の身体的特徴は、少し尖った耳と白い肌、青い瞳にブロンドの髪である。色素が薄く、日光に弱い傾向にあり、体力が著しく低い。そのため、エルフ族は森に引きこもり、あまり外には出てこない種族と言われていた。
現在、ハイロエルフは蛮族に焼き尽くされ、もう存在はしていない。
マスターから話を聞くと直ぐに飛び出して行ったアランを追って、吾郎はジーグと共に市壁外にあるピーク大農場へと向かっていた。
市壁外とはいえ、見える位置にあり農場自体も石積みの壁と木製の柵で囲われ、幾人かの警備兵も見える。
「――エルフといえば、蛮族を恨んでいる人も多いですから、こう言ってはなんですけど、期待できるかもしれませんね」
ジーグの言葉に吾郎は頷く。
「エルフ族は蛮族に九割近く滅ぼされたらしいからな。そのエルフが今までパーティを組みたくても組めなかったとしたら、相当鬱憤が溜まっているかもしれないな」
吾郎が言うとジーグも頷く。
――なかなか聡明な子だな。
吾郎はジーグの受け答えにそういう感想を持った。
しばらくジーグと話しながら歩いていると、アランが向こうから駆け寄ってくる。
「ジーグ、おっさん! 何ちんたらしてんの、あっちが農場だよ! 早く来いよ!!」
「……いや、俺はおっさんじゃなくて田山 吾郎という名前が」
言い終わる頃にはアランの背中は遠くにあった。
――いい加減自己紹介くらいさせてくれよ。
吾郎が項垂れていると、ジーグが申し訳なさそうに声を掛ける。
「すみません、えーと……、ゴロリさん?」
――誰が、つくってあそぼだ。
「……吾郎だ」