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そうだ異世界、行こう

初投稿となります。

よろしくお願い致します。

 走ってはみたが、ギリギリで信号は赤に変わってしまった。


 ――ついてないな、と吾郎(ごろう)は思った。


 交差点を車が、何台も何台も通り過ぎていく。

 こんな時間なのに、皆は一体どんな用事があって車に乗っているのだろうか――? 仕事、遊び、色々あるだろう。吾郎はただ漫然と通り過ぎる車を眺めていた。

 時刻は深夜一時を少し過ぎたところだ。こんな時間だというのに辺りに暗闇は無く、街灯が煌々(こうこう)と街を照らしている。

 帰宅は一時十五分頃になるだろうか。二時には就寝し、六時に起きて、七時には出社しなければいけない。会社の近所に引っ越して正解だった。

 通り過ぎる車の窓に疲れ切った三十路男の顔が映る。


「そうだ異世界、行こう」


 唐突に、まるで京都にでもいく気軽さで吾郎は呟いた。特にその言葉に意味は無い。ただ昨夜、なんとなく映していた深夜アニメをふと思い出したのだ。異世界トリップした主人公が無双しハーレムを築く、そんな話だった。

 勿論、吾郎は本気で異世界に行けるなどと考えてはいない。ただの現実逃避として、しかし無意識にそう呟いてしまっていたのだ。

 ――そもそも異世界に行こうとは何なのだ。

 異世界に行ったとして、自身に何が出来る訳でもない。ゲームのようにモンスターでも居ようものなら、すぐに死んでしまうことだろう。

 そしてなにより、現代よりも不便な世界で生きていける気がしない。異世界ファンタジーは往々にして千年代ヨーロッパを下地にしている事が多いイメージがある。それは昔読んだ小説の影響だろう。剣と魔法と魔物と竜が出てくるそれだ。そのような世界ではとてもじゃないが、都会っ子の自分は生きていけないだろう。

 吾郎は思いのほか、真面目に考察している自分に気付くと、少し可笑しくなり自嘲気味に笑った。

 ――どのみち、ただの現実逃避なのだ。


 ブラック会社にしか入れなかった自分が悪い、そう言われればそうだろうと吾郎も思う。今までたいした努力をしてこなかった自分が悪いのだろうし、後悔はしている。

 毎日残業で帰宅するのは時計の針がてっぺんを越えた頃、しかし残業代は出ない。週休一日の休日出勤あり、もちろん代休も無ければ手当ても出ない。有給なんてもってのほかだ。賞与も昇給も無く、薄給激務でパワハラなんて日常茶飯事、毎日頭を下げ罵られようが殴られようがひたすら我慢して会社に尽くしてきた。

 そうやって毎日をなんとかこなして、ふと頭を(よぎ)る事がある。


 ――何でこんなに必死に働いているのだろう? という疑問。


 働いて働いて、生きて生きて、そしてその先には何があるのだろうか?

 結局、最後は死ぬだけじゃないのか?

 生きている意味ってなんだ?

 忙しい毎日の間隙(かんげき)に、そういった思考が滑り込んで来るのだ。


「あぁ、会社辞めてぇ、死にてぇ……」


 吾郎はそう呟いて、一つ溜息(ためいき)()いた。

 結局なんだかんだとは言ってみても、吾郎は何も行動には移さない。理不尽だろうと何だろうと無意味に耐え、現状が変化することを嫌い恐れる、そういう人間なのだ。

 今日大丈夫ならば、明日も大丈夫――そうやって流れ流され生きてきたのだ。


 吾郎が伏せた顔を上げると、タイミング良く信号が青に変わった。

 周囲にはいつの間にか車も通行人も見当たらない。まるで時間が止まったかのような、異常なほどの静寂が辺りを包んでいた。

 しかし吾郎はその変化に全く気付くことなく、横断歩道を渡ろうと、足を踏み出した。



 ――ぐらり。


 アスファルトを踏みしめたはずの足に柔らかい感触が広がり、吾郎は少しバランスを崩した。


「……えっ?」


 一歩、たった一歩踏み出しただけで、眼前には見慣れない景色が広がっていた。

 先程までコンクリートに囲まれていたはずの吾郎の体は、腰まである背の高い草に囲まれている。


「えっ、な、何が……?」


 街灯の明かりは消え失せ、周囲は真っ暗闇になっていた。かろうじて、月の明かりだけが吾郎を照らしている。


「……ここは、何処だ?」


 辺りを見回すが、何処を見ても草叢(くさむら)しかない。

 吾郎は呆然と空を見上げる。

 こんなに暗いというのに星一つ見えなかった。


 ――何かがおかしい。


 (あご)を手で撫でると、朝剃ったはずの髭がざらりと手に当たる。この感触が、実は好きなのだ。考え事をする際に、集中力を高めてくれる気がする。

 顎を撫でながら立ち尽くしていると、ふと吾郎の耳が何かの音を拾った。耳を澄ませば、それは人の声だと気付いた。


「……声、女の人の声か? こっち? いや、こっちから聞こえる気がする」


 吾郎は声の聞こえる方へと草を掻き分け進む。

 しばらく歩くと、その声が悲鳴なのだと吾郎は気付いた。――そう、女性の悲鳴。そして、怒号(どごう)だ。


 好奇心――いや、恐怖心を和らげるために、吾郎はその声の聞こえる場所へと向かう。何も分からない事は恐ろしく、危険があろうともつい確かめることを優先してしまうのは、人間の(さが)だろう。


 目を凝らすと、少し先に小さな村のようなものが見えた。

 村、――そう、まさに村だ。日本にはもう無いのではないかと思える程の小規模な集落。

 木製の二メートルはある柵に村は囲まれ、その周囲には小規模ながら田畑が点在している。柵内には木造の簡素な家が(まば)らに建ち、道はただ踏み慣らされただけで(ろく)に整備されてはいないように見えた。ぱっと見で分かる家の数から人口を推察するなら、五十人を少し超えるくらいだろうか? 小規模で、そして時代錯誤な村である。


「村、あれは村なのか。ということは、人がいるのか?」


 吾郎は現状を理解しているとは言えないが、ある種の想像はあった。馬鹿馬鹿しい話だが、それを確認するためにも誰か人に会いたい。

 ゆっくりと、そして僅かに警戒しながら村へと近付いていく。しかし、何か違和感のようなものを覚え、吾郎はその足を止めた。

 村をよくよく観察してみると、どうやら人々が何やら忙しげに走り回っているようだった。


 ――月の光以外に明かりの無いこんな真っ暗闇の中をだ。


「……え?」


 少しずつ、少しずつ暗闇に慣れた吾郎の目がその光景を捉える。

 それに気づいた瞬間、吾郎は息を飲み、体が縛られてしまったかのように、ぴくりとも動けなくなっていた。



 村で行われているのは、――虐殺。

 そう、虐殺としか表現出来なかった。


 逃げ惑う人間達を、異形の人間らしき者達が殺していた。

 逃げ惑う人々の恐怖に染まった悲鳴がこだまする。

 その声は吾郎の身内(みうち)を恐怖に染め上げ、眼前で繰り広げられる殺戮の光景から目を離すことを出来なくしていた。

 村人の中には抗戦している人間もいたが、多くの人間は異形の人間に抵抗らしい抵抗も出来ず殺されている。


 若い男が恋人らしき女を連れ、村から出ようと試みているのか全力で門へと走り出した。村の出入り口は二箇所、それ以外は柵に囲まれているのでどうにも出来ないだろう。男は異形達を上手くすり抜け門付近まで近付いていた。しかし、ふと違和感に立ち止まり振り返る。そう、引いていた女の手が急に軽くなったのだ。男は握りしめていた女の手を見る。そこには断ち切られた女の手首があるだけだった。そう、女は道半ばで殺されていたのだ。男は立ち止まったと同時に胸を貫かれ、息絶えた。


 女は子供を連れていた。一歳二歳ほどの可愛い時期だ。女は子供をそのかいなに抱き、戦う男達に促され逃げる。しかし、やはり村からは出る事叶わず異形に包囲された。異形は男達に手傷を負わされながらも、確実に男達を殺していく。うち一人の男が(はらわた)を垂らしながらも、女に退路を開く。雰囲気からして、女の旦那ではないだろうか? 女は泣き叫びながらもひた走る。走って走って、そして、異形の刃が太腿(ふともも)を裂き、女はもんどりうつ。子供が、子供が女の手を離れ道に放り出された。その上を異形が通る。ぐちゃりぐちゃりと、子供の頭は潰れ赤い血が飛散し、流れ落ちる。まるで車に()かれた猫のように平たく、平たくなっていく。女は絶望の表情で声にならない叫びを上げた、――異形の刃に首を落とされるその時まで。その声は、何処までも何処までも響き、吾郎の耳の内にこだました。


 地に()(うずくま)る老人は(ゆる)しを請う。異形はけたけたと笑いながら、その老人を蹴る。蹴る。蹴る。何度も何度も、老人はその度にむくりと起き上がり、赦しを請う。身体中が内出血を起こし紫色に腫れ上がり、骨が折れ、血反吐を吐き、そして老人は嬲り殺された。



 吾郎には異様なほど鮮明に、その光景が見て取れた。村の隅々まで行われる殺戮を、その眼で視る事が出来たのだ。


「……うっ」


 こみ上げてくる胃液が喉を焼く。

 夢でも見ているのではないかと考えたが、肌に纏わりつく嫌な空気がそれを否定する。血の臭いが村の周囲にまで漂っていた。

 寒くもないのに震えが止まらず、体の芯が冷え切っている。そのくせシャツを濡らすほどに汗が噴き出し、喉はからからに乾いていた。


 吾郎と村との距離は目測で二百メートル弱程ある。明かりとなるものは月の光しかないが視界が通り、吾郎には存外明るく感じた。

 頭の中ではどうにかしないと何とかしないと――と思考は空回っており、身体は恐怖に縛られ思うように動かない。その恐怖の中で、ふと浮き上がった思考を一つ拾い上げた。


 ――このままでは異形に見つかり自分も殺されてしまうのではないか?


 吾郎はただ立ち尽くしていたが、その考えに至った瞬間、自身でも驚くほど冷静に、音を鳴らさないようゆっくりと草叢にその姿を隠していたのだ。

 吾郎は緊張に手を握り締める。その手は汗で濡れていたが、先程まであった震えはとうに無くなっていた。


 村では依然、異形が徘徊している。

 異形の数はおよそ二十五から三十人程だろうか? 二人は村の出入り口を見張り、残りは村の中をうろうろと何かを探す素振りを見せていた。

 しばらくして異形は一つの家の周りに集まり、家の壁を打ち壊し始めた。崩壊した壁の隙間から小さな女の子が引き摺り出される。異形の力は相当強いのであろう、女の子の腕が明らかに変な方向に曲がっていた。異形達は女の子の様子に一頻(ひとしき)り笑い合い、ゴム毬のように何度も地面に叩き付ける。その行為は少女が死ぬまで続いた。

 少女が死ぬと、異形達は村の中を散開し、日本語ではない何らかの言葉を大声で交わし始めた。動物の鳴き声のような、言語というよりは音で会話しているように思える。

 異形達は、どうやらまだ生きている人間を探しているようだ。――例えば自分のような。


 異形の出す音を利用して吾郎はゆっくりと後方へ下がり、村から離れようと試みた。

 草叢を屈みながら歩くと、力加減が難しくどうしても強く踏みしめてしまう事がある。そのせいで土草を踏む音や擦れる音が周囲に聞こえてしまう可能性があった。

 音や草の動きに注意しながら一歩一歩足を動かす。

 とたん、異形が話し声をピタリと止め、耳を澄ますような仕草を取っていた。

 吾郎も慌てて動きを止めたが、もしかしたら何らかの音や動きを出していたかもしれない。

 自然の音のみの静寂が続く中、異形は村の中に限らず外をじっくりと眺め、観察している。

 そして吾郎は、一人の異形がこちらをじっと見ていること気付いた。

 視線には質量がある――とは思わないが、その異形を見ていると自分の存在に気付かれそうな気がしたので、そっと目を伏せ、祈った。

 ――どうか気付かないでくれ、と。

 鼓動の音が異形に聞こえてしまうのではないかというほどに鳴り、身内を震わす。歯が鳴らないよう噛み締め、ただ息を潜め、こめかみに流れる汗を拭う事すら出来ずにじっと待った。


 ――ガタン。


 村のどこかで小さな音が立ち、異形はその場所を探るため慌ただしく行動を始めた。

 まだ村に隠れていたものがいたのだろう。

 その村人には申し訳ないが、吾郎は好機とみて少し足早に草叢を掻き分けていった。


 村が小さく見えるところまで移動した吾郎は、そこからは全速力で逃げ出した。

 そのおかげか特に何者に追われるでもなく、吾郎は窮地を脱したのだった。



 しかし、吾郎をとりまく状況は何一つ変わっていなかった。あの場で死ななかっただけの話でしかないのだ。

 ――ここは何処だろう? これからどうすればいいのだろう? お腹が空いた、といった問題がある。


 いつの間にか夜が明け、吾郎は小高い丘の上でへたり込んでいた。腕時計を確認すると、時刻は六時過ぎだった。当然のことだが時計はしっかりと機能しているようである。時刻が合っているかは分からないが――。

 昨日はあれから四時間ほど走ったり歩いたりを繰り返し、体感で十数キロは移動したはずである。久々に走ったので足がぱんぱんに腫れ、足首が少し痛む。

 睡眠も碌にとれず、吾郎の記憶が確かならば昨日のお昼から何も食べていないはずで、空腹であった。

 吾郎は持っていたスーツケースの中を調べてみたが、食べ物は無く会社の書類などしか入っていなかった。スーツのポケットやズボンをまさぐってみても何も無い。こんな事ならコンビニにでも寄って帰るんだったと少し後悔した。

 そして、こんな事態に(おちい)っても、会社休んじゃうよどうしようと、頭の隅で考えてしまう己が情けなかった。


 吾郎は深い溜息を吐くと、次に「よし!」と自身に気合を入れる。

 いつまでも落ち込んでいても仕方がない。この状況を何とかしなければ、遠からず死ぬ事になるだろう。失敗したからといっていつまでも落ち込んでいては仕事にならないのと一緒だ。

 吾郎はいつか受けたストレス対策セミナーの内容を思い出し、立ち上がると体を軽く動かしながら辺りを見回した。

 吾郎の周辺を大まかに説明するならば平原だろう、遠いところまで見通すことが出来る。周囲には小高い丘が点々とあり、木が疎らに生え、ずっと遠くには森や山らしきものも見える。しかし、近くに隠れるような場所は無いので、何かが近付けば発見することは容易いように思う。


 深呼吸しながら吾郎は思考を整える。


 ――まず、これは夢ではないだろう。

 吾郎は夢の中で自由に動けた経験は無い。明晰夢(めいせきむ)などというものがあるらしいが、昨日から今日にかけてこの世界はあまりにも生々し過ぎた。

 ――これは、現実だ。

 それを前提で動こうと、吾郎は一つ行動方針を決めた。

 次にここは日本ではないと思う。いや、おそらくは地球ですらない気がする。根拠としては、この平原や村の規模と生活レベル。そして、あの異形。

 異形の姿形は暗くてはっきりとは見えなかったが、目がぎょろりと大きく、鼻が潰れて耳が少し尖っており、口が裂けているかのように大きく、顎が出ていて牙があった。身長は百三十から百五十センチ程だろうか? 身体は小さめだが、妙に筋力があったように思う。そして各々何らかの凶器を所持していた。

 最近は仕事が忙しくやる時間がなかったが、昔やったテレビゲームでよく似た姿のモンスターがいた気がする。

 ――そう、確かゴブリン。

 ゲームを始めて最初の敵がゴブリンだったはずだ。

 つまるところ吾郎は、この世界はファンタジーの世界なのではないかと考えている。

 馬鹿馬鹿しい話だが、今の現状を(かんが)みるにこれがしっくりとくるのである。

 ――本当に馬鹿馬鹿しい。

 吾郎はその可笑しさに少し笑う。



 ――おそらくここは、異世界なのだ。

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